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【第2回】日本で人知れず暮らすASDの外国人(作家・ウェブ開発者・写真家:ビアンカ・トープス) 短期連載:ASDのある女性がオランダから日本に移り住んだワケ

※日本語の記事の後に、英語の記事を掲載しています。(The English article is provided after the Japanese article.)

オランダ出身のASDの診断を持つ女性、ビアンカ・トープスさんの連載の第2回(全3回)です。今回は彼女の日本での生活を中心にご執筆をいただきました。
 
※前回の記事はこちら

2012年1月、私は原宿のゲストハウスの一部屋に座っていました。その部屋は、数年前に友人のマーンが滞在していた部屋で、馴染みがあり、便利だったのでそこを選びました。当時の私にとって日本といえば、原宿、渋谷、そして新宿のことでした。ただ、新宿はいつも迷子になっていたので、あまり好きではありませんでした。時々、秋葉原や、もちろん東京ディズニーランドに足を伸ばすこともありましたが、普段はできるだけ山手線を使って出かけていました。安全で信頼でき、環状運転なので迷子になる心配がなかったからです。

この日本の片隅で、私は安らぎを感じていました。これをオランダの人に話すと、なかなか理解してもらえません。オランダ人は日本というと、渋谷交差点の雑踏や、歌舞伎町の何千ものネオン看板、または白い手袋をした駅員が通勤客を満員電車に押し込む動画と結びつけて考えます。「でもあなたはASDでしょう?……感覚過敏にならないの?」

日本を知らなければ、私もそう思ったでしょう。でも、実際に経験してみると、感覚過敏になるのは特定の場所に限られていることに気づきます。確かに東京は賑やかです。しかし、賑やかな通りから数歩離れると、突然静かなオアシスにたどり着くことができます。私の原宿の部屋は有名な竹下通りのすぐそばにありましたが、とても静かで穏やかで、しばしば玄関のドアを閉め忘れるほどでした。また、少なくともその当時の私にとって、感覚過敏に対処するのは簡単でした。12年前の私は日本語をまったく理解していなかったので、広告もアナウンスもすべて聞き流すことができたのです。

私は毎朝、スターバックスに行き、同じもの(チョコレートチャンクスコーンとチャイティーラテ)を注文していました。そしてその注文は日本語で暗記して、考えなくても言えるようにしていました。朝の時間は、私にとってボーナスタイムのようなものでした。オランダの私のクライアントは皆まだ寝ている時間だったので、安心して自分の仕事に取り組むことができたからです。

私がASDと診断されたのは、そのちょうど一年ほど前、写真の仕事で壁にぶち当たった後のことでした。プロジェクトが大きくなるにつれて、ストレスも増えていきました。一日の撮影が終わるといつも頭痛がしていましたが、一方で、回復する時間はどんどんと減っていきました。助けを求め、診断を受けた時、何かを変えなければならないと気がつきました。それで、最後の大きな仕事の後、人生を見直すために、日本で1カ間過ごすことに決めました。

当時のボーイフレンドと一週間の休暇を過ごした後、私は一人、日本に残りました。最初は初めの頃、私はパニックに陥りました。あまりにも多くの空き時間があり、それをどう埋めるべきかまったくわからなかったのです。そこで私は、すぐに再び写真を撮り始めることにしました。それはストレスを感じるけれども、社会的な交流をするための良い口実にもなりました。写真撮影には常に台本のようなものがあり、私にとっては、社会的な交流がしやすくなります。そして、仕事を完全にやめる必要もありませんでした。そこで、これまで自分がやってきたことと関連していて、自分の時間を持つこともできる仕事に焦点を当てることにしました。それが「Fashionmilk」でした。

「Fashionmilk」は、オランダのモデル業界を対象にしたオンラインマガジンです。私はマルチメディアデザインを学んだことがあるため、ウェブサイト作成のスキルがあり、自分自身のものやファッション業界の知人のためにウェブサイトを作った経験がありました。ウェブサイトの作成は写真撮影ほどストレスを感じませんでした。「Fashionmilk」でも時々撮影がありましたが、少なくともその当時は私が自分で取り仕切ることができました。

私はこれまでの人生を、バランスを求めることに費やしてきたように思います。ASDの特性ゆえに、私は多くの感覚刺激を処理できないため、自分で物事を管理しやすい方法で人生を構築することが重要でした。そこで、写真撮影という仕事に出会いました。写真撮影は人と接触する機会を与えてくれますが、自宅のパソコンで写真を編集できる日もあります。さらにウェブ開発にも出会い、これも自分にぴったりだと感じました。知的な作業でありながら、誰にも会わずに自宅で仕事ができるため、平穏を感じることができます。とはいうものの、フルタイムのウェブ開発者として働くことは、私にとっては最良の選択ではないかもしれません。何日もシャワーを浴びず、スクリーンに貼り付き、カップラーメンを食べ、あらゆる社会的な接触を避けるということには、確実にリスクがあります。私の仕事は常にコーディング、執筆、そして画像作成という三つの作業の組み合わせがあり、時には、それぞれの比重が変わります。またある時には、同じクライアントのために、これらすべてを行うこともあります。

