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誰かの安心のために(岡 琢哉:発達障害クリニック 児童精神科医)#私が安心した言葉

今回の特集テーマである「私が安心した言葉」。これにまつわるエピソードやお考えについて、児童精神科医である岡 琢哉先生にお話をお伺いしました。

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―― 寂しさ、孤独、置いてきぼり。昨今はそんな感覚に悩まされる方が多そうですよね。先生でもなにかお感じになるところはありますか?

先日、私がしたこのツイートの反響がとても大きかったんですよね。

―― 母性信仰、深いですね…。このお母さんのつらさを考えると私も胸が痛みます。

今回のインタビューが控えていたこともあり、「安心した言葉」というテーマを考えた時に思い出したエピソードなんです。そこで外来にきてくださったお母さんに「この話をしても良いですか?」と尋ね、許可をいただいたという経緯があるんです。ただ、インタビュー前についついツイートしてしまいました。(笑)

―― 先生にとってもそれだけ印象深いできごとだったのですよね。驚くほどの共感の数です。

大きな反響をいただきましたが、その裏にはお母さんが独りぼっちになってしまっている現状があるのだと思います。発達障害をもつ子どもを抱えているお母さんは、すごく一生懸命です。ですが、一生懸命頑張り過ぎてしまい、支援者の声が届かなくなってしまうこともあります。

―― 一生懸命に頑張ることがかえって…ですか?

お伝えするのがとても難しいところではあるのですが、一生懸命になった結果、「子どもにやってあげる、やってあげる、とにかく何かやってあげないと」となっていることがあります。そうすると、「やれていないこと」「足りないこと」にばかり目がいってしまい、だんだんと子ども自身のことが見えなくなっていく。そして、お母さん自身が疲れ切ってしまい、自分自身を大事にできなくなってしまう…。

―― なるほど…。一生懸命になった結果、思いもよらぬ方向へ…。

疲れてしまうと、「こんなに一生懸命やってるのになんでうまくいかないんだろう」「周りの人は誰も助けてくれない」という心境になることも往々にしてあります。もちろん、まったく支援が入っていない訳ではないのですが、支援者とうまく“相談”ができず機能してない場合があるように思います。それが独りぼっちにつながってしまうのではないでしょうか。

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―― “相談”がうまくいかないことが孤独につながると。

私は患者さんや患者さんの家族と、“相談する”ことについて話をするのですが、相談って結構難しいんです。

―― どういうことでしょう?

相談のはずが、一方的なコミュニケーションになってしまうことも多いんです。つまり、相談された側がアドバイスをし過ぎたり、逆に相談する方がそういう言葉が欲しいんじゃない、あれして欲しいこれして欲しいと自分の期待を前面に押し出し過ぎたりしてしまう。

その結果、「あんなにアドバイスしたのに全然やってない」「相談しに行ったのになにもしてくれなかった」となってしまうんです。でも本当は、相談ってキャッチボールですよね。一緒にああでもないこうでもないと考えながら、「よし、こうしましょう」と合意形成していくのが相談だと思うんです。それができなくなっちゃう場面が多いのでは、と個人的に感じています。

―― なるほど…。お互いより良くなるためのことだと思いますが、陥りやすい罠があるかもしれません。

私自身も経験があります。大きな病院で忙しく働いていた頃は、「言わなきゃいけないこと」「やらなければならないこと」が先走ってしまい、相手が本当に困っていることを聞く前にこちらが診断や治療方針、やるべきことやリスクについて伝えることに精一杯になってしまっていたように思います。

―― 忙しい医療の現場では時間的な限界もありますね。先生もジレンマがあったことと思います。

医療の現場に限らず、相談の場で相手の話を十分聞いたり、相手のペースを掴めなかったりすると、どうしても一方通行のコミュニケーションになってしまうんです。この一方通行のコミュニケーションをお互いがやっていると、交流している感覚が掴めず、徐々に孤独感を感じるようになるような気がします。

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―― たしかに、相談や支援を求めた結果、かえって孤独感が増してしまったという話も耳にしたことがあります。

そういった状況を生む要因の1つとして、お互いが「専門用語を使いすぎること」があるのではないかと考えています。

―― どういうことですか?

