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心の支援を面接室の外の世界に広げよう(京都大学学生総合支援機構教授:杉原保史) #誘惑する心理学

これまで主流の心理支援においては、クライエント個人に働きかけ、その心に変化をもたらすことで問題を解決してきました。しかし、クライエントの問題の多くは、社会や環境を抜きにして語ることはできません。近年、こうした要因を考慮に入れ、社会に働きかけるアプローチが重視され始めています。この心理支援の新しい展開について、杉原保史先生にご解説いただきました。

1.面接室内で完結する心の支援

心の支援にはいろいろなものがあるが、最もオーソドックスな形は、クライエントとセラピストが面接室という密室で継続的に会って話をするという形のものだろう。個人心理療法と呼ばれるこうした心の支援では、面接室でのセラピストとの対話を通して、クライエントの心理状態や性格や行動傾向を肯定的な方向に変化させることが目指される。

セラピストは、面接においてクライエントから情報収集し、面接におけるクライエントの振る舞いを観察し、場合によっては心理テストをして、クライエントの心理状態をアセスメントする。クライエントがどんな心の問題を抱えているか、そしてその心の問題をどのように改善させていけばよいかが検討され、セラピーの方針が立てられる。このように、オーソドックスな個人心理療法では、クライエントを、その生活環境から独立した個別の存在として観察し、その心の内部にある問題を見立てる。そこでは、生活環境から切り離された密室におけるセラピストとの対話を通して、その心の内部の問題を変化させることで、治療が成し遂げられるものと考えられている。

さて、ここであらためて指摘したいのは、こうしたオーソドックスな個人心理療法のモデルでは、クライエントの苦悩を改善するために、変わるべきはクライエントただ一人だということである。オーソドックスな個人心理療法は、クライエントを取り巻く生活環境や社会はまったく変化しないままで、クライエント個人のみが変化することによって、クライエントの苦悩を解消することが可能であるという考えを前提としている。果たしてこの考えは妥当なものであろうか?

2.環境の問題が心の苦悩を生み出しているケース

人が憂うつ感に苛まれたり、不安や焦燥感に駆られたりするとき、そうした心理状態をもたらすのは、その人の感じ方や考え方といった心の中の問題なのだろうか。多くのケースにおいて、確かにそのような説明が妥当であるように見えるかもしれない。しかし、中には明らかにそのような説明が不適当と思えるケースもある。

たとえば、生活環境において、日々、繰り返し人格を攻撃され、努力を否定され、暴力を振るわれている人たち、つまり、いじめ、ハラスメント、D V、差別などの被害にあっている人たちのことを考えてみよう。こうした人たちは、憂うつになり、投げやりになり、無気力になり、死にたいとさえ思うようになり、個人心理療法のオフィスを訪れるかもしれない。このとき、こうした人たちの憂うつ感は、上に述べてきたような個人心理療法のモデルによって治療することが適切なのであろうか。こうした人たちの感じ方や考え方を変化させ、憂うつを緩和することを目指すべきなのだろうか。

こうした環境において憂うつになり、無気力になり、死にたいとさえ思うのは、健康な心の自然な反応なのではないだろうか。ここでの問題は、その個人の心の内部にあるわけではなく、生活環境にある。こうした場合、生活環境の問題を放置して、ただ苦悩を抱えた個人に焦点づけ、その個人の中にある心理的問題のみを変化のターゲットにするのは、不適切なことだと言えるだろう。

オーソドックスな個人心理療法は、こうした点をよく考慮しないままに実践されると、問題のある環境をそのままに持続させることに寄与するものとなってしまう。大きな社会の視点から見るとき、オーソドックスな心の支援は、社会の問題を不問にし、そのままで維持することに役立つ、保守的な社会装置となってしまう危険性を抱えている。今、この社会において、オーソドックスな心の支援(精神科医療も含む)は、すでにそのような役割を果たすものとなってしまっているのではなかろうか。

3.環境のありようが背景で働いているケース

上に見てきたのは、いじめ、D V、ハラスメント、差別など、環境側に問題があることが明らかであり、それによる被害を訴えるクライエントの場合、クライエント個人への働きかけだけでは不十分だということだ。そのような場合には、むしろ環境の問題を取り上げ、環境に働きかけていかなければならない。

