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ポスト・パンデミックの心的距離(妙木浩之:東京国際大学人間社会学部教授)#こころのディスタンス

できるだけ人と離れること、交流しないこと。今まで私たちがよいと考えてきたことに反するような考え方が有効な手立てとされた社会状況は、私たちの心の中の距離にどのような影響を与えているでしょうか。臨床心理学と精神分析学が専門の妙木浩之先生に、読み解いていただきました。

1.はじめに

 パンデミックを起こした新型コロナウィルス、COVID-19は、今も、この世界を大きく変えようとしている。いろいろな理由がある、この感染症がもっている特徴が、私たちの生活全般を変えようとしているからだろう。おおよそ中国の内陸地に端を発するのはこれまでのインフルエンザと同じだが、全く異なるのは、この太陽の名を借りた、このウィルスの伝播方法であり、感染の形である。心理学的な視点に影響するものとして、おおよそCOVID-19は三つの特徴を持っている。それは、

① 感染した個体が、症状を発症する前に感染伝播するような無症状者がいる。
② 物質付着の生存期間がきわめて長い(2日から7日までなど様々なデータがある)。
③ マイクロ飛沫感染、あるいは空気感染によって、対面状況で感染伝播する。

ということである。1点目として、普通の何も症状もない人がしばしばスプレッダー(感染拡散者)であることがあり得る。そして多くの無症状者と深刻な血栓障害をともなう重症患者を(不思議なことに、日本人は、京都大学の山中伸弥教授の言う「ファクターX」という何かによって、パーセントは低いが)生み出す。つまりサイレントキャリアの問題がある。だからこのウィルスに対峙する、あるいは感染を防ぐには、普通の対人関係を避ける以外には方法がないのである。さらにいえば、これは触るところ、そして触ったところに、長く存続する。だから触れる、触るという、現実を構成する私たちの実感の基盤に伝播の回路を持っているのである。さらに対面という人間関係の基盤が、唾液を介して感染する回路だともいう。つまり人間関係のリアルなコミュニケーションの場、そのものが、そして健康に見える二者が構成する実感のある関係性そのものが、媒介なのである。よく対策として語られている「三密」を避けるというのは標語としてはよくできているのかもしれないが、この対策には、心理学の専門家にとって、生の対面状況を回避するという深刻な問題が含まれている。つまり普通のコミュニケーションを避けろ、ということである。物理的な距離を遠ざける、この帰結は心的な距離にどのような影響を及ぼすのだろうか。

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2.身体的なものの喪失:心と身体の経済学

 私たちは、今回、武漢が封鎖解放されるプロセスで、あれほど近代化した都市になっていたことを知った。20年ほど前、中国内陸地の映像を見た私たちは、今もあそこがかつての昭和の「三丁目の夕日」的な街、荒れ果てた戦後の街角であると思っていた。だがおそらくこの数年は、東京よりもはるかに近代的なビルに囲まれた都市になっていた。これは経済全体のネットワークのためなのだろう。

 考えてみれば、サプライチェーンの起点となり、グローバリゼーションの結果、物流の大きな世界的な流れが生み出されていた。だからあれだけ多くの中国人たちが、日本で爆買いするようにもなっていたのだろう。

 だがちょっと待て、インフルエンザ、あるいはコロナは中国の内陸地で豚や鳥から人間に感染するのではなかったか。私たちは、中国の内陸地が豚や家畜という原初的な世界から、ヒトにウィルスが移ると考えてきたが、東京よりもビルになった武漢でそれが起きたとすれば、原初の生物依存寄生体が身体のなかでヒト化するプロセスとは、あまりに遠いではないか。ここで思い出すのは、ウィルスが変異するのは森林伐採などの近代化によって、野生の生物にとりついていたウィルスが場を失って、ヒトの身体に居場所を求めるからだという、しばしば語られている環境破壊=ウィルス掘り起し説であろう。都市化や近代化は、私たちの身体に対して、環境破壊つまり公害という被害を生み出してきた歴史がある。それがグローバルな経済が、中国内部に及んで、促進されたと考えれば、このウィルスの特徴はある意味で、グローバルチェーン化した経済が作り出した「身体からの復讐」のようなものと考えてみてもよいのかもしれない。

 だとすれば、身体と身体の出会いからはじまる、私たちの原初的な対人関係が削減されていくとして、その影響はどこまで大きなものになっていくのだろうか。家族以外の人との対人関係が、基本的に距離をもって、つまりお互いの愛着レヴェルでの承認なしに、オンライン、あるいはマスクやアクリル板を通してしか出会えないとすれば、それはずいぶんと身体性が失われるのではないかという危惧があるだろう。だとしたら、それだけ信頼感の基盤が削減されるならば、逆にそれを補填するために、価値の付与が必要になるだろう。それはいったい何だろうか。

 興味深いことは、ロックダウン、日本においては緊急事態宣言による自粛がもたらした経済的な停止、あるいはその交流、交通の禁止がもたらした、人間関係への自粛だけで、これだけの経済損失を生み出すという気づきであり、景気低迷が、私たちの生物学的な身体性によって、いとも簡単に下降してしまっているということだろう。私たちの経済は、やはり生きて循環しているからこそ、成り立っていたのである。身体性の経済学とでも呼べるものが、あるいは対人関係についての新しい価値が求められている。

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3.引きこもりの価値

 エドワード・T・ホールが近接学的な研究(『かくれた次元』)で明らかにしたように、私たちには心的な距離を人間関係の親密さに応じた距離空間によって調整している側面がある。1メートル以内には、親密な人しか近づけないし、あまり知らない人は3メートルなど、距離によって人間関係とその場とを調整しているのである。これは長い間に、私たちが作ってきた人間関係の空間学である。だとしたら2メートルや10メートル遠ざけて、人との出会いを調整する体験をまとめていくには、おそらくしばらく時間がかかるだろう。

 一つのヒントは不登校や引きこもりの人たちの治療のなかで、彼らが自分の部屋に引きこもり、そこから出ていくときに、引きこもりや不登校の意味を再度見直す作業をすることなのだろう。私たちは、自粛によって、引きこもって、もう一度、自分の人生や家族、あるいは夫婦や親子を見直す時間を持った。それによって家庭内の問題が増長した夫婦や家庭も多かったが、もう一度、自分の内面を見直した人々もいる。おそらくそれは自分との心的距離を見直す作業にはなったのだろう。今回の新型コロナウィルスとこれからの新しい行動様式は、私たちの人間関係を見直すだけではなく、自分自身との距離を見直すことになるように見える。

 かつて吉本隆明は「引きこもれ」と若者に言った。引きこもって、一人になり、そして哲学しろという意味なのだろう。でも引きこもらざるを得なくなった、あるいは対人関係を削減せざるを得なくなったこれからの人間関係を考えるうえで、自分だけではなく、自分の身体との対話、自己との対話とともに、人間関係を考えることにならざるを得ないのだから、吉本の提案はそれなりに意義のあるものだったと今更ながら、思うのである。

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執筆者プロフィール

自分

妙木浩之(みょうき・ひろゆき)
東京国際大学教授。専門は臨床心理学、精神分析学。フロイトの研究を出発点に、現代社会の病理などを様々な角度から分析している。著書に『いま読む!名著 寄る辺なき自我の時代―フロイト「精神分析入門講義」を読み直す』『精神分析における言葉の活用』など多数。

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