就労している知的障害のある人への心理支援(信州大学学術研究院教育学系准教授:下山真衣) #働く人のメンタルヘルス
1970年代まで、知的障害のある人たちはメンタルヘルス不調にならないと信じられていた時代がありました。しかし、実際には知的障害のない人に比べ、知的障害のある人の方がメンタルヘルス不調になりやすいことがわかっています。知的障害のある人のメンタルヘルスのニーズは高いのですが、残念ながら心理支援が行き渡っているとは言い難い状況です。知的障害のある人も知的障害のない人と同じように職場や家庭のことについて悩み、心の問題を抱えることがあります。このことが、もっと一般の人に知ってもらえる機会が増えるといいなと考えています。
一般的に、知的障害のある人への心理支援というと、生活上の困難に対処するためのスキルを身につけることに重きが置かれがちかもしれません。もちろんスキルの獲得も重要な支援です。しかし、精神的・心理的なサポートに関して十分に注目されてこなかったように思います。
今回のテーマである就労している知的障害のある人への心理支援においても、スキルの向上や知的活動の向上に支援が偏りがちになっている場合があります。知的障害のある人たちの職場で経験する課題を共有しながら、心理支援について考えていきたいと思います。
働く上での悩み
現在、約27万人以上の知的障害のある人がさまざまな業種で就労していると考えられています。このような知的障害のある人は社会で働きながら生活を送っていますが、その中で仕事に関する悩みを抱えることもあります。実際、勤めて半年から1年で仕事を辞めてしまうケースも多く、就労継続に課題があるのが現状です。これまで受けた相談の中で、知的障害のある人たちに共通して見られる仕事の悩みとして、以下の3つが挙げられます。
・仕事を覚えたり、マネジメントしたりすることの難しさ
・コミュニケーションの難しさ
・人間関係の難しさ
たとえば佐藤さん(仮名)はスーパーで働いていますが、自分の担当の仕事を覚えるだけでなく、お客さんに聞かれたことや頼まれたことに対応する必要がありました。自分の担当の仕事は視覚的に構造化されていて、ジョブコーチと一緒にやり方を学べたので、問題なくすることができます。しかし、お客さんやスーパーの他の従業員に新しい仕事を頼まれると、忘れてしまったり、やり方が分からないときもあって、どんどん不安になっていきました。家に帰ると親に仕事を辞めたいと訴えるようになりました。
また、杉山さん(仮名)は福祉施設で働いていますが、上司から依頼された仕事の意味がわからず、再度説明してもらったものの、やはり全てはわかりませんでした。あまり問題を大きくしたくないと思い、その場ではわかったと上司に伝えましたが、実際にはやり方がわからず頼まれた仕事をすることができませんでした。そんなことが繰り返し起きて、杉山さんは上司や同僚の人と話すことが怖くなっていきました。そして、自分にはこの仕事は無理かもしれないと考え始めました。
このように仕事やコミュニケーション、人間関係がうまくいかなくなると、職場で孤独を感じたり、障害があることに引け目を感じたり、自己評価が低下したりし、メンタルヘルスに関わる問題が出てくることがあります。最終的には職場を休みがちになったり、場合によっては仕事を辞めてしまう人もいます。こうした状況を予防し、知的障害のある人が安心して働くための心理支援について考えたいと思います。
話を聞きながらアセスメントし、サポートしていく
就労している知的障害のある人への心理支援において、3つの点を大事にしています。
1.職場の心理的安全性
知的障害のある人のメンタルヘルスのニーズにあった支援を行うために、職場では心理的安全性の高い環境であることが必要になります。心理的安全性とは、失敗しても叱責されず、意見を言ったり、相談がしやすい環境のことを指します。これは、知的障害のある人に関わらず、すべての働く人たちにとって重要なことかもしれません。
しかし、知的障害のある人の中には、過去に相談して指導されたり、叱られた経験があるため、相談に対して消極的な人もいます。そのため、まずは批判や指導を避け、相手の話をしっかりと聞くことが大切です。相談して「安心した」「話してよかった」と感じられる経験を積み重ねることで、心理的安全性が高まっていきます。職場での心理的安全性が高まるためのアイデアや工夫を知的障害のある人と一緒に考える時間をとっています。
2.アセスメントとアクセシビリティ
知的障害のある人の心理支援を行う際に、話を聞きながらその人の認知機能や精神状態をアセスメントし、支援の方法を決めていきます。たとえば、理解や記憶、実行機能、感情を適切に理解する力などを評価することで、仕事における具体的な悩みやメンタルヘルスの問題を深く理解できます。
たとえば、口頭での説明が難しい場合は、書面で手順を伝えたり、紙にまとめてもらうことで仕事がしやすくなります。仕事の手順が複雑な場合は、視覚的に整理して、簡単に理解できるようにすることも効果的です。こうした支援は、知的障害のある人が職場での参加や活動をスムーズに行うための合理的配慮といえます。
また、知的障害のある人が自分の考えを整理し、伝えるためには、紙やタブレットを使って出来事を時系列で書き留める方法も役立ちます。これにより、話している途中で内容が混乱するのを防ぐことができます。こうしたツールは、気持ちを共有し、理解してもらうための重要な手段にもなります。
3.孤独や孤立への気づき
知的障害のある人の相談を受けていると、孤独感や孤立感が根底にあることに気づくことがあります。仕事がうまくいかない原因が、単なる業務上の問題ではなく、自分の気持ちや苦しみを誰かに理解してもらえないという不安や心配から来ていることがあります。
心理支援においては、自分の気持ちを他者に伝え、それを理解してもらう場を提供することが大切だと考えています。また、職場や家庭、地域社会で、安心して話せる場所があることが、メンタルヘルスの重要なニーズとなります。このような支援を行うためには、職場の同僚や家族、福祉施設の職員など、周囲の人々の協力が必要な場合も多々あります。知的障害のある人の気持ちや悩みに耳を傾け、理解しようとすることが、心理的安全性を高め、孤独や孤立を和らげる大きな支えになります。心理支援は、単に専門家によるサポートだけでなく、日常的に関わる人々との協力と理解によって成り立つものだと考えています。
知的障害のある人の心理支援への期待
今後は、知的障害のある人は知的障害のない人と同様に仕事で悩み、孤独や孤立を感じていることについて周囲の人たちの理解が広がることを期待しています。理解しようとするその姿勢がまずは最初に重要なサポートになると考えているからです。職場での心理的安全性や合理的配慮、人との温かいつながりが進むことで、知的障害のある人の就労を支える大きな原動力となります。