いま、誰もが情報を取得できるようになった結果、専門用語を多くの人が目にするようになりました。専門家でなくても、自分の困り事と関連があるように見える専門用語に触れ、それを持って専門家のところに相談に行けるようになったと思うんです。

―― たしかに、専門家ではない我々でも情報はスマホで簡単に手に入ります。

これは早めに相談に行けるというメリットもあります。ただ、その一方で本人が持っている困り事とは少し離れたところにあるもの、つまり「直接の問題」ではなく「間接的な問題」がある内容を引っ張ってきて、「これが私の困り事の正体なんです」となってしまっていることがあると思うんです。問題の理解と専門用語の使い方に少し飛躍があるような気がしています。

―― なるほど、そこにボタンの掛け違いのようなものが生まれているかもしれません。

専門家も専門用語を出されるとついそれについて話してしまう。そうすると、専門家は「それは困り事の正体ではない」という結論だけを伝えてしまって、本人の困り事について考えるプロセスが省略されてしまう。相談した側は「何もわかってくれなかった」という感覚になってしまう。

―― 支援を求める方と専門家が同じことについて話しているようで、実は違うことを話しているときがある、ということですね。

これではやっぱりコミュニケーションが成り立たないですよね。専門用語は知識として重要であり、学術的なコミュニケーションを行う上ではとても有効ですが、専門用語に関する理解が一致していなければかえってコミュニケーションの混乱を招いてしまうように感じています。

その結果、言葉だけが空回りして相談がうまくいかなかったり、問題を共有できなかったり…。それも孤独や置いてきぼりにつながっているのではと懸念しています。

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―― 先生はずっとそういった問題意識があったのですか?

私もこれは大きい病院から離れて気づきました。もしかすると、ずっと大きい病院で働いていたら、そこに気が付かず一方的に情報発信を続ける専門家になっていたかもしれない。それが現在のクリニックで働いて、今年から個人でも活動するようになって、いままで見えなかったもの、聞けなかったことがかなり増えてきました。自分自身に余裕をもってないとできないこともあるなと感じています。

―― フィールドが変わったことで新たな気づきを得られたということですね。ほかにもなにかあるでしょうか?

サポートする側、サポートされる側、両方の視点を得て気づくことはありますね。たとえば、行政の支援を受ける上では「申請や手続きが大変だ」という大きな障壁があります。これはコロナウイルスの問題が起きる前からあることです。

―― 行政の書類は難しく、大変そうなイメージがあります。

福祉のサポートを受ける権利があっても様々な事情でサポートが受けられない人はたくさんいます。書類の申請がいつも遅れてしまうお母さんに、あるソーシャルワーカーさんはお母さんが書類を作成するのに付き添った後、「このまま院内のポストに一緒に出しちゃいましょう」という支援をします。実は、送ろうとして忘れちゃう人っていっぱいいるんです。ワーカーさんとしては「お母さんが確実に支援を受けること」が主目的とすると、「このお母さんは病院の中で手続きを終えて帰った方が支援は早く進む」と考えた場合にこういった対応をされます。すべてのお母さんに同じように支援するわけではなく、人によっては「子どもじゃないんだから放っておいてよ!」と思う方もいますから、あくまでケースに応じてという例ですが。

―― その方に応じた支援を、ということですね。ポスト投函というあと一歩のところが難しいケースもあるのですね。

遅れてしまう、忘れてしまう原因はタスクがいっぱいあるからなんです。「これだけ」って言われればできます。日々、子どもの洗濯、炊事、生活のこと…それにプラスアルファで書類の申請は考えるだけでも大変ですよね。仕事から帰ってきた旦那さんにお願いするのも難しい。せっかく子どものサポートをするために来院しているのに、追い詰められているお母さんに更にタスクを課すことは酷なことだと思います。そういった事情も含め、きちんとサポートする。こういったことも、医師の仕事だけのときって気が付かないですよね。ワーカーさんはじめ、コメディカルの方々と一緒に働くことで気づき、得られた視点です。

なかなか難しいことではありますから、1つの機関や個人で考えるのではなく、多職種でそれぞれの立場を活かして共同していくことが重要です。

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―― 専門家たちとの協働を深められたということですね。専門家たちを取り巻く状況についてはいかがでしょうか?

