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バター茶の味について思い巡らすこと(著述家・編集者・写真家:山本高樹)#自己と他者 異なる価値観への想像力

旅は、異なる価値観に触れることのできる大きなチャンスです。特に、日本とは環境も暮らしぶりも異なる国々を旅すると、今まで想像もしていなかった価値観の違いに次々と気づかされることも少なくありません。そういった気づきを、私たちはどのように受け止め、考えていくべきでしょうか。インド北部のチベット文化圏、ラダックとザンスカールという地域での取材をライフワークとする山本高樹先生に、ご自身の旅の経験から感じたことをお書きいただきました。

 チベット文化圏で幅広く飲まれている飲み物の一つに、バター茶がある。チベット本土ではスーチャ、インド北部のラダックではグルグル・チャなどと呼ばれている。

 いつ頃からチベットでバター茶が飲まれるようになったのか、その始まりは定かではない。11世紀頃、インドの高僧アティシャが西チベットのグゲ王国を訪れた際に、王から献上されたバター茶を飲んだところ、長旅で消耗していた体力と気力がみるみるうちに回復したので、とても喜んだ、という話が伝えられている。

 チベット文化圏は、標高が高くて極端に乾燥した地域が多く、茶葉の栽培には適していない。チベット本土では古くから、磚茶(たんちゃ)というレンガ状に固めた茶葉を中国などから輸入していた。バター茶を作るのには、手間がかかる。茶葉を煮出し、バターと塩を加え、ドンモと呼ばれる木製の筒のような器具で入念に攪拌する。それを温め直すと、ようやくバター茶ができあがる。

 バター茶はそのまま飲むだけでなく、大麦を煎って挽いたツァンパと呼ばれる粉と一緒に器の中で練り合わせ、団子状にして食べることも多い。現地の人々は習慣的に一日に何杯もバター茶を飲むので、塩分の摂りすぎが高血圧などの原因になる場合も少なくないそうだ。その一方で、バター茶に含まれる脂分には、高地の強烈な日射しと乾燥で傷めがちな唇の粘膜をコーティングして、潤いを保ってくれるという利点もあるという。

 僕が生まれて初めてバター茶を口にしたのは、チベットのラサにあったチベット人経営の食堂でだった。魔法瓶から小ぶりな茶碗に注いだバター茶を最初にひと口すすった時は、正直、面食らった。お茶という言葉から想像していたイメージとは、およそかけ離れた味だったからだ。何と形容すればいいのだろう。バターの塩気と脂分がきめ細かく溶け込んだ、白濁したスープか何かのような……。バター自体にも、それまでに味わったことのない、独特の野趣のようなものが感じられた。たぶん、その店のバター茶には、チベットの高原で遊牧民たちが飼っているディ(雌の毛長牛、雄はヤクと呼ぶ)の乳で作ったバターが使われていたのだと思う。当時、チベット文化圏を旅しはじめたばかりの頃だった僕には、なかなか手強い味だった。それでも、自分は今、チベットの人々と同じ飲み物を味わっているのだ、という喜びと満足感の方が、圧倒的に大きかったけれど。

 その後、インドのラダックやザンスカールで、長期にわたって取材と撮影に取り組みはじめた僕は、行く先々の村や僧院で、何度も何度も、数え切れないほどバター茶をいただくようになった。慣れてくると、僕は、バター茶がすっかり好きになってしまった。暖かいストーブのある居心地のいい居間で、あるいは畑仕事の手伝いの休憩時間に、みんなで胡座をかいておしゃべりしながら飲むバター茶は、ひと口すするたびに、心をなごませてくれる存在だった。

 チベット文化圏を訪れてバター茶を口にした日本人旅行者の間で、その味の評価は、かなり分かれるようだ。Webで検索してみると、僕のように「慣れると案外いける」という人もいるが、どちらかというと少数派だ。「苦手」とか「口に合わなかった」とかいう感想も少なくないし、中にはあからさまに「まずい」と言い切っている人もいる。検索のサジェスチョンでは、「バター茶 まずい」という組み合わせも上位に来ている。「バター茶はまずかった」とブログやSNSで面白おかしく揶揄している例も、ちらほら見かける。

 でも、思う。そうした人々がバター茶を「まずい」と言い切ってしまう、その感覚は、本当に絶対的なものだろうか?

 日本人の大多数にとっては飲み慣れないものだとしても、チベット文化圏の人々にとって、バター茶は、先祖代々受け継いできて、幼い頃から慣れ親しんでいる、大切な飲み物だ。もし、自分たちが日頃から愛飲している飲み物を、よその国から来た人間に「まずい」と一方的に決めつけられたら、現地の人々は、どう感じるだろうか。

 人それぞれの個人的な感想として、「苦手だった」とか「自分の口には合わなかった」とまでは言えると思う。でも、絶対的な味の評価として「バター茶はまずい」と雑に決めつけてしまうのは、現地の人々の心を傷つけてしまう可能性がある。今の時代、WebやSNSに流れるテキストは、その気になれば簡単に英語や現地語に翻訳できてしまうのだから、なおさらだ。

 そうした一方向からの決めつけは、ともすると、「あんなまずい飲み物を喜んで飲むような人たちなんだ」という、現地の人々をどこかで蔑むような感覚につながってしまいかねない。大げさに聞こえるかもしれないが、今の世界に蔓延している偏見や差別の多くは、こうした些細に思えるところから根深くはびこっているのではないかと、僕は思う。

 異国の地を旅する時に一番大切なのは、現地の人々に対するリスペクトを常に忘れないことだ。その土地の人々の暮らしに接し、異なる尺度の価値観を相対的に受け止めるように努め、尊重する。そう心がけていれば、最初は苦手と感じるかもしれないバター茶の味わいも、次第に変わってくるのではないかと思う。

執筆者

山本高樹(やまもと・たかき)
著述家・編集者・写真家。2007年から約1年半の間、インド北部の山岳地帯、ラダックとザンスカールに長期滞在して取材を敢行。以来、この地域での取材をライフワークとしながら、世界各地を取材で飛び回る日々を送っている。主な著書に『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]』(雷鳥社)『ラダック ザンスカール スピティ 北インドのリトル・チベット[増補改訂版]』(地球の歩き方)『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』(産業編集センター)など。『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』(雷鳥社)で第6回「斎藤茂太賞」を受賞。

著書


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