
【連載】障害児者の余暇スポーツから教育・社会を問い直す(フリーライター:遠藤光太) 第1回:なぜ勝たなければならないのか?
本連載では、「やりたくなるサッカー」をコンセプトに掲げ、発達障害・知的障害のある子どもや大人たちのサッカースクールやクラブの運営、余暇スポーツ活動のイベント開催・運営を行っている、認定NPOトラッソスの実践を通じて、障害のある子ども・大人の余暇スポーツの意義について、ライターの遠藤光太さんにご紹介をいただきます。
※月1回、全12回を予定しています。
サッカーがあったから、僕は死なないでいられた。
幼稚園から小学校低学年にかけて不登校傾向だった。教室が息苦しくてたまらなかった。しかし、小学3年生で始めたサッカーが心の拠りどころになった。ボールは、正しく蹴ればまっすぐ飛んでいく。読まなければならない「空気」をまとっていない。僕の認知特性にフィットした。どんどん上達して、思った通りにボールを蹴れたり、パスを通せたりすると、自由を感じた。校庭で行われる朝練のついでに、学校へ行き始めた。学校は嫌いだったが、サッカーの時間だけは自由でいられるとわかっていたから、大丈夫だった。なお、不登校の解決は再登校だけに限らない。大人になってから「不登校を続けていればよかった」と後悔することにもなるのだが、それはさておき、サッカーがなかった世界線を想像すると恐ろしくなるぐらい、僕はサッカーによって自分を保っていた。
小学5年生で市の選抜チームに入り、中学生ではJリーグクラブのアカデミーに受かり、3年間プレーした。チームメイトには、世代別の日本代表選手が複数いたし、のちにA代表(国際サッカー連盟(FIFA)が定める年齢制限のないナショナルチーム)に選ばれたメンバーもいる。チームとして全国大会に2回出場し、最高でベスト8。
そして僕の個人成績はと言うと、レギュラーになれず、全国大会では1分も出られなかった。ベンチを温め続けた僕は中学卒業後、ユースチームに昇格できなかった。中学生のうちに、プロにはなれない、と悟った。
なぜ勝たなければならないのか?
振り返ると、当時の僕はそれがわからなかったのだった。レベルの高い環境でサッカーをプレーすることは楽しかった。しかし、勝利へのこだわりが、僕にはまるでなかった。
「楽しくサッカーできるのは小学生までだよ」
僕には3歳下の弟がいて、同じくサッカーをやっていた。中学時代の僕は、弟に「楽しくサッカーできるのは小学生までだよ」と言ったそうだ。最近になって弟から聞かされるまで、全く覚えていなかったのだが。
中学時代の僕は、小3でサッカーを始めた頃に感じていた自由よりも、厳しさで心と体が覆われてしまっていた。所属していたクラブは、県内からお山の大将が集まっているような場所。弱音なんて吐けない。楽しさよりも、厳しい走りのトレーニングを耐え抜けることや、ピッチ内外での喧嘩に負けないことが重要である。そして試合に出られる選手、試合で勝利につながるプレーができる選手こそが偉く、そうでない選手は、自力で這い上がらなければならない。マッチョな競争社会で、僕はもがいていた。
でも、僕には勝利へのこだわりがないのだ。それよりも、パスを綺麗に通せたときが楽しい。 ドリブルで相手を抜いて前進できたときが嬉しい。守備で狙い通りに相手を追い込み、ボールを奪取できたときが嬉しい。相手の上手い崩しで僕たちが失点してしまったときでも、「悔しい」よりも先に「上手い!」と心のなかで拍手が起こってしまう。結果にはあまり関心がない。
そんなことでは、サッカー選手として大成しないのも当然だ。
今でこそ言語化できるようになったが、当時は自分をただ「弱い」と評価していて、しんどかった。憧れのJクラブのユニフォームを着てプレーできる誇らしさはあったが、苦しい思い出にもなっている。
全日本知的障害児・者サッカー競技会に参加
知的障害のある人々のサッカー大会を観たのは、あれから20年経った2024年12月だった。僕は第17回全日本知的障害児・者サッカー競技会「にっこにこフェスタ」に、取材とボランティアを兼ねて参加した。
