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ゲーン・ハンレーの味(著述家・編集者・写真家:山本高樹) #流離人のノート 第13回

 異国を旅する時、言葉は、通じるに越したことはない。道を訊く時、宿を探す時、食事を注文する時、列車やバスのチケットを買う時。自己紹介をしたり、相手の名前を尋ねたり、こんにちは、ありがとう、さようならと告げたりする時に。
 世界中で一番通じる可能性が高い言葉は、たぶん英語なのだろうけれど、中南米の大部分ではスペイン語が幅を効かせているし、話者の人口で考えれば、中国語やヒンディー語も、相当なものだ。
 僕の場合、国別の渡航回数ではインドが群を抜いて多いのだが、その大半は北部の辺境の地、ラダックでの滞在だったので、ヒンディー語はまったく上達せず、いまだにほとんど話せない。ラダックで主に使われているラダック語は、読み書きはできないまでも、カタコトで会話できる程度にはどうにか身につけた。ラダック語だけでは伝えきれない複雑な会話は、英語に頼っているのだが、その英語も、ラダックやインド各地で使っているうちに、特有のイントネーションや、現地では通じやすいものの文法的にはちょっと変な言い回しが染みついてしまった。おかげで、アメリカなどを旅する時は、それでよくからかわれる。
 それでも最近は、どこを旅していても、英語さえ話せれば、コミュニケーションに困るようなことはあまりなくなった。でも、たまに、予想もしていなかった場所で、言葉が全然通じない状況に陥ったりすると……それはそれで、ちょっと面白いことになる。

 タイの北部にあるナーンは、人口約二万人の地方都市だ。地理的には、タイ北部の中心地チェンマイから真東に二百キロほどの位置にあるのだが、間に険しい山々があるため、道路は、南からぐるりと迂回する形で通じている。チェンマイからバスで移動しようとすると、六時間ほどもかかる。街にも周辺にも、とりたてて有名な観光名所があるわけではないので、訪れる外国人旅行者の数はあまり多くないようだ。
 以前、タイの旅行用ガイドブックの取材の仕事をしていた頃も、この街にはなかなか行く機会がなかったのだが、ある時、スケジュールの都合がついて、ついにナーンまで行けることになった。
 空が広いなあ、というのが、ナーンのバスターミナルに降り立った時の、最初の印象だった。街の中心地でも、背の高いビルがあまり多くないからだ、と歩いているうちに気がついた。街並自体は、それほど古いものではない。このあたりは、十六世紀頃に当時のビルマに支配されていた時期にかなり荒廃してしまったそうで、街が息を吹き返したのは、十九世紀以降のことだという。街のあちこちに、金色や白銀色のきらびやかな装飾が施された寺院が建っているが、それらも街の荒廃の影響で一時は廃寺となっていたのを、近年になって再建したものが多いそうだ。
 オンライン旅行予約サイトで手配してあった宿までの道程を歩いていて、妙だな、と思いはじめた。店の看板や標識などに、英語表記の割合が少ないのだ。タイは東南アジアでも随一の観光国なので、たいていの街では、タイ語のほかに英語表記も行き届いている。店やレストランでも、会話は英語のやりとりが中心で、ほとんど困ることはない。でも、このナーンは、ほかのタイの街とはちょっと違う気がする……。
 その予感は、到着した宿でさっそく的中した。宿のオーナーさんらしき人が出てきたのだが、英語がまったく通じない。僕は、タイ語はごく簡単な挨拶ができる程度で、ほぼ何も話せないし、相手の話もわからない。しばらくお互いにあたふたして、どうしたものかと考えていると、英語のわかるオーナーの娘さんが近所から呼び寄せられ、彼女のおかげでどうにかチェックインをさせてもらえた。タイで泊まった宿で、ここまでチェックインに手間取った経験は初めてだった。
 宿の部屋に荷物を置き、再び街に出た。取材を兼ねて、早めの夕食を食べに、若者向けのクイッティアオ(麺料理)を出しているカフェレストランに入ってみる。店内もメニューもポップな文字があふれているのだが、全部タイ語なので、僕には読めない。どうしよう……と悩んでいると、店の人たちも同じように、どうしよう……外国人だ……とはらはらしながらこっちを見ている。
「……クイッティアオ・ナーム(汁麺)?」
 知っている単語でそう僕が訊くと、うんうん、と店の人がうなずく。ただ、汁麺にもいろいろあるようで、どれがどんな仕様なのかわからない。店の人たちにメニューを見せながら、首を傾げるしぐさをすると、わらわらとみんな集まってきた。その中で、髪を後ろに束ねた女性がメニューの左上を指さして言った。
「……ナンバーワン!」
 そうか、それが一番のおすすめなのか。僕は彼女のアドバイスを信じて、それを注文することにした。やがて運ばれてきたのは、細長い器によそわれた汁麺の中央に、マッターホルンのような形に豚肉が盛られた料理だった。この店のオリジナルなのだろう。見た目は風変わりだが、味はなかなかうまい。僕の食べっぷりを見て、店の人たちも、どことなくほっとしていたようだった。

