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ASD当事者の間にある多様性を語ることの難しさ(ASD当事者:高森明)#自己と他者 異なる価値観への想像力
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ASD当事者の間にある多様性を語ることの難しさ(ASD当事者:高森明)#自己と他者 異なる価値観への想像力

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発達障害(神経発達症)などの障害の当事者であるかどうかで、その本人の得意・不得意などの特性をひとくくりにしがちな傾向は、まだ世の中には根強くあると思います。本記事では、自閉症スペクトラム(ASD)の当事者として、自助グループを通じて他の多くのASD当事者と交流しながら研究者としても活動をしている高森先生に、ASDの多様性について、コロナ禍で普及したオンラインを題材に執筆いただきました。

はじめに

 ASD(自閉症スペクトラム)当事者である筆者が示したいことは、ASD当事者がASD当事者同士の間にある多様性と異なる価値観に対して想像力を持つことの難しさである。
 筆者は10年ほど前まで、主に自らの経験を土台にして多様な存在の一つであるASD当事者について積極的に情報発信を行ってきた。しかし、その方法ではASD当事者の間にある多様性を説明することはとてもじゃないができないと考え、自己語りからは撤退気味になった。現在は、他のASD当事者の経験を聞くことにより、ASDの多様さを理解することに努めている。
 ASDの当事者の間にある多様性を語るためには、何らかのわかりやすい事例が必要だろう。何を事例にして説明しようか迷ったが、新型コロナ渦でここ2年間のうちに普及したオンラインでのコミュニケーション(テレワーク・オンライン講義・オンラインイベントなど)を事例にすることにした。オンラインでのコミュニケーションの是非についてはASD当事者の間でも評価が分かれており、当事者の多様性を説明しやすいというのがこの事例を選ぶ理由である。
 巷では「①孤独に強く人づきあいが苦手なASD当事者にとって、②オンラインでのコミュニケーションはメリットが大きいのではないか」というASD特性を過度に単純化した風説も広く流布している。この風説はある一面では間違っていないのだが、単純化することはできないということが伝われば、本稿の目的はほぼ達成したと言える。

「ASD当事者は孤独に強い」は本当か?

まずは、「ASD当事者が孤独に強い」というのは本当なのかという点から話を進めていきたい。筆者が知る限り、多くの成人ASD当事者は「飲み会、集団活動への参加を強要されるような集団に参加するのは辛かった」、「飲み会や集団レクレーションの雑音や人の刺激は辛かった」、「チーム作業は非常に苦手だ」、「一人にしてくれないのは辛い」と述べている。言葉通りに受け止めれば、「ASD当事者が孤独に強い」というのは間違っていないように聞こえる。
 しかし、テレワークを事例に考えた場合、話はだいぶ変わってくる。テレワークを経験した多くのASD当事者は、「仕事で不明点、判断が難しい点があった時に、周りにすぐに質問・相談ができる人がいないのは不安になる」と述べている。周りに人がいない環境で作業を進めるというのは、自分で時と場所と状況に応じて判断する余地が大きいことを意味する。一人で過ごすことは問題がなくても、一人で判断するのは苦手という当事者は少なからず存在するのである。
また、「対面で直接やりとりしない状態で、上司や同僚がどこまで自分の状況、特性を理解しているのか不安になる」という声もよく聞く。近年、採用時からテレワークで勤務するASD当事者は増えているのだが、同じ部署内の上司や同僚は普段からその当事者が作業している姿を見ている訳ではなく、その当事者自身の困っていることに気がつくことは容易ではない。当事者本人が不便さに気づいておらず、情報発信をしていないのであれば、なおさらである。
ASDの中には一人で過ごすことが苦痛でない当事者がいるというのはある意味では間違っていないが、一人で上司・同僚とともに過ごすことのない環境は、共同で仕事を行う上で仕事を行う上での双方の見通しの悪さにつながる。そして、この見通しの悪さが働きにくさにつながってしまう当事者もまた確かに存在するのである。筆者の理解は、「ASD当事者の中に確かに群れで行動するのが苦手な人もいるが、対面での交流が不要であることを意味しない」というものである。
 さらにASD当事者が参加を嫌がっているのは、多くの場合、全員が半ば強制参加になる学校行事、飲み会、集団活動であるということも見落としてはならない。自分の興味のある集団活動(例えば趣味サークル、市民運動、宗教・政治活動)や仲間との関係が良好な活動であれば、強制されなくても積極的に参加するASD当事者ならば多数いる。集団を嫌がるという点に関して言えば、参加を強制されているか、好きで参加しているかという点も大きいのである。
 第一、ASD当事者は孤独が好む、集団が嫌いだというのであれば、直接交流であれ、オンラインでの交流であれ、当事者グループの活動というのは成り立たないだろう。しかし、発達障害者の当事者グループの活動は1990年代から支援団体・家族会で開催されていたし、2000年代以降は大人になってから中途診断されたASD当事者が自ら立ち上げた自助・共助グループも離合集散を繰り返しながら、多数存在している。
 もちろん、長く自助・共助グループの活動に関わってきた筆者は、当事者活動の持つ問題点にもいくつか気がついており、その活動を手放しに称揚する訳ではない。しかし、2006年の発達障害支援法制定以後、発達障害者支援が急速に進んだ現在でも、自助・共助グループは消滅せずに続いてきたことは、ASD当事者は集団が嫌いという風説に対する一反証になると考えている。(詳細は高森編著(2020)『発達障害者の当事者活動・自助グループの「いま」と「これから」』金子書房を参照のこと)。
 ASD当事者はある面から見れば孤独に強くないし、孤独を好んでいる訳でもないのである。

