神の住まう山(著述家・編集者・写真家:山本高樹) #流離人のノート 第17回
目の前に、山がある。乾いた大地からずどんと突き出した、巨大な三角錐のように見える。藍色の空を衝く、鋭い尖峰。麓にも山にも、樹木は一本もない。白褐色の荒々しい岩肌が、ただ剥き出しになっている。
それにしても、大きな山だ。僕が立っている麓でも、標高はすでに四千メートルに達しているが、あの山の頂は、標高五千三百メートルを超えているはずだ。
地面に片膝をつき、両手でカメラを構えながら、ファインダー越しに山を見つめ、シャッターを切っていると、しぜんと呼吸が浅くなってくる。たぶん、標高のせいだけではない。あの山の持つ圧倒的な何かに、気圧されているのだ。
ゴンボ・ランジョン。インド北部のチベット文化圏、ザンスカール地方の南はずれにある山の名だ。現地の人々の間では、ゴンボ(マハーカーラ、大黒天)の住まう聖なる山として古来から崇められていて、険しい山中を何日も歩いて巡礼に訪れる人が絶えなかったという。麓から少し離れた場所に未舗装の道路が開通し、車やバイクでの行き来が可能になったのは、二〇一九年に入ってからのことだ。
その時の僕は、現地の知人の車に乗せてもらって、同じインドのチベット文化圏のラダック地方からザンスカールを経由して、南に隣接するヒマーチャル・プラデーシュ州に至るまでの新道を調査するための旅をしていた。行程的には、ゴンボ・ランジョンは写真を撮ってからすぐに通過してしまっても構わない位置にあるのだが、僕はあえて、この山の麓で一夜を過ごすつもりでいた。
山の麓には、道路に沿って流れる水深の浅い川と、数軒の茶店があった。それらの茶店は、主に夏の間だけ、近くにある村の住民が切り盛りしているという。背の低い石積みの小屋で、屋根にはおそらく、インド軍の放出品のパラシュートを張っているのだろう。茶店の内部は整然と整えられていて、ガスボンベを繋いだコンロのある厨房スペースには、鍋や食器や調味料などのほかに、ダライ・ラマ法王十四世の写真を祀った祭壇が壁に設けられていた。
石小屋の茶店の中にも二、三人が雑魚寝できるスペースはあったが、小屋から少し離れた場所には、アウトドア用のテントが数張設置されていて、わずかな料金を払えば、そこに寝泊まりできた。僕はそのうちの一つを借りることにした。僕を乗せてきてくれたザンスカール人の知人は、自分の車の後部座席で寝るという。彼にとっては、その方が安眠できるからだそうだ。
昨日までは一週間近く、日に何度か雨が降る、ぐずついた天気が続いていた。ザンスカールの中心地パドゥムからゴンボ・ランジョンまでの道程でも、急な雨で小さな橋が一つ流されてしまい、軍が応急処置の鉄橋を設置するまで、僕は丸一日、パドゥムで足止めを食っていた。
でも、今日の昼を過ぎた頃から、空は急に晴れてきた。この天候が続けば、ここに来た最大の目的を達成できるかもしれない。
それは、満天の星空を背景にした、ゴンボ・ランジョンの撮影だった。
夏のザンスカールで、太陽が沈んでから空がすっかり暗くなるのは、夜の九時を過ぎてからになる。
茶店で作ってもらった、ジャガイモのスパイス炒め煮を米飯にかけたものをたいらげ、撮影機材の準備をする。デジタル一眼カメラ、広角単焦点レンズ、三脚、リモートコード。頭にはヘッドランプ。暗闇の中であわてないように、星景撮影用のカメラの設定なども、先にある程度終わらせておく。
石小屋の外に出る。いつのまにか、ものすごい強風が吹きはじめている。風に身体を煽られながらも、昼の間に目星をつけておいた撮影ポイントまで歩く。石小屋から漏れてくる人工光に邪魔されない位置。空は……晴れだ。一片の雲のかけらもない。暗闇に目が慣れるにつれ、信じられないほどの数の星々が、夜空を埋め尽くしているのが見えてくる。肉眼でも、天の川の形がはっきりとわかる。
その星空の只中に、ゴンボ・ランジョンは、漆黒の闇に包まれた姿で聳え立っていた。山の上から、猛烈な風が吹き降りてくる。その巨大さに、底知れぬ闇に、渦巻く風に……僕は、本能的な恐怖を感じた。自分は、何をしているのだろう。こんなところにいて、いいのだろうか。
気を取り直して、撮影の準備を始める。三脚をぐらつかないように慎重に設置し、カメラをセットし、遠くの光源を利用して、液晶モニタでレンズのフォーカスを微調整。それからカメラをゴンボ・ランジョンに向け、背後の天の川までうまく収められるように慎重に角度を調整し、三脚の雲台を固定する。あとは、少しずつ設定や構図を変えながら撮っていけばいい……。
撮りはじめてすぐに、異変に気付いた。リモートコードでのシャッターボタン操作が、うまく動作しない。何度やり直しても変な挙動を起こしてしまって、コンロトールできないのだ。あわてて原因を見極めようとするが、ヘッドランプの明かりの範囲以外は真っ暗で何も見えず、風も吹き荒れていて、焦るばかりで何もわからない。仕方なく、リモートコード自体を外して、シャッターボタンを指で直接操作することにする。ブレる可能性は高くなるが、仕方ない。
ようやく、まともにカメラを操作できるようになった。何とか撮影できそうだ。呼吸を整え、一枚ずつ、慎重に設定を確認しながら、シャッターを切っていく。落ち着け。集中しろ。後悔を残さないように……。
無窮の星空がさんざめく中、山は、ただずっと、そこにあった。
神の存在を信じるかと訊かれると、はい、とも、いいえ、とも、言い切れる自信は僕にはない。でも、あの日の夜、僕の眼前に屹立していたあの巨大な山には、何かがあった。言葉にするのは難しいけれど、人間や動物を含めた、地上の生きとし生けるものすべての存在を超越するような、何かが。
それはもしかすると、僕たちの心の内側にこそ、宿るものなのかもしれない。