 次の日も丸一日、ナーンの街を取材しながら歩き回った。昼食は取材を兼ねて、地元出身のオーナーシェフがナーンの郷土料理を提供するために開業したという人気のレストランに入った。
 店内はかなり広く、中庭のような場所にも、パラソルや木陰の下にテーブル席がいくつもある。開店したばかりだったからか、そこまで混んでいなかったので、僕はその中庭のテーブル席の一つに腰を下ろした。
 二十歳そこそこくらいのホールスタッフの女性が一人、僕の方にやってきて、何か言いかけたが言い淀み、どうしたらいいかと思案顔で離れていった。会計係と何か話しながら、行きつ戻りつしている。やがて彼女は意を決したように、メニューブックを手にすたすたとまっすぐ僕のいる席に歩いてきて、すっ、とスマートフォンを差し出した。
 その画面には英語で、「この席は暑いので、あちらの席に移ってはいかがでしょうか」と表示されていた。翻訳アプリを使って、タイ語から英語に訳したメッセージを用意してくれたのだ。「コープクン・クラップ(ありがとう)」と言いながら席を立つと、彼女はほんの少し口角をゆるめ、僕を庭の隅にある日陰の席に案内し、テーブルにメニューブックを置いた。
 メニューはありがたいことに、タイ語と英語の併記で、写真も付いていた。予算も限られていたので、あまりたくさん頼むことはせず、タイ北部の郷土料理ゲーン・ハンレーと、カオニャオ(もち米)、瓶入りのコーラを注文。それほど待たされることもなく、同じ女性が料理を運んできてくれた。
 ゲーン・ハンレーは、ビルマにルーツがあるとも言われている料理で、豚の塊肉をたっぷりの生姜などで煮込んだカレーだ。運ばれてきた皿から肉とグレイビーをスプーンですくい上げ、口にしてみて、驚いた。肉がふっくら柔らかく、脂に甘味があって、生姜などの味加減も絶妙だ。この街の周辺ののどかな原っぱで、のんびり育てられた豚で作られたのかもしれない。しかし、この地方都市で、これほどの料理を味わえるとは……。
 それまでにもほかの街で何度か口にはしていたが、ナーンで食べたゲーン・ハンレーは、それらの中でも抜群においしかった。たぶんその味には、タイ語もろくに話せない僕に、翻訳アプリでそっと気を遣ってくれた、あの店の人たちの優しさも加わっていたのだと思う。

【著者プロフィール】

山本高樹(やまもと・たかき)
著述家・編集者・写真家。2007年から約1年半の間、インド北部の山岳地帯、ラダックとザンスカールに長期滞在して取材を敢行。以来、この地域での取材をライフワークとしながら、世界各地を取材で飛び回る日々を送っている。主な著書に『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]』『ラダック旅遊大全』(雷鳥社)、『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』『旅は旨くて、時々苦い』(産業編集センター)など。『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』(雷鳥社)で第6回「斎藤茂太賞」を受賞。

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