これだけ発達障害が話題になり、いろんな人が相談に訪れるようになっていますよね。ニーズが高まる一方、専門家のリソースが少なすぎる問題があります。新しくできたニーズですから、それにすべて対応するのは難しくて、これまでのフレームを用いた対応になります。つまり、いままであった医療や福祉のフレームでそれぞれの機関が個別で対応しているんですね。医療は医療機関だけ、福祉は福祉機関だけ、教育なら教育機関だけ。ただ、いま起きている問題は、全体にもっと広がっています

たとえば、「医療の面で見たらこれだけの問題。だけど複合的に問題がある。でもアプローチは医療の面からのみ。」そうなると、個人がかかえる負担が大きくなります。病院にいくと「病気じゃないから」で終わったり「障害ってレベルじゃないよ」で終わったりします。

―― なぜそんなに縦割り、といいますか区切りたがるのでしょう?

これも大事なことでもあります。国の予算は限られていて、その中で医療や福祉の予算も割り当てられています。したがって、医療の必要性や障害の重症度を設定し、それが高い方にリソースが割かれて、比較的軽度と言われる方にリソースが少なくなってしまうのは、国家の運営という意味では仕方がない面もあると思います。だからといって軽度だから苦しみがないとは誰も思わないし、サポートが必要ないとは誰も思わない。ただ、支援を求めている本人からすると、「なんて不公平なんだ」「こんなに苦しんでいるのに誰も何もしてくれない」という気持ちになってしまいます。何かが区切られた時、誰かが切り捨てられる、と感じてしまう、あるいは実際に支援から漏れてしまうことは本当に難しい問題です。

―― いわば財源という面の制約、限りがある。一方、支援を求める人の苦しみもなんとかしたい。ジレンマを感じます。さきほどの“誰もが情報を取得できるようになった”ことも関係するでしょうか?

情報で溢れかえっている現代では自分に合った情報だけピックアップしてしまいますが、本当はもっと情報や知識は大きいですよね。これまでの歴史もあって、いまの形ができているのですが、その全貌を見ることはとても難しいのです。誰もが情報を得られる状況は、「自分はどんな情報だって得ることができ、理解することができる」という幻想を招きます。しかし、私自身も専門分野以外の歴史を全て参照することはできず、やはり他領域に関しては別の専門家を頼る必要があります。

このように専門家同士、あるいは専門家と当事者も本当はもっとコミュニケーションをとったり、知識を少しずつ広げていったりして、「こういうこともあるんだな」とお互いに理解していく必要があります。しかし、専門家側も当事者側もお互いに歩み寄るゆとりが少ない。それは時間的な余裕、金銭的な余裕、心理的な余裕だったりとあらゆる問題から起因するとは思いますが…なかなかそこまでいたるのは容易ではなく、やはり難しいところですよね。

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―― 多くの事情が絡んでいて、解決するのはそうカンタンではない、という現実がありますね。医師として最前線で取り組まれる先生だからこそのお話だと思います。そんな先生がこれから力を入れたいことやお考えになっていることはありますか?

これからやっていきたいことは、「大きな病院で学んだこと、できなかったことを地域で実践していく」ことです。大きな病院で働いて得たことを、小さな病院や地域でどうやって生かしていくか――。これに取り組んで行きたいと考えています。

―― そう思われたきっかけや気づきがあったのでしょうか?

