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連載「わだかまり」と「とらわれ」――過去を振り払う(精神科医:春日武彦) 第7回:願いと幸福

ホラーな言葉

 恐怖に関する本を書いたせいなのか、最近ではホラーに関連したインタビューを受けたり対談する機会がしばしばあります。そうした際には、今まで経験した一番の恐怖体験であるとか、もっとも恐いと思った小説を挙げよといった質問を受けることが珍しくありません。

 その手の質問に答えるのは案外と難しいもので、即答には骨が折れます。迷ったり、思考がフリーズしてしまうのですね。もっとも、慣れてくれば予めウケそうな答を用意しておきそこから話を広げられるので、あまり生真面目に考えないほうが上手くいくことを学びました。そんな発言をするとアンフェアなことをするなあと気を悪くする人もいるかもしれませんが、会話の上手い人を観察していますと、ネタとして即答できるような話題をある程度揃えているように見えます。そうしたものがあると喋りに勢いがつくので、記憶を浚ったり何かを思いつくのもスムーズにいくようです。

 さて以上に関連して、わたしにとって怖さナンバーワンの言葉(フレーズ)は何かと考えてみました。「お前は無能だ」「あなたなんか大嫌い」「殺してやる」「人間として恥ずかしくないのか」等の言葉を浴びせられたらショックなのは当然でしょう。そんな当たり前過ぎる言葉は除いたうえでのホラーな言葉は何か。

 これは案外簡単に思いつきました。いったい誰から何時聞いたのか、それがどうしても思い出せないけれど、とにかくここに書いてみましょう。

強く願えばその望みはきっと叶う。だが叶う時期は、必ずしも思い通りにはならない

と、いうものです。

タイミングが、ずれる

 フレーズの前半は、ちょっと安心感を与えてきます。強く願えばその望みはきっと叶う――何だか勇気が湧いてきそうです。一途な心を後押ししてくれるようなトーンがある。ところがフレーズの後半は、なかなかシビアです。叶う時期は、必ずしも思い通りにはならない――これは相当にキツい。少なくとも、武蔵野市から高齢者健康診断のお知らせが郵便で届くような年齢になってみると、リアルに響いてきます。

 人生を振り返ってみますと、自分が真剣に目指したものは(多少の妥協を前提とすれば)意外に実現したり到達している。もちろん努力はしてきたにせよ、予想外に善戦している。ならばそこで自己肯定につながるのか。自分へのご褒美に高級焼き肉店へでも行こうなんて思うのか。否です。成り行きで何となく形になっただけであるとか、上手く行ったことを意識していなかったとか、その価値に気付いていなかったのでそれを生かし切れなかったとか、そんなことばかりだ。「やったぜ!」というカタルシスなんか全然味わった覚えがない。しかも記憶にあるのは苦い経験や失意、無力感といったものばかり。

 タイミングによっては達成感や勝利感に酔えたかもしれないのに(それどころか過去への「わだかまり」や「とらわれ」さえもが色褪せてしまったかもしれないのに)、叶う時期が思い通りにならないと、ちっとも人生は楽しくならない。有難味なんか生じない。少なくとも今こうして生きているだけでも大勝利と言えるのかもしれないけれど、そんなふうに考えられる人は少ないでしょう。おそらく人生の満足度は、成果とか達成度とは違ったところにありそうです。

うつ病の人との会話

 うつ病の人と面接をしていますと、とにかく自己肯定感がない。いかに自分が駄目な人間であるのか、取るに足らない人物であるのか、どんな失敗や愚行を重ねてきたのか――そんなことばかりを訥々と語るのですね。わたしや家族や友人が、いやそんなふうに自己否定する必要はない、あなたは一所懸命に生きてきたしむしろ自分を誇るべきだと説得しても、暗い表情のまま首を横に振るばかりです。

 たとえ当人が成し遂げた成果や、賞賛するに足るエピソードをこちらがあらためて提示してみせても、それによって自己を承認することなんてない。ますます表情は暗くなっていく。そして自分の駄目さ加減を裏書きするようなエピソードばかりが心に甦ってくる。こうした状況がエスカレートすると、自分には生きている価値なんか全然ない、それどころか皆に迷惑を掛けるばかりだといった思いに囚われ、自殺の誘惑に引きずり込まれてしまう場合さえある。

 このうつ病患者さんだって、自分なりに幸福を願って頑張ってきたわけです。そして挫折や行き詰まり、停滞といったこともあるいっぽう、ささやかな達成や成功だってある。しかしそのような達成や成功が上手く自己肯定のタイミングと一致しなかったがために、自分を卑下してしまっている。

 わたしの考えとしては、心の準備状態として自己肯定したくなる時期と、むしろ自己否定したくなる時期の二種類があり、そもそも人間は自己否定モードの時期のほうが長く優勢な傾向があるような気がする(言い換えれば、多くの人間は「うつ」に親和性が高いということです)。だからなかなか人は自分を褒めてあげることができないし、さきほど述べた〈強く願えばその望みはきっと叶う。だが叶う時期は、必ずしも思い通りにはならない〉という言葉にもつながってくるように思われる。自分を祝福して自信を獲得するチャンスを逃しがちなわけです。難儀な話ですね。

 ならば普段から心を自己肯定モードに調整しておければ、人生はもっと明るくなる筈です。理屈ではそうなる。ささやかなことにも「あえて」喜びを見出すような生活態度が幸福への近道であるといった意味の言説はしばしば耳にしますが、まさにその通りだ。群ようこさんの本で『小福ときどき災難』というタイトルがありますけれど、やはりこういったノリは自己肯定モードと深く連動しているような気がします。

【著者プロフィール】

春日武彦(かすがたけひこ)
精神科医。都立松沢病院精神科部長などを経て、現在も臨床に携わる。保健師やケアマネ等を対象にしたスーパーバイズや研修などの活動も多い。著書多数。

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