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たゆたえども沈まず ~コロナ恐怖に打ち克つためのポジティブ心理学~(菅原大地:筑波大学人間系助教)#不安との向き合い方

いま注目を集めるポジティブ心理学。私たちの生活に潜む不安に対し、ポジティブ心理学はどのような知見を提供してくれるのでしょうか?今回は菅原大地先生に最新の研究成果を解説していただきながら、私たちはどう不安と付き合っていけばよいのかご説明いただきました。

たゆたえども沈まず

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 パリ市の紋章の帆船には、「たゆたえども沈まず(ラテン語で“fluctuat nec mergitu”)」という標語が書かれています。この言葉は、悪天候でセーヌ川が荒れて帆が裂けたとしても沈まずに進み続ける船の様子、船を沈ませてはいけないという強い意志を表しています。私がこの標語を知ったのは、フランス文学や歴史学を学んでいたからというわけではなく、大学生の頃に読んだとある漫画がきっかけですが、今では自分の人生を支えている言葉になっています。

 新型コロナウイルスの感染拡大という近年まれにみる世界的な苦難に直面するなかで、私たちは「新しい生活様式」を取り入れながら、「with コロナ」という荒波を進まなくてはいけません。そのような中で「沈まず」に生き抜くためのポジティブ心理学的知見についてお話します。

ポジティブ心理学とは

 当時、アメリカ心理学会の会長であったセリグマン先生が1998年に提唱した、新たな研究領域がポジティブ心理学(positive psychology)です。ポジティブ心理学は、人間がもつ強みや長所を明らかにして、その機能を促進させるための学問であり、実験室で行うような基礎研究から、社会の変容を目指す応用研究まで幅広く研究がなされています。

 セリグマン先生は、学習性無力感(learned helplessness)という現象を発見したことでも有名です[1]。学習性無力感は、自分ではコントロールができない事象を繰り返し体験することによって、「自分では、もうどうすることもできない」と考え、無力感が生起するという現象です。学習性無力感は、動物を使った実験でも、ヒトを対象とした実験でも確認されています[2, 3]。コロナウイルスの感染がなかなか収まらない日々が続くと、私たちは「コロナウイルスの感染はもう防げない」と考えて、ストレスを感じたり、うつっぽくなってしまいがちです。しかし、みなさんの身の回りを見渡してみると、みんなが一様にうつっぽくなっているわけではなく、比較的健康なまま生活をしている人、あるいはこのコロナ禍で普段よりも適応的な人を目にすることもあるでしょう。

 コロナ禍でも適応的に生活している人の特徴が明らかになれば、このコロナ禍で滅入っている人の支援につなげることができます。そこで、私はコロナ禍を生き抜くための心の強さを研究すべく、RE-COVER(REsilience to COVid-19 in Each Region)というプロジェクトを立ち上げました。

recoverのロゴ

(ロゴをクリックでプロジェクトHPにリンクします)

RE-COVER Projectとは

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 RE-COVER Projectは、筑波大学の「知」活用プログラムという研究支援を受けて開始した、コロナ疲れと心理的レジリエンスに関する国際比較研究です(レジリエンスについては次の記事もご参照ください)。

 プロジェクトの発足当初は、日本、中国、アメリカ、マレーシアの人々を対象に調査を行う予定でしたが、今ではスペインやフランス、イタリア、ブラジル、バングラデシュ、フィリピンの研究者とも共同研究が進んでいます。

 RE-COVER Projectでは、これまでポジティブ心理学で扱われてきた心理的レジリエンスに関連する特性と新型コロナウイルスに対する恐怖(以下、コロナ恐怖)、および精神的健康との関連について様々な国と地域で調査を行い、心の回復力を高める特性を明らかにすることを目標としています。これまでに日本とマレーシアの予備調査が終わり、これから本調査を行います。日本の予備調査の結果に触れる前に、コロナ恐怖について説明します。

