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人生の踊り場でしっかりと立ち止まってみること(東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース教授:高橋美保) #働く人のメンタルヘルス

今回は失業者や働く人への心理的援助、ライフキャリア支援などを中心に研究、臨床、教育を行っている高橋美保先生に、働いている人が今を少しだけ立ち止まりたくなったときをどうとらえるかについて、お書きいただきました。 

働くストレス

 あなたは働いていますか? あるいは働いた経験がありますか?もしかしたら、働くことが好き! 楽しい! と心から思っている人もいるかもしれませんが、そんな人でもストレスが全くないということはないのではないでしょうか。もちろん、中には、ストレスが程よい刺激となって、ある種の充実感や達成感を味わう人もいるかもしれませんが、多くの場合、何らかのネガティブな意味のストレスを感じていると思われます。

 例えば、希望する仕事をさせてもらえなかったり、当初思い描いていた会社のイメージとは違ったり、仮に思うような仕事ができたとしても、やってみると思うように仕事が進まなかったり、自分の能力に限界を感じたりすることもあるかもしれません。また、人間関係のこじれやパワハラ、あるいは職場での孤立・孤独も大きなストレスとなります。

 それによって仕事を続けることが辛くなったり、会社に行くのが嫌になったり、あるいはうつ症状を呈することもあるかもしれません。ここまで行ってしまうと、休職や病院での治療が必要となるでしょう。働き方改革が叫ばれる昨今ですが、過労死や仕事による強いストレスによる精神障害の労災請求件数は増えています。

 もちろん、仕事のストレスがなくなればそれに越したことはありませんが、どうしたってストレスフリーにはならないのではないでしょうか。であれば、ストレスがあること前提で、そこまで重篤にならないようにする必要があります。

働くことは生きること

 そもそも、人にとって働くということはどういうことでしょうか。私たちに与えられた生涯の時間の中で、私たちはどれだけの時間を働くことに割いているか、考えてみてください。平均的な労働時間で考えると、一日8時間として一日の約3分の1、それが一週間のうち5日、月に4週、12か月と考えていくと、人生のかなりの時間を働くことに費やしていることに気づくでしょう。最近では定年も後ろ倒しになってきて、働き終わったら自分の人生も終わっていたということにもなりかねません。また、働くことは私たちの3つのLIFEにも関係しています。生活、人生、生命ですね。働くことで生活の糧や生活のリズムが得られますし、働くことは私たちの人生の意味を表現することにもなりえます。時として働くことの中で命を落とすこともありますが、一方で働くことで命を輝かすこともあるかもしれません。つまり、働くことは生きることなのです。

 では、あなたはどうして働いているのでしょうか?働いて一人前という風潮もあり、働くのは当たり前だと思われるかもしれません。実際のところ、働かないと食べていけないから、働かざるを得ないだけということもあるでしょう。

 例えば、大学生の就職活動では働くことの意味はどのようにとらえられているでしょうか。自己分析をして、エントリーシートを書いて、まだ書いてもいない卒論の話をしたり、最近では「ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)」で自己アピールをしたりするかもしれません。日本の新卒一括採用の文化の中で、「やりたいこと」や「自己実現」を語りながらも、本当のところでは仕事の内実もよくわからないまま、内定が出るか出ないかで一喜一憂するという現実もありそうです。

 一方で、私が長年かかわっている失業研究では、「失業して初めてわかる仕事の機能」(働くことの意味)として、習慣的な時間構成、人生における目的、社会的接触、地位とアイデンティティ、日々のルーティンな活動が挙がっています。これらは、就職活動をするときに、追い求めるようなキラキラしたものとは違いますね。でも、どれも、人が健全に生きるための基本となるとても大事なものです。

 働くことや仕事を人生の目的とするのも素敵なことだと思いますが、仕事が人生の主役になってしまうと、時として自分を見失ってしまうことがあります。「失業してわかる働くことの意味」は、人生の主役はあくまで自分であり、働くことは人として健全に生きるための選択肢の一つに過ぎないことを教えてくれます。つまり、人として健やかに過ごすための営みとして、働くことを“自分が”活用するという主体性を忘れないことが大事になります。

 私は長年、再就職支援の現場の心理支援にかかわっていますが、働きたくても辞めざるを得ない時に辛いのは、働くことの主役であったはずだったのに、選択肢がないまま、主従関係が逆転してしまうからではないかと思っています。これは、働いていても思うように働けない時も起こります。働けなくなったとき、あるいは働いていても思うように働けない時の私は、本当の私でないように感じることがあるのです。

働くことと「DoingとBeing」

 この主体性というものが、働くことのストレスを考えるうえで大事なものになってきます。皆さんは、マインドフルネスというものをご存じでしょうか。マインドフルネスでは、自身の状態についてDoingとBeingの2つのモードを対比的に示すことがあります。Doingのモードは、心ここに在らずで、ネガティブな気分を避けてポジティブな気分を追い求め、常に理想を追い求めて、気づくと現在の状態を批判的に評価し、そして頭や言葉だけで問題を解決しようとするようなモードです。目的的に仕事をしたり、達成感を求めて頑張っていたりするときになっているモードでもあるので、これによって素晴らしい成果を上げることもできます。なので、このモードが悪いわけではありませんが、こういう時はアクセルを踏み続けて加速度的にスピードが上がっていく状態です。そして、もしかしたら、もはや自動的に“そうなってしまっている”ということはないでしょうか。こういう時は、よくも悪しくも主体性を失っているかもしれません。もちろん絶好調の時にも似た感じになるので、それはそれで幸せなことですが、ずっと上がり続けられる人ばかりではないでしょう。

