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ずっと伝えたかったこと(文筆家:僕のマリ)#こころのSOS

自分を追い詰めて悩んでいた彼女に、わたしはなんて言えばよかったのだろう――『常識のない喫茶店』『いかれた慕情』などのエッセイで知られる文筆家・僕のマリさんに、高校時代の友人との思い出を綴っていただきました。

  31歳のいま、なんとなく不調が続いている。そのことに気づくまで、いや、認めるまでにかなりの時間を要した。28歳頃から予兆はあった。風邪を引いたときのダメージが、いくらなんでも大きすぎるのである。いままで風邪を引いても、咳や鼻水、熱くらいの症状で、薬を飲んで休めば三日くらいで快復していた。しかしいまでは、猛烈な吐き気(実際に戻してしまう)と頭痛、凄まじい寒気が風邪の始まりを告げ、そのたびにわたしは「きっとコロナや胃腸炎など、強力なウイルスに感染したのだ」と思うが、病院に行ってもただの風邪と診断されて終わる。

 風邪だけではない。気圧でも具合が悪くなるし、生理前も地獄で、徹夜なんて夢のまた夢、外食も二日続くと身体がしんどい。基本的には自炊で野菜も多く摂り、夜は湯船にも浸かり、散歩をし、それなりに健康には気を遣っているはずなのに、身体にかんして良いところがひとつもない。そして何より、代謝が落ちて痩せにくくなった。二十歳前後の頃なんかは、「たくさん食べて飲むわりには太っていないね」とよく言われた。「たくさん食べて飲むわりには」ということなので、絶対的に痩せていたという話ではない。ただ、好きなだけ食べても大丈夫だった。それが最近では、食べる量も飲む量も明らかに減ったのに、身体の肉が落ちにくい。そしていちばん堪えたのは、ずっと同じサイズだった下着のアンダーがきつくなったことだった。「女性の身体は変わりやすいですから」と言っていた下着屋時代の自分を思い出した。あれだけ毎日言っていたことを、もうすっかり忘れていた。

 思春期の頃、「痩せ」に対する強烈なこだわりがあった。それは自分だけではなかったと思う。みんながみんな、太っているか痩せているかに執着して、そのことばかり話していた。育ち盛りで食欲があったけれど、それを抑えつけてでも痩せたいと思っていた。ジュースを我慢したり、間食を控えたり、食事を抜いてでも、痩せていることが一番いいことだと信じてやまなかった。母の作る食事を残す日もあった。もともと食べることは好きだったし、我慢するのはつらいけれど、太ることのほうが耐えがたい苦痛を伴った。わたしは成長期に少し太り、ダイエットしてもなかなか痩せることはなく、長いあいだ悩んでいた。高校生になると、活動範囲も増えて忙しくなり、自然と痩せた。制服のスカートのウエストがゆるいことが、何よりうれしかった。

 メイクを始めたり、髪を染めたりし出す年齢だったので、美容に関する話題は休み時間や放課後に幾度となく語られた。そのときコンビニスイーツが流行りだした頃で、よく学校近くのローソンで新発売のシュークリームやロールケーキを買っては、友だちと食べていた。痩せたいけれど食べたい、と思う女の子が多いなか、食事のカロリーの吸収を抑えてくれるというサプリが発売された。スクールバッグに潜ませて、お守りのように飲んでいた。

 学年でも目立つタイプだった友だちが、急激に痩せたのは高校2年生のときだった。もともと長身で痩せているほうだったが、165センチで40キロもないくらいに痩せた。棒のように細い足と、筋張った腕に、みんなの視線は集中した。その子のお昼ご飯は、いつもウーロン茶か野菜ジュースだけだった。羨ましいというより、心配する気持ちが先立つ。短期間でそんなに痩せられるもの?と、不思議に思った。ちょっとやそっとでは痩せられないことを知っていたから、尚更心配になった。

 高校時代は、学校、部活、遊びと毎日忙しかった。学年があがるごとに、いつも一緒にいる友だちはゆるやかに変わっていったが、高校3年のときは2年連続で同じクラスだった美奈と仲が良く、放課後もよく遊びに出かけた。その頃、仲間内でスイーツビュッフェの店に行くのが流行っていた。月に何度も行くわけではないが、テストが終わった日やイベントの打ち上げなど、ご褒美のような感じで食べ放題に勇んだ。女子といえど、高校生の食欲は底なしで、みんなお腹がいっぱいになるまで、苦しくなるまで食べた。わたしと美奈はとりわけ仲がよく、食べるのも好きだったので、他のお店でごはんを食べることも多かった。