では、いじめ、D V、ハラスメント、差別など、問題のある環境による被害を訴えるケース以外ではどうだろうか。そうした被害を訴えている訳ではない、多くのクライエントへの心理援助においては、個人心理療法のモデルはそのままでじゅうぶんに適切なのだろうか。

たとえば、テスト不安を示す学生のケースについて考えてみよう。彼は、テスト期間が近づくと、不安でたまらなくなり、食事もろくに食べられないし、夜もよく眠れなくなってしまう。彼は、これまでの試験では多くの科目で優秀な成績を収めてきた優等生なのである。しかし、友人がその事実を取り上げて安心させようとしても、彼は、自分は本当は無能なのであり、人の百倍努力してやっと人並みのレベルに追いつけるのだと強く主張し、きっと今度の試験では自分の本当の能力があらわになってしまうだろうと言い募り、少しも安心することはないのである。

この学生の不安は、常識的には理解しづらいであろう。学校生活においては試験があるのは普通のことであり、取り立てて環境に問題があるようには見えない。それゆえ、多くの人が、彼の心の中に問題があると考え、オーソドックスな個人心理療法を受けることが適切だと考えるかもしれない。変わるべきは彼の心の中にある問題であり、環境は関係ないと考えるかもしれない。

しかし、彼のテスト不安を、家族の文脈で考えてみたらどうなるだろうか。上昇志向の両親から、常に学業上の成功を期待されて育ってきていたとしたらどうだろうか。組織の文脈で考えてみたらどうなるだろうか。つまり、進学校で、教師から、偏差値の高い大学に合格することこそが成功であり、失敗すれば、生涯、落伍者としての人生を歩むことになるなどと、不安を煽られて育ってきたとしたらどうだろうか。

さらには、現代の社会や時代や文化という大きな文脈から捉えてみたらどうなるだろうか。現代社会は、新自由主義的な価値観や考え方が優位な社会である。新自由主義は単に政策の基礎にある経済学的な考え方であるだけでなく、社会における暗黙の規範を形成し、人の生き方に影響を与えるものでもある。現代の新自由主義的な社会では、自由競争が肯定され、格差が拡大し、そこで負け組になるのは自己責任とされる。そこでは、自分自身を市場における商品と見なし、他者を市場における潜在的な競争相手と見なし、自らの価値を高めるためにあらゆる機会を捉えて自己投資することが、個々人がこの社会に適応し、生き残るための、当然の戦略とされている。子供を持つことの経済的合理性さえ問われるほどに、進学、就職、転職、結婚など、あらゆる人生の選択において、経済的観点が非常に重視される。こうした新自由主義的な社会における自己のあり方は、企業家的自己(entrepreneurial self)と呼ばれることもある(畑山, 2012)。

こうした社会的・歴史的文脈を踏まえると、上の学生のテスト不安はどのように捉えられるだろうか。こうした社会のあり方が、彼のテスト不安を大きく膨らませる背景的な条件になっていることが見えてくるのではないだろうか。もちろん、同じ社会で生きながら、この学生のようにはテスト不安を感じない人の方が多いのだから、現代社会のありようはテスト不安の唯一の単純な原因とは言えない。だからと言って、現代社会のありようは、彼のテスト不安とは無関係だと断じてしまうとしたら、それは乱暴な話であろう。また現代社会のありようを、瑣末な、表面的な、あるいは周辺的な要因だと考えるとしても、やはり乱暴な話であろう。社会のありようが違っていたら、そもそも彼はこのような不安に苛まれることはなかったかもしれないのである。

4.心と環境は1つのプロセス

ここまで、心の苦悩は、その個人の心の中の問題によってもたらされる面もあれば、その個人を取り巻く環境の問題によってもたらされる面もあるということ、そして、ケースによって、環境要因が圧倒的に重要であるように見える場合もあれば、環境要因は背景的に作用しているように見える場合もあるということを見てきた。

