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摂食障害(摂食症)と働くこと(明治学院大学心理学部教授:西園マーハ文) #働く人のメンタルヘルス

摂食障害(摂食症)は、思春期の若い女性がかかるものとイメージされてきました。しかし、現在の臨床現場では過去の典型的なイメージとは異なる方や過食症(神経性過食症)の症例の増加が見られます。このように症例が多様化するなかで、就労は摂食障害(摂食症)からのリカバリーにとって重要な観点です。明治学院大学心理学部教授の西園マーハ文氏に、就労と摂食障害(摂食症)からのリカバリーの関係について解説いただきました。

 摂食障害(摂食症)が日本でも増え始めた1970年代以降、この病気は「思春期やせ症」というイメージで語られてきました。10代の女子が、体型を気にしたり、勉強や部活や家庭のストレスから食べなくなったりしまうというものです。そして、思春期やせ症として語られる場合、「働く」ということは治療目標のリストには挙がっていませんでした。体重を増やして学校にきちんと通えるようになることが回復だったからです。しかしその後、「働く」は、治療現場で無視できないトピックになってきました。この背景として、一つには、当初のイメージとは違い、やせ症(神経性やせ症)の中には、思春期の間には回復せず、長期化する方も一部いらっしゃるということがあります。「思春期やせ症」には、比較的裕福な家庭の子女が多いというイメージがあったと思いますが、長期化してご両親が高齢化し、さすがに少し生活費を稼がなくてはという方も増えてきました。例えば50代になった方が、人生初のアルバイト探しや就活をしようとしても、さまざまな意味で困難です。長い経過のどこかのタイミングで社会に参加することを考えておく必要があります。

 「働く」を真剣に考えることが必要になった背景のもう一つは、過食症(神経性過食症)が増えてきたということもあります。過食症では、過食と嘔吐や下剤乱用などの「排出行動」が見られます。アルコールならば、たくさん飲めば意識がなくなってその日の飲酒は終わりますが、過食嘔吐は体力とお金があればエンドレスです。一日1万円以上、つまり月に30万円以上を症状に要することもあります。生活費と過食代を全部自分で稼ぐというのは容易ではありませんが、親のお金で食べ吐きしながら症状が軽快することはあまりなく、どこかで「過食代は自分で稼ぐ」という覚悟が必要になります。もちろん、諸般の事情で仕事に行けない場合は別の方法を考えますが、多くの過食症の方にとって「働く」は切実なテーマです。経済面だけでなく、家に引きこもっていると症状が止まらない場合も多く、社会に出て人と接する時間を設けることはとても大事なのです。

 近年、精神医学では、「リカバリー」という言葉が知られるようになっています。日本語では「回復」ですが、精神科で「リカバリー」と書くときは、臨床的リカバリー、パーソナルリカバリー、社会的リカバリーの三つを指します。臨床的リカバリーは症状が減ることで、統合失調症なら薬物療法で幻聴が減るというような部分を指します。パーソナルリカバリーは、友人と充実した時間が持てたり、趣味が充実したり、将来に希望が持てることなどを指します。社会的リカバリーは、就労、デイケアに通うなど社会参加をすることです。これまで医療者が臨床的リカバリーだけを見てきたことに当事者からの批判があり、パーソナルリカバリーや社会的リカバリーも論じられるようになってきました。摂食障害(摂食症)でいえば、体重を増やす、過食を減らす等が臨床的リカバリーの領域です。しかし、病院で鼻腔チューブを使い栄養を入れれば、体重は増えますが、これだけでは退院すると元通りになりがちです。「今日は仕事に行くから、朝、ちゃんと食べよう。」「友人とランチに行くから新しいものも食べてみよう。」というような、パーソナル、また社会的リカバリーと結びついた臨床的リカバリーが望ましいのです。

 リカバリーのためには、仕事の前段階として、ボランティアや習い事をやってみるのも良いと思います。特に、高校や大学を中退した後、引きこもり傾向の方には、あまり大きな責任を伴わないこれらの社会参加の時期も必要だと思います。しかし、ボランティアや地域活動などについては、上手に探せない方も多く、日本には摂食障害(摂食症)の方のためのデイケアもあまりありません。自助グループはありますが、日本では、学校や職場の所属がない方の社会の中の居場所が少ない気もします。結局、簡単なアルバイトの方が探しやすいという面はあるようです。

 さて、仕事をする場合、統合失調症などでは、障害者雇用もあり、周囲も精神疾患当事者とわかって雇用する場合も多いですが、摂食障害(摂食症)は病名が付いたことで雇用してくれる企業はあまりありません。自分で仕事を見つけに行かなくてはいけませんが、このプロセスでは、健康な人と競う形となり、摂食障害(摂食症)は隠すことになりがちです。アルバイトや社員として雇用された後も、過食症は外見では病気とわからないため、職場の人は、ご本人に症状があることを知らないことも多いのです。隠して仕事をしていると、同僚の出張土産のお菓子を勧められ、断れずに食べてその日の夕食が食べられず、夜中に過食が出るなど、人には見えにくいストレスや不調が蓄積します。昼食の時間が毎日違うと、食べるべき量がわからなくなってしまうことも少なくありません。摂食障害(摂食症)について一般の職場ではあまり知られていない現在、カミングアウトすると「心に闇を抱えた人」扱いされることもあります。産業場面での啓発も必要ですし、治療の中で、周囲への伝え方を話し合うことも必要です。他の精神疾患で行われているソーシャルスキルトレーニング(SST)なども今後は必要だろうと思います。他の疾患と違い、摂食障害(摂食症)は、業務そのものに特別の配慮は要らないことがほとんどです。昼食時間など業務外の配慮で職場に居やすくなる方はとても多いので、職場への啓発はとても重要だろうと思います。

 もちろん、重症な低栄養の時期の就労はお勧めできません。以前は、「しっかり体重が増えればいつでも働ける」と考えられており、とにかく体重が増えるのを待つという考え方が強かったと思います。しかし、引きこもり傾向の中で体重を増やそうと思ってもモチベーションが上がらず、症状改善には時間がかかります。例えばうつ病の治療では、医療的に薬物療法を行い、症状が少し減ったら仕事を増やしゆっくり回復して自信を取り戻すというような経過が多いと思いますが、このような、「最後の仕上げは社会参加で」という発想が必要だろうと思います。一方、症状がある程度残り、また、悪化した時の対処法がわかっていないのに「働き始めたからもう大丈夫」と考えるのも危険です。うつ病などと同じく、ご本人が自分の病気をしっかり知るというプロセスは欠かせません。仕事を始めるという変化がある時こそ治療の継続が必要となります。ワーク・ライフ・治療バランスが重要だと言えるでしょう。

◆執筆者プロフィール

西園マーハ文(にしぞの マーハ あや)
明治学院大学心理学部教授。精神科医。専門は臨床精神医学、社会精神医学。『摂食障害の精神医学』(日本評論社)、『対人援助職のための精神医学講座:グループディスカッションで学ぶ』(誠信書房)、『過食症の症状コントロールワークブック』(星和書店)ほか、著書多数。

◆主な著書