新型コロナウイルスに対する恐怖

 新型コロナウイルスという言葉や写真、あるいは新型コロナウイルスに関連する報道を目にするたびに、恐怖を抱く人もいるかもしれません。そのような感情は、新型コロナウイルスに対する恐怖(fear of COVID-19)と呼ばれ、世界中で研究が行われています。心理学が得意とする心理尺度の開発も進んでいて、日本語版の尺度も複数作成されています[4, 5]。最近では、コロナ恐怖の構造に関するモデルが提唱されるに至っています[6]。

 Schimmentiら(2020)は、コロナ恐怖を大きく4つの要素に分けています。1つ目が、身体的な接触や感染に関する身体領域の恐怖です。例えば、「コロナウイルスからは、自分の身を守れない」といったものが、身体領域の恐怖に当てはまります。2つ目が、家族や友人が感染してしまう、あるいは自分が誰かに感染させてしまうという対人領域の恐怖です。3つ目は、新型コロナウイルスに関する情報や報道によって生じる認知領域の恐怖です。新型コロナウイルスに関するニュースを見ることで恐怖や不安が生じることがありますが、日々、情報がアップデートされるなかで沸き起こる「新型コロナウイルスに関する情報を網羅できてないのではないか」といった考えも、認知領域の恐怖に該当します。4つ目が、新型コロナウイルスに感染する恐怖によって普段通りの活動ができなかったり、逆に不安で過活動になったりするという、行動領域の恐怖です。

 このようなコロナ恐怖がどのような要因(例:収入の減少、感染者数の増加)によって高まるかという研究は多くなされていますが、どのような特性を持っているとコロナ恐怖が低減するかという研究は始まったばかりです。

RE-COVER Projectから見えてきたもの

 RE-COVER Projectは、まだまだ始まったばかりですが、日本人を対象した予備調査の結果[7]について簡単に報告します。予備調査ではいくつかの特性について調査しましたが、ここではコントロール感(Sense of control)[8]、成し遂げる力(Grit)[9, 10]、自己への優しさ(Self-compassion)[11, 12]を取り上げて紹介します。

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 コントロール感とコロナ恐怖には弱いながらも有意な負の関連がありました。また、成し遂げる力と自己への優しさは、コロナ恐怖と精神的不健康と負の関連を示しました。成し遂げる力は、「興味の一貫性」と「努力の粘り強さ」という2つの要素に分けられますが、興味の一貫性のみがコロナ恐怖と精神的不健康と有意な負の関連を示しました。自己への優しさは、やや複雑な概念で様々な要素の分け方がありますが、ここでは「自己への温かさ」と「自己への冷たさ」という2つの要素に分けた結果を記しています。自己への温かさはコロナ恐怖と精神的不健康と有意な関連は見られませんでしたが、自己への冷たさは正の関連が示されました。今回の結果は、一時点の調査に基づいた相関分析の結果ですので明確な因果を突き止められていませんが、上記のような特性がコロナ恐怖の低減と、精神的健康の維持・増進につながる可能性は高いと考えられます。

 今回の調査結果に基づけば、自分の行動や日常生活をコントロールできている感覚を維持しながら(コントロール感の高さ)、コロナ禍でも自身の趣味のようなものを続けられていて(興味の一貫性の高さ)、過度に自分を否定したり、孤独感を感じないようにする(自己への冷たさの低さ)ことによって、コロナ禍でも落ち込みにくい、あるいは落ち込んだとしても回復しやすくなると考えられます。

 日常で取り組めそうなこととしては、コントロール感を失わないように日々自分ができたことや成し遂げたことを日記に書いてみたり、ステイホームをしながらでも自分の趣味に取り組んだり、あるいは落ち込むような出来事があった際に友人に話をしたり、何が起きて、どんな気持ちになったかを紙に書いて客観的に物事を捉えなおし、自分のせいにしすぎないようにすること、などが考えられます。

