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自分に残された時間がわずかだと知ったとき(清水 研:がん研有明病院腫瘍精神科部長)#立ち直る力

心も体も傷ついたとしても、いつか立ち直ったと感じられて、元気になってくれば嬉しいものです。たいていの場合は、そうなることが見通せるでしょう。しかし、難病など、人生には立ち直ることが望めないときがあります。そんなとき、何ができるでしょうか。そのような中でも、立ち直りと考えられることはあるのでしょうか。多くのがん患者を支えてきた清水研先生にお書きいただきました。

 現代人の多くは、日々生きていくこと、生き続けることを当然と思って毎日を過ごしている。人生はこの先、10年、20年と続き、今日と明日はさほど変わらず過ぎていく。
 しかし、ある日突然、あなたに残された時間がわずかだと告げられることがないとも言えない。現在、日本人の2人に1人ががんに罹患する時代になった。何気なく受けた健康診断の結果から、精密検査を受けるように言われることもあるかもしれない。そして、「あなたはがんです」と告知を受ければ、当たり前と思っていた何十年先の未来が不確かなものに感じられる。さらにそれが「進行したがん」であれば、明確に命の期限を意識せざるを得ない。「これからも当たり前のように人生が続いていく」という前提が崩れ去り、それまで培ってきた価値観や世界観が意味をなさなくなってしまう。

 余命宣告を受けたとき、人のこころは壊れてしまうのではないか?がん医療に携わって間もなくのころ、30歳の私は勝手にそう考えていた。しかし、その先入観は間違っていたことを知った。多くのがんを体験した方の話を聞くにつれ、人の心は困難な出来事と向き合い、立ち直る力(レジリエンス)を持っているということを確信するようになった。

27歳で進行したがんになったAさん

 私が出会ったある患者のことを紹介しよう。27歳で進行性がんになったAさんは、「あなたの病気はがんで、根治することは難しい」と伝えられた時、これが現実におきていることだとは信じられなかった。目の前の医師の説明の意味は理解できるのだが、そのことが自分のことを言っていると思えず、ドラマでも見ているのではないかという感覚を持ったそうだ。しかし、一晩眠って目覚めたとき、「ああ、これはやはり夢ではなくて現実なんだ」という実感と、激しい絶望感が襲った。

 Aさんの場合、病気になられるまでの生き方はとてもストイックだった。金融機関に勤めていて、責任感が強く、与えられた役割を果たすために努力をいとわなかった。プライベートな時間は外国語の勉強に充て、体力づくりにジムに通うような生活をしていた。友人も多くいたが、交流の目的はやすらぎではなく、自分を高めるために刺激をくれるような友人との時間を大切にしていたそうだ。

 つまりAさんにとって、「5年先、10年先、そしてさらに先にある未来の夢を実現すること」が人生の目的であり、そのためにあらゆる努力をいとわなかったわけだが、しかしAさんは間もなく「死」が訪れることを知った。「描いていた未来の夢」は決してやってこないことを悟ったとき、Aさんは大混乱に陥り、生きる意味がわからなくなった。「これから自分はどうしたらよいのだろうか?」と途方に暮れた。

喪失と向き合うために必要なこと

 その厳しい現実と向き合うために、どのようなことが大切なのだろうか。そのために必要なのは、悲しみや怒りなどの負の感情にふたをせずに過ごすことだ。「泣くのは弱い人がすることだ」という偏見を持っていたので、このことを知った時に、私は意外に感じたが、このことを伝えると多くの人が驚かれるので、私だけでなく、多くの人が知らないことなのかもしれない。

 負の感情にはこころを守るための大切な役割がある。怒りは理不尽なことに反抗するために必要な感情であるし、悲しみは「自分にとって大切なものを失った」時に生じる感情で、こころを癒す働きがある。怒りの表し方には工夫が必要だが、怒りをただ押し込めると自分が何者かわからなくなってしまう。また、悲しんで涙を流すことは弱いことでもなんでもなく、「へっちゃらだ」とやせ我慢をすると心がボキッと折れてしまうリスクが高まる。