 これに対して、Beingのモードは、しっかりと今この瞬間という現在を感じていて、そこに立ち現れるいかなる気分も味わい、そして今の自分がいかなる状態であっても自分を評価しないで、頭や言葉以外の身体感覚や心に開かれている状態です。自分自身が意図的に今この瞬間とつながっている感覚、さらには自分自身が自分以外の人や環境や世界とつながっているような、そんな感覚を持つこともあります。

 BeingがDoingより正しいとか、優れているとか、良いということではありません。どちらであっても意図的に、主体的にそれを選んでいるのであればよいと思います。むしろDoingモードによって生産的な仕事ができるのも事実なので、意図的、主体的にDoingであればよいのかもしれませんし、実際のところ働いている時はDoingにならざるを得ないことが多いと思います。ただ、Beingというあり方があるということを知っていないと、自分がDoingであることにも気づけないのではないでしょうか。つまり、Beingモードによって今の自分に気づいて、自分を取り戻すことができるのです。これがマインドフルなあり方なのです。

人生の踊り場で自分を取り戻す

 マインドフルネスは、ビジネス業界では生産性や集中力を高めるという意味でもてはやされていますが、本来は仕事のために使うものではなく、自分のために自分が自分になるもの、そして自分自身を取り戻すものだと思います。あくまで主役は自分でありつつも、結果的にそんな自分が生かされていることにも気づくことができるものだと思っています。

 また、さまざまな書籍やネットなどでマインドフルになるための方法論を教えてくれますが、マインドフルネスは日常生活に組み込むことが重要となるので、少し瞑想をすればものすごくよいことが起こるというようなものでもありません。もちろんマインドフルネスを日常的に取り入れることができれば、ストレスとうまく付き合うこともできるのかもしれませんが、目先の仕事に追われている人にとってはちょっと面倒だったり、難しそうだったりするかもしれません。

 でも、週末や少し心が落ち着ける瞬間に、少し自分の人生を俯瞰してみたくなることはないでしょうか。例えば、ふとぼーっとして自分のことを振り返ってみる瞬間に、「私って何やってるんだろう……」と思うことはないでしょうか。もしかしたら、ストレスで一杯一杯になって、辛くて立ち止まらざるを得なくなる瞬間に、涙が自分の中にある想いを教えてくれることもあるかもしれません。

 日々頑張り続けていて、止まらずに走り続けることができるのであれば、それは幸せなことだと思います。ですが、それだと息切れをしてしまうことがあります。また、走り続けたい人にとって、止まるのは怖いことでもあります。自分の中に今の自分を振り返りたい思いや、言葉や、身体の反応が起こったら、勇気を出して少し、その内なる声に耳を傾けてみるのはどうでしょう。

 私はこれを“人生の踊り場”と呼んでいます。踊り場は停滞しているのではありません。Doingモードで足元だけを見ながら一心不乱に歩いてきた階段のどこかで、息切れをしそうになっている自分に気が付いたら、勇気を出して、少しだけ立ち止まってみてください。そこで、一呼吸おいて、自分の身体の感覚を感じて、周りの音を聴いて、そしてゆっくりと目線をあげてみてください。あなたは今どこにいるでしょうか。これまでどんな階段をどんな風に歩んできたでしょうか。これから、また次の階段を上がりますか。もしかしたら、この先の階段は実は一つではなかったことに気づくかもしれません。あなたはどの階段を選びますか。それとも少し休憩しますか。少し周りを見渡してみると、平坦な道やこれまで気づきもしなかった脇道があることに気づくするかもしれません。

 結局、やっぱり今までの階段を選ぶかもしれません。たとえ同じ階段であっても、これから歩く時のスピードや歩き方を少し変えることはできるかもしれません。もちろん同じように上ってもかまいませんが、それでも、今までのようにDoingモードでがむしゃらに上りつづけるのではなく、一旦踊り場で立ち止まって、Beingモードで意図的に、主体的に一歩を踏み出したのであれば、その歩みのクオリティは今までとは違っていると思います。

 ただでさえ仕事と闘う日々を送っているのであれば、ストレスとも闘う必要はないのではないでしょうか。ストレスがあることを認めながらも、それがある仕事や、それを含めた自分の人生を少しだけ自分らしく豊かに歩むことを選んでみるのはいかがでしょうか。

【著者プロフィール】

高橋美保(たかはし・みほ)
東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース教授。専門は産業分野の心理学・コミュニティ心理学・東洋的アプローチ。失業者や働く人への心理的援助、ライフキャリア支援などを中心に研究、臨床、教育を行っている。
研究室のHPはこちら。https://www.p.u-tokyo.ac.jp/~odoriba/

著書