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この時期の子育てが、人生の大きな分岐点になるかも!子どもに幸せな人生をプレゼントするために!~授業のユニバーサルデザインの味をご家庭で⑤~(松久眞実:桃山学院教育大学教授/日本授業UD学会湘南支部スーパーバイザー)

緊急事態宣言が発出され、そして解除、それに伴う学校の慌ただしい動き、親自身の生活の変化…。この短期間のうちにたくさんの変化がありました。
そんな状況でも、「変わらずに大切にしたいこと」があります。我が子を思うからこそ大事にしたいこととは――。特別支援教育をご専門とされる松久先生に伺いました。

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 トランポリン。流しそうめんスライダー。屋内砂場セット。すべり台。テント。ファミリーピンポン。ストラックアウト。ホッピング………。

 さてこれは何のリストしょうか。

 これらは、休校期間に子ども達が各家庭で過ごすために買った、おもちゃの数々です。そして休校措置が終わればおそらく、お蔵入り(笑)。掃除の時は邪魔者扱いされる運命かも!

自宅学習が仇にならないように!

 自宅でできる学習として、タブレット学習、無料ネット教材、知育アプリ、市販ドリル、通信教育も大流行です。

 そんななか……杞憂に終わればいいのですが、私が心配していることがあります!

 もともと今まで毎日宿題をして、きちんと提出できている子どもは、家庭でもこれらの学習をこなせるでしょう。しかし、教育を生業とする教師が教えても、なかなか学びのステージに乗ってこない子ども、集中力がない子ども、好きなことを優先してしまう子ども、理解に時間がかかる子ども達が、このようなネット教材や市販ドリルを、黙々と家庭でこなしているとはとうてい思えないのです。

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 このような自宅学習に見向きもしないで、ゲームばかりに講じている子どもが心配というわけではありません。勉強が遅れるのではないかと躍起になって自宅学習に向かわせようとする保護者、また不安で仕方がないためにとりあえず子どもにネット教材をさせる保護者。そんな親子の間に、軋轢が生じていないかという心配です。そしてその関係性の悪さが、のちのちに響かないかという杞憂があるのです。

 私は人生の幸不幸を決めるのは、「苦を積むこと」を手放すかどうかであると考えています。勉強の遅れを取り戻すことに躍起になり、厳しい言葉で子どもをなじることで、子どもの心を傷つけていないか、本当の子どもの幸せとは何かを忘れていないかということです。せっかくの休校期間を「苦を積まず」に親子で楽しく過ごすことは、人生の最期の収支にいたっては、「大きな儲け」があると考えています。この話は、最後に触れます。

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せっかくのこの機会に、自宅で取り組めること

 休校期間中の学習については、阿部先生や 湘南支部の先生方からたくさんのアイデアが発信されていると思います。おそらく、この記事がアップされるころには、各地で登校が開始されたり、分散登校が始まっていると思います。ですから自宅でどう学習をすすめるかという内容は、時すでに遅しかもしれませんが、せっかくテーマをいただいたので、2つ提案します。

 1つ目です。家庭学習でオススメなのは、ことわざカルタです。私たちは長い経験から、知らず知らずのうちに自分で自分を励ます言葉を身につけています。例えば「明けない夜はない」という言葉に、私は何回も救われています。ことわざは簡潔な言葉に問題解決につながるいましめや、認知を変えるヒントが込められています。先人の稀少で有益な経験が、凝縮されている言葉です。しかし子どもはこういう言葉に触れる機会が少ないです。

カルタ - コピー

 私のクラスでは、ことわざカルタを導入していました。すると授業中や休み時間に、「正直は一生の宝」「勝負は時の運」などのことわざが子ども達の口から飛び出したり、ことわざ辞典を手にしてクイズを出し合ったりしていました。ケンカなどのトラブルの際に「けんか両成敗」と言い合って仲直りしたり、テストの点数が低かった時に、「明日は明日の風がふく」と自分で自分を励ますようにつぶやいていることもありました。また、お説教が苦手な子どもには、ことわざが共通の合い言葉になり、すっとパニックが収まったことがあります。運動が苦手な発達障害のある子どもは、記憶力が必要とされるカルタが得意で、クラスの友だちから羨望の眼差しで見つめられることもありました。

