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コロナ禍で大混乱の家族とモヤモヤ解析 ―祖父母の「底力」と「孫育て」が日本を救う?!―(宮本まき子:家族問題評論家・エッセイスト)#もやもやする気持ちへの処方箋

少子化が進むにつれ、親子関係とともに祖父母との関係も密接になってきました。そんなときに訪れた現在の感染症の状況。いま、祖父母世代が孫にできることは何でしょうか。また、年長者として伝えておかなければならないと思うことは何でしょうか。家族問題評論家の宮本先生にお書きいただきました。

「たかがマスク、されどマスク」

 2019年11月、ニューヨークはどこに行っても咳き込む人に出会う。滞在先の老婦人から「経験したことのない重症の風邪が流行中」と聞かされ、「日本人の奇習」の白マスク着用で動き回った。帰国便の機内でも「咳密」でマスク女を貫く。「私と話したくないというアピールか?」と隣席のインド人に皮肉られたが、直後に世界的マナーになるとはお釈迦様でもご存じなかったようである。

 2020年1月、ある日突然、店先からマスクが消えた。「早く買え」情報がSNSやLINEで飛びかったという。手持ちがきれれば出勤や登校にさしつかえる。わずかな配給(?)をめざして酷寒の朝に行列する祖父母たちは「買い占め犯」と中傷されたが、子や孫の命がかかっているのだと必死だった。

 そんなマスク騒動もいまどきの医療崩壊に比べれば毒気のない、ミニサイズの悩みだったとつくづく振り返る。

「ステイ・ホーム」がもたらしたもの

 欧米のパンデミックの悲惨さが報道されても彼岸の火事。清潔好きの日本は大丈夫、マスクして「自粛、自制、ガマン」を守れば半年ほどで終息し、元の生活に戻れると誰もが根拠なく信じていたフシがある。

 2020年4月に緊急事態宣言が出ても、公的施設、大規模施設などが次々休業や閉鎖されても、「一時的だから」「これで下火になるなら」との共通認識があった。

 むしろ「お家ステイ」は新鮮な体験としてメディアでもてはやされた。「テレワークで通勤ラッシュから解放」「時短就業で家族団らん時間が増加」「効率的なオンライン授業で子どもの学力アップ」など、子育て世代には新しいライフスタイルとして受け入れられていく。急速なデジタル化が若い世代にはウケたのである。

宮本先生 挿入写真 ステイホーム

祖父母世代の危惧と違和感

 急激な生活スタイルの変化に違和感を持ったのは祖父母世代だったと思う。感染防止の大義名分で、自分たちが子育てに必須と信じてきた「スキンシップによる愛情交流や肉声や優しい眼差しによるコミュニケーション」を禁止されたからである。

 親以外のおとなとふれあえない孫、仲間たちと群れて遊べない孫、腕や肩を組んで友情を育めない孫・・・。アナログ抜きのデジタル一辺倒で心の発達は大丈夫かとヤキモキした。

 官邸の思いつきで突然の全国一斉臨時休校、休園が始まり、教育現場や家庭は上に下に大混乱となった。育児世代の母親の就業率は75%を越えていて、全員が休暇をとれるわけはない。

 近居・遠居を問わずジジ・ババが子守りに駆けつけるか、孫がジジ・ババ宅に疎開するかの大移動がおきたのだから、よく考えれば本末転倒である。

 休園、休校は最長3ヶ月にわたり、子育てサポート無しのシングル親や共働きママは失職し、子どもたちはもろに貧困の影響にさらされることになる。

 現に小児学会は5月に「学校閉鎖は流行阻止効果が乏しく、教育の機会を奪い、虐待リスクを増すなど、子どもの心身を脅かしている」と警告を出した。

団塊の世代がチグハグな対応に憤慨する

 祖父母たちが育児支援を終えたころ、今度は旅行や盆帰省にストップがかかった。県境を越えた移動はダメ、友だちや親類縁者と集まるのも飲食もダメ。高齢者は重症化しやすいから、会うことも話すこともダメ。交流はスマホかPCの画面越しにやれという。

 学校閉鎖で孫の世話をさせておいて、一転して「孫と物理的距離をとれ」とはなんとご都合主義なことか。タブレットとカップヌードルだけで子どもが育つなら苦労はしないわ。活動的なジジ・ババが多数派を占める団塊の世代が憤慨したのは当然である。

 そもそもリタイア世代には仕事や子育てなどの責任から離れて、悠々自適に旅行や健康作り、趣味や仲間づきあいを楽しむ余生が保障されているはずではないか。それが旅行や会合は自粛だし、安価で楽しめる市民活動や文化講座は、施設の閉鎖等で消滅。

 このままではテレビやパソコンの前で地蔵化して、孤独とフレイル(加齢による衰え)と認知症発症におびえるネクラな日々になってしまうと自力で現状打破を模索した。

宮本先生 挿入写真 パソコン

余生を「時間泥棒」される祖父母世代

 私はこれまで、祖父母たちは余生の一部を「孫育て」に当てて、積極的に孫たちの世代にかかわり、希薄になりつつあるアナログな人間関係を再構築し、無駄と切り捨てられそうな庶民文化の伝承をし、前向きでメゲない生活力とサバイバルの手段を教えようと呼びかけてきた。

 人はどの年齢段階でも他者と交流し、五感をフルに使って心を温まる経験を重ねれば自己肯定感が高まり、生きる力に直結するのである。孫にかかわる大人の数が減っている現代では祖父母も頭数に加わるしかない。ほめて、抱きしめて、心を温めて、それを上書きして・・・一生つかえるメモリーを残すようなものである。