12月らしい澄んだ空に、青々とした天然芝。「僕はこんな風にサッカーがしたかっただけなんだ」と思い、涙が出そうになるのを堪えていた。
知的障害のある選手たちで構成された12チームが試合を行った。試合は7人制で、15分ハーフ。1チームあたり4試合、合計120分をプレーする。プロ選手でさえ1日に90分の試合だから、交代や休憩もあるとは言え、なかなかハードなスケジュールだ。3つのコートに分かれ、第1試合から第8試合まで行われた全日程を、僕は芝生に立って観ていた。
攻撃側が2人で、守備側にはキーパーしかいない局面。数的優位の状況で、エースの選手は、フリーの味方へのパスを選択した。パスを受けた選手は、ガラ空きのゴールにシュート。しかし、外してしまった。
アシスト未遂に終わった選手が、全く怒らないのが印象的だった。「次だよ、次!」と声をかける。そんな文化が、大会全体に見受けられた。
コーチ陣も「寄せろ!」と激しい指示も飛ばすが、結果として失点してしまっても「ドンマイ!」「切り替え!」とあたたかい。
真剣にプレーを楽しむが、勝敗にはこだわらない。
僕はこんな風にサッカーがしたかっただけなんだ。
もちろん感情を剥き出しにして怒ることだってあるはずだ。それもいい。「障害があるのに頑張っている」という“感動ポルノ”に収斂させるつもりもない。ただ、彼・彼女らが真剣にプレーそのものを楽しんでいる光景に、僕はサッカーの理想を見たのだ。
そして自分を問い直す。果たして、僕はここまでサッカーを楽しめてきただろうか?
「やりたくなるサッカー」
大会を主催した認定NPOトラッソスは、「やりたくなるサッカー」をコンセプトに掲げる。知的障害や発達障害などのある人々のサッカースクールやクラブの運営、そしてにっこにこフェスタのようなイベント開催などを行っている。
僕がにっこにこフェスタの試合を観た日は「チャンピオンリーグ」と称され、プレー強度が比較的高い日だった。別の日に開かれていた「フィールドスターリーグ」では、子どもや初心者も参加したそうだ。
彼・彼女らは真剣だ。一つひとつのプレーに全力を尽くしている様子が見て取れる。かと言って、ミスを個人の責任として押し付けたり、責めたりしない。勝利至上主義ではない。
サッカーは、ボールをわざわざ足で扱う難儀なスポーツだ。だから必ずミスが起こる。この原稿を書きながらSNSを見ていたら、イングランドプレミアリーグのゴールキーパーがボールを脚で保持し、相手フォワードをかわそうとしたところ間に合わず、ゴールを奪われていた。世界トップのリーグでも必ずミスは起こるのである。
ミスに対する反応には、競技、チーム、大会の文化が色濃く反映される。
ミスが叱責される場では、ミスの多い人は絶対に「やりたくなる」にならない。
ところで僕の不登校の娘は、学校の体育が嫌いだという。特にチーム競技では、ミスをすると怒られ、責任を問われ、陰口を言われるからだ。しかしそんな娘も、今通っているフリースクールでは、チーム競技を楽しみ始めている。そこで重視されているのは「勝利」や「足を引っ張らないこと」ではなく、「全員が楽しめているかどうか」であるからだ。子どもたち同士が気を配り合っている。そもそも決められた競技があるわけでもない。その場にいるメンバーに応じて、競技さえも変える。ルールも変えてしまう。例えば、バレーボールが苦手な子どもは、ネットの直前からボールを投げてサーブの代わりにする。バスケが苦手な子どもは、ボールを抱えたまま走ることでドリブルとする。
やりたくなければ、やらなくていい。でも、見ていてやりたくなってきたら、いつでも入ってきていい。
これは、トラッソスの活動で重視されていることに似ていると感じる。大会とは別の日に、僕はトラッソスの活動を見学させてもらった。
4歳のAくんは、ずっとお父さんにくっついて、練習になかなか入れなかった。しかしお父さんとトラッソスに通っているうちに、小学1年生の“先輩”とじゃれ合うようにして、入っていけるようになった。トラッソスでは無理に入らせることはしないので、Aくん自身が「やりたくなった」のだろう。
