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子どもが安心する親子のコミュニケーション ~不登校に寄り添う~(菅原裕子:NPO法人ハートフルコミュニケーション代表理事)#私が安心した言葉

 終わりの見えない不安な状況の中、今までできていたことができなくなる子どもたちも出てきました。そんなとき、親にできる安心を生み出すかかわりとは、どのようなものでしょうか。子どもの自立を見据えたかかわりを提唱する菅原裕子先生にお書きいただきました。

多くなった不登校の相談

 2020年、コロナ禍は私たちに大きな打撃を与えました。社会的、経済的被害は想像を超えるものです。家庭も大きな影響を受けています。そしてその影響は、まだまだ自分ではストレスにうまく対応する能力や自立性を持たない子どもたちに襲い掛かります。不安の中登校する子どもたち、あらゆる規制の中で自由を失い混乱する子どもたち、登校できなくなる子どもたちもいます。非常事態宣言が解除になり、子どもたちが学校に戻り始めると間もなく、不登校の相談が多く寄せられるようになりました。ここでは、コロナ以前から寄せられていた不登校への悩みにどう対応するかということを、それを解消する一つのカギとなる「子どもが安心するコミュニケーション」の観点から考察します。

大切なことは「学校に行かせること」ではない

 「子どものコーチになろう」をテーマに、NPO法人ハートフルコミュニケーションでは、我が子の幸せな自立を目指し、子どもとの接し方を学びます。不登校に関しても画一的な方法をアドバイスするのではなく、親自身の学びの中で共にその子の自立を考え、行動することを方針としています。それは、不登校という課題と向き合い、それを克服して子どもの自立を図るためには、何故子どもは学校へ行くことを拒んでいるのか、それはどのように起こったかなど、様々な観点から検討することが求められるからです。とにかく学校へ行くようになればいいという問題でもありません。とにかく学校へ行くようになった子どもが、またしばらくして不登校になるというのはよくあることです。躓きやすい子は、これから先も躓く可能性があることを親は知ることが求められます。進学や就職の時期に合わせて、親は我が子にどう寄り添えばいいのか、その心の準備をしておくことは決して子どもを甘やかすことにはならないと私たちは考えるからです。それは、「この子はそういう子」という固定した見方で子どもを見ることではなく、「もしまた躓くようなことがあっても大丈夫、私はそれに対応できる」という親の覚悟です。つまり、大切なことは「学校へ行かせる」ことではなく、長い目で見て「子どもの自立」を考えること、子どもが自分らしい人生を歩めるように導くこと。それが私たちの目指すところです。

菅原裕子先生 写真 子どもと人生

ある母親の問いかけ

 覚悟をつくづく感じることのできる親の体験をシェアしましょう。そのお母さんは娘の登校しぶり、不登校に長く苦しんでいました。娘は小学校入学間もなく登校を渋り始め、不登校になります。原因は小学校という新しい環境への不適応、先生との相性の問題もあったでしょう。娘の気質も原因の根底にはあったと思われます。娘に発達に関する課題はないようでした。お母さんは自分が成長することで娘の心の成長を促したいと様々に学びました。それらのアドバイスは、無理に学校へ行かせようとしない方がいいというものでした。彼女はそれを信じ、娘を見守ります。娘の「行きたくない」を優しく受け止め、家にいる娘に寄り添っていたのです。

 ところが娘が成長するにつれて、本当に学校へ行かなくてもいいのかという疑問が再び彼女を襲います。そして彼女は私たちと出会います。娘はすでに4年生になっていました。その年の4月に、彼女は娘のコーチになる決心をして、ハートフルコーチングを学びはじめました。お母さんが語る娘の様子から、私たちは娘が学校に行くのではないかと言う印象を受けました。ただ、娘は自分の背中を押す理由が見つけられないのではないか。娘は親の説得に素直に耳を傾ける性格ではないようです。親が述べる理由ではなく、彼女自身納得できる理由が欲しいのです。そこで私たちは彼女自身の理由になるかもしれない方向性を模索し、それを日常会話で娘に伝えることにしたのです。

