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連載「わだかまり」と「とらわれ」――過去を振り払う(精神科医:春日武彦) 第10回:自虐について

同情ポルノ

 世間的には、自虐という振る舞いはみっともないものと考えられているようです。確かに自虐的な言動は痛々しい。潔くない。身悶えしたくなるような恥ずかしい失敗や失態に対して自虐でもせずにはいられない心情は察することが可能なものの、ならば勝手に自分で悩んでいればいいじゃないか。周囲にアピールするところにどこか卑しさや鬱陶しさが漂ってくる。

 早い話が、どこか承認欲求に似たものが窺える。同情を求め、共感を強要しているようなところがある。周囲としても共感を覚える部分は確かにあるけれども、そうしたものはこちらにとっても忘れたいような出来事に紐づいている。そのようなものを甦らせるような言動はやめてほしい。まるで自分だけが不幸であるとアピールしているみたいでむしろ反感すら覚えたくなる。もっと素直に苦しさを打ち明けてくるならともかく、妙に持って回った姿勢が小憎らしい。

 と、そんなふうに捉えられるのが相場ですよね。感動ポルノなんて言葉がありますが、それに準ずれば「同情ポルノ」といったところでしょうか。

 とはいうものの、わたしはしばしば妻に自虐的なことを口にします。彼女にとって迷惑なのは承知しつつも、せずにはいられない。妻だからと、甘えているわけです。彼女のほうは、半分は相手にしてくれませんがそれでも嫌悪感は示さないでくれる。いつまで経っても成熟しない奴だなあといった調子で猫と顔を見合わせたりしている。そしてそれでわたしは十分です。内輪だけで通用する冗談でも言った気分になって、どうにか気持を穏やかにすることができます。

 承認欲求といったものに関しても、それが自虐とは別の文脈のものであろうとも、躊躇せずに妻へ口にする。他人には恥ずかしくて言えないような承認欲求でも言葉にして出します。いっぽう彼女はわたしに対してそのようなことはしません。わたしなんかに言っても無駄だと分かっているのでしょう。そのあたり、妻としてはものすごく不満だの不快感を溜め込んでいるのではないかと思い、面と向かって尋ねてみたことがあります。答えは、あなたとは精神構造が違うから、といった意味のことでした。なるほど妻もわたしと似たような精神構造だったら互いに疲弊してしまうかもしれません。ただそれでも、彼女に過大な精神的負担を掛けているのではないかという危惧は拭えません。心配です。

自虐予備軍

 自虐というのは、恥ずかしさ、悔しさ、愚かしさ、ショボさに対してある程度の内省はしていることが前提となっています。でも本当にすべてを言語化し、自分自身ときちんと向き合ってはいない。肝心のところで話をギャグに転嫁して周囲に呈示し、笑いや慰めを期待する。ときには自分自身に向けての自虐もある。観客が存在するときよりも効果は薄いけれど、自嘲によってガス抜きを図るわけです。

 ならば自虐は卑怯で中途半端で唾棄すべき行為なのか。いや、そこまで厳しくする必要はないと思うのですね。人間は情けなくてみっともない生き物です。表面上はスマートに繕っても、内面までそうはいかない。表面も内面もスマートというかソツがなかったら、むしろそういった人間は信用しかねるかもしれない。人の泣き所や弱さを実感していない可能性があるから、そういった人物は寛容だとか思いやり、共感に疎い可能性がある。それはちょっと敬遠したい。

 小学校の頃、夏にはプールの時間がありました。体育の一環ですね。わたしは運動神経が鈍かったわけですが、とりあえず金槌ではなかった。そういった意味で、あまり恥は掻かずにプールの授業はやり過ごせました。

 さて水中にできる限り長く潜っている、という課題がありました。プールで膝を抱えるようにして身体を丸め、そうやって息を止めて耐える。我慢比べですね。水は澄んでいますから、クラスメイトたちも息を止めて我慢しているのが見える。段々と苦しくなってきます。だれが最初にギブアップするのか。ことさら非難されるわけではないけれど、やはり真っ先にギブアップするのは恥であるといった空気が漂っていました。そのため、皆が必死で苦しさを耐える。

 水中で互いを横目で見ながら、早く誰かがギブアップしてくれと願うようになります。どことなく他人の不幸を願うのに似た構図になってくる。やがて、遂に耐えきれなくなりギブアップする者が出る。そうなると、みるみる安堵感が全員に広がってくる。ああ、これで汚名は免れたといった気分ですね。そうして次々と離脱者が出現する。

 わたしは自虐的に振る舞っている人を目にすると、今述べたプールでの我慢比べを思い出すのです。水中で脱落者が出たのを知って安心するように、自虐的な人を見て「ああ、とうとう耐えきれなくなったんだな」と考えて少々嬉しくなる。そして誰もが大変なんだよな、と達観したかのような気分になる。自虐的な人に対して見苦しいとか否定的な感情を抱くよりは、人間って誰もが自虐予備軍だよねと思えるようになったらいくぶん生きやすくなりそうな気がします。

【著者プロフィール】

春日武彦(かすがたけひこ)
精神科医。都立松沢病院精神科部長などを経て、現在も臨床に携わる。保健師やケアマネ等を対象にしたスーパーバイズや研修などの活動も多い。著書多数。

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