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臨床現場におけるパワーをめぐる倫理(白峰クリニック:河西有奈) #心理学と倫理

臨床現場では、治療者・支援者と患者間のパワー(力、権威)関係が問題となることがあります。パワーでゆがんだ関係ではなく、より対等で互いを尊重した関係であるためにはどうすればよいのでしょうか?
アルコール依存症支援の経験に基づき、臨床現場におけるパワーとその倫理について河西有奈氏に解説いただきました。


神様、私にお与えください
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは、変えていく勇気を
そして、二つのものを見わける賢さを

AA(Alcoholics Anonymous)ミーティングハンドブック [1] 「平安の祈り」より

 これはアルコール依存症の自助グループであるAAのハンドブックに書いてある「平安の祈り」という小さな一節である。筆者が所属する白峰クリニックは、アルコール依存症の専門外来があり、アルコール依存症治療プログラムにおいて、AAともつながりをもって依存症者の回復支援にあたっている。勤め始めてまもない頃に、この「平安の祈り」を耳にして、非常に感銘を受けたことを今でも思い出す。それは、駆け出しの医療スタッフが、依存症患者の飲酒をなんとか止めたいと思って、必死で酒の害を伝えたり説得したりするものの、全くよくならないことに直面したときに感じた無力感の記憶である。先輩から「断酒の方向にまだ舵が切れてない患者さんに対してやめさせよう、行動を変えさせようとコントロールしても回復しないよ」と言われて、「そうか、変えられないものを変えようとしていたんだな」とふっと力がぬけて、その後依存症患者に会うことが楽になった。依存症の治療において、「このままだと死にますよ。飲んでいるんだったらうちでは診ませんよ」という言葉を耳にすることは少なくないが(もちろん治療的な必要性を含んだ言葉でもあるが)、まさにそのように脅してみたところで止まらないのが依存症である。しかし若かりし筆者は、この言葉を聞いたときに、まさに変えられないものを変えようとする医療のパワー(力、権威)の存在を感じ、パワーでは依存症はよくならないことを体感した。

 本稿では、依存症専門クリニックで支援に携わる立場から、臨床現場におけるパワーの問題とその倫理について論じていきたい。治療者が患者と倫理的とは言えないような権威的関係性になったり、自身のできること/できないことを見極められない支援をしてしまったりすることを防ぐためにはどうしたらよいのか、若干の考察を加えながら私見を述べたいと思う。

1.依存症臨床とは

 依存症とは、アルコール、薬物、ギャンブルなどの依存対象に対するコントロールを失い、やめたくてもやめられなくなっている状態をいう。アルコール依存症は大量に飲酒することで発症する疾患である。なぜその人が依存症になるほどの多量飲酒をしたのか? その背景にも目を向けていくと、家族関係や職場におけるストレスや心理的痛み、生育歴にもとづく生きづらさなどが関係していることも少なくない。カンツィアンとアルバニーズは、依存症を、心理的苦痛に対する自己治療であるとする「自己治療仮説」[2]を提唱している。

 回復を支援するためには、単に飲酒を止めることだけにアプローチするのではなく、依存対象を必要としなくても生きられるように、本人の生き方の変革にも支援を行っていく必要がある。そのプロセスにおいては、依存症になった自分自身を率直に振り返り、正直な気持ちを言葉にしながら回復に向かう気づきを得ていくことが大切であり、そこには回復をともにする仲間の存在が大きな力になる。依存症治療において、集団精神療法やアルコールデイケアなど、同じ飲酒問題をもつメンバーで構成される治療グループの利用が重要といわれる所以である。回復を目指す他メンバーの体験や取り組みを聴くことは、孤立感をゆるめ多くの治療的な気づきをもたらすものである。医療者の言葉は耳に入らなくても、当事者の言葉は心に届くようで、まさに「変えられるものを変えてゆく」、例えば「断酒に舵を切る」という一歩が踏み出せたりするのである。筆者は心理職として個人カウンセリングとグループ治療を併用する臨床の場に20年以上携わっているが、「医療者にできることは一面であり、依存症の回復には同じ回復を目指す仲間の力が大きく、時にその力にはかなわないこと」を日々痛感している。