 それは見事に功を奏して、娘は9月の新学期から登校し始めます。そして、お母さんはまた娘が「今日は行かない」と言う日が来る可能性があることを覚悟していました。一か月後にそれはやってきました。登校しないという娘にお母さんはこう言います。「もしこのまま学校を休んだらどんな気持ちになるかな?もし行ったなら、帰ってきたときどんな気持ちかな?」これは、学校へ行かないという子どもに対して、親がその答えを与えるのではなく、子ども自身が自分の気持ちを確認する時を与える瞬間です。そしてこれこそがまさにこの娘にとって「安心するコミュニケーション」だったのです。娘は、母親の問いかけに黙って支度をして学校に出かけました。

 その日から一年以上がたちますが、娘は元気に登校しているようです。親が与える「学校へ行きなさい」とか、「休んでいいよ」という答えではなく、子どもは自分の中にある本当はどうしたいかという答えに巡り合うひとつの方法を学んだのです。

菅原裕子先生 写真 自分と向き合う

親には覚悟が必要

 このお母さんの何が子どもを安心させたのか?それはお母さんの覚悟です。「もしこのまま学校を休んだらどんな気持ちになるかな?もし行ったなら、帰ってきたときどんな気持ちかな?」と問いかけるには覚悟が必要です。娘は、「うるさい」と質問さえ受け付けない可能性があります。また、「お母さんは私の気持ちなんかわからないのよ」と、素直にその問いと向き合おうとしないかもしれません。また、「学校へ行かない方が私は穏やかにいられる」と、登校しないことを選ぶかもしれません。子どもが何を選ぼうとそれを受け止める、覚悟が親には必要です。

背景があっての質問

 娘のコーチになると決めてお母さんがしたことは、①娘との間に信頼関係を築くこと、②そのプロセスで娘を知ること、③何であれ娘を受け入れ、いつか幸せな自立の道を歩むサポートをすると決めること。その背景があっての質問でした。信頼している母からの質問に娘は向き合い、そして素直に考え、自発的に自身の決断をします。

子ども自身でさえ説明できない何か

 不登校と一言で言っても様々な背景や理由があります。学校にいじめなどの問題があるのであればそれを解決すれば子どもは登校できるようになるかもしれません。ところが、最近よく聴くのは、学校では特に問題がなく、様々な事柄が絡み合って子どもが学校へ行けなくなるケースです。子どもの気質的なもの、器質的な何か、それは子どもの中で起こっているものでありながら、子ども自身でさえ説明できない何かかもしれません。自分でさえ説明のつかない不安の中にあるとき、親の覚悟は優しいハンモックのようです。子どもを受け止め休ませる。そこで安心を得た子どもは自発的に歩み始める時を待ちます。そんな時の親の質問、「もしこのまま学校を休んだらどんな気持ちになるかな?もし行ったなら、帰ってきたときどんな気持ちかな?」は、何を選んでもいいよ、何であれ私はあなたと一緒だよという安心のコミュニケーションなのです。

親自身が一人の人としての安心を土台に生きる

 現在、新型コロナウイルス感染危機の中、登校できなくなる子どもたちはすでに何らかの不安要素を抱えていたと言えるでしょう。それがたまたまこの社会的な不安の中で噴出してきたのです。これからの長い子どもの人生を支えるためにも、親としての覚悟を思い出す時かもしれません。親の覚悟などと言われると、背負いきれないような重い気持ちになるかもしれません。
でもそれはちょっとして意識の変化でやってくるものです。それは親自身が一人の人としての安心を土台に生きること。そして、子どもが安心して自分でいられる安全な場を創ることです。安全な場で生きている子どもたちは、学校や社会にある程度の不安はあっても、それを乗り越えて生きることができるものです。

菅原裕子先生 写真 親子

執筆者プロフィール

菅原裕子先生 ご本人お写真

菅原裕子(すがはら・ゆうこ)
NPO法人ハートフルコミュニケーション代表理事
人材開発コンサルタント。
変革を必要とする組織のマネジメントのリーダーシップとコミュニケーション、組織変革のファシリテーションを専門とする。
1995年、企業の人育てと自分自身の子育てという2つの「能力開発」の
現場での体験をもとに、子どもが自分らしく生きることを援助したい大人の
ためのプログラム-ハートフルコミュニケーション- を開発。
2006年NPOを設立。各地の学校やPTA、地方自治体の講演やワークショップでこのプログラムを実施し、好評を得る。
夢は日本中の親にハートフルコミュニケーションを届けること。
著書「子どもの心のコーチング」「10代の子どもの心のコーチング」(PHP文庫)など
ハートフルコミュニケーションのホームページ:https://www.heartful-com.org/

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