 ネットで検索するとたくさんのカルタが市販されています。ことわざカルタで遊ぶことによって、ことわざが家庭のルールや共通語になり、くどくど言わなくても短い言葉でわかり合える家庭になるかもしれません。普段の忙しい生活ではなかなか触れることのないことわざを、親子で楽しんでみてはいかがでしょうか。

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大学生の現状から見る子育ての分岐点

 2つ目は自宅学習というより家庭での取り組みです。私は大学で障害のある学生の支援をしています。私が専門とする発達障害のある学生だけでなく、身体障害や愛着の崩れのある学生など、さまざまな配慮を必要とする学生が対象です。発達障害のある学生、とくに自閉スペクトラム症(ASD)のある学生は就労に困難を極めることが少なくありません。対人関係にしんどさを抱え、すでにいじめ等の被害体験などによって傷ついている学生に、大学4年間の様々な取り組みを通して、就労に向けて自己肯定感を育むことを大切にしています。

 就労を果たすために必要なことは、自己肯定感だけではありません。確かに誉めると自己肯定感が高まります。しかし誉め殺しという言葉もあります。誉めることばかりでは、彼らは「自分はできる」「やればできるはず」という根拠のない自信を持つこともまれではありません。自己肯定感だけでなく「実際にやってみて自信をつける」こと、つまり「自己効力感」を身につけることが必要です。自己肯定感は自分を信じること、あるいは自分を信じているとの評価に起因する感情を意味するのに対し、自己効力感は自分にある目標を達成する能力があるという認知のことを差します。

 では自己効力感を身につけるためにはどうしたらいいのでしょうか?
 その答えは、あっけないほど、とっても身近なことです。家庭でのお手伝いです。

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 人間は小さい時から誰かと自分を比べています。友だちに負けたくない。1番になりたい。しかしそれは必ず限界がきます。なぜなら「上には上がいる」からです。
 でも、自分が誰かの大切な人になる、必要とされる人になる…。これは誰かと自分を比べることではありません。年を取って一番つらいのは “誰の役にも立たない” と感じる時だと聞いたことがあります。そんな高齢者が誰かに頼りにされたら、急に元気を取り戻すそうです。

 誰かに必要とされること、誰かの役に立つことは、競争に勝ち抜くことではありません。自分の存在価値を自覚することにつながります。就労を果たしたある学生の一人は、小さい時からずっとお手伝いをしていました。家族のなくてはならない一員であり、家族からも感謝されていました。ある親の会の会員の息子さんも、ずっとお手伝いをして家庭に貢献してきた一人です。どちらも就労を継続しています。この休校期間を、お手伝いを習得する時間と考えてみてはどうでしょうか。いつもはお母さんが一人でこなしている料理、廃品回収のために新聞をヒモでしばる、風呂のタイルをみがくなど、普段ならお手伝いさせると返って手間がかかり、それなら自分でした方が早いというお手伝いを、この機にさせてみるのです。そして思いっきり、「ありがとう」と感謝する!感謝されるという体験は、前述した「苦を積む」取り組みより遙かに有益です。

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今からでも遅くない。子どもに幸せな人生をプレゼントするために!

 最初の杞憂している話に戻ります。登校が始まっても、忘れてほしくないことです。

 私は児童養護施設が校区にある小学校に勤めていたこともあり、虐待された子どもに触れあう機会はたくさんありました。しかし、大学では、今まで見てきたような養育困難な家庭や困窮家庭に育った学生は数えるほどでした。どちらかというと裕福で高学歴な家庭の方が多いのですが、裕福な家庭の中には時として別の虐待があることに気がつきました。

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 私が以前から名づけていた「過保護・過干渉型虐待」です。このタイプの学生は愛着に課題を持ち、自己調整機能不全や変化が苦手、葛藤を抱えられない状態が見受けられ、うつ症状、自殺念慮、摂食障害、不登校などの二次的な問題を抱えていました。

