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教員のメンタルヘルスを支えるために(筑波大学人間系心理学域教授:大塚泰正) #働く人のメンタルヘルス

教員のメンタルヘルスの現状

 教員のメンタルヘルスの悪化が長く叫ばれています。メンタルヘルスが悪化している原因として,長い勤務(拘束)時間,児童生徒や保護者とのトラブル,職場内の人間関係のわるさ,事務作業や校務分掌の多忙さなどが指摘されています。このような原因に対して,さまざまな取り組みが行われていますが,2025年1月現在,劇的な改善はまだあまり認められていないように思います。

 今回は,海外で提唱された代表的な職業性ストレスモデルを2つ紹介したいと思います。これらのモデルを参考にしながら,教員のメンタルヘルスを改善するための新たな糸口を探ってみたいと思います。

努力-報酬不均衡モデル(Siegrist, 1996)

 このモデルは,個人が職場で払った努力と,それに対する報酬が釣り合っていないときにストレスが生じ,健康上の問題が発生しやすくなることを説明したものです。非常にシンプルな考え方でありながら,心身の健康と比較的強い関連が認められています。

 誰しも,これだけ仕事を頑張ったのに,それに対する報酬が十分でなければ,大きな不満やストレスを感じることになるでしょう。努力と報酬が不均衡な状態が長く続けば,その人は慢性的に高いストレスを抱えている状態になります。このような状態が長く続いてしまうと,さまざまな病気が発症するリスクが高まってしまいます。

 努力-報酬不均衡モデルで取り上げる「報酬」には,「金銭的報酬」だけでなく,仕事の安定性や昇進などに関する「キャリア報酬」,上司や同僚から適切な評価や支援を受けているといった「尊重報酬」が含まれます。公立学校教員の場合,このうち,「金銭的報酬」については,今後給特法の改正により給与の増額が期待できるかもしれません。しかし,それでも実際の勤務(拘束)時間に見合った報酬になるかはわかりませんし,そもそも金銭面以外に価値を置く教員も多くいるのではないかと思います。また,公立学校教員は公務員であるため,失職のおそれは少ないといえます。そのため,「キャリア報酬」はある程度の水準を維持できているものと思います。

 そうなると,現代の教員にとって重要で,ストレスの低減に有効なのは,「尊重報酬」になるのかもしれません。「尊重報酬」には,上司や同僚から適切な評価や支援を受けているということだけでなく,職場で公平に扱われていることや,人望があることなども含まれています。これは公務全般に当てはまることかもしれませんが,公益性の高い教員の仕事には際限がありません。国のため,子供たちのために,教員が大切だと思うことを一生懸命行っても,それを誰も評価してくれない,あるいは,逆にクレームを受けてしまうといった状況が頻発してしまえば,当然のことながら仕事に対するモチベーションは下がる一方になってしまいます。場合によっては,自分のこころのバランスを取るために,努力と報酬を釣り合わせようとして努力することをやめ,退職などにつながってしまうことがあるかもしれません。個々の教員の努力を無駄にせず,讃えるためには,たとえ保護者や子供たち,地域などから望まれるようなフィードバックが得られなくても,管理職や同僚などが絶えず言語的に評価を伝え,ねぎらっていくことが,努力と報酬のバランスを取り,心身の健康を維持するために重要ではないかと思います。

仕事の要求度-資源モデル(Bakker & Demerouti, 2008)

 仕事の要求度(仕事のストレスの原因)が高くなると,イライラや不眠,暴飲暴食などのストレス反応が高まり,健康上の問題が発生しやすくなります。そのため,従来の職場のストレス対策は,心身の健康に悪影響を与える仕事のストレスの原因をできるだけ低下させる取り組みが行われてきました。教員の場合,最初に挙げた長い勤務(拘束)時間,児童生徒や保護者とのトラブル,職場内の人間関係のわるさ,事務作業や校務分掌の多忙さなどは,いずれも仕事のストレスの原因に該当します。しかし,仕事にはストレスが付き物ですので,このような原因を完全にゼロにすることはできません。そのため,原因に伴って生じるストレス反応は,働く人であれば多かれ少なかれ誰でも持っている性質のものになります。