 このコロナ禍で様々なストレスフルな出来事が起き、幾度となく不安に押しつぶされそうになったり、先の見えない将来に絶望を感じることもありますが、心理学、あるいはポジティブ心理学研究には、どのように対処したらよいか、その糸口を見つけることができるという強みがあります。コロナ禍で生じた荒波のなか、たゆたえども世界中の人々が沈まない(沈ませない)ために、引き続き研究に邁進していこうと考えています。

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<文献>
〔1〕Seligman, M. E. P., & Maier, S. F. (1967). Failure to escape traumatic shock. Journal of Experimental Psychology, 74(1), 1–9. https://doi.apa.org/doi/10.1037/h0024514
〔2〕Hiroto, D. S., & Seligman, M. E. (1975). Generality of learned helplessness in man. Journal of Personality and Social Psychology, 31(2), 311–327. https://doi.org/10.1037/h0076270
〔3〕荒木友希子(2000). 教示による原因帰属の操作が学習性無力感に与える影響 心理学研究, 70(6), 510–516. https://doi.org/10.4992/jjpsy.70.510
〔4〕Ahorsu, D. K., Lin, C. Y., Imani, V., Saffari, M., Griffiths, M. D., & Pakpour, A. H. (2020). The Fear of COVID-19 Scale: development and initial validation. International Journal of Mental Health and Addiction. https://doi.org/10.1007/s11469-020-00270-8.
〔5〕Masuyama, A., Shinkawa, H. & Kubo, T. (2020). Validation and Psychometric Properties of the Japanese Version of the Fear of COVID-19 Scale Among Adolescents. International Journal of Mental Health and Addiction. https://doi.org/10.1007/s11469-020-00368-z
〔6〕Schimmenti, A., Billieux, J., & Starcevic, V. (2020). The four horsemen of fear: An integrated model of understanding fear experiences during the COVID-19 pandemic. Clinical Neuropsychiatry: Journal of Treatment Evaluation, 17(2), 41–45. https://doi.org/10.36131/CN20200202
〔7〕Sugawara, D. (2020). Does psychological resilience buffer corona fatigue? Tsukuba Global Science Week. Ibaraki(Japan), September 18 - October 18.
〔8〕Lachman, M. E., & Weaver, S. L. (1998). The sense of control as a moderator of social class differences in health and well-being. Journal of Personality and Social Psychology, 74(3), 763–773. https://doi.org/10.1037/0022-3514.74.3.763
〔9〕Duckworth, A. L., Peterson, C., Matthews, M. D., Kelly, D. R.(2007). Grit: perseverance and passion for long-term goals. Journal of Personality and Social Psychology. 92(6), 1087–1101. https://doi.org/10.1037/0022-3514.92.6.1087
〔10〕竹橋洋毅・樋口 収・尾崎由佳・渡辺 匠・豊沢 純子(2019). 日本語版グリット尺度の作成および信頼性・妥当性の検討 心理学研究, 89(6), 580–590. https://doi.org/10.4992/jjpsy.89.17220
〔11〕Neff, K. D. (2003). The development and validation of a scale to measure self-compassion. Self and Identity, 2(3), 223–250. https://doi.org/10.1080/15298860309027
〔12〕有光興記 (2014). セルフ・コンパッション尺度日本語版の作成と信頼性,妥当性の検討 心理学研究, 85(1), 50–59. https://doi.org/10.4992/jjpsy.85.50

執筆者プロフィール

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菅原大地(すがわら・だいち)
筑波大学人間系助教。専門は、臨床心理学、ポジティブ心理学、感情心理学。公認心理師、臨床心理士。ポジティブ感情や自己への優しさに関する基礎研究から、復職支援やインターネットを介した心理支援まで幅広く行う。最近では、認知行動療法の技法をテーラーメイドするためのアプリケーションを開発中。Emotion in Therapy: From Science to Practice(心の治療における感情: 科学から臨床実践へ (北大路書房、2018))の翻訳に携わる。

▼ 個人HP

▼ 関連書籍



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