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もやもやした気持ちを増やす考え方、減らす考え方(上野行良:福岡県立大学理事/人間社会学部教授)#もやもやする気持ちへの処方箋

もやもやした気持ちを解消しようとしても、なかなかうまくいかないどころか、逆に増えてしまう。そんなとき、私たちの心には、どのようなことが起こっているのでしょうか。減らしていくためには、どのようなことが効果的なのでしょうか。社会心理学がご専門の上野行良先生にお書きいただきました。

疲れていないか?

 もやもやしたとき、私はまず自分が疲れていないか考えます。50代になってからは疲れていないことのほうが珍しいので、いつもより疲れていないか考えます。睡眠時間はとれているか。気圧や温度の変化がきつくないか。湿度が高くないか。周りを見ると不機嫌そう、憂鬱そうな人が結構いる。ニュースを見ると高齢の著名人の死去が多い。体がきつい時期なのかな。

 疲労していればもやもやします。疲れがとれたらあいつも日本もどうでもよくなるかもしれません。疲労は寝ないととれません。とにかくきちんと寝る。寝室の温度も適切にする。必要な食事をとる。遊びまわって余計に疲れない。夜更かししない。寝るぞ。そうだ、とりあえず15分間仮眠をとろう。

ワーキングメモリーが足りなくないか?

 きちんと寝ると多くの場合、少し楽になります。それからもやもやについて考えます。えーと、あれだよな。あれもあるな。えー、考えよう。んー…考えられない。考えられないや。

 それはワーキングメモリーが足りないからです。同じことをぐるぐる考えてしまうのも同じです。それは考えているのではありません。ワークングメモリーがいっぱいでフリーズしているのです。

 ワーキングメモリーとは、脳の中にある「ものを考えるためのテーブル」です。考えたい問題がこのテーブルに乗り切れないともやもやします。問題の全貌を見渡せず、ただ気がかりだけがぐるぐると回る。

 私は考えるときは書くことにしています。ノートなどをワーキングメモリーにします。ワーキングメモリの拡張です。ここに頭に浮かぶことを書いてゆきます。

上野先生 挿入写真 メモ

書きながら考えているか?

 論文を書けない学生の特徴の一つに、考えをまとめてから書こうとする傾向があります。「書きながら考える」ことをしない。頭に浮かぶことをただ書いてゆくことができるようになると、考えの整理が上手くなります。

 単語だけでも、不完全な文でも、とにかく書いてゆきます。→や○など記号も使います。関係あるものはつなげたり、近くに書きます。①②と番号を振ったりします。紙片のあっちこっちに書きます。散漫な頭の中をスケッチするような感じです。

 仕事とプライベートの区別もしません。猫のエサのことも授業のことも同僚のことも部屋の散らかりのことも書いてゆきます。

 書いていると、ごちゃごちゃした頭の中が見えてきます。高いところから街を見下ろすみたいな感じです。

 気になっていることが見渡せると少しすっきりした感じがします。事態が把握できた感覚でしょうか。脳も荷物を下ろして空きができます。なけなしのワーキングメモリーを「考える」ことに使えるようになります。

 全体を眺めるとひとつひとつの問題は慣れたことで、結局重いのはこれとこれかな、とわかってきます。その他のことは忙しいだけで問題そのものではないのです。とりあえず簡単なことや慣れていることは作業手順を決めてスケジュールに組み込んで、処理できる気分にします。よく見るともう少し先でいいことまで焦っていたことがわかったりします。

 ルーティーンな仕事の見通しが立つとだいぶ落ち着いてきます。でももやもやは残ります。それにはたいてい感情がからんでいます。

欲求と感情がぐるぐるしていないか?

 ネガティブな感情は体調が原因でなければ自分の欲求が満たされないことから起きます。

 結婚したいけれど相手がいない。ほめて欲しいのに見向きもされない。非難したいのに声が届かない。外出したいのにできない。会いたい人と会えない。

 そしてその欲求が満たされないと幸せになれないかのような妄想に支配されがちです。

 けれど欲求を過信すると失敗します。食欲のままに生きると生活習慣病になり、性欲のままに生きると犯罪者になります。妄想をやめて周りの人々をよく観察してください。食欲のままに食べすぎている人のほうが、食事をコントロールできている人よりも幸福で満ち足りた人生を送っているでしょうか? 欲求は生物がたまたまその環境で生き延びて子孫を残す行動が起きやすかったものが発達した偶然の産物に過ぎません。現在のヒトの環境とは合致しません。

 そのためおでこのあたりには、この欲求や感情にしたがってエラーだらけの人生を行わないためのブレーキがついています。自分を観察し、他者を慮り、したいことをせず、したくないことでも行う意志の部分です。これを使わない手はありません。ただしここは筋肉と同じで鍛え方で個人差が出ます。またアルコールと睡眠不足と疲労に弱く、すぐ休眠してしまいます。だからまず寝ることをお勧めしています。深呼吸をしましょう。ここが活性化します。

上野先生 挿入写真 ぐるぐる

欲求と感情を見つめているか?

