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スピノザのエチカ(信州大学教育学部講師:楠見友輔) #倫理に基づく研究の可能性を探る 第3回

差別や不平等に対し、私たちはどのような立場から関わってきたでしょうか。本連載では、「倫理に基づく研究」をテーマに、これまで行われてきた研究を問い直し、差別や不平等を解消するための研究、および研究者のあり方を考えます。楠見友輔氏にご寄稿いただきました。
第3回となる今回は、他者との比較ではなく「その人らしさ」を重視する、スピノザの『エチカ』における倫理を紹介します。

※月1回、全12回を予定しています。


倫理とは何か

「倫理」という言葉を耳にしたことがある人は多いでしょう。新聞やメディアを注意深く視聴していると、「生命倫理」や「情報倫理」などの言葉が使われることがあります。あるいは、生活の中で「あの人は倫理観がある」「倫理観に欠けている」など、誰かの行為や態度を評価する際にもよくこの言葉が使われます。さらに、「倫理」は高校の教科の一つでもありますので、そこで馴染んだ方もいるのではないでしょうか。

しかし、「倫理」という言葉そのものの意味や本質を話して下さいと言われると、言葉に詰まると思います。それもそのはずです。「倫理学」が一つの学問分野として存在しているように、この言葉は何か具体的な行為を指すのではなく、人々が探究すべき対象だからです。学問としての倫理学の起源は、古代ギリシャにまで遡ります。アリストテレスが倫理について論じた『ニコマコス倫理学』は現代でも読み継がれており、その本は、今でも私たちに「徳」や「善い生き方とは何か」についての問いを投げかけています。そこから2000年以上もの間、様々な人々が倫理について考えてきましたが、何か答えが出ているわけではないのです。

「倫理とは何か」という問いに直接答えることは難しくとも、少なくとも私たちは、倫理について2つのことを言うことができます。一つは、「倫理学が何を探究する学問分野であるか」については、だいたいのイメージを共有することができるということです。そうでなければ倫理学が学問分野として成立しません。では、「倫理学」とは何かというと、それは「人がどう生きるか」という問いを探究する、哲学の一分野だということです。

もう一つは、過去の哲学者たちの倫理に関する論考を手がかりにして、各々が倫理について考えることができる、ということです。ここで重要なのは、倫理についての唯一の答えを探すのではなく、各人が「私の倫理」を探究する必要があるという点です。ただし、「私の倫理」とは、単に「私はこう生きます」という宣言に留まるものではありません。なぜなら、倫理学が探究する「人がどう生きるか」という問いは、他者から切り離された自分にとっての善い生き方ではなく、「あらゆる人を考慮した善い生き方」に関わる問いでなければならないからです。したがって、自分にとっての善い生き方を探究するだけでは、倫理学にはなりません。倫理学は、人々が共存するための価値や方向性を問う学問なのです。

このような視点を踏まえつつ、今回注目するのは、17世紀オランダの哲学者バールーフ・デ・スピノザの倫理学です。連載全体のテーマである「倫理に基づく研究」を考える上で、スピノザの視点は示唆に富んでいます。スピノザは、『幾何学的秩序で証明されたエチカ』(一般的に『エチカ』と略記されます)という著作を通じて、人間が世界との関わりの中でどう生きるかを問いました。エチカ(ethica)とは、ラテン語で倫理学を指す言葉です。そこで彼が説いているのは、人間が他の物や人との関係性の中でいかに共に生きるかについての視座です(スピノザ, 1677 上野・鈴木編 2022, p.262)。この視点から、現代の私たちが行う研究にも通じる倫理のあり方について考察をしていきます。

その人らしさを尊重する視点

スピノザの倫理学の中心には「コナトゥス(conatus)」という概念があります。コナトゥスとは、元々は「努力、衝動、傾向、性向」を意味するラテン語で、スピノザはこの言葉を「それ自身としてあり続けようとする力能」(p.127)としています。つまり、すべての存在は、それ自身であり続けようとする力を持っているということです。

この力は他者と比較したり、数値化して評価したりできるような能力ではありません。そのような評価を行うには、比較のための共通の指標を設定する必要がありますが、個々の存在(スピノザは様態modusと呼びます)には、数値で測れない特徴や他者と共通点を持たない特徴も含まれます。コナトゥスは他者との比較によって強さや大きさを測るような力ではなく、その人自身を特徴づける力です。

しかし、現代社会においては、人と人や、人と基準とを比較することで、個人の価値を評価しようとする傾向が強くなっています。こうした見方では、個々の存在が持つ独自の「その人らしさ」を見失ってしまいます。そして、他者との差を埋めることが変化の目的に据えられた場合、個々の存在は、何かが欠けている不完全な存在と見なされます。そして、人は外部の期待や指標に自分や他者を合わせようとして、自分自身ではない存在になることに注力してしまいます。

これに対して、スピノザの「コナトゥス」の概念は、こうした個人の外部にある評価から解放された生き方を示唆しています。『エチカ』では、数学のような方法で、「より完全な存在も、より不完全な存在もない」ということが証明されます(p.54, 195)。スピノザにとっての倫理とは、その人がその人であり続けることができる生き方を指し、他者と比較して高低をつけることには意味がないのです。