 「過保護・過干渉型」の親たちは、子どもに愛情がないわけではありません。むしろ愛情たっぷりのように見えます。手のこんだ料理、色とりどりのお弁当、手作りのお洋服、アップリケのついた帽子、高級レストランでの食事など、親は子どもの幸せを心底願っているのです。しかし摂食障害の果てに不安障害になった女子アナ(小島,2014)、精神科入院8回自殺未遂30回の東大卒女性医師(小石川,2015)は、どちらもこのような家庭に育ちました。

 でもそれは、私から言わせるとオプション付きの愛情と言わざるを得ません。何かオプションが付いているから可愛がる。オプションとは、有名私立中学校に合格する、Jリーグのジュニアチームに所属している、バイオリンで高校生日本一になるなどの他人に自慢できるようなことです。子どもは親の人生のアクセサリーではありません。でもこのタイプの親は、子どもがブランド品であり、自分を飾り、光り輝かせる存在なのです。

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 一番重要なことは、子どもに「あなたがいてくれるだけで幸せ」「生きててくれるだけで、たいしたこと」と思えるかどうかです。一度自殺未遂をした子どもの親は「生きていてくれればいい」と心から望むでしょう。もしかしたら子どもは我が身を犠牲にしてそれを伝えたかったのかもしれません(小石川,2015)。この世に子どもを産み落とした瞬間もそう思ったはずです。子どもは親のために生きているのでなはく、自分の人生のために生きているのです。

 しかし実際、これを実践するのはとても難しいことです。子どもが人生のルートから外れた時に、本当に子どもを大切にできるか。そのままでいいと言えるか。志望校の受験に失敗した時、学校へ行けなくなった時、大企業を辞めて自分で起業すると言った時、親は落胆せずにいられるでしょうか。究極な話をすれば、子どもが殺人を犯しても、罪は罪だと贖罪させるとして、その子を自分の宝物と思えるかということです。親はこれを問われているのです。

 ここまで読んで、こう思われる方がおられるかもしれません。「勉強しなさい」と口うるさく言う教育ママは昔から存在してたし、学歴があれば幸せになれると願う親を責められないのではないか、と。しかし、ASDのような敏感で傷つきやすい子ども達と、学歴偏重な親が組み合わさると相乗作用となり、いわゆる「教育虐待」(おおた,2019)にはまりこむのではないかと推測しています。ASDは知的に高い子どもも多く、もともとコミュニケーションが苦手なだけに、学業成績だけが頼みの綱になり、生来のこだわりが禍(わざわい)して勉強にしがみついてしまいます。保護者も子どもの将来や就職についてうすうす心配なだけに、学歴さえ身につけたら何とか生きていけるのではと思いがちになり、どんどん学歴偏重という負のスパイラルに陥ってしまうのではないか、と心配しています。

 最初に述べたように、「苦を積む」ことを手放し、この在宅期間を親子で楽しく過ごすことは、人生の大きな宝になり得ると思っています。まだまだ間に合います!「あなたかいるだけで幸せ」というメッセージを込めながら、親子で楽しめることを探してみてください。

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<参考文献>
おおたとしまさ「ルポ教育虐待」ディスカバー携書 2019
小島慶子「解縛」新潮文庫 2014
小石川真実「私は親に殺された」朝日新書 2015

(執筆者プロフィール)

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松久眞実(まつひさ・まなみ)
桃山学院教育大学人間教育学部教授。日本授業UD学会湘南支部スーパーバイザー。
特別支援教育士スーパーバイザー・公認心理師・学校心理士・臨床発達心理士。
通常学級や特別支援学校での勤務を約20年経験。その傍ら、堺市の教育委員会や特別支援リーディングスタッフを務める。現在大学では「特別支援教育」「幼児理解」「発達障害者教育総論」等の講義の他、学生支援センターにおいて、学生支援センター長として発達障害学生の支援を行っている。

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――第1弾――

――第2弾――

――第3弾――

――第4弾――

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