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いつの間にか少しずつ(久美沙織:小説家) #こころのディスタンス

「あの人の側にいたいな」「会いたいな」と、心が近づいていくとき。「この人とは到底仲良くなれないだろう」と感じていた人との関係が変わっていくとき。私たちの心には、何が起きているのでしょうか。心の距離の変化について、小説家の久美沙織さんにご執筆いただきました。

 拙宅に、クッキーという犬がいる。
 通称くー。
 または、くっくちゃん。
 日本犬系雑種、毛の色はうすいベージュ。
 めす犬だ。英語で言えばビッチ。

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 十年ちょっと前。
 くーは、とある山で捕獲された。
 まだ一歳になるかならないかの若さで、数匹の仔犬を連れており、おっぱいをやっていた。
 仔犬たちにはあっという間にもらい手がみつかったが、母犬の将来はあやしかった。
 犬はひとより早く生きるとはいえ、ほんの一歳。人間に換算したら十歳にもならない。その年頃で、妊娠し出産し子育てしていたのだから、かなりハードでスキャンダラスな人生だ。英語の慣用句「さのばびっち」のビッチを、まさに地でいく生きかた。昭和の不良少女ドラマの主人公みたいだ。

 山奥には、とある農業系の施設があり、どうやらそこで、残飯をあさったり食物を盗んだりしてサバイバルしていたらしい。施設のひとにさんざん怒鳴られ、追い払われながら。
 人間の男性を怖がる。とくに背が高くて、たくましい体型のひとを。傘やバケツにものすごくびびる。たぶん、そういうものか似たなにかに、すごく怖い思いをしたのだ。

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 このコはひとになつくだろうか。
 ふつうの暮らしになじむだろうか。
 たいそうあやぶまれたのである。
     
 ボランティアで彼女を診察した獣医さんは、たまたま、女性で、しかも妊娠中だった。
 犬は、安産の象徴だ。
 ――これはきっと、なにかの縁…。
「どうか、一ヶ月だけ、もらい手をさがしてみてください。それで、ダメなときには」

 彼女の情報がネットに流れた。
 ウチの夫がまんまとひっかかった。
 彼は、訳ありで壊れ系の女に弱いのだった。
 取扱注意でヤンデルほど、そそられるのだった。
 配偶者を見れば納得でしょう。

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 さっそく問い合わせてみた。ありがたがられたが、心配もされた。
 
 すごくびびりで、気難しい犬なんです。
 男性に、強い敵愾心を持っているようです。
 特に、大きくてマッチョな感じのひとが苦手みたいです。

 あー、だったらきっと、だいじょうぶです、と夫は言った。
 ぼくは痩せてて小柄だし、ひげは生えてるけど中性的なほうです。
 ウチはぼく以外、妻とむすめと、女性ばかりだし。
 とってもおっとりした先住わんこもいます。
 きっと、うまくいきますよ。 

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 とある場所でお見合いをした。
 夫は、芝草の上でひらべったくうつ伏せになり、さりげなく右手をのばしておいた。
 その手に、わんこ用ジャーキーをにぎりしめて。

 白っぽい犬がおそるおそるにおいをかぎに来るまで、ずっとじいーっとしていて、せいいっぱい無害なふりをしていたのである。
 白っぽいわんこは、全身全霊で途方にくれた。

 あやしい。
 なんだかものすごくあやしいけはいがする。

 けれど、人間の群れの中に、やさしそうな、実にひとの(?)よさそうなおばさん犬がいて、はふはふ笑っている。白っぽいわんこと目があうと、おばさん犬は、思い切りシッポをふった。そのあまり、お尻までくりくりとふってしまった。
 おばさん犬の綱のあっちがわには人間の雌とヒナもいて、ついてないシッポをぶんぶんふっているような顔をしていた。

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 そんなこんなで白っぽい犬はクッキーになり、くーになり、ウチのコになった。

 最初のころはまぁそりゃあかなりたいへんだった。
「このコは噛む」夫は断言した。「気に入らないことがあったら、いきなり噛むから気をつけよう」
 たしかに、すぐ怒ったし、びくびくしていたし、しょっちゅうイライラしていた。

 寝る時には、誰からも離れた隅っこで、きゅーーーーっと、ちっちゃくなって寝た。自分を隠しておきたいみたいだった。誰にも見つかりたくないみたいだった。

 何年もかけて、だんだん、少しずつ、「どうやらここは油断していても平気なところだ」と、わかっていった。
 すると、きゅーっとかたくきつく丸くなっていたのが、だんだんとちょっとずつ、ゆるんでいった。
 いまでは、好きなだけ、からだを伸ばして寝る。
 盛大にいびきもかく。
 ネコや、むすめや、わたしと、からだのどこかをくっつけて寝るのが好きだ。

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(※久美沙織先生ご提供の画像)

 ベッドの夫のまくらのほうでお昼寝をするところをみると、夫のにおいがする場所は、いやではないらしい。
 なのに、いざ夫が寝にくると、さっと動いて、距離をとる。
 冬場は、くーがいたあとがホカホカあたたかいので、秀吉のぞうりをあたためた逸話から「木下くーきちろう」と呼ばれたりする。