 欲求や感情がわいてくること自体はどうすることもできません。欲求や感情を満たそうとして行動したり、見ないように目を背けたり、言い返してなだめたりしてもムダです。ただ観察するのがもっとも早く立ち去ります。何度も金を借りに来る知人のようなものです。要求に従うと図に乗り、さらに要求します。無視するとしつこくドアを叩き続けます。説教すると長々と反論して居座ります。じっと見つめてただ断っていればそのうち立ち去ります。

 「あいつが悪い」「そうなんだ」「許せない」「そうなんだ」「ぶっ殺す」「憎いんだね」

 「なんだか」もやもやする場合、体調不良でないならば、自分の欲求がよくわかっていないことが多いようです。

 そんなとき酒やギャンブルやゲームや動画など強い刺激に逃避すると、刺激が去った後にもっともやもやしてきます。そこでさらに逃避すると悪循環に入ります。自分の心と向き合ったほうが効果的です。

 「なんであいつにだまされるんだ」「ほう」「見かけ倒し、もったいぶった話し方、普通わかるだろう」「みんなを怒っているんだね」「愚かにも信じて賛同したから、こんな問題が起きたんだろう」「と怒っている」「自分たちが原因なのに、なぜ被害者面するんだ」「と憤っている」「理不尽だろう」

腑に落ちないことがないか?

 理不尽。腑に落ちない。それももやもやの原因です。なぜこんなことが起こるのか、なぜこんな目に遭うのか。おかしい、納得いかない、間違っている。

 私たちには腑に落ちたいという欲求があります。ドラマはこの欲求を惹起し、腑に落とす快感を作ります。

 人が殺される。犯人は逃げおおせる。なぜ事件が起きたかが明らかになっていく。悲しい背景。逃げた犯人の顛末。視聴者は腑に落ちて終わります。

 主人公が上司に厳しいことを言われて傷つく。その上司の過去を同僚から知らされる。主人公が納得する。視聴者も腑に落ちる。

 しかしドラマと違って現実はすぐに事実がわかるわけではありません。他者視点のカットは入りませんし、心の声もナレーションもありません。

 すると私たちは独自のストーリーを作ったり、他からストーリーをもらってきがちです。

上野先生 挿入写真 テレビ

ファンタジーを求めていないか?

 独自のストーリーはたいてい誰かを「悪い人」に決めます。自分が被害者のストーリーになります。そのストーリーを信じるほど被害者意識が高まり、周りが意図的に自分に被害を与えている世界観のファンタジーになってゆきます。「ひどい世の中だ」と、ますますもやもやと過ごすようになります。

 一方で、腑に落とすストーリーがネットにも本屋にもクチコミにもあふれています。それは宗教、思想、自己啓発、神秘、占い、社会運動、陰謀論など様々な形をとります。

 もやもやしているときに彼らのストーリーに出会うと、一瞬光明が見えます。信じたいと欲求がわきます。しかし事態は変わらず、興奮が去るともやもやも戻ってきます。けれど「それは理解が不十分だからだ」「信じる力が足りないのだ」と自分に言い聞かせます。腑に落とすために、自ら設定を補足し、話を膨らませます。やがてファンタジーから抜けられなくなってゆきます。

 「腑に落としたい」欲求もなかなか厄介です。欲求を満たそうと泥沼に陥ってしまっては元も子もありません。わからないものはわからない。人類は無知。自分はもっと無知。それは仕方がないことです。

 なぜ被災するのが自分なのか。なぜ病気になるのが自分なのか。彼はなぜあんなことをするのか、なぜ私だけこのような処遇を受けるのか、なぜあの人は浮気したのか、なぜ新たな病が発生するのか。

 調べればわかることを調べないでもやもやする必要はありません。けれど調べてもわからないこと、わかるまでに時間がかかることもあります。腑に落ちたい欲求にも気づいて離れる必要があります。

するべき日常をしているか?

 もやもやと距離をとるのに効果的なことの一つは、なすべきことをただなす日々を送ることです。私たちにはするべき小さな日常行動があります。掃除をする、挨拶をする、書類を書く、謝る、お願いする、ゴミを捨てる、予約をとる。小さなことでもやるべきことをしていないともやもやします。そしてもやもやと関係ないことでも、するべき小さなことを片付けてゆくともやもやと距離が保てます。大きなつらいことがあっても、日常生活上のなすべきことをきちんと続けたほうが立ち直りが早いことがわかっています。活動を始めただけで気が晴れ始めることもあります。

 やる気は行動しないと起きない仕組みなので、やる気を待っていると日が暮れます。やればやる気は出ると思ってとにかくやりはじめます。脳科学を知らなかったミケランジェロだってそんなことを言っています。だからもやもやしたまま今日も今日なすべきことを始めます。

上野先生 挿入写真 朝

執筆者プロフィール

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上野行良(うえの・ゆきなが)
福岡県立大学理事/人間社会学部教授 専門は社会心理学

著書



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