 しかし,働くということは,決してストレスになることだけではありません。仕事の中には,実は人をいきいきとさせるモトになるものも数多く存在しています。例えば,仕事を行うことで新しい知識やスキルが身に付いたり,自分の人生の目的や目標が見つかったり,仕事をしていなければ出会えなかった人たちと出会うことができたり。このように,働く人たちをいきいきとさせるモトになる要素を,仕事の要求度-資源モデルでは「仕事の資源」と総称しています。

 今まで行われてきた数多くの研究から,この「仕事の資源」は,働く人たちがいきいきと仕事をしている状態を指す「ワーク・エンゲイジメント」を高め,個人の成功や組織の生産性などにポジティブな影響をもたらすことが明らかになっています。さらに,「仕事の資源」にはストレス反応を低下させる効果も認められていることから,「仕事の資源」を高めることは心身の健康の保持増進にも役立つ可能性があります。2015年に法制化されたストレスチェックやそれに伴う職場環境改善という活動でも,近年「仕事の資源」を高めるアプローチが重要視されつつあります。

 では,教員にとって,「仕事の資源」になりうるものにはどのようなものがあるのでしょうか。例えば,個人のレベルでは,裁量権を持ちながら担当するクラスの運営を行うことができることや,子供たちの成長に直接関わることができることなどが挙げられるでしょう。職場内では,同僚とよい人間関係を保っていることや,何かあった時には管理職が助けてくれると思えること,公正・公平な評価が行われていることなどが挙げられるでしょう。職場外でも,保護者や地域の方々と良い関係を築くことができていたり,地域で敬意を持って接してもらえたりするような状況があると,これらも教員にとって大きな仕事の資源になるでしょう。ちなみに,努力-報酬不均衡モデルで述べた「尊重報酬」も,「仕事の資源」の一つに位置付けられています。

 仕事のストレスの原因を可能な限り低下させることは学校現場のストレス対策として大変重要なことであり,今後もさらに推進していく必要があります。しかし,このような対策にはどうしても限界が生じます。なぜなら,学校は教員にとっては「職場」だからです。そのため,仕事のストレスの原因を可能な限り低下させると同時に,それほどコストがかからず,かつ,実現可能性の高い取り組みによって向上させることが可能な「仕事の資源」を高めていくことも,教員のメンタルヘルスを支えるための対策の一つになりうると思います。例えば,今回取り上げた「尊重報酬」は,学校内で教員同士がお互いを思いやり,敬意を持って接することで高めていくことが可能になるでしょう。

 教員は,もともと高いモチベーションを持って,その職業を選んだ方々が多いのではないかと思います。教員のメンタルヘルスを支えるためには,教員自身がもともと持っていたモチベーションをさらに高められるような要素を抽出し,それを改善するための取り組みを皆で考え,それを実行に移し,継続していくことが何よりも重要であると思います。

【引用文献】

Bakker, A. B., & Demerouti, E. (2008). Towards a model of work engagement. The Career Development International, 13, 209–223.
Siegrist, J. (1996). Adverse health effects of high-effort/low-reward conditions. Journal of Occupational Health Psychology, 1, 27-41.

■著者プロフィール

大塚泰正(おおつか・やすまさ)
筑波大学人間系心理学域教授。日本学校メンタルヘルス学会理事長。
博士(文学)(早稲田大学)。専門は臨床心理学,産業保健心理学。
著書に『健康・医療心理学入門』(有斐閣,2020),『よりよい仕事のための心理学』(北大路書房,2019),『Q & Aで学ぶワーク・エンゲイジメント』(金剛出版,2018),『公認心理師のための説明実践の心理学』(ナカニシヤ出版,2018),『産業保健心理学』(ナカニシヤ出版,2017)など。

著書

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