 精神科医の白波瀬丈一郎氏の言葉だが、大切なものを失った場合、喪失を受け入れるには時間と様々なプロセスが必要なのだ。その直後は、茫然自失となり起こったことがにわかには理解できない時期がある。取り乱して泣き叫んだり理不尽な現実に怒りがこみ上げる時期、失ったものに目を向けて涙が止まらない時期、人生とはそもそも平等ではないのだという現実を理解してしみじみ泣く時期など、様々な様相を呈しながら人は少しずつ現実に向き合うようになる。これを心理学の領域では「喪の仕事mourning work」と言うが、こうした骨の折れるプロセスを経て、人はがんになる前に描いていた人生と徐々に別れを告げ、新たな現実に向けて歩みをはじめるのだ。

Aさんのその後

 Aさんも、がんになった当初は、怒りと悲しみの感情でいっぱいだったそうだ。大して悪いこともしていない自分が、なぜこの年で死んでいかねばならないのだろうかと思うと、激しい怒りの感情が沸き上がった。また、描いていた未来がやってこないことを悟り、今まで積み重ねてきた努力が無駄になったように感じたとき、悲しみでいっぱいになったそうだ。それまで描いていた希望に満ちた未来を諦めなければならないことを考えると、涙がとまらなかった。しかしそれは、Aさんが現実と向き合い、前に進むために必要な第一歩ともいえる。

 Aさんが泣いてもわめいても目の前の厳しい現実は揺らがなかった。だんだん「この事実は変えられないんだ」というあきらめのような感覚が強くなった。それとともに、「10年先がないとしたら、人は何のために今を生きるのだろうか?」という問いがAさんの中に生まれたそうだ。

 Aさんと私が最後の対話をしたのは、長期的な入院治療を終え、これから在宅医療に移行する時だった。少し衰弱した様子の彼に、家に帰って何をしたいかと聞いたら、「行きつけの喫茶店に行って、大好きなコーヒーを香りを楽しみながら味わいたい。」と言った。そして次のようにつづけた。「両親に自分の気持ちを精一杯伝えたいと思う。この前外泊した時に、小さい頃のアルバムを見たんだが、そこにあったのは両親のまぎれもない愛情だけだった。自分が若くして亡くなることについて、両親は複雑な気持ちにきっとなるだろう。両親が今後苦しまないためにも、『病気になったことは悔しいが、生まれてきてよかった。あなたたちには心から感謝しているんだ。いままでほんとうにありがとう』と伝えたい」と。

新しい価値観の萌芽

 がんになった方の多くから、「がんになってよかったとは決して思えない。しかし、がんにならないとわからなかったことがあった。」という言葉を聞いた。当たり前だと思っていた毎日は、実は当たり前ではなく、いつ失われるかわからないものだ。
 人はいつ死を迎えるかわからないと思うようになると、今日一日を生きられることがとても貴重なことになり、一日一日を大切にするようになる。今まで人の目を気にしていた人もそんな生き方に嫌気がさし、自分の気持ちに素直に生きようとするようになる。死を意識すると、地位や財産はさほど意味をなさなくなる。それにとって代わるように、今を生きること、たとえばこころが感動する美しいことを体験したり、自分にとって大切な人との時間の重要さが増してくる。

 私は、がんと向き合いながら今を生きる人たちの姿から、人生において大切なことと、大して重要でないことをたくさん教えてもらった。私はまだまだ死なないだろうとたかをくくりながらも、時折忍び寄る死の影を意識することがある。50歳になったときに、40歳の時に比べて老いたことを嘆くのではなく、年を重ねられたことに感謝の気持ちがわいた。死を意識するときに不安や恐怖などの不快な感情を抱くが、逃げないで向き合うとそのポジティブな側面も見ることができるのだと思う。

執筆者プロフィール

清水 研(しみず・けん)
がん研有明病院腫瘍精神科部長。
国立がんセンター東病院、国立がんセンター(現:国立がん研究センター)中央病院などを経て現職。がん患者とその家族の心のケアに一貫して携わってきた。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら』(文響社)『がんで不安なあなたに読んでほしい。 自分らしく生きるためのQ&A』(ビジネス社)など多数。

▼ 著書


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