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対⾯授業と遠隔授業のハイブリッドの授業(池田 修:京都橘大学発達教育学部 教授) #こころのディスタンス

今回、急速に導入が求められたことに、リモートワーク、リモート授業があります。数か月前はそんなことをするとは、少しも考えていなかった所が大多数のはず。急速な体制作りには、どんな苦労があったでしょうか。そこからどんな可能性が見つかったでしょうか。授業作りの専門家である池田修先生に、今回の事態に合わせて大学の講義を作っていく中で、明確になってきたことについて、お書きいただきました。

 みなさん、こんにちは。
 京都橘大学発達教育学部の池田修と申します。小学校、中学校の教員養成をしております。

 2020年度は、4月から遠隔授業をしています。
 新型コロナウィルスの感染対策として、大学では新学期から遠隔授業をしています。本学では、最初の2週間だけ遠隔授業し、その後、3週目からは対面授業と言う予定を組んでいました。しかし、緊急事態宣言を受け、前期は基本的に遠隔授業で行うということを決めました。

 私は、2週間のみ遠隔事業が行われると言う判断があった時、二つのことを思いました。

これからは遠隔授業が大切になるだろう。ただ、遠隔授業なんてめったにできるもんじゃないし、授業づくりを研究してる身としてはやっておいた方が良いなぁ

という思いが半分。そして、

この様子だと2週間では終わらないなぁ。おそらく前期いっぱいは遠隔授業になるんじゃないかな

という2つの思いがあって、とにかく始めました。

 それまでの私と言えば、東京の会議に行くことができない場合、Zoomでの参加をする位の知識と経験でした。

 それからもう大変。どうやってZoomで授業を進めれば良いのかを、必死になって考え、調べる日々。最大の懸念は、

Zoomの授業で、コミニケーションは大丈夫なのか?

でした。

 今まで私たちが経験してきた多くの授業は、一斉授業と呼ばれるものです。1人の教師が教壇に立って、多くの児童生徒、学生たちに向かって授業を進める。その際、学習者の様子を見て、コミニュケーションをとりながら、進度や説明の調整をしていくというのが授業の進め方でした。

 それが遠隔授業と言うスタイルになって、どうなるんだろうか? できるのであろうかという思いがとても強くありました。

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 アジャイルという言葉があります。

 日本語で説明すると、短期間の間に試行錯誤を繰り返して間違いを見つけ修正をしながら前に進むという言い方で良いでしょうか。まさにこのアジャイルでした。

 私も遠隔授業をするのは初めてですが、学生たちも当然初めて。しかし、授業の場合、授業をする側にその責任はあります。うまくいかない場合は、教師の側に責任があります。だから必死になって勉強をするしかありませんでした。

 最初は、YouTubeに動画を録画して、それを見させる遠隔授業でした。これで、学生さんたちが、モニター越しの授業になれるという目的もありました。そして、その次からZoomでの遠隔授業となりました。

 初めの頃の遠隔授業は、ものすごく疲れました。
 何で疲れるのか最初の頃は分りませんでしたが、疲れました。多分、以下のような理由があったのでしょう。

1.モニターを見続ける
2.体を動かさない
3.照明で目が疲れる
4.声の反応がなくわかりにくい
5.やりとりが少なくなるので、同じ時間内に与える情報が多くなる
6.授業をする自分を見てしまう
7.授業内容ではなく、操作の取り扱いの質問がチャットでくる
8.ゆっくり、はっきり話すことを強く意識する

 私の場合、授業づくりの仕方を教えているので、遠隔授業をしている姿そのものは、一つの授業づくりの見本になっているということにもなっていました。通常の授業であれば、ほぼ完成しているものを元に授業を進めることができます。しかし、今回の場合は毎週新しいことにチャレンジしているそのドタバタを見せながらの授業づくりということになりました。これは実に大変でした。

 どんな授業であっても、授業の内容についての専門性は大学の教員にはあります。しかし、それをICTを活用して行っていくスキルまで持っている教員は多くありません。簡単言えば、一人でテレビ局を開設して、そこで番組を作って放送する業務をしながら、授業もするということをやっています。これを日々修正しながら、アジャイルでやっていくというのはかなりヘビーなことでした。

 だから、疲れたのだと思います。

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 しかし、その疲れもどんどんなくなって行きました。それは、二つの理由が考えられます。一つは、私も学生も遠隔授業用のツールであるZoomになれたこと。もう一つは、遠隔授業の仕方、受け方になれてきたことがあると思われます。

 簡単に言えば、遠隔授業には遠隔授業の仕方、受け方があり、それは対面授業とは別のものなのだということを理解し、実行できるようになってきたからだということです。これが分かってから随分と楽になったように思います。

 例えば、遠隔授業では、学生たちとのコミュニケーションは取れないのではないだろうかという疑念がありました。しかし、二ヶ月半やってきて思うのは、なかなかいいかもしれないということと、場合によってはむしろ遠隔授業の方がいいかもしれないということです。

 もう少し言ってしまえば、もう私達は、新型コロナ以前の対面授業の世界には戻れないということがわかったということです。そこには今までの授業ではなかった新しいコミュニケーションが生まれてきたのではないかと思われるのです。思いつくままに書いてみましょう。

