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性的境界侵犯を理解する(東洞院心理療法オフィス/太子道診療所精神神経科:北村隆人) #心理学と倫理

多重関係の中でも、特にクライエントと性的な関係をもつ性的境界侵犯は倫理の観点から厳しく禁じられています。性的境界侵犯がなぜ起こるのか、そして個人レベル、集団レベルでどのように防止していくのかについて北村隆人氏に解説いただきました。
※今回の記事内には、性的な加害や被害についての言及があります。このような内容について不安や不快を感じる方は、ご注意ください。


 本稿では、多重関係の一つであり、その中でも最も深刻な問題である性的境界侵犯――クライエントと性的な関係を持つこと――に焦点を当てて説明します。このテーマに焦点を当てるのは、この問題が深刻でありながらも、これまで日本の心理コミュニティの中で十分な注意を向けられてこなかったためです。本稿を通じて、皆さんにこの問題について少しでも考えていただければ幸いです。

 ただこのテーマに関して、読者である心理職の皆さんは、次のように思われるかもしれません。「これまで受けてきた教育の中で、『多重関係をもってはいけない』という原則は何度も学んできた。だから、私が境界侵犯を起こすなんて考えられない。そんな問題を起こすのは、クライエントを平気で食い物にする特殊な人だけだから、その人たちを処罰すれば済む問題なのではないか。」

I 性的境界侵犯は発生している

 しかし現実はそうではありません。性的境界侵犯は、特殊な人だけに起こるものではありません。

 米国の精神分析家アンドレア・セレンザ(Celenza 2007)は、英米圏で過去に行われた境界侵犯の発生率に関する研究結果をまとめています。それによれば、米国の精神医療従事者の中で、治療中あるいは治療終了後に患者と性的な関係をもったことのある専門家の割合は、7~12%だとされています。

 もちろんこれは海外での発生率であり、日本ではこうした調査が行われたことがないため、私たちの中でどの程度の割合で発生しているかはわかりません。しかし私は過去に、治療者からの性的境界侵犯で苦しんだ被害者の方から相談を受けた経験があり、また複数の治療者の方々から、境界侵犯にまで至らなかったものの、自分の感情をうまくコントロールできなくなった経験をうかがったことがあります。それを踏まえれば、日本でも性的境界侵犯は一定の割合で発生するという前提に立って、対策を取らねばならないと考えています。

II 性的境界侵犯はなぜ問題なのか

 しかし、こんな風に考える方もいらっしゃるかもしれません。「性的境界侵犯が、クライエントを食い物にする心理職によって行われたものであれば、それは確かに問題だ。しかし、クライエントが成人していて、治療者と合意して行われたものであれば、大人同士の関係なんだから問題はないのではないか。」

 一見、正論のようにも聞こえるこの主張には、一つ考慮されていない問題があります。それは、心理職とクライエントの関係は非対称的なものだということです。

 心理面接では必然的に、クライエントが自らの悩みを治療者に打ち明けることになります。そうするとクライエントの脆弱な心の部分が治療者に開かれ、未分化な感情が治療者に向けて動きはじめます。特に性的外傷を受けた既往のある方や、不適切な養育を受けた方の場合、治療者に向ける情緒が混乱しやすく、自分の今の心の状態がどういうものなのかが、よくわからなくなっていきます。そうなると「心理的にケアして欲しい」という思いと「性的にケアして欲しい」という思いの区別がつかなくなり、さらに自分の欲求と治療者の欲求の区別も困難になっていきます。そのような状況下で行う「同意」は、通常の人間関係で交わされる同意と同じものと見なしてはいけないものであり、その「同意」に基づいて行われた性交渉には搾取的側面が必ず備わります。

 こうした混乱の中で治療者と性的関係をもってしまうと、クライエントには次のような心理が喚起されます。治療者と関係をもってしまったことへの罪悪感、治療者が自分を治療しているのは身体が目当てではないかという疑念、性的関係が無ければ治療者から関心を向けられなくなるのではという不安、この問題を治療者以外の人に相談できないために抱く孤独感、自分の行為が不道徳なものに感じられて湧く恥の感覚、そうした自分を否定する気持ちから発展する希死念慮。他にもさまざまな精神症状が出現し、クライエントはこの苦しみから逃れられなくなっていきます(Sarkar 2004)。