 一緒にいる時間が長すぎて、気づくのは遅かったけれど、美奈もまた、痩せ始めていた。他の友だちと話しているときに、「美奈、痩せたよね?」と聞かれることも増えた。そう言われると確かに、身長はほぼ同じのわたしたちだが、脚の太さや身体の薄さが明らかに違う。元々は同じような体型だっただけに、その差異に気づくと、ずっと気になってしまった。遊びにいくときはたくさん食べているのに、食べる量に比例するように痩せていく様子が、少し不気味でもあった。遊んだときに撮ったプリクラを見ると、浮腫みやすいわたしは顔に肉がついているのに対し、美奈は常にほっそりとして、顔に陰影があった。でも、なんだか触れてはいけない気がして何も言わなかった。いや、一言くらいは「痩せた?」と言ったかもしれないけれど、深掘りはしなかった。

 美奈は思えば結構謎が多いタイプで、あんまり自分のことを話さない性格ではあった。いつも話すのは、二人が好きな服のブランドのこと、家族のこと、クラスの友だちのこと、そんな当たり障りのない話題だった。誤解を恐れずに言うならば、友だちによって話す内容は違うと思う。深い悩みを相談する人もいれば、楽しいことだけ話す人もいる。それは自然なことのはず。大切で、好きな友だちであることには違いないが、そういうこともある。

 卒業間近、冬のある日もまた、美奈とビュッフェを楽しんで、いつものように服を見て、プリクラを撮り、帰りの電車に乗った。お互い進学するので、しばらく会えないかもね、なんて話をしていたら、ふいに美奈は話し始めた。

「わたしめっちゃ痩せたじゃん? あれ、摂食障害だったんだよね。新体操やってたから体重管理にめちゃくちゃ厳しくて、我慢しすぎて、泣きながらシュークリーム食べた日もあったんだ。それで、自分に厳しくしすぎてごはんを食べるのが怖くなって、吐いたりしてたんだよね。飴ひとつ舐めるのも勇気がいるくらい、変になってて……。それが、ある日、晩ご飯のあと、冷凍のチャーハンを一袋一気に食べたことがあって、そのときに我に返ったんだ。変だって、病気かもって気づいた。あたし妙に真面目だから、痩せなきゃ痩せなきゃって考えて、自分を追い詰めてたんだよね。これから時間をかけて、普通の生活に戻りたいと思ってる。でも、癖みたいになってて、簡単には戻れないかも」

 カラっとした性格の彼女は、こんな内容のことを喋っても、どこか拍子抜けするほどあっけらかんとしていた。声を詰まらせるでも、泣くわけでもなく、淡々と話した。高校生だった自分は、その一瞬ですべてを理解するのは少し難しかったけれど、話している間さえ、美奈がガラガラの電車で座らずに立っていることが苦しかった。その姿は、「痩せ」という呪いに囚われているようにも見えた。たくさんの時間を一緒に過ごしたけれど、彼女が本当に苦しいときに助けることができなかったと、少しの後悔が目の前を掠めた。なんて言ったのか、言えたかはよく思い出せない。でも、できる限り普通の反応をすることに努めた。別れ際、美奈は「でも、まりちゃんいつも普通に接してくれてうれしかったよ。ありがとうね」と言って先に降りていった。

 いつも彼女は、先に電車を降りても見送ったりしない。そのドライさもまた好きだった。いつも明るくて、マイペースで適当なわたしのこともよく褒めてくれて、楽しい時間をたくさん過ごせた。親友だと思った。各駅停車の車両は、駅に着くたびに冬の風が吹き込んできて、鼻をこすったらすごく冷たくなっていた。

 大人になったいま、美奈がどうしているかわからない。連絡先は知っていて、いつでも連絡できるけれど、なんとなくずっとそのまま時が経った。たまに変わるLINEのアイコンを見るぶんには、元気にやっていると思う。その写真のにっこりとした笑顔と、のぞいた八重歯を見るたびに、いつも一緒にいたことを思い出す。姿も形も心も、ありのままでいてほしいと願っている。

◆執筆者プロフィール

僕のマリ(ぼくのまり)
文筆家。1992年、福岡生まれ。著書に『いかれた慕情』(百万年書房)、『常識のない喫茶店』『書きたい生活』(柏書房)、『まばゆい』(本屋lighthouse)がある。日記ZINEで『清潔な寝床』『すべてあたたかい海』『実験と回復』も刊行。

◆主な著書


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