「ASD当事者はテレワーク・オンライン講義に強い」は本当か?

 実はASDの中でも、テレワーク・オンライン講義がそれほど得意ではない筆者は、この悪意のない風説に苦しんだ当事者の一人である。まず、前節で示したようにこの風説が完全に該当するのは、ほとんど誰に質問しなくても、簡単な指示さえ出せばICT業務を遂行できる熟練技能を持つ当事者に限られる。それほどICTに強くない筆者にとって、テレワーク・オンライン講義はやはり見通しの悪い勤務形態なのである。しかし、問題はそれだけではない。
 生活リズムという観点から見れば、ASD当事者の中には、在宅でも判を押したように一定した生活リズムを維持できる当事者もいれば、在宅では生活リズムが乱れやすく、毎日決まった時間に決まった場所に通うことにより辛うじて生活リズムを維持している当事者もおり、筆者は典型的に後者のタイプに属する。新型コロナ渦の開始とともになし崩し的に仕事がテレワーク、大学院講義がオンライン形式となったことの弊害が大きかったことは言うまでもない。
 同様のことがスケジュール管理についても言えるだろう。特にテレワークでは業務上のスケジュール管理は自己裁量となる可能性が高い。そして、ASD当事者の間でも、スケジュール管理は自分に合った組み立て方をした方が力を発揮しやすいという人と、スケジュールが決められていた方が動きやすいという当事者に分かれる。後者の例では、よいタイミングで休息を取ることができない、過集中になり疲弊するといった当事者の悩みをよく聞く。
 さらに、ASD当事者にとって、生活・仕事・研究を同じ家庭の中で行うのが望ましいかという点も考慮に入れる必要があるだろう。非ASDではない大学院生・勤労者であっても、テレワーク・オンライン講義は生活・仕事・研究の切り分けができないことはストレスになる場合があると言われている。筆者を含めてASDの中にも、生活・仕事・研究は空間を分けて進めていった方が力を発揮しやすいという当事者は筆者を含めて少なからず存在するのである。
 また、筆者はこの例からは漏れるが、ICTと孤独に強いことが、そのままテレワーク・オンライン講義との相性がよいことを意味する訳ではないことには留意する必要がある。ICTと孤独に強い当事者はその場その場で相手の動作、表情を読みとりながらコミュニケーションをするのが苦手で、文章中心で自分のペースで返信のできるメールの方がコミュニケーションがしやすいという当事者もいるからである。このような当事者はチャットも嫌う傾向がある。
 以上のことから、「ASD当事者はテレワーク・オンライン講義に強い」という風説はASD当事者の間にある多様性を無視しASDの特性を過度に単純化した乱暴な説明であるということがわかる。正確には「多角的に見ていくと、ASD当事者にとってテレワークもオンライン講義も合う人もいれば合わない人もいる。そして完全に相性が合う当事者というのはそれほど多くない」というのが、現時点での筆者の見解である。
 ASD当事者のテレワーク・オンライン講義に対する相性の良さが強調されすぎる結果、ASD当事者にとって柔軟性を欠いた業務・教育・活動参加形態が固定化していくことを危惧する。大切なのは、その当事者にとって納得がいき、相性の合った業務・教育・活動参加形態が設計されることなのである。

まとめ

 以上、オンラインでの労働・教育・活動参加を通じて見えてくるASD当事者の間にある多様性を描いてきた。ASDに限らず、一当事者の体験談というのはとかく一面的になりがちであり、本人の意図とは関係なく、当事者の間にある多様性を無視し、過度に単純化してしまう危険性がある。
 この課題を解消するためには、ASD当事者と直接関わる関係者(家族、支援者、職場の上司・同僚)が複数の当事者の声を聴くということも重要である。しかし同時に、ASD当事者自身が多数の当事者の声に耳を傾け、自分の体験と比較対照し、ASD当事者間の共通点だけでなく、多様性に対しても丁寧に説明することもまた重要である。筆者自身はまだ道半ばであるが、当事者活動・研究などを通じて当事者間の多様性が伝わるような説明を目指していきたい。

執筆者

高森明(こうもり・あきら)
ASD当事者。発達障害者の自助グループの運営を細々と20年続ける。大学院で社会学を学びつつ、とある研究機関でひっそりと障害者の就労支援に関する研究補助を行っている。

著書



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