 さらに性的境界侵犯から生じる重大な結果として、治療者全般への不信感が強まるために、別の専門家に相談にいくことが困難になるという問題も生じます(Gabbard & Lester 1995=2011:122)。そのためにクライエントは、たとえその治療者から離れられたとしても、その後に他の治療者から適切な心理的支援を受けることが困難になってしまいます。

III 性的境界侵犯への坂を滑り落ちていく治療者

 以上の説明から、性的境界侵犯がいかに深刻な被害をクライエントにもたらすかをご理解いただけたものと思います。しかし問題は、その深刻さを理解していたとしても、私たちは境界侵犯を起こしてしまう可能性をゼロにはできない点にあります。それは程度の差こそあれ、私たちの誰もが、境界侵犯への坂道を滑り落ちる脆弱性を抱えているからです。

 皆さんはクライエントから、こんなことを言われた経験があるかもしれません。「私は大勢いるクライエントの一人でしかないんですね。」「所詮、専門家としてしか私のことを見ていないんですね。」このような思いをクライエントが抱くのは、心理支援に必然的に備わる関係の非対称性が、クライエントにとって拒絶的な壁として体験されるからです。私たちの多くは、そうしたクライエントからの不満の声を耳にした時、罪悪感を抱くのではないでしょうか。特に経験の浅い方ほど、この罪悪感にとらえられやすいように思います。そしてこの罪悪感をもちこたえられないまま、クライエントの危機的な状況に直面すると、非対称性の冷たい壁を取り去ろうとして、個人的な連絡先を教えてまで支えようとするかもしれません。

 ここで問題を複雑にするのは、そのような越境的な行為が、クライエントの自殺を防ぐ介入として機能することがある点です。このような、治療的に有効な影響をもたらす、一時的な越境的関与を境界横断といいます。そして、それがあくまで一時的なもので、その後に専門家としての関与に再び戻るのであれば、是認されるかもしれません。

 しかし、たとえ治療的な意図があったとしても、境界横断を行う時に忘れてはならないのは、これは境界侵犯へと踏み出す一歩にもなりうるということです。そのリスクを十分に考慮しないままに専門家としての境界を越えてしまうと、「死にたい気持ちを乗り越えるために一緒にいてほしい。」「死ぬ行動をとらずにすむようにハグして止めて欲しい。」といったクライエントからの要望を拒否しづらくなり、自分でも気がつかないうちに坂道を滑り落ちていくことになりかねません。

 つまり、私たちはクライエントを救おうと懸命にとりくむ中で境界を越えることがあり、そこから次第に境界侵犯の領域へと入り込んでしまうことがあるということです。境界侵犯の問題を、クライエントを食い物にする特殊な人の問題ととらえるのでなく、クライエントに対して懸命に支援しようとする全ての心理職の問題ととらえなければならない理由は、この点にあります。

IV 柔軟でありながら適切な境界の維持が必要

 私たちの仕事に、このような危険が備わっていると指摘されれば、読者の皆さんはクライエントから感情的に距離を取りたくなるかもしれません。そうすれば、確かにクライエントの混乱に巻き込まれにくくなり、境界侵犯のリスクを減らすことはできるでしょう。

 しかしこの対応は、最善のものとは言えません。なぜなら、境界侵犯のリスクを減らせたとしても、感情的に距離をとる治療者の対応は、クライエントからは冷たく機械的な対応と体験され、クライエントが安心して心を開けなくなるからです。こうなると、「クライエントに対して最善の治療を提供しなくてはならない」という、また別の専門家倫理に背くことになってしまいます。

 そのことを考慮すれば心理職は、必要な時には一時的に専門家としての境界を越えながらも、境界侵犯には至らずに最適な支援を行い続ける、という非常に難しい仕事を行わねばならないことになります。

V 境界侵犯を起こさないために必要なこと

 このような難しい仕事を行いながら、境界侵犯のリスクを減らすためには、私たちはどうすればいいのでしょうか。ここからは、そのために取り得るいくつかの対応を説明します。

1 境界意識を高める

 まず大切なことは、境界についての意識を高めていくことです。「境界侵犯はしてはいけない」いう原則を知っておくことは大切ですが、それだけでは、境界侵犯の発生を防ぐことはできません。必要に応じて境界を越えながらも、坂道を滑り落ちないようにするためには、境界意識を高めていく必要があります。

