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つながりで支える自殺予防(カウンセリングオフィスつながり 臨床心理士・公認心理師:藤原俊通) #働く人のメンタルヘルス

1 働く人のメンタルヘルスの問題

  筆者は長年組織のメンタルヘルスに関わる仕事をしてきて、その難しさを痛感してきた。なぜメンタルヘルス、とりわけ働く人のメンタルヘルスは難しいのだろうか。

 そのように感じたのは防衛省、陸上自衛隊のメンタルヘルスを創成期から担当する過程で結構な苦労を味わってきたからだ。自衛隊のような強さを求める組織では、「辛い時には休んでも良い、弱音を吐いたって良い」という言葉は、受け入れられないどころか反発を招くことが多い。

 実際筆者もメンタルヘルス教育などの場で、「カウンセリングは隊員を甘やかし、弱くする」という意見をぶつけられたことが何度もある。

 自衛隊でのメンタルヘルス活動はまさにスティグマ(偏見)との戦いであった。長年積み上げられてきた組織文化、風土、そして個々の隊員に染みついた価値観、それらを変えるためには長い時間と丁寧な働きかけが必要であった。

 厳しい任務を達成するためには強くなければならない。しかし同時に彼らも生身の人間であり、心身が深く傷ついた時には助けを求め傷を癒す必要がある。

 強さへの要求と助けを求めることへの許し、両者の間には激しい葛藤が生じる。なぜなら彼らには、辛くても頑張ることが強さであり、休むことや助けを求めることは恥ずべきことだという思いがあるからだ。

 そして人は強い葛藤を感じると、どちらか一方の極を選び葛藤の苦しみを回避しようとする。メンタルヘルスに関わる支援者の立場としては、もちろん「辛い時には休む」方を選んでもらいたいが、実際にはそうはいかないことが多い。

 そしてこれは自衛官だけに限ったことではなく、民間企業など働く人の多くは同じように「辛くても頑張る」方を選ぼうとする。

 働く人、戦う人は、ミッション、ビジネス、ジョブ等、仕事の質に関わらず成果を求めてギリギリまで攻めようとする。そしてそこにメンタルヘルスの危機が訪れるのだ。メンタル不調、その延長上にある働く人の自殺の問題がそこにある。

 2 働く人と自殺

 我が国の自殺者数は平成10年から14年間連続で3万人を超える状態が続いた。平成18年に自殺対策基本法が施行され、自殺が国を上げて取り組むべき問題であると位置付けられた。その後様々な取り組みの成果もあって、自殺者数は減少に転じ令和元年にはあと少しで2万人を下回るところまできた。

 ところが近年コロナ禍と長引く不況の影響で、自殺者数は下げ止まり再び増加の兆しを見せている。コロナ禍では女性と若年層の増加が目立ったが、令和4年は中高年男性の増加が顕著で全体の自殺者数も再び増加に転じることになった。

 自殺が社会全体の問題として受け止められるようになっても、自殺に対する誤解と偏見は強く「自殺は人生からの逃避であり恥ずべきことである」と信じている人は多い。こうしたスティグマが自殺をタブー視させ、その対策の足枷となっている。

 したがって自殺対策で大切なのは、自殺という問題に光を当て正しく理解することである。

 「自殺とはうつ病などの病的な心理状態によって歪められた意思決定の結果であり、本人の正常な判断によるものではない。(藤原、2005)」筆者は自殺をこのように定義しており、周囲の介入によって防ぐことが出来る問題であると捉えている。

 すでに述べたように働く人のメンタルヘルスは難しい。目標の達成や大きな成果を求めてギリギリを攻めた結果として陥りやすいメンタルヘルスの危機の先に、さらに難しいこの自殺の問題がある。この事実から目を背けずに受け止め、社会全体の問題として全力で取り組んでいく必要がある。

3 自殺予防

  自殺予防の基本はその人らしさからの小さな変化に気づき、迷わず声掛けし、専門家につなぐことである。従来の自殺予防はこのように自殺の危険が差し迫っている人を早期に発見して専門家につなぐ、水際対策としての直接介入が中心であった。しかしこのような水際対策だけでは十分な成果をあげることはできなかった。そこで平成29年に閣議決定された第三次自殺総合対策大綱では、自殺対策はこれまでの水際対策だけでなく「生きることの包括的な支援」として社会全体の自殺リスクを低下させる方向で推進されることになった。

 従来の直接介入による予防と長期的な視点に立つ包括的な支援による予防は相互に重なり合い、漏れのない予防を可能にする。そのような体制のもとでは、包括的な支援体制が高リスク者の早期発見と介入を可能にする。逆に高リスク者への直接介入は一時的な支援で終わらず、その後の長期的なケアやサポートにつながっていくのである。

 次に自殺予防にはプリベンション(未然予防)、インターベンション(直接介入)、ポストベンション(自殺発生時のアフターケア)の3つの段階がある(高橋、2022)。これら3つの段階は直線的な関係ではなく、循環する流れの中で機能している(藤原、2013)。例えばポストベンションは単に自殺発生後のケアを行う取り組みではなく、遺された人々の自殺のリスクを軽減することで新たな自殺を防ぐプリベンション、時にはインターベンションとしての意味を併せ持っている。また自殺という問題をタブー視せず、残された人々を丁寧にケアする取り組みは、社会全体が自殺という問題に対する理解を深めていく後押しになるだろう。