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丁寧になる

 話し方が丁寧になる。これはとても感じています。いや、今まで私が暴言を吐いて授業をしていたというわけではありません。しかし、対面授業では、一番近い距離に座っている学生でも2メートル離れていますが、遠隔授業では50cm向こうのモニターに、それこそ最前列に座っている感じで、学生たちがいます。大きな声で話す必要がなくなり、丁寧に話していることに気がつきました。

 もちろん、遠隔授業を受ける学生たちは自宅で受けることが多く、それは時に家族の人たちが「参観」していることがあり、また、録画されていることもあるということから丁寧に話しているということもあるやもしれませんが、何れにしても、話し方は丁寧になっているなあと思います。

 また、モニターには、学生たちの顔と一緒に名前が表示されるので、150人を超える授業であっても、呼びかける時はその学生の名前を呼ぶことができます。「池田さん」のように呼びかけるのは、通常の授業ではなかなか難しいですが、オンラインでは簡単なのです。

ビデオを消す

 小学校の授業などでは、「作業が終わった人は鉛筆を机の上に置くこと」のような指示が出ます。これで全体の作業の進み具合を確認します。大学でも対面の授業の時は、そのようなところを確認して進度を見ます。しかし、Zoomではこれができません。手元が見えませんから。

 Zoomには「反応」というボタンがあり、それを使って学生たちは「いいね」や「拍手」の意思表示をすることができます。しかし、これはワンテンポ遅れると感じています。

 私は、そんな時「手を振ってください」というようにしています。大きく頷くことでもわかりますが、どうもわざとらしい。そこで、分かった人、終わった人には手を振ってもらうということをしています。これは簡単でわかりやすくてなかなかいいですね。

 さらに、作業中はビデオを消すということもあります。一つの課題をするのに5分とか10分とかかかることがあります。その際、私は「ビデオをミュートしてください」と指示を出しています。通常の対面授業であれば、作業をしている時、教師は机間巡視をして学生たちの進度を見ながら、質問に答えたりもしています。しかし、それをせずにビデオをミュートしろというのです。

 作業中、私のモニターには、学生たちの顔しか見えません。作業しているその内容が書かれるノートなどは映りません。これでは、進度はわかりません。また、学生たちの側からすれば、その作業している姿をじっと見られるのは、いい感じがしないのではないのだろうかと思ったのです。だから、作業中はビデオをミュートにしてやることを指示しました。そして、完成したらビデオをオンにしてくださいとも伝えました。これで、「できた人は、鉛筆を置いてください」と同じように、進度がどれぐらいなのかを確認することができたのです。

 一つだけ例外だったのは、書写の授業です。書写の授業では書かせたのですが、書いている文字は私は見ることはできません。筆の持ち方もわかりません。つまり、他の学生たちも見ることができません。筆の字が得意ではない学生たちにしてみれば、晒しものにならなくていいので安心して書けます。それならば、ビデオをミュートでもいいではないかという考えもあるでしょうが、ここはオンにしました。というのは、書くときの姿勢も大事だからです。この姿勢によって書かれる字も決まってきます。そこで、オンにしました。

 さらに課題のある学生には、プライベートチャットで指示を出せます。本人だけに注意ができます。これもなかなかよかったですね。

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チャットで反応を得られる

 遠隔授業では、教員の側からの一方的な授業になってしまうのではないかという予想はありました。学生たちは、基本的にはマイクはオフにしてありますので。指名したあと、マイクをオンにして話す事になります。これはなかなか大変だと思っていました。

 ところが、対面の授業では考えられないことが起きました。

 例えば、教職入門(初等)という授業では、160人以上の学生たちにリアルタイムで授業をしています。この学生たちと対面の授業で意見を集めようとすると、なかなか大変です。まさか、中学生のように、黒板に出てきて意見を書きなさいと指示することもできませんし、したら大変なことになります(^^)。

 しかし、Zoomでは、チャット機能を使えば非常に簡単です。例えば、

「教師は子供との信頼関係を築くために、子供に嘘をついてはなりません。約束も守らなければなりません。守れない約束はしてはなりません。しかし、私は二つだけ、教師がついていい嘘があると考えています。その嘘はなんでしょうか?」

とすると、これが1分後には、100ぐらいの答えがチャットに届きます。壮観ですらあります(^^)。そこからトピックを取り上げて授業に生かすことができます。素晴らしいことです。

私語がない

 私の授業はおかげさまで、基本的に私語のない授業です。ペアトークなどの時間は大いに話してもらいますが、私の説明の時は私語はありません。残念ながら、これは実はなかなか珍しい授業になっています。

 ところが、遠隔授業では誰もが私語のない授業を作ることができます!というか当たり前です(^^)。

 パソコンのモニターには、25名の学生たちが映っています。100人の授業だとその画面が全部で4枚となります。私はそれを行ったり来たりしながら授業をしています。しかし、静かです。そりゃあそうです。モニターには100人いますが、彼らのマイクは切ってあるし、彼らの横には私語をする相手もいませんから。これは、対面授業では全く考えられないことでしょう。だから、学生たちの中には対面授業より、遠隔授業の方が集中して学べるという言い方をする者がいるくらいです。