 成長した孫が何かの拍子に祖父母のぬくもりや言葉を思い出して、何らかの役に立ててくれれば嬉しい。私たちは孫の未来は見られないが、彼らの幸福を夢見ることはできる。

 そんな「孫育て」の機会を遮断されたまま、残りの余生を「時間泥棒」されているようで、モヤモヤしてしまうのだろう。

 子どもたちも当たり前と思っていた先生や友だちとの交流の仕方の転換を迫られて動揺しているはずだ。発達段階で友情を育む機会喪失がどんなダメージになるかは、まだ誰にもわからない。

 祖父母にできることは、シンプルにいつでも彼らの苦痛を受け止めて「大丈夫」と慰めることにつきる。くれぐれも不安がらせないようにしたい。

歴史は繰り返す?戦時下とのオーバーラップ

 オリンピックの無観客席で東京都が小中学生ら81万人を授業のかわりに観戦させると聞いた高齢の友人たちがそろって「学徒動員かい?」と驚いた。団塊の世代以上なら、現状をセピア色の戦時用語で翻訳できてしまう。

 何かあると患者数がアップダウンする厚労省の報告は「大本営発表」、デパートの高級品売り場の閉鎖は「贅沢は敵だ」、スーパーでの買いだめは「非国民」で、飲酒の自粛は「欲しがりません、勝つまでは」と、若い世代には通じない昭和語がポンポン出てくるのはどうしてだろう?

 つまり「災害レベル」というより、戦争と同じ「有事」レベルではないかと戦後生まれは勘ぐっているのである。有事は庶民の中でも弱い者、高齢者や子どもを惨事に巻き込むのが定番の歴史であり、その歴史は為政者や後の権力者の都合で塗り替えられることが多いという原則も年の功で知っている。デジャブのように未経験なのに先が予測できそうで、そこでもモヤモヤしそうなのだ。

宮本先生 挿入写真 温泉もやもや

戦後世代は戦中派の本音を聞かされて育った

「気がついたら戦争が始まっていた。愛国心なんか無かったと思う。ただなんとなく流されていっただけ」

「日清、日露戦争のように、そのうち和平交渉か停戦交渉をして終戦、元の生活に戻れると、誰もが根拠もなく期待していた」

「戦争の余波で稼ぎ手を失い、子どもを抱えて食べるのに精一杯だった」

「配給は遅配と欠品だらけで、お役所仕事だからいいかげんだった」

「犠牲とガマンの同調圧力が日増しに強まって、嫌気がさしていた」etc.

 団塊の世代は子守唄がわりに戦中派の親や祖父母の本音を聞いて育った。

 年が経ても「上層部の独断、根性論の鼓舞、大本営発表、(ワクチンみたいな必需品の)遅配」と現在の世相に似通っているのが不思議と言えば不思議である。

長引くコロナ戦はミニ家庭崩壊を招いている

 評価の高かったテレワークにも長期戦でほころびがでてきた。全国平均では10%、東京ではいっとき60%が、今では30%に定着。「仕事仲間とコミュニケーションがとりづらい。ちょっとした質問や確認もできず、達成感が乏しく、孤独を感じてストレス」だったり、減収になったりで、イライラやモヤモヤを家族にぶつけるパワハラやモラハラが増えているという統計も出た。

 祖父母たちなら経験があってわかることだが、結婚生活は常にダブルスタンダードである。仲良し家族がすべて愛に満ちた生活ではないし、夫婦仲をトラブルなしに長い間持続するのは至難の業である。

 いま、親たちに異変がおきている。子どもの前では安心するような対応をするのが暗黙の了解なのに、生活スタイルの急変でスイッチの切り替えができず、他者を頼れないまま子どもに気づかう余裕を無くしているのだ。

 長時間近くにいすぎて親の醜態を見てしまった子、学校閉鎖や自粛で孤立して心に空洞ができたとアンケートに答えた子は半数以上にのぼる。家庭でも学校でもいい、子どもにはやすらげる居場所が必要なのである。

宮本先生 挿入写真 ベット

ジジ・ババの出番ですよ、束にして面倒みちゃおう

 私の「孫育て」論は、団塊の世代の子育ての手抜きを反省するものの、「自己チューでてごわい団塊ジュニア」の再教育は諦めてパス。むしろ孫たちの真っ新な脳と心に伝えそびれたものを残そうというシンプルな発想である。物理的な距離が離れさせられても、存在感は示せるだろう。

 何よりも祖父母たちは戦後の混乱や価値観の転換も、貧しさも、大災害の共助・自助も経験ずみである。つらい状況への共感力は若い世代よりはあると思う。

 いま、孫たちはすましているけど、心は崖っぷちで、経験したことの無い「孤独感」をどう処理していいかわからないでいる。

 Zoomでもビデオ通話でもいいので、声と表情で定期的に交流しよう。勉強をみたり、料理や工作を作り合いながら、心のわだかまりを吐き出させてあげよう。

 ついでにジュニア世代もZoom 飲み会・女子会でもして、好きにしゃべらせてやろう。説教も解決策も出さずに、ひたすら聞き役に徹するのが「大人の流儀」である。

 有事には正論も正攻法も通用しない。孫だけでなく、親もいっしょに束にして面倒みちゃおうという祖父母の底力が日本を救う。もうひと働きせよとの天の啓示かもしれませんね。

執筆者プロフィール

宮本先生ご本人お写真編集版

宮本まき子(みやもと・まきこ)
家族問題評論家・エッセイスト。
22年間の電話相談室勤務後、フリーライター、コメンテーター、講演講師として新聞、雑誌、テレビ、講演等で活躍。『輝ける熟年』(東京新聞)、『孫ができたらまず読む本』(NHK出版)、『団塊世代の孫育てのススメ』(中央法規出版)など著書多数。

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