この「その人らしさ」を重視する視点は、現代においても重要です。たとえば、学校教育の場では、子どもを外部の基準に合わせようとしたり、理想の状態に近づけようとしたりする実践がなされることがあります。しかし、子どもを他の存在に変えるのではなく、個性や特性を尊重し、各々が自分らしく学び変化し続けることができる環境を整えるということは、それ以上に価値があるのではないでしょうか。

関係性を基盤とした共存の視点

スピノザは、存在や事柄それ自体には善い/悪いというものはないと述べています(p.195)。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズの解説によると、これは、善悪が存在同士の組み合わせによって決まるということを意味します。ドゥルーズは、「〈いい〉とは、ある体がこの私たちの身体と直接的に構成関係の合一をみて、その力能の一部もしくは全部が私たち自身の力能を増大させるような、たとえばある食物〔糧となるもの〕と出会う場合のことである。私たちにとって〈わるい〉とは、ある体がこの私たちの身体の構成関係を分解し、その部分と結合はしても私たち自身の本質に対応するそれとは別の構成関係のもとにはいってしまうような、たとえば血液の組織を破壊する毒と出会う場合のことである(ドゥルーズ, 1981 鈴木訳 2002, p.42-43)」と説明しています。

このようにスピノザは、全ての存在が、他者や環境との関係を通じて自己の力を引き出し合い、相互に影響し合っていると考えました。このことは、「孤立して価値づけられる存在はない」と言い換えることができるでしょう。個々の存在は、他者や自然との関係性の中で生きており、他者や環境とのつながりにおいて初めて価値づけられるのです(スピノザ, 1677 上野・鈴木編 2022, p.77)。

この考えを持って、子どもたちの学習場面を考えてみましょう。子どもの学習結果は、個人の中にある能力が現れたものでも、複数人の能力を足し合わせた総和でもありません。個々の人の構成関係に他者が含まれているからです。他者との関係を内包する一人一人の子どもは、それ自体で常に変容していて、その他者との関係が技能や思考やアイディアを働かせるのです。

ここで注意しなければならないのは、スピノザは「善い組み合わせ」を探そうとするような功利主義的な主張をしているわけではありません。彼は、悪いものを善くしようとするような発想から逃れようとしています。そうではなく、すべての価値が関係性の中で絶えず生成され、再構築されていくという立場に立っているのです。

異なる未来が来るために

國分功一郎は、スピノザの哲学を「「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」を示す哲学」(國分, 2020, p.5)と表現しました。スピノザの思想は、西洋哲学における主流の考え方である、主客二元論や超越的立場からの考察のような前提とは、大きく異なる世界観から作られています。もし、このようなスピノザの考える世界観を基盤に社会が構築されていたならば、現在とは違う人間関係や価値観が広がっていたかもしれないということです。

しかし、スピノザの『エチカ』は過去に閉じられた思想ではありません。この著書は、今なお新鮮であり、現代の私たちに問いを投げかけ続けています。『エチカ』は、20世紀に入ってからドゥルーズやアントニオ・ネグリといった哲学者によって注目され、学問や社会に大きな影響を与えてきました。さらに21世紀に入ると、ロージ・ブライドッティ、エリザベス・グロース、ジェーン・ベネットなどといった現代の思想家たちがスピノザを再評価しています。彼女らは、個人と社会、そして自然とのつながりを重視した新しい倫理観の基盤として、スピノザの考えを取り入れているのです。このように、スピノザは過去の思想として読まれているのではなく、多くの研究者が、スピノザの視点に基づいて、「あり得るかもしれない、もうひとつの未来」を今まさに探究しているのです。

私は、自身の著書『アンラーニング質的研究』の帯に、「異なる未来をひらくための方法論」というキャッチフレーズを書きました。これは、現在の差別や不平等が繰り返される社会ではない、異なる未来が来てほしいという願いを込めたものです。スピノザの意味での「倫理」に基づく研究は、現代社会を分析するだけでなく、異なる未来を実現する可能性を有すると考えています。

引用文献

  • スピノザ, B. (1677/2022). 上野修・鈴木泉(編)スピノザ全集Ⅲ 岩波書店

  • ドゥルーズ, G. (1981/2023). 鈴木雅大(訳) スピノザ:実践の哲学 初版第11刷 平凡社ライブラリー

  • 國分功一郎 (2020). はじめてのスピノザ:自由へのエチカ 講談社現代新書

執筆者プロフィール

楠見友輔(くすみ・ゆうすけ)
信州大学教育学部講師。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。主な著書に『子どもの学習を問い直す:社会文化的アプローチによる知的障害特別支援学校の授業研究』(東京大学出版会)、『アンラーニング質的研究:表象の危機と生成変化』(新曜社)など。

著書

楠見 友輔 (2024). アンラーニング質的研究―表象の危機と生成変化― 新曜社

楠見 友輔 (2022). 子どもの学習を問い直す―社会文化的アプローチによる知的障害特別支援学校の授業研究― 東京大学出版会

楠見 友輔 (2022~). 【連載】新しい時代の教育を創造する― 『教育と医学』 慶應義塾大学出版会