大きい病院で働いて思ったのは、大きな病院だけですべてが解決できるわけじゃないということです。地域、福祉、教育と方々とどうメンタルヘルスの問題を共有していくか、これが大事です。大きな病院で治った方が地域に戻っていきますよね。地域に理解がなければ、結局地域に戻れないんです。そこがかなり大事なのではないかと。

大きな専門病院で働いて一番よかったと思うのは、専門病院は人の数が多いことです。とはいっても足りてはいないのですが…地方と比べると同じ志をもった専門家が大勢いますし、そこを求めてたくさんの人が集まります。そこでは、私だけでは得ることのできない経験や知識が得られます。どんな仕事でも一緒かもしれませんね。大企業で学んで独立するというイメージでしょうか。それは児童精神科でも一緒で、地域に広げていきたいという想いがありますね。

―― なるほど、本当に大事なことですし、必要とされる方も多いと思います。ほかにもお考えのことはありますか?

あとは訪問看護事業の立ち上げを検討しています。これまでの経験から、医療者ひとりの力ではうまくいかないことがよくわかり、地域と連携した訪問でのサービス、アウトリーチ活動の重要性を再認識し、医療者の仲間と一緒に準備を進めています。さらには総合情報メディアの運営にも興味があります。もっと使いやすい言葉で、生きづらさ育てづらさに寄与できる情報をお伝えしたい。お伝えするだけではなく、たとえばコメント機能もあるような、相互性のあるメディアがいいですね。いろいろお話したように問題意識がある一方、情報を届けたい方々とちゃんと交流できていないというもどかしさがあります。その交流の窓口として、まず定期的なラジオ配信をしていきたいと思っています。ラジオっていいですよね、聞き流せますから。根詰めて勉強しようとすると疲れますよね(笑)

つい先日、実際にラジオの配信をYouTubeで行いました。そのYouTubeとそれをまとめたnote記事がありますので、よかったらご覧いただければ嬉しいです。

▼ カケミチラジオ #1 (2020.12.23)

▼ メンタルケア:早めの受診の良いところ?(選択肢が増えるという観点)

―― こういったフラットで堅苦しくない感じだと入ってきやすいです。オープンな媒体での発信なので、使う言葉も意識しますよね。

先ほどもお伝えしたとおり、専門用語が飛び交い一人歩きしている現状があると思います。しかも言葉が強い。もう少しやわらかいメッセージ、使いやすい情報にして発信していきたいですね。もちろん、自分自身が専門家である意識は忘れずに、ですね。これも難しいところではありますが(笑)

いずれの活動にしても、いまはまだ手探りしている状態ですので、まだまだこれからです。模索してやっていきたいですね。

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―― 新たなお取り組みも始められ、引き続きご活動をお教えいただけたら嬉しいです。最後に先生から親御さん、お子さんに向けたメッセージをいただけませんか?

「人に頼ることを恐れないでください」ということですね。この記事をご覧になってくださった方の中には、人を頼るのが不安という方もいらっしゃると思います。その方は、なにが不安なのか、少しでも具体的にしてみましょう。

その不安が一番小さい相手にちょっとだけ頼ってみてください。心を閉ざしてしまうと不安はだんだん大きくなって苦しくなる一方なので…いま、関われている人に少しだけ頼ってみましょう。

私も人に頼るのが難しかった人間でした。大きい病院で働いていた経験からよくわかります。

頼ることを恐れずに。日本は頼れる場所がゼロの国じゃない。必ず誰か頼れるはずだから、あなたも頼ってください。

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親御さんへのメッセージ、生きづらさを抱える人のためにお考えのこと、ご自身の経験、そしてこれからのこと…。率直にお話くださった岡先生。
一貫して、「こころ」に対する真摯な想いに触れられた、あたたかくも情熱溢れるインタビューでした。

インタビュイー紹介

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岡 琢哉(おか・たくや)
1987年生まれ。児童精神科医。岐阜大学医学部卒業後、羽島市民病院で初期研修を修了。岐阜大学医学部附属病院精神神経科、東京都立小児総合医療センター児童思春期精神科の勤務を経て、現在は医療法人社団神尾陽子記念会 発達障害クリニック、岐阜大学医学系研究科博士課程に在籍。2021年より株式会社カケミチプロジェクト代表取締役として、インターネット上の情報発信や地域での支援事業を展開している。
Twitter:@oktk0501

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