コーディングや執筆(そして、ある程度は写真編集も)の良いところは、どこででもできるということです。そのため、私は日本に頻繁に行くようになり、そこでは過去に撮り溜めた写真を編集したり、ウェブサイトを作成したり、自分のウェブサイトに必要なアップデートを行ったり、オランダの雑誌のために記事を書いたりしました。少しずつ、私は日本の他の地域にも足を伸ばし始め、炭鉱跡の廃墟の島である軍艦島や、オランダを模したテーマパークであるハウステンボスなどに旅をするようになりました。

また、ASDの私にとって、日本に行くことには他にも良い点があることに気がつきました。日本の静けさと社会の仕組みが自分に合っているということに加え、外国人であることには特権があります。誰も私の不器用さをASDとは見なさなかったのです。

ASDである私は、しばしば非常に不器用に見られがちです。間違った場所に立ってしまったり、間違ったことを言ってしまったり、人を見つめる時間が短すぎたり長すぎたりして、時には緊張しすぎて信頼性に欠けると誤解されることもあります。しかし、日本ではそういうプレッシャーを感じることはありません。私が緊張したり、間違ったことを言ったり、完全に邪魔なところに立っていたりするのは当然のことです。私は外国人なのですから、すべてを理解できないのは当たり前のことだからです。

オランダでは、私はすべてを理解することを求められます。なぜなら、私はASDには見えないからです。オランダは率直で寛容な国として知られていますが、私の経験では、他の国と同様に暗黙のルールや社会的な合図が多くあり、私にはそれらを把握するのは困難です。しかし、オランダで生まれ育った私は、それらを理解できるものだと期待されています。私はわざと間違えているわけでは決してありません。でも、日本では私がマナー違反をしても、すぐに許されるのです。

やがて、私は日本で友達を作り始めました。モデル事務所で働くケイとは、写真家として、そして「Fashionmilk」の編集者として出会いました。数年後、ポケストップでマリコと出会い、一緒に「Pokémon GO」で遊ぶようになりました。

年々、日本に滞在する時間が長くなっていきました。洗濯物干し、パソコンモニター、タオル、寝具など、少しずつ物が増えていきました。オランダに帰国するたび、ケイに大きな箱を送り、すべて預かってもらっていました。私は次第に考え始めました。東京に住むのはどんな感じだろうか? 2018年には、日本在住のオランダ人の何人かとそのことについて話しました。(まあ、「話す」というよりは、写真撮影とインタビューを行ってブログ記事にしたという方が正しいでしょう。私は今でも、明確な台本のあるプロジェクトの枠組みの中で働く方が好きだからです。)それらの話の後、私が出した結論は、オランダと日本を行き来する生活が私にはちょうど良いというものでした。引っ越しはビザの問題などがあって、非常に複雑に思えたのです。

2019年に、私の最初の本『But You Don’t Look Autistic at All』(書名を直訳すると『でも、あなたはまったくASDのある人に見えない』となります。なお、日本語版は現時点では未刊行)がオランダで出版され、ベストセラーになりました。日本へ移住するという考えが、時折、頭をよぎることもありましたが、2020年1月に日本へ向かった時は、いつも通りの長い休暇で、少しばかりの「宿題」を持参していました。その時は、これから何が起きるのか、まったく予想していませんでした。

 プロフィール

ビアンカ・トープス(Bianca Toeps)
作家。ウェブ開発者。写真家。26歳の時にASDの診断を受ける。2年半前にオランダの小さなアパートから東京のさらに小さなアパートに引っ越して、現在も日本に在住。2019年に初の著書『But you don’t look autistic at all』は英語、ドイツ語とイタリア語に翻訳されている。また2023年9月には日本への移住についての本『This autistic girl went to Japan: And you won't believe what happened next』を刊行している(英語版は2024年2月に刊行)。趣味は、鉄道とリサイクルショップ、ポラロイドカメラ、ビンテージ服。

著書

Website

An autistic woman's journey to Japan

Part 2: Living Undercover as an Autistic Foreigner

Bianca Toeps

In January 2012, I found myself sitting in my rented room in Harajuku. It was the very room where my friend Maan had stayed a few years before; familiar and convenient, which is exactly why I chose it. At that time, Japan, for me, was basically Harajuku, Shibuya, and Shinjuku—though I didn’t care much for Shinjuku because I always got lost there. Occasionally, I’d venture out to Akihabara and, of course, Tokyo Disneyland. I stuck to the Yamanote line as much as possible; it was safe, reliable, and ran in a loop, so there was no chance of getting lost.

In this little corner of Japan, I found peace. When I tell people in the Netherlands about this, they often don’t get it. They associate Japan with Shibuya Crossing and its bustling crowds, Kabukicho with its thousands of neon signs, or they remember seeing clips online of train staff in white gloves squeezing commuters into packed trains. “But you’re autistic... Doesn’t that push you into sensory overload?”