トラッソスの派遣事業の一環として、各地の知的障がい・発達障がいのある子たちが参加するサッカースクールに、トラッソスのコーチが訪れている。その中のとあるスクールでは、会場となる体育館に入ってこられない子どもたちを、保護者が無理矢理押し込むような状況が続いてしまっていたそうだ。ある日、早めに到着したコーチ陣は、「まだ子どもたちは来ないだろう」と踏んで、体育館で寝そべりながら打ち合わせをしていた。すると、思いの外早く来た子どもたちは、なんと自主的に体育館に入ってきたのだという。しかも、寝そべったコーチのお腹に乗ってきた。「立ってる大人たちって怖いんだな」と、トラッソスの“よしコーチ”こと吉澤昌好さんは振り返る。子どもたちは、やりたくなり、サッカーをした。
「逆算思考」の逆へ
サッカー日本代表のスーパースター・三笘薫選手の著書タイトルには「夢を叶える逆算思考」と入っている。僕は三笘選手のファンだ。著書もとても好きで、興味深く読んだので、批判ではないことを断っておきたい。ただ、そんな「逆算思考」が合う一部のトップ選手の思考と、「やりたくなるサッカー」の世界観を対比させて考察してみたいと考えた。
トラッソスで行われているのは、「逆算思考」の逆。徹底的に「逆算」をしない。「夢」がなくていい。そうではなくて、今、やりたくなっているか。身体がボールを蹴りたくてうずうずしているか。仲間とコーチの輪に入って、シュートを打ちたいか。ゴールを決めて、チームメイトとハイタッチをしたいか。
トラッソスは「夢」ではなくて、「人間」の側に立つ。
「夢」を「勝利」に置き換えて考えることもできる。僕は「勝利」から逆算するのが嫌だったと、今はわかる。ただサッカーを真剣にプレーし、楽しめていれば満足だった。もちろん、「勝利」ありきのルールだ。でも「勝利」は概念であり、人間は実体である。「やりたくなる」「楽しい」は、実体としての人間から湧き上がってくるものだ。
「夢」は、「学校」や「仕事」に置き換えて考えることもできるだろう。
「学校」で、知的障害や発達障害のある子どもたちは訓練を受ける。指示を聞けるように。指導者が思った通りに動けるように。よしコーチが訪れたとある放課後等デイサービスの現場では、サッカーが終わった後、子どもたちが自主的に片付けをしていると、スタッフの方から注意を受けたそうだ。なぜなら、指示をされていない動きだから。僕は、自主的に片付けに参加するのは素晴らしいことだと思うけれど。
学校がなぜ「言うことを聞ける」子どもを育てようとするか。それは「仕事」から逆算する ためだ。障害のある人々の自立は、企業への就労が前提とされる傾向にある。就労の条件は、「決まった業務を安定的にこなせること」であるケースが多い。もちろん、就労が重要なことであるのは間違いない。学校や就労を全否定するつもりはない。
ただ、就労して安定することから「逆算」し続けるだけの人生でいいのだろうか。あるいは「夢」や「勝利」から「逆算」し続けるだけのサッカーやスポーツでいいのだろうか。その人の「人間」の部分はどこでどのように表現できるだろうか。
子どもだった僕が、サッカーによって死なないでいられたときに感じた自由はいずこへ。
そこで余暇が重要になる。余暇は、逆算しない。
次の記事では、トラッソスの活動紹介を通じて、障害のある人にとっての余暇やスポーツの意味を再考していきたい。
【プロフィール】
遠藤 光太(えんどう・こうた)
1989年生まれ。妻、子2人との4人暮らし。小学校時代には不登校を経験し、大学時代にはうつ症状を呈する。卒業後の社会人2年目に長期休職を経験。その後、退職、アルバイト、無職、障害者雇用での勤務を経て、2018年からライター業。ハフポスト日本版、withnewsなどのウェブメディアで取材記事執筆、エッセイ連載などを行う。著書に『僕は死なない子育てをする: 発達障害と家族の物語』(創元社,2022年)がある。