 ところが、これが弊害も生んでいます。何かちょっと困った時に聞く相手がいないのです。聞き逃した言葉を確認するとか、自分のでやり方が合っているのかなどの確認ができないのです。これには参りました。

 で、今取っている対策は、「授業中にLINEをやれ」です。

 対面授業で授業そっちのけでLINEをしていたら、私は叱ります。しかし、ここは遠隔授業。遠隔授業には対面授業とは違うルール、コミニュケーションがあるはずです。LINEを立ち上げておいて、隣の人に確認すべきことはLINEで聞けばいいとしています。または、チャットに流せと。そうしたら、誰かが答えてくれます。

 私は授業規律は厳格な方なので、この提案をした時学生たちはとても驚いていました。しかし、繰り返しますが遠隔授業には遠隔授業のルール、コミュニケーションがあるはずなのです。目的や状況が変わったら、それに合わせて変更する。これが必要なはずです。

参加の仕方

 対面授業では考えられなかったこととしてあるのが、全員が最前列で授業を受けている感覚になるというものです。私にも経験がありますが、授業をする教師と授業を受ける学生の物理的な距離というのは、なかなか意味があるものだと思っています。その先生のパワーが凄すぎて、前で受けると全面的に賛成になってしまうので、後ろの方で批判的に聞きたい。逆に、そのエネルギーを得ながら、最前列で先生の意見を批判的に聞きたいとかもあります。

 それが遠隔授業では強制的に最前列です。これでは厳しい学生もいるでしょう。そこで私はビデオはオンにすることを推奨をしていますが、オフでも気にしないことにしています。幸いにして、電波状態が悪かったり、カメラが壊れていたり、付いていなかったりして画像が映らない場合があります。そういうことにしておいて、そのままにしてあります。

 授業を受ける学生が主体的に距離感をえる。これは、実は大事なこと。一律に最前列に座らされることの中で考えなければならないことでしょう。

 しかし、面白いもので、それだから授業が受けられるという学生も出てきます。集団の中で授業を受けるのは苦手だけれども、遠隔授業で一人で受けて、映像的に集団の中にいるのは大丈夫だという学生も出てきます。義務教育でも不登校の子どもが遠隔授業なら問題ないということも生まれてきています。

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 私は、授業が終わると手を振りながら、学生たちがZoomから退出していくのを見守ります。学生たちも「先生、さようなら」と声をかけてくれます。対面授業でもあることはありますが、こんなに多くの学生たちが普通に挨拶をしながら去っていくのは、遠隔授業の方が圧倒的に多いです。

 私は、はじめに「もう私達は、新型コロナ以前の対面授業の世界には戻れないということがわかったということだ。そこには今までの授業ではなかった新しいコミュニケーションが生まれてきたのではないかと思われる」と書きました。そして、ここまでいくつかの事例を挙げながら、それが何なのか、どういうことなのかを話してきました。

 私は、新型コロナウイルスが、落ち着いた時、対面だけの授業に戻るとはどうしても思えなくなっています。おそらく、対面と遠隔のハイブリッドの授業に向かうと思っています。また、緊急事態宣言が解除され、かつての日常のようなものが戻りつつある今、そのオンライン授業であっても、何も自宅で受けるということではなくなっていいのではないかとも思っています。

 ゼミが行われる時間に、ネットに繋がってゼミへの参加が可能ならばどこにいてもいいとして、その現地から参加するというのは、大いにあっていいのではないかと思うのです。ボランティア先の小学校で、調べものに行っている博物館で、気持ちのいい風の吹く公園で。ネットに繋いでゼミに参加する。そんなオンラインの授業はあっていいのではないかと思うのです。

 私も出張で大学にはいないけれども、その時間だけどこぞのノマドオフィスにでも飛び込んで、ゼミをやるというのもありでしょう。さらに、時差の考慮だけで、世界中からゲスト講師を簡単にお招きすることが可能になるわけです。これは、本当にワクワクします。

 新型コロナの対策で無理やり始まった遠隔授業ですが、そこではまた新しい学校での、授業でのコミュニケーションが生まれると思っています。物理的な距離が離れていても、単純に心理的な距離が離れるということではなく、別な親密性すら生まれてきている可能性があると感じています。

 これからの、対面授業と遠隔授業のハイブリッドの授業がとても楽しみです。

*Zoomでの遠隔授業の作り方については、以下のリンクに詳しくあります。

執筆者プロフィール

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池田 修(いけだ・おさむ)
京都橘大学発達教育学部教授。 国語科教育法、学級担任論などを担当。元中学校国語科教師。「国語科を実技教科にしたい」「学級を楽しく経営したい」「作って学ぶ」「遊んで学ぶ」が研究テーマ。著書に『新版 教師になるということ』『こんな時どう言い返す―ユーモアあふれる担任の言葉』(ともに学陽書房)、『スペシャリスト直伝!中学校国語科授業成功の極意』(明治図書出版)などがある。