見出し画像

大災害時におけるこころのSOSにどう応えるか(上智大学名誉教授/多文化共生社会研究所特任所長:久田満)#こころのSOS

この度の能登半島地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また被災された方々に対して心よりお見舞い申し上げます。

特集「こころのSOS」の最後に、大災害に見舞われた人々に対して「心のケア」としてできることは何かを考察します。コミュニティ心理学がご専門で、長らく東日本大震災後の心理的支援に携わってこられた久田満先生に、詳しくご解説いただきました。

災害は忘れたころに突然

 2024年元旦。例年のように日本全国の家庭では「おめでとう」のあいさつが交わされていただろう。おせちをつつき一杯やっていた人もいただろう。テレビの正月特番を眺めながら、お雑煮を頬張っていた人もいたに違いない。石川県能登地方でも、里帰りしてきた子や孫、ひ孫に囲まれて、頬を崩していたおじいちゃんやおばあちゃんがたくさんいた。そのようなありふれたお正月の光景が一瞬にして激変した。後日、令和6年能登半島地震と名付けられた。
 最大震度7、マグニチュード7.6。このエネルギーは阪神淡路大震災や熊本地震を超えるという。確実に日本の歴史に刻まれる大きさであった。1か月後の2月1日時点での被害状況は、死者240人、安否不明者15人、家屋の倒壊等4万7904棟、そして1万4000人以上が避難所生活を強いられている。
 その日のそのとき、私もウトウトしながら東京の自宅でテレビを眺めていた。と突然、その番組が変わり、アナウンサーが叫び始めた。「今すぐ、高台に逃げてください!」。NHKはもちろん、各キー局の報道担当者も同様の叫び声をあげていた。
 石川県(といっても被害の少なかった加賀地方)出身の私は、一瞬唖然とした。曖昧ながらも状況が理解できるようになると、家族や親族は無事なのか。幼馴染は大丈夫なのか。そんな不安に駆られながらテレビの画面を見続けていた。
 夕方になって「小学校時代の同級生LINE」にこう書いてみた。「今更ですが、みんな大丈夫ですよね?」。そんなシンプルな問いかけに次々と返信が続いた。「死ぬかと思った」「覚悟した」「命あることに感謝」「家族全員無事なのが救い」「余震が続いていて気が抜けない」「家の中はぐちゃぐちゃですが、能登に比べれば大したことはないと思わないと……」。九谷焼作家の彼がこう伝えてきた。「作品が棚から落ちた。泣きながら片づけている」。
 そうだった。石川県には伝統工芸をなりわいとしている人がたくさんいる。輪島塗、金箔、加賀友禅。全国的に有名な酒蔵も多い。何百年と続く伝統が一瞬にして砕け散ったように思えた。

大災害時に必ず発生する心理的問題

 これまでの自然災害と同じように今回の能登半島地震でも、災害に伴って生じる次のような心理的問題が被災者を苦しめるだろう。

1.心的外傷後ストレス障害(PTSD)

 私の記憶では1995年の阪神淡路大震災のときから世間に知られるようになった。長く大きく揺れる家では、先ほどのLINEメッセージのように「死ぬかと思う」ほどの衝撃に襲われる。今回の能登半島地震の特徴でもある、長期にわたって続く余震が追い打ちをかける。1か月経っても恐怖と不安で熟睡できない被災者も少なくないであろう。目の前で倒壊してきた家の下敷きになる人や津波に流される人を見かけただけでもPTSDの原因となる。

2.喪失体験

 震災関連死を含めて、2月1日の現時点で240人の犠牲者が報告されている。ということは、それら犠牲者の家族や親しい友人、同僚らが対象喪失状態にあることが推測できる。対象喪失には特有の悲嘆反応が伴うが、一人の犠牲者の周辺には5~10人の対象喪失体験者が悲嘆にくれている。命を落したペットの数も含めると1000人を超える人がグリーフケアの対象となるだろう。先に紹介した九谷焼作家の場合は、一つひとつの作品がわが子のように思えるそうで、それらが粉々になったことは金銭的な喪失というより、まさに対象喪失である。
 さらに、安否不明者15人の周囲には、いわゆる「曖昧な喪失体験」で苦しんでいる人々がいることも忘れてはならない。亡くなったのか、どこかで生きているのか曖昧な状態は、提唱者のミネソタ大学名誉教授ポーリン・ボスによると、回復には大きな困難と長期にわたる苦悩が伴うという。