「なんで逃げるんだよう、いいじゃないか」
 夫がなでようとすると、「えー、やるんですか、どうしてもですかー、めいわくだなぁ」首をすくめぎみで、イヤイヤしかたなく、なでられる。
 わたしなら、なでようとすると、すぐに耳をさっと両側に横にたおして「うんとよくなでられるように」おでこを広くするのに。
 それなのに、ああ、それなのに。

 いざ、夫が眠ってしまうと、くーは、夫に近づくのだ。いつのまにか彼のそばににじりよって、そこでぐうぐうすうすう安眠する。ときには、見ている夢のせいだろうか、あがいて、動いて、彼をちょっと蹴ったりもするのだ。

 誰にもぜったい近づかれたくなかった犬は、誰かとくっついているのがけっこう好きな犬になった。

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 お散歩に連れていって欲しくなると、あたりをやたらうろうろして無言でアピールする。態度で足りない時は、鼻笛をぴーぴー鳴らす。
 そう。
「ほっとけっつーの、あんたらには関係ねえから」と、すごんでみせて唾を吐いてガンとばしていたくーが、いまは、自分から、「ねーねー、お散歩、お散歩にいきたいよ、つれてってよお!」と、ちゃんというようになったのだ。

 でも、年に一度の予防注射はやっぱりむり。お尻に体温計とかありえない。動物病院の診察台にあげられたとたん、その昔、レディースの総長だったときのあのコが蘇って、死力を尽くして暴れるから、口輪がいる。夫がいうには、そういうときにはやっぱりどうしても抑制がきかなくなるのだそうだ。
 そういう彼女を私が見たことがないのは、私はそういう凶事には加担してはいけないからである。そう、例の「机をたたいて怒鳴る刑事さんと、カツ丼の刑事さん」理論である。イヤなことを担当するのは、あくまで夫なのだ。

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 けど、犬でしょう?
 あなたは言うかもしれない。
 犬なんて、しょせん、犬じゃないの。
 
 ロバート・フォワード博士というひとが書いた『竜の卵』(早川書房)というSF小説がある。

 小さくて重たい星に生き物がいたらどうなる? というあたりを科学的につきつめて考えたもので、難しいところもあるのだが、賢くてけなげなアワビみたいな異星人チーラがすんごくかわいい。このチーラの星を地球人類が探査しに行くのだが……そりゃあもう、壮大で、感動的で、素晴らしい。なかでも、あるシーンの、ある、ひとことと言ったら。
 ううう。ネタバレになるからいえない。

 好きだ好きだと言っていたら、親切なひとに、博士が来日なさってファンミーティングがある、と教えていただいた。
 行ってみると、博士ファンのかたがたは、私以外全員男性で、めちゃくちゃ賢そうで、ものすごく理系っぽかった。重力とか、中性子星とか、何分で何回自転するんだとか、日本語で言われてもわからない話を英語でばりばり話してた。
 圧倒されてぼんやりしているのを哀れに思ってくれたのか、せっかくだから、くみさんも、博士になにか聞いてみたら? と言われた。

「せんせいは、ほんとうに、信じていらっしゃるのですか?」私は、おそるおそるたずねた。「チーラと地球人ぐらい、ぜんぜんまったく違う相手とも、わかりあえる、ともだちになることができるって?」

 博士は――コーネルサンダースおじさんみたいな感じのかただったのだが――その青だったか緑だったか灰色だったか、とにかく、日本人とはちがう瞳で、じいっと私をごらんになると、にっこり笑ってくれた。

「もちろん信じるよ。きっと、そうできると。われわれのどちらにも、知性があればね」

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(※久美沙織先生ご提供の画像) 

 犬は犬。
 人間とはだいぶちがう。
 でも、ビッチであること、ワイルドであること、なにかのときに突然抑制がきかなくなってしまうことは、どちらにも共通してあることだと思う。
 そういうことについて、わたしはくーに、たくさん教わったと思うのだ。

 ぜったい誰にもなつかない、何も信じようとしなかったコが、誰かといっしょにいるのもけっこういいもんだなと思うようになる、ことがありうる。
 それにはけっこう時間がかかるけれど。

 やさしいおばさん犬は昨年亡くなりました。
 とても長生きして、どこも悪くない犬が老衰するとこうなるんだの姿をみせてくれて、亡くなりました。

執筆者プロフィール

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久美沙織(くみ・さおり)小説家。1980年代に集英社コバルト文庫で発刊された『丘の家のミッキー』シリーズが大ヒット。少女小説家の第一人者として人気を集める。以後、『新人賞の獲り方教えます!』シリーズ(徳間書店)、『星降る草原 グインサーガ外伝』(早川書房)などのSF作品、『プリンセス・ストーリーズ 赤ずきんと狼王』(角川つばさ文庫)、「MOTHER」などのゲームのノベライズ、など、幅広いジャンルの創作を手掛け続けている。


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