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われわれの心と心が離れていくのはこれからだろう~自殺研究からの警鐘として~(末木 新:和光大学現代人間学部准教授)#こころのディスタンス

社会経済活動の段階的な再開が進むなか、私たちが直面しつつある新たな危機とは。自殺に関する研究を続けられ、自殺予防活動にも従事されている末木新先生が、今後予期される事態への注意を呼びかけます。

日常を揺るがす社会的危機

 これほどの社会的インパクトを持つ危機が起こったのはいつ以来かと考えると、個人的には東日本大震災が思い出されます。

 2011年3月11日、東日本大震災の発生時、私は東京で大学院生として、忙しい(忙しくない?)院生生活を送っていました。東京では他の地域と比較して人的被害はそれほど大きくはありませんでしたが、計画停電で銀座の夜が真っ暗になり、放射能汚染の恐怖もあり、それはそれは凄い衝撃でした。

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 震災から2週間ほど経った春休み後半、大阪で行われたとある研究会に参加したとき、関西在住の先生方が普段とかわりない日常生活を送られている様子を見て、東と西とでこれほどまでに違うのかと絶望的な気分になり、打ち上げにも参加せずにさっさと帰ったことを覚えています。

 もちろん、阪神淡路大震災のときにはまったく逆のことが起こっていたでしょうから(当時、私はまだ小学生でしたが)、局地的な災害とはそのようなものなのだと思います。

 新型コロナウイルス感染症の広がりとその対策による生活の変化は、ある意味でこうした地域的な分断を生まず、日本全体に(というよりも世界全体に)等しく多大なる影響を与えています。

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自殺者数はなぜ減ったのか?

 2020年4月の自殺者数は、前年同月比で約20%減と驚異的な減少を見せました。これは、巷では通勤や通学のストレスが減ったからだと言われています。おそらくそういう側面もあるのでしょう。しかし、こうした社会的な危機が発生した際に自殺者数が(人々の予想に反して)減るという現象そのものは、繰り返し確認されています。

 東日本大震災のとき、私は大学内にいました。地下鉄はすべて止まってしまい、帰宅困難になったので、時間つぶしもかねて、院生部屋で夜通し災害と自殺の関係についての論文を検索していました。調べてみると、少なくとも短期的には自殺は減ることがわかりました。自殺が増えるのは、どうやら危機が去ったあとのようです。実際、その後の福島でも、震災直後に自殺が増えることはなく、むしろ、そこから数年かけてじわりと増えていったのでした。

 自殺の対人関係理論という非常に有名な理論があります。これは、

①身に着いた自殺潜在能力
 ……自分の身体に致死的なダメージを与える力、自殺を実行する力
②所属感の減弱
 ……自分の居場所がないと感じること、孤独感
③負担感の知覚
 ……自分が迷惑をかけているという感覚、自責感

3つの要素が合わさったときに自殺のリスクが高まるという考え方です(『自殺の対人関係理論――予防・治療の実践マニュアル』 Thomas E. Joiner Jr.ほか[著]/北村俊則[監訳] 日本評論社)。

 この理論から現実を眺めてみると、なぜ4月の自殺者数が(多くの人の予想に反して)減ったのかということは比較的簡単に理解できます。

 今回のコロナ禍のような社会的な危機が発生すると、人々は反射的に集い、その危機について話をします。生物の危機対処として、こうした行動が生まれることそのものについては当然のことと思います。一人では対処できないことも、多数であれば対処できる場合もあります。また、コロナウイルスのような共通の敵が現れれば、普段は敵対していたとしても、団結することもできるでしょう(ハイダーの「バランス理論」が知られています)。

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 こうなると、その危機に見舞われた集団の団結力は高まり、個人の抱える孤独感は減少します。それゆえに、危機の最中や直後は(短期的には)、自殺は減少するわけです。

 繰り返しますが、これは普遍的な現象で、自然災害のような危機でも、戦争(人為的な危機)でも、オリンピックやサッカーワールドカップ(疑似戦争)のようなナショナリズムが燃え上がるイベントでも見られる現象です。

自殺は危機が去った後に増加する

 しかし、一度危機のピークが過ぎ去り、日常生活が戻り始めれば、人々のつながりはほどけていきます。危機がなければ、協力する必要もないわけですから、当たり前です。すると、人々のつながりは薄くなり、危機によって実際に失ったもの(例:コロナ禍によって職を失う)への実感だけが残るわけです。

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 そうなれば、当然のことながら、自殺のリスクは高まります。例えば、職を失えば、対人関係も収入源も失い、自尊心も失われ、それは「負担感の知覚」を高めます。だからこそ、自殺対策は目先の変化に一喜一憂せずに、継続的に続けていかなければなりません

 ちなみに、これは私のオリジナルな考えでもなんでもなく、自殺に関する研究を積み重ねてきた先人が、何度も何度も何度も何度も繰り返し指摘していることです

 なぜ繰り返し繰り返し、同じことが指摘されているのでしょうか。


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 それは、こうした事実が繰り返し繰り返し繰り返し人々から忘れ去られていっているからです(あるいは、一顧だにされてこなかったからです)。

 目先の自殺が減れば、対策は行われなくなり、元に戻るということが繰り返されているからです。

 人間は目先の利益に弱いものです。目先の変化に敏感であることは人間の生存上大事なことではありますが、それにより、長期的な視野が失われることがしばしばあります。

 このような人間の性(さが)をどうすればいいのか、現状、私にはわかりません。ただ、自殺に関する研究に携わる研究者の責務として、指摘しておきたいと思います。

 問題は、この先ですよ、と。

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 対策の充実により、こうした状況を回避できることを願っています。

執筆者プロフィール

末木 新(すえき はじめ) 
和光大学 現代人間学部 准教授。
専門は、臨床心理学。自殺・自殺予防活動に関する研究、およびインターネット関連技術を活用した危機介入や、自殺予防のための教育・啓発活動に従事している。




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