 そうすべき理由は 、守るべき境界の位置は、治療的文脈によって変わるからです。たとえば、精神科デイケアで勤務している心理職が、学会出張に出かけて仕事を休んだ場合、その後デイケアのお茶の時間に、学会開催地のお菓子を参加者の方々にふるまいながら、その土地のことを話したり、学会で学んだことを伝えたりすることは、治療的に適切な行動と見なされるでしょう。しかしその心理職が個人療法で会っている異性のクライエントに対して同じようにおみやげを渡したとすれば、それは問題のある行為ととらえられるでしょう。

 このように、専門家としての適切な境界の位置は治療的文脈によって大きく変わります。それゆえ私たちは折に触れ、「今の自分の関与は専門家として適切だろうか」と自らに対して問い直し、それを通じて、さまざまな臨床場面に即した境界設定を柔軟に行えるよう、境界意識を高めておく必要があります。

2 自らの欲求を理解する

 この取り組みを行う際に考慮せねばならないのは、治療者自身の欲求の影響です。

 ここで、私がスーパービジョンを行った体験をもとに創作した事例を示してみましょう。その治療者は、親との関係で悩んでいるクライエントの心理療法を行っておられましたが、ある時クライエントに対して「私も親との関係で悩んできた」と打ち明けられました。そうした理由について私が尋ねると、その方は「治療者も同じ悩みを抱えているとわか れば、クライエントも安心して語りやすくなるだろう」と考えて自己開示を試みたのだと説明されました。その後の展開を追うと、この自己開示以降、確かにクライエントは語りやすくなったようでした。それゆえ、この介入は境界横断と見なすことができると判断しました。

 ただ、ここで考慮されていない点がありました。それは治療者側の欲求です。私たちは、過去の人生の中で何らかの傷つきを体験し、その傷つきを、同じような問題を抱えた人たちを支援することを通じて癒そうとする傾向を有しています。もちろん多くの場合は、その傾向をクライエント支援に役立てるわけですが、時に自分の欲求が前景化し、クライエントに「先生もつらいんですね。」と慰めてもらいたくなって、自己開示に至る場合があります。この点について先ほどの治療者に尋ねたところ、自分の中に確かにそのような期待があったことに気づかれ、さらに、クライエントに自分を重ねてしまい、過剰に入れ込んでしまうことがあることを告白されました。この告白を得て、私とその治療者は、この状況が続くと、治療者とクライエントの役割の逆転が生じることになりかねず、これは境界侵犯の危険な兆候かもしれないと話し合いました。

 私たちが忘れてはならないのは、クライエントの心理支援に取り組もうとする私たちの意欲の背後には、私たち自身のさまざまな欲求が存在しているということです。その中には、「クライエントに喜んでもらいたい。」という利他的な欲求から、「よい治療をして人から評価されたい。」といった承認欲求、さらに「心理療法場面でしか体験できないような、深い心の交流をしたい。」といった欲求など、さまざま欲求が含まれます。これらの欲求を、私たちはできるだけ意識し、それを適切にコントロールできるように努力しなければなりません。そうしておかないと、その欲求に導かれて、いつの間にか境界を越えることが生じかねないからです。

3 救済者願望に注意する

 さまざまな欲求の中で、特に治療者が気をつけなければならないのは救済者願望です。「私はこのクライエントを救わなくてはならない。」「私だけがこのクライエントを救えるはずだ。」使命感の強い治療者は、このような願望を抱きがちになりますが、これは境界侵犯への危険なサインとなります。なぜならこの願望は多くの場合、クライエントの陰性感情を引き受けることへの恐れを伴っているからです。

 たとえばクライエントから、「先生は私のことをわかってくれないんですね。」「所詮、一人の患者としか見ていないんですね。」といった否定的発言を向けられたとします。その場合、私たちはクライエントとの良い関係を維持しようと、「そんなことはありません。」と否定し、「自分だけがクライエントをわかってあげられる。」と信じて、クライエントの要求に沿うために必死で努力したくなります。こうした努力は治療者を、無自覚のうちに越境的な関与へと導くことになります。

 忘れてはならないのは、治療者が最善を尽くしたとしても、クライエントの側に不満は必ず生じるということです。そして私たちがなすべきは、どれだけ最善を尽くしたとしても、完全には消えることのない陰性感情を受け止め、理解を試みることです。そのように治療者が境界を維持しながら支援を続けていれば、クライエントは次第に治療者が専門的関与を続けるからこそ、治療が安全に進むことに気づくようになり、その結果、自らの陰性感情を自分の中で抱えることが可能になっていきます。