 このように自殺対策には「直接介入と包括的な支援の連接」と「自殺予防の3段階の循環」の二つの軸があり、従来は別々に検討されることが多かった。

 しかし今後さらに漏れのないきめ細かな自殺予防を行うために、筆者はこれら2本の軸を重ね合わせて検討する必要があると考えている。ここではプリベンション、インターベンション、ポストベンションについて、直接介入と包括的な支援それぞれの視点でどのような対策が可能か考えてみる。なお本来包括的な支援には経済、法律など多角的なアプローチが含まれるが、ここでは心理社会的な視点で検討した。

1.     プリベンション

•   包括的な支援
社会に対するメンタルヘルスの啓発やサポート体制の強化によって自殺のリスクを低下させる取り組み。学校、職場でのメンタルヘルス教育や孤立を防ぐネットワークの構築など。

•   直接介入
高リスク者の早期発見や見守り、それを可能にするシステムの構築など。

2.     インターベンション

•   包括的な支援
メンタル不調者などすでにリスクのある人に対する治療やサポートの提供。中長期的な治療によって精神状態を安定させリスクを低下させる。

•   直接介入
緊急性の高い状況での直接的な実行の阻止、医療・警察など関係機関との密接な連携など。

3.     ポストベンション

•   包括的な支援
遺族に対するカウンセリングや各種サポートの提供。適切かつ継続的なケアにより自殺の連鎖のリスクを低下させるとともに、自殺に対する社会の理解を深めることで長期的な自殺予防に寄与する。

•   直接介入
自殺発生直後の遺族や関係者のケア。急性ストレスによる自殺のリスクへの対応。

 このように2本の軸を有機的に織り交ぜることで、広範囲をカバーする漏れのない支援体制を構築することができると考えている。

4 つながりで支える自殺予防

 ここまで働く人のメンタルヘルスと自殺予防について考えてきた。その過程で改めて気付かされたのは、それがいかに難しい問題であるかということであった。そして明確な解決策などないこの問題に挑み続ける我々支援者も、冒頭で述べた「辛くても頑張る」方を選ぶ働く人の一人である。「辛くても頑張る」と、「本当に辛い時には助けを求めて良い」の間の線引きは難しい。両者の間に生じる葛藤を避けようとして多くの人は目をつぶって頑張ってしまう。

 しかし厳しい環境で働く人ほどこの葛藤を避けず、ありのままの自分を見つめる必要がある(藤原、2020)。頑張った結果傷ついた自分は決して恥ずべき自分ではない。そんな自分の限界から目を背けずに受け入れる強さがメンタルヘルスを守ってくれるのだ。

 そのようなことを理解した上で、本稿の終わりに我々支援者がどのような姿勢で自殺予防という問題に向き合えば良いのかについて考える。

 筆者は心理臨床家として自殺予防という問題に向き合っている。しかしそこには心理臨床家という専門家としての顔と普通に社会を生きる一個人としての顔がある。

 専門家としての筆者は、心理療法やカウンセリングを通して働く人のメンタルヘルスを支援している。さらに自殺リスクの高い人とつながり、社会からの孤立を防ぐことで自殺を予防している。

 そして一個人としての筆者は、自分自身が社会から孤立せず他者とつながり続けることで相互支援が可能なネットワークを構築している。このネットワークのつながりに支えられ、支援者自身も守られているのだ。

 このように我々支援者は専門家として生きながら、同時に一個人として同じ社会の中で生きている。専門家としての自分と個としての自分はつながり、重なり合うことでより長期的で粘り強い実践が可能になる。社会のメンタルヘルスの向上、改善のためには長期間の地道な活動が必要である。そのためには支援者自身が自分の心の健康を守り、持続可能な活動を心がけなければならないのだ。

 特に筆者のような心理臨床家は、クライエントとの関係に集中するあまり、周囲とのつながりを疎かにする「偏屈な職人」になりやすいので注意が必要である。専門家としての役割を果たしながらも、つながりで支える社会の一員としてそこにいることが大切だ。

 強さへの要求と助けを求めることへの許しの狭間で、葛藤を受け入れしなやかに生きていく。働く人のお手本になるような姿を周囲に見せることで、社会のメンタルヘルスに対する理解を少しでも深めていきたいと思う。 

文献

•高橋祥友(2022)自殺の危険(第4版) 金剛出版
•藤原俊通・高橋祥友(2005)自殺予防カウンセリング 駿河台出版社
•藤原俊通(2013)組織で活かすカウンセリング 金剛出版
•藤原俊通 他(2020)自衛隊心理教官と考える 心は鍛えられるのか 遠見書房

参考

警察庁ホームページ(令和5年中における自殺の状況)
いのち支える自殺対策推進センターホームページ
令和5年版自殺対策白書

プロフィール

藤原俊通(ふじわら・としみち)

カウンセリングオフィスつながり(臨床心理士、公認心理師)。陸上自衛隊で10年間戦車部隊で指揮官等として勤務したのちに心理士資格を取得、心理臨床及び教育業務に従事。2020年定年退職、東京都武蔵野市JR三鷹駅前にカウンセリングオフィスつながりを開業。 

主な著書

自衛隊心理教官と考える 心は鍛えられるのか』編著(遠見書房、2020)
組織で活かすカウンセリング』単著(金剛出版、2013)
自殺予防カウンセリング』共著(駿河台出版、2005)