2.依存症臨床における治療者・支援者側のパワー

 依存症は、医療者がやめさせよう、治そうと必死になってもなかなか依存行動が止まることはなく、治療者の無力感や陰性感情を悪化させてゆく。進行性の病であるため日々悪化していく状態を前に、症状をコントロールしなくては、と医療者も追い詰められる。入院してやっと断酒できたところに、退院当日再飲酒でケガをして救急搬送、などということは決してめずらしくない。そうなってくると、「やめないなら、もう診ない」「また飲んでしまって、あなたはダメだね」という言葉でつい圧力をかけてしまう。その根底には、「医療は患者をよくすることができる、止めるという状態にコントロールできる」という高慢さがある場合もなくはない。この「医療者が患者をコントロールする」というのはパワー関係である。パワー関係があると、患者は飲酒量、やめることへの抵抗感、スリップ(再飲酒)など、治療的に正直に話すことが重要といわれていることを、治療者に本音で言えなくなる。また、医療に来なくなる、助けを求めなくなる、という治療中断にもつながり得る。

 パワー関係に関わることをもう一つあげるとしたら、それはスティグマの問題であると思う。人間集団における権力や支配構造から生み出されたスティグマは、治療者・支援者にも「依存症になった人間はダメな人間である」というような差別や偏見が植え付けられていることがある。国立精神・神経医療研究センター(2023)[3]では、そもそもスティグマを「精神疾患など個人のもつ特徴に対して、周囲から否定的な意味づけをされ、不当な扱いをされること」と定義しており、社会構造レベルと個人レベルに分けている。さらに個人レベルを市民スティグマとセルフ・スティグマ(ex. 依存症の自分は恥である)に分けて説明している。依存症は、市民スティグマという社会的圧力と、その環境から生み出されるセルフ・スティグマ、これらからもたらされる生きづらさがその発症に関わっているといわれる。治療関係にこのようなスティグマの問題が無自覚に入り込んでいると、それは支援どころか回復の妨げとなり得る。

3.治療者が自身のパワー関係に気づくためには?

 以下に、筆者が考える臨床の妨げになるパワー関係に気づくチェックポイントを挙げてみたい

①患者をコントロールしようとしていないか、変えようとしていないかチェックする。

 一人の人間の人生や考え方が簡単に変えられると思っているとしたら、それは驕りというものである。多くの依存症は、医療だけでは治せない。回復の道へ向かう側面のサポートでしかない、そんなに人の生き方や考え方というものは簡単に変わるものではない、といった前提で、時々自分を謙虚な目で見てみることは重要なことだと考える。

②本人・当事者から学ぶ姿勢をもつ。

 学会や研修会、専門書などから学ぶことはもちろん大切である。しかし、筆者自身は、患者本人および当事者が語る話を長年聴いてきたことで最も臨床的な学びを得た。個別カウンセリングもそうだが、一度に多くの当事者の話を聴くことができるグループは、何よりも自分に臨床力をつけさせてくれた存在である。したがって、冒頭に述べた平安の祈りより「二つのものを見わける賢さ」は、当事者の話をたくさん聞くことでつけてきた臨床の力であると信じている。支援し支援される関係は、双方向の学びがある。

③自分の中にスティグマはないか、自分自身に問いかけてみる。

 スティグマは治療者-患者関係において、上下関係を生んだり、「こちらが正しい」と無意識にまちがった思い込みをもたらしたりする。そして継続する関係性の中で互いに尊重し合うという基本がゆらいでしまうこともある。