3.生存者罪悪感(サバイバーズ・ギルト)

 これも大災害時には必ず生じる問題である。生き残った人が罪悪感に苦しむという現象である。
 災害時にしばしばテレビ報道される場面でこのようなものがある。現地のリポーターが被災者にマイクを向ける。彼には同居していた実母と妻、そしてまだ幼い子どもがいたという。仏壇の隣に並んでいる一人ひとりの写真がテレビ画面に映し出される。ただ一人生き残った彼は「亡くなった家族の分まで一生懸命に生きたい」と絞り出すような声で語り、インタビューが終わる。
 この種の映像を観ていた人々はいったい何を感じるのであろうか?「なんて不幸なことだろう。かわいそうに」なのか「なんて立派なご主人だろう。これからの人生がんばってほしい」なのか。この場面を放映した、あるいはさせた側の意図は私には理解できない。
 生存者の罪悪感はそう簡単には消えないものである。一生抱えて生きている人も多い。そのような被災者の心に切り込んでいく報道は、時に凶器ともなる。

4.生活ストレス

 PTSDも対象喪失も必ず専門書に記載されている。生存者罪悪感も徐々にではあるが知られるようになった。その一方で、被災後の生活ストレスに関しては定義も種類も不明確であり、あまりにも当然なのか、詳細に検討されていないように思われる。よく知られているホームズらによる「元の生活に再適応するための心のエネルギー」と捉えれば、衣食住の確保、安定した収入、職業生活・学校生活の再開、趣味や生きがいのある暮らしなど、支援者が取り組むべき数多くの課題がある。
 ストレスの悪影響を緩和する要因として古くからソーシャルサポートが注目されてきたが、被災地にサポートネットワーク、すなわち「コミュニティ」を再建することが心の平穏につながっていくといえるだろう。

心理的問題への対処としての援助要請

 長谷川櫂(2011)『震災歌集』(中央公論新社)に次のような短歌が並んで掲載されている。東日本大震災の混乱期に、長谷川氏が詠んだ作品である。

被災せし老婆の口をもれいづる「ご迷惑をおかけして申しわけありません」
身一つで放り出された被災者のあなたがそんなこといはなくていい

長谷川櫂『震災歌集』(中央公論新社)

