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読み書き苦手な子が抱える孤独(一般社団法人読み書き配慮代表理事:菊田史子) #孤独の理解

読み書き苦手な息子のこと

 息子は、物事の理解はできるのに、読み・書きがからっきし苦手でした。特に書くことがたいへん苦手で、ノートはおろか、自分の名前を書くことさえもおぼつきませんでした。

 教室はできない自分と向き合うばかりの場所でした。そこから逃れて “脱走”するのがいつしか日常になっていきました。私は、ひとりぼっちで校庭の隅にうずくまる息子をよく探しに行ったものです。

 でも実際には息子は好奇心の塊で、難しいことを学んだり聞いたり話したりするのが大好きでした。国連のこと、法律のこと、貿易のこと、経済のこと、宇宙のこと、化石のこと、乱数のこと、建築のこと、歴史のこと…。興味のタネはつきませんでした。

「書けないこと」が人との繋がりを傷つけていく

 文字書けないということは、友達に「自分」というものを見てもらう機会が減るということでもありました。作文や観察日記や壁新聞などの成果物が仕上がらなければ、「こんなふうに考えている自分」を友達に正確に知ってもらうことができないからです。

 また、書けないことにイライラすることも友達を遠ざけることになりました。

 友達が大好きなのに、息子は次第に一人ぼっちになっていきました。
 私は「母として」、息子の漢字練習に一生懸命付き合いました。書けないと癇癪を起こして泣きじゃくる息子を宥めて透かして励ましました。書けるようになることが息子を幸せにすると信じていたからです。
でも書くことにこだわればこだわるほど、親子関係は壊れていきました。

「書く」ことをやめる。

 イライラの塊になって、荒れ果てていく息子を見て、私はようやく息子の“孤独”に気がつきました。「全力であなたを守りたい」と願う母の愛が、息子に全然伝わっていないということに気がついたのです。

 それで、二人で話し合って、「書く」ことをやめました。

 息子は「敵が1人減って味方が1人できた」と思ったそうです。小学校4年生の時でした。

タブレットがもたらしたもの

 転機が訪れたのは息子が小学5年生の時でした。タブレットを使えば、文字が簡単に書けることを知ったのです。

 いろんな人の応援があって、6年生の春から教室でタブレットを筆記用具がわりに使い始めました。難しく言えば「合理的配慮」というものです。
友達は皆タブレットを使う息子を歓迎してくれました。「いい道具があってよかったじゃん」「(配慮を受けることで)文句言う奴がいたら、俺がぶっ飛ばしてやる」そう言ってくれた友達もいました。

 タブレットで息子は考えたことを文字にして、自分らしさを友達に伝えられるようになりました。イライラすることが減って、気がつけば友達の輪の中にいるようになりました。

 タブレットがもたらしたものは、単に学びの解決だけではなかったのです。

「信頼できる人」を数人でいいからつくりたい~人と繋がること

 そのような経緯を経て、息子が書いた小学校の卒業作文があります。読み書き苦手な子が抱える本当の孤独は、本人から伝えてもらうのが一番だと思うので、息子の承諾を得て引用します。


自由へ~昔思ってた自由と今の僕~

小学校6年 菊田 ゆうすけ

 僕はアスペルガー症候群。世で言う「障がい」を持っている。読み書きが困難で苦労した。昔の僕は自分の障がいを嫌い、そして自分を嫌っていた。だから僕は、自由を欲しがった。
 二年生の時、授業中脱走し、隣の公園で遊んでいた。それも自由を欲しがっての行動だと、今は正直に思う。当時は、自分に嘘をつき、分かる理由も分からないようにしていた。

 三、四年の時はもっと自分への攻撃がエスカレートした。「自分は死んだ方が良い」、「自分はバカだ」、「誰も必要としていない」色んなことが僕の心に浮かんだ。クラスメイトに「死ね」と言われて、本当に窓から飛び降りようとした事もある。その時は、担任の先生に止められた。「障がいが無ければ苦労しない、こんなに苦しい思いをしなくて済む。」そんな話を先生にした。先生は「自分も自殺しようと思ったこともある。でもいろんな人に会って考えが変わった。」と返してくれた。僕の自由は人にある。人と関わることで自由を手に入れる。そう思った。でも当時は友達がいなかった。遊んでくれる人はいたけど、そこでトラブルになり、そのあと話してすらくれなくなった。