 スティグマはあってはいけないのではなく(否定すると抑圧/否認するだけになる)、自覚すること、それが目の前の臨床に影響していないか気を付けることが肝要だと思う。それらがきちんと見えていると、無意識に治療関係に害が及ぼされることが少し防げる。どんな人がいてもよい、どんな感じ方があってもよい、と本当に思えているか? 依存症にかかるにいたった経過に耳を傾け、依存対象を手放していく新たな生き方を真に応援したいと思っているか? こちらの見方と異なる見解に「なるほど、そのように感じているんですね」と本当に敬意をもって自分とちがう意見を聴けるかどうか? 賛同する必要はなくとも「なるほど」と受け止められているかどうか? そのような問いかけを繰り返していると、いつのまにかスティグマは薄くなり、いつしか消えていく。

④自分が上下関係にすがってないか、自身を振り返る。

 何かを教えること、与えること、そして感謝されることがないと不安になる支援者がいる。「先生」と呼ばれないと落ち着かない治療者がいる。「先生」と呼ばれることは、関係性に明らかに上下関係があることである。そう呼ぶことで自らを下の位置にもっていき見捨てられないようにしている患者もいる。依存症者の中には、過剰適応という状態を長く続ける中で依存症になってしまう人がいる。そういう人は医療スタッフにも気を遣う。そのような患者にはやさしくなるが、対等に意見を言われたり、治療的提案に異論を出されたりすると、さらに上から押さえつけようと権威をかざしパワーゲームになってしまう医療者はいないとはいえない[4]

おわりに

 患者と治療者は役割が異なる。かたやお金を払って治療を求め、かたやお金をもらって治療サービスを提供する。しかし、役割はちがっても人間関係としては対等なはずである。述べてきたように、対等な尊重し合う人間関係の中で、自身の限界を知り、患者から教えてもらう回復の道筋に沿っていくこと、その関係性はフラットなはずである。余談であるが、当院の個別作業療法部門の名称はflatという。勤務先である白峰クリニックの山﨑聞平院長が作業療法に関心が高く、自ら名づけ立ち上げた部門である。この名称「flat:平ら」には、「患者さんと対等な立場でつながり、生きることをサポートする」という当院の診療指針がこめられている。

 パワーで歪んだ関係性ではなく、フラットでお互い尊重し合える信頼関係の中でのみ、支援を求める人の正直な気持ちや本音にふれることができ、そして真の回復支援が実現し得ると筆者は信じている。

【引用文献】

  1. AA(Alcoholics Anonymous)ミーティングハンドブック、NPO法人 AA日本ゼネラルサービス、2015

  2. Khantzian, E. J., & Albanese, M. J. (2008). Understanding addiction as self-medication: Finding hope behind the pain. Rowman & Littlefield Publishers.(松本俊彦訳『人はなぜ依存症になるのか―自己治療としてのアディクション』星和書店、2013)

  3. リカバリー、スティグマ、メンタルヘルスリテラシー | 国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 地域精神保健・法制度研究部 (ncnp.go.jp)より。https://www.ncnp.go.jp/nimh/chiiki/about/stigma.html

  4. 河西有奈「アディクション臨床における社会的な力の影響」、心理臨床と政治、こころの科学、日本評論社、2024

執筆者プロフィール

河西有奈(かさい・ありな)
公認心理師・臨床心理士
【所属】白峰クリニック
【職位】副院長
【略歴】1990年より埼玉県児童相談所に5年間勤務。その後、米国で1998年サンフランシスコ州立大学カウンセリング修士課程を卒業。同年、白峰クリニックに入職し、現在に至る。アルコール依存症を中心とするアディクション問題、トラウマの問題などの心理カウンセリングやグループを行っている。

著書

  • 『実践アディクションアプローチ』(信田さよ子編著 2019 金剛出版 分担執筆)

  • 『多職種でひらく次世代のこころのケア』(日本精神神経学会 多職種協働委員会編 心理職の心理検査における役割 2020 新興医学出版社 分担執筆)

  • 『心理学からみたアディクション』(津川律子・信田さよ子編著 2021 朝倉書店 分担執筆)

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