 発災1週間後のニュース番組では、水すらも手に入りにくい極寒の避難所から、暖かくてお風呂もある二次避難所に移動した高齢者が「これ以上を望んだらバチが当たる」とつぶやく様子が放映されていた。これこそが海外から賞賛される日本人の美徳、謙虚さだろう。しかし、大災害時では本当に美徳なのであろうか? 我先にと救援物資を奪い取るような被災者がいてもおかしくはないと思う。
 困っている人や苦しんでいる人が他人に援助を求めるとは限らない。これは1980年代から始まった援助要請行動研究における大前提である。上記の高齢者のつぶやきには大災害の被災者に共通する心情や願いが鮮明に描かれている。支援される側の心情に十分配慮しないと、ただのお節介、いやありがた迷惑となる。
 PTSDや対象喪失の場合、被災者は自分自身に何が起きたのか理解できないことが多い。「この異様な不安は何なのか」「毎晩のように悪夢をみるのはなぜなのか」「かつて経験したことのない虚しさや憤りはどこから来るのか」。たとえ授業で習った概念でも実際に体験してみないと解らない。そのために専門家への援助要請を躊躇するのだが、そんな被災者には「異常な状況で生じた正常な反応ですと伝える」と専門書には書かれている。しかし、その言葉だけで不安や怒りが消えていくとは思えないし、支援を求めることにはつながらないだろう。
 生存者罪悪感の場合は、むしろ他者からの援助を拒絶する。自分自身の行動や存在自体を否定している人が「あなたの取った行動は仕方がなかったのです」と慰められてもうれしくはないだろう。ましては「生き残っただけでも幸運ですよ」などと言われれば逆に反発したくもなる。
 生活ストレスに関する援助要請については、生命の維持が困難な場合でも助けを求めない人が少なからずいるのが現実だ。それが原因の一つとなって「震災関連死」が起きる。上記の短歌のごとく「ご迷惑をおかけして申しわけありません」とか「私より〇〇さんを助けてあげて下さい」という。どうやら日本人は謙虚なだけではなく、他人(人様)に少しでも負担をかけることを極端に嫌う民族のように思える。満員電車の中で席を譲られると「すみません」とか「ごめんなさい」と言う。助けられた人は助けてくれた人に対して「ありがとう」と言うべきである。
 大災害時という極限状態においてもストレートに助けを求めない日本人に対して、どのように支援の手を差し伸べるべきだろうか? 簡単には答えが出ないが、一つヒントを挙げるとしたら、「代理援助要請」という方法を探ってみるのもよいかもしれない。「代理援助要請」とは支援が必要なAさん本人からの「SOS」を待つのではなく、Aさんの周囲の人に働きかけるという方法である。たとえば、実は困っていて誰かに助けてもらいたいAさんが信頼している家族や同僚、ご近所さん、先輩や後輩、役所の顔見知りに支援者が働きかけて、Aさんに代わって「Aさんを助けて欲しい」と叫んでもらうのである。人様(代理として援助を求めてもらう周囲の人)に迷惑をかけることを嫌う日本人の特性を活かすという考え方だ。
 PTSDでは周囲が異変に気づく場合が多い。対象喪失の場合でも、普段と異なる行動に対してその理由(喪失体験)がわかりやすい。問題は生存者罪悪感である。心の奥底に密かに隠した金庫の中を自分以外の誰かには決して見せたくない人に対してどう支援すべきか。極めて困難な課題である。
 しかし、そのような心理的問題でも、援助要請行動を生起させる基本は被災者から信頼されることである。つまり、被災者支援で最も重要なことは「被災者からの信頼を得ること」である。それをおろそかにしては、たとえ被災者のニーズに合うような支援を提供しても、被災者には届かない。

フェーズという考え方

 たまたま目にした動画では、大学の先生が大災害時における心のケアについて解説していた。この種の動画がネット上に星の数ほど存在するという。阪神淡路大震災のときには想像もできなかったことである。忙しそうに動いている人に声をかかるとか、遠方に住んでいる専門家にちょっと来てほしいとは言えないが、タブレットやスマートフォンがあれば有益な情報が手に入る時代になった。
 その動画では、メンタルケアの基本が語られていた。大災害後のケアはフェーズに沿って行われなければならないというような趣旨だった。建物や道路の復旧ならば納得できるが、心のケアにはフェーズという概念は不要である。最初から取り組むべきであり、長期にわたって実施し続けていかなければならないものだからである。食べ物や飲み物が手に入るようになり、インフラが復旧してから始めるのでは遅い。跡形もなく崩壊したわが家を眺めて呆然となる。余震が続く暗い避難所で先行きの不安を感じる。自分も被災しているにもかかわらず住民のために不眠不休で働き続ける。たとえばこんな被災者には心のケアが必要である。
 子どもの不安や緊張を緩和するリラクゼーション技法や遊び場の提供、フレイルやエコノミー症候群の予防のための高齢者向け体操教室も、その場に語らい、触れ合い、笑い声があるだけで立派な心のケアとなる。そして何よりも、信頼できる人(家族、友人、ご近所さん、学校の先生など)がそばにいることが最も有効なケアであり、援助要請行動を生起させる原動力にもなる。

おわりに

 東日本大震災でも、いわゆるボランティアと呼ばれる人々が全国、いや全世界から駆け付け、家の清掃やがれきの撤去といった作業に従事した。しかし、それらボランティアの数がピークに達したのは発災から約2か月後の5月であった。連休でもあり、天候も好条件だったことも要因であろう。しかし、その後は急激に減少し、1年後にはピーク時の約15%程度となった(全国社会福祉協議会報告書)。果たして今回の能登半島地震ではどうなるのだろうか?
 スタートダッシュも必要であるが、長距離走にも耐えうるコミュニティ内のサポートシステムの構築もまた重要である。

◆著者プロフィール

久田 満(ひさた・みつる)
上智大学名誉教授兼多文化共生社会研究所特任所長。専門はコミュニティ心理学。

◆主な著書



みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!