 そんな思いで四年生を終え、五年生になった。クラス替えだった。嬉しかった。人と関われる、自由になれる、障がいで困ることもない。そんな確信の無いことでもよかった。五年の五月、早速自分の事を伝えた。理解してくれるかドキドキだった。そしてワクワクしていた。皆はおそらく理解してくれた。五年のある日に「ピタ(息子のあだ名:筆者注)って自由だよね」と言われ嬉しかった。「自由に近づけた」そう思った。

 でも、読み書きには不自由があった。昔から字を書くのにすごくイライラし、漢字の宿題をやったことはほとんどなかった。そんな五年の夏「DO-IT」と言うプログラムに参加した。そこでは読み書きが不自由な子達にiPadを渡し、学校で活用出来るよう教えてくれる。そこでiPadの使い方を習い、「これなら僕も板書を写せる。」そう思った。それと同時に悔しかった。この事をもっと早く知っていればここまで苦労しなかった。もっと早く自由になれた。時間を返せ。でも誰も時間を取ってない。返せと言っても返って来ない。時間はそう言う物だ。そこに気がついた時、少し悲しくなった。いろいろ進歩があった一年だった。
 六年になり、iPadを学校で使わせてもらえるようになり、読み書きの不自由もなくなった。これでやっと開放された。自分を少しだけ好きになれた。荷が下りた感じがして楽になった。

 楽しくない日はあったけど、進歩がない六年間じゃなかった。そう実感する。これからは、「人と関わる」だけでなく「信頼できる人」を数人でいいからつくりたい。既にいるのかもしれないけど、それが誰なのかは自分でもわからない。そこにチャレンジして行きたい。そう決めている。(2015年春)


20歳になった息子、そして仲間達

 あれから8年。息子は現在慶應大学環境情報学部の2年生です。嬉々として学問にハマっています。そして私は、読み書き苦手な子供たちにICTの使い方を教える教室を始めました。息子もあの頃の自分に寄り添うようにチューターとして教室を手伝ってくれています。そして、あの小学校の同じクラスの仲間たちが一緒になってチューターを勤めています。あの作文の後、地元中学でやんちゃな時期をともに過ごし、今はみんな大学生。大人の力を遥かに超える彼らの“寄り添い力”には驚かされます。「ひとりじゃないよ、僕らはキミの仲間だよ」と言うメッセージが体全体から伝わります。

 思えば彼らは子供の頃から息子にそうしてきてくれました。

 大人も負けちゃいられません。読み書き苦手な子供たちに、私たちは味方であると身をもって伝えていきたいと思います。そして、そんな味方になってくれる大人を全国に絶賛募集中です。コツはカンタン。「キミのやりやすい方法でいいよ」と伝えてあげることだけです。

執筆者


菊田 史子(きくた・ふみこ)
LDの子供の保護者。2018年一般社団法人読み書き配慮を設立、LDへの合理的配慮の事例データベースをwebで公開している。同代表理事。元新宿スイッチ代表。元新宿区教育委員。読み書き困難の息子を育ててきた経験を綴った著書に『これでピタッと!気づけば伸ばせる学習障害―事例から学ぶ“解決”教えたいのは挫折ではなく生きる力』(株式会社BookTrip、2020)。共著『L Dの「定義」を再考する』(金子書房、2019)。親子を題材にしたNHKハートネットTV『書けないボクと母が歩んだ道〜学習障害と共に』(https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/577/)はNHK厚生文化事業団の福祉ビデオライブラリーで無料貸し出し中。NHKハートフォーラム出演は恒例に。2022年夏の開催は7月30日。テーマは『子供の発達障害〜今大切なことと、将来、役に立つこと』

著書

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