 私たちの専門性は、クライエントを救済することに存するのでなく、クライエントが有する回復力を信頼して関わり続けることに存する。この当たり前の事実を、私たちは忘れないようにしなくてはなりません。

4 セルフケアを大切にする

 このような困難な仕事を安定的に行うためには、私たちは十分なセルフケアを行っていなくてはなりません。日常の生活の中で満たされない思いを抱いていると、クライエントとの関係の中で、その思いを満たしたくなってしまいます。たとえば仕事に熱心に取り組むあまり、私生活をなおざりにしていると、いつの間にか家族や恋人との関係で満たされていた親密さへの欲求を、クライエントに向けてしまうことになりかねません。

 このようなことにならないためには、私たちは常に自分の心をケアし、安定した心の状態を保つようにしなくてはなりません。家族や親しい人との関係を大切にしたり、個人的な趣味や活動に取り組んだり、身体を動かす習慣を作ることはとても大切ですし、自分が心理療法を受けることも役に立つことでしょう。

5 信頼できる同僚や指導者と相談する

 以上のような対応を行っても、自分の感情を適切にコントロールできない場合もあるでしょう。その場合には、信頼できる同僚や指導者に相談することも考えましょう。クライエントとの二者関係の中では、距離がとれず、冷静に考えられなくなっていても、別の視点から意見をもらうことで、落ち着いて振り返ることが可能になるからです。

 ただ性的な問題の場合、以前からの知人には、逆に相談しづらいこともあるでしょう。そんな時には、専門家が提供しているコンサルテーションサービスを利用することも考慮してみてください。

終わりに

 以上の説明を通じて、性的境界侵犯が深刻な問題であること、そして誰もが長い専門家人生のどこかでこの問題に直面する可能性があること、そしてそれへの対応をとることの重要性をご理解いただけたものと思います。

 しかし最後に強調しておきたいのは、これは心理職個人の問題というだけでなく、私たちの専門家コミュニティ全体の問題でもあるということです。

 これまで私たちは、コミュニティの中で生じる境界侵犯の問題に、十分な注意を払ってきませんでした。しかし境界侵犯は誰もが直面しうる問題であり、クライエントに重大な傷つきをもたらすものであることを踏まえれば、コミュニティ全体でこの問題への対策を取る必要があるはずです。その対策の中には、発生予防のための学習機会の提供や、被害にあった方へのサポート、さらにこの問題で躓いた治療者に対するリハビリテーションプログラムの設定などが含まれねばならないでしょう。

 社会が複雑化する現代において、心理的な支援の重要性はますます高まっています。さまざまな脆弱性を抱えた人たちが、安心して心理支援を利用していただけるようにするためにも、個人のレベルでも、集団のレベルでも境界侵犯の問題に対して、できることから取り組みをはじめることが大切です。本稿が、そうした取り組みを推進するための一助となることを願っています。

引用文献

  • Celenza, Andrea, 2007, Sexual Boundary Violations: Therapeutic, Supervisory, and Academic Contexts, New York: Jason Aronson.

  • Gabbard, Glen O. and Eva P. Lester, 1995, Boundaries and Boundary Violations in Psychoanalysis, New York: Basic Books.(北村婦美・北村隆人訳, 2011, 『精神分析における境界侵犯―臨床家が守るべき一線』金剛出版.)

  • Sarkar, Sameer P, 2004, "Boundary violation and sexual exploitation in psychiatry and psychotherapy: a review", Advances in Psychiatric Treatment, 10, 312–20.

執筆者プロフィール

北村隆人(きたむら・たかひと)
1993年京都府立医科大学医学部卒業。マッコーリー大学教養学部哲学科Graduate Diploma課程修了。立命館大学大学院先端総合学術研究科一貫制博士課程修了。博士(学術)。精神科医。臨床心理士。日本精神分析学会認定精神療法医スーパーバイザー。
著書に『共感と精神分析――心理歴史学的研究』(みすず書房 2021)、共訳書にシミントン『分析の経験』(創元社 2006)ギャバード『精神分析における境界侵犯』(金剛出版 2011)ほか。

著書・共訳書

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