I would’ve thought the same if I didn’t know Japan. But once you experience it, you realize that the sensory overload is confined to certain areas. Yes, Tokyo is busy. But if you take a few steps away from the bustling streets, you can suddenly find yourself in a calm oasis. My room in Harajuku was just around the corner from the famous Takeshita Dori, but it was so quiet and peaceful that we’d often forget to close the front door. Also, most of the sensory input was easy for me to tune out—at least back then. Twelve years ago, I didn’t understand a word of Japanese, so every advertisement, every announcement just went over my head.

Every morning, I’d go to Starbucks and order the same thing (a chocolate chunk scone and a chai tea latte), which I had memorized in Japanese and recited on autopilot. Mornings felt like bonus time to me because all my clients in the Netherlands were still asleep, so I could work on my projects in peace.

Just over a year earlier, I was diagnosed with autism after hitting a wall in my photography career. The projects grew larger, but so did the stress. I always had a headache after a day of shooting, but there was less and less time to recover. I reached out for help and when I got my diagnosis, I knew something had to change. So after my last big job, I decided to spend a month in Japan to rethink my life.

After a week of vacation with my then-boyfriend, I was left alone. Initially, I panicked: So many empty hours, and I had no idea how to fill them. I quickly decided to start taking photos again because, although stressful, it was also a good excuse for social interaction. A photoshoot always has a sort of script, which makes the interaction easier for me. And I didn’t have to quit my profession entirely... I decided to focus on a project that was related but would give me more time for myself: Fashionmilk.

Fashionmilk was an online magazine focused on the Dutch modeling industry. With my background in Multimedia Design, I had the skills to build websites, which I already did for myself and a few others in the fashion industry. Building websites was less stressful than doing photoshoots, though we did those occasionally for Fashionmilk too. But at least then, I was the one calling the shots.

I think I’ve spent my whole life searching for balance. As an autistic person, I can handle fewer sensory inputs, so it’s crucial for me to structure my life in a way that keeps things manageable. Photography was my first discovery: photoshoots give me human interaction, but there are also days when I can stay home, editing photos on the computer. Web development was a welcome addition to that: it’s intellectually engaging, but also gives me the peace of working from home without having to see anyone. That said, being a full-time web developer may not be the best option—the risk of spending days unshowered, glued to the screen, eating cup noodles, and avoiding any and all social interaction is definitely there. My work has always been a mix of three things: coding, writing, and creating images. Sometimes one more than the others. Sometimes I do all three for the same client.

One of the perks of coding and writing (and to some extent, photo editing) is that I can do it anywhere. So I started going to Japan more often, where I would process photos from past shoots, work on websites, give much-needed updates to my own website, and write articles for Dutch magazines. Little by little, I explored more of the country, often taking trips to places like the abandoned mining island Gunkanjima or the Dutch-themed amusement park in Japan, Huis Ten Bosch.

I also discovered another advantage of going to Japan as an autistic person. Besides the fact that the country’s calm and structure suited me, being an outsider had its perks: No one saw my strangeness as autistic.

As an autistic person, I often come across as particularly awkward. I stand in the wrong places, say the wrong things, look at people for too long or too short a time, and my nervousness can sometimes be mistaken for untrustworthiness. But in Japan, none of that matters. It’s completely understandable that I’m nervous, say the wrong things, or am totally in the way—I’m a foreigner, after all. It’s only natural that I wouldn’t understand everything.

In the Netherlands, people expect me to understand everything; after all, I don’t look autistic. And while the Netherlands has a reputation for being direct and tolerant, my experience is that there are just as many unwritten rules and social cues as anywhere else, and they’re just as hard for me to grasp. But as someone born and raised in the Netherlands, I’m expected to get it. I would never intentionally do anything wrong. But if I make a social faux pas in Japan, it’s quickly forgiven.

Over time, I started making friends in Japan. Kei, who works at a modeling agency, I met in my role as a photographer and the editor of Fashionmilk. I met Mariko a few years later at a Pokéstop—we both play Pokémon GO.

Every year, I spend more time in Japan. I gradually accumulated more things—a drying rack, a computer monitor, towels, bedding... Each time I returned to the Netherlands, I’d send a larger box to Kei, who kindly stored everything for me. I started to wonder: What would it be like to actually live in Tokyo? In 2018, I talked about it with a few Dutch people who were already living in Japan. (Well, “talked” might not be the right word... I turned it into a blog article with a photoshoot and interviews because I still prefer working within the structure of a project with a clear script.) My conclusion after those conversations was that traveling back and forth suited me just fine—moving seemed too complicated, with visas and all.

In 2019, my first book, But You Don’t Look Autistic at All, was published in the Netherlands. It became a bestseller. The idea of emigrating would cross my mind now and then, but when I headed to Japan in January 2020, it felt like any other time—a long vacation with some “homework” in tow. I had no idea what was about to unfold.

Profile

Bianca Toeps is an autistic author, web developer and photographer living in Japan. 2,5 years ago she exchanged her tiny apartment in the Netherlands for an even tinier one in Tokyo. She loves trains and thrift shops.

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