いずれにせよ、個人の心とそれを取り巻く環境との間には、複雑な相互作用がある。そもそも、「心」は、「環境」との相互作用の中に置かれて初めて意味を持つ概念だとも言える。そうした心の見方は、文脈的ないしシステム的な見方と呼ばれている。こうした見方においては、心と環境は、実のところ、はっきりとは分離できない1つのプロセスを形成するものだとされる。1つのプロセスを構成する2つの要素を、人為的・便宜的に概念化したものが「心」であり「環境」であるとされる。そこでは、個人の心を環境から切り離し、単独で評価することは、あくまで便宜的にのみ意味があり、本質的には無理があると考えられている(Wachtel, 2014)。

こうした文脈的でシステム的な心の見方に依拠すれば、どのような心の苦悩にも、個人内部の要因と、環境の側の要因とが、共に作用しているということになる。心の苦悩は、常に、個人と環境の共同作品だということになる。何を「問題」と見なし、どこに働きかけていくかを考えるに際しては、どのようなケースであれ、個人内部の要因と環境の要因を常に視野に入れておくことが必要だということになる。

5.心理支援者は自らの社会責任を自問しよう

心理支援者の面接室には、心に苦悩を抱えた人たちが、日々、ひっそりと訪れる。ずっと一人で苦悩を抱えてきて、心理支援者にだけ打ち明ける人もしばしばいる。クライエントのそうした苦悩には、クライエント個人の感じ方や考え方だけでなく、家族のあり方、学校や企業などの組織のあり方、大きな社会のあり方など、その個人を取り巻くさまざまなレベルの環境のあり方が常に何らか関わっている。

その時、心理支援者自身が、クライエントを生きづらくさせているそうした家族や組織や社会のあり方を問題と認識しておらず、むしろ家族や組織や社会のそうしたあり方が現状維持されることに寄与している一人であるなら、そのクライエントの苦悩をうまく理解できないだろう。クライエントがうつや不安といったつらい感情状態にあることを査定することはできても、そうしたクライエントのうつや不安に深く共感することはできないだろう。

われわれは誰しも、特定のあり方の社会の中の特定のあり方の家族に生まれ、物心がついた頃から、特定のあり方の組織に所属して生きていく。そうしたあり方には、いい面も悪い面も含まれているだろうが、われわれは自らが所属する家族、組織、社会のあり方を丸ごと、自然のものとして、自分らしい自分のあり方に取り入れていく。自分にとっては空気のように当たり前のことが、同じ家族、組織、社会に所属する誰か他のメンバーにつらい思いをさせ、声を上げることさえ困難にさせているとしても、それに気づくことは容易ではない。

なぜ、LGBTQなどの性的マイノリティの人たちには、シスジェンダーの異性愛の人たちよりも、メンタルヘルス上の問題を呈する人が多いのだろうか。なぜ非正規雇用で働いている人たちには、正規雇用で働いている人たちよりも、メンタルヘルス上の問題を呈する人が多いのだろうか。なぜ、メンタルヘルスの相談窓口には、女性からの相談が多く、男性からの相談が少ないのだろうか。そこには、現在のわれわれの社会のありようが反映されている。そして、心理支援者もまたそうした社会のありように無自覚に寄与しているかもしれない。

以上の考察は、心理支援者にとって、面接室に来談する人々を取り巻く環境の問題について理解することがいかに重要であるかを示している。心理支援者には、現在の社会が抱える問題に関心を持つことが必要だし、政治に関心を持つことも必要である。

「クライエントの生育歴には関心がない」などと言う心理支援者はいない。そんな心理支援者がいたら、同業者から怪訝な目で見られるだろう。しかし、「政治や社会問題には関心がない」と言う心理支援者はしばしばいる。同業者の多くもその発言に特に驚かない。心理支援者は心を扱う専門家だから、個人の内面と関わることには関心を持つべきだけれども、政治や社会問題には関心がなくても構わないと考えているのだろう。しかし、この小論でここまで見てきたように、心の支援を心の内面だけに関わるものと捉える捉え方は、不適切なものである。そしてそれは、もはや時代遅れのものでもある。

近年、心の支援では、支援者によるアドボカシー活動(権利擁護活動)がますます重視されるようになっている。すなわち、面接室の中でクライエントに働きかけるだけでなく、場合によっては面接室の外でクライエントのために行動することも、心理支援者の大事な仕事だと考えられるようになってきている(杉原, 2021;蔵岡他, 2023;和田ほか, 2024刊行予定)。

日本国内では、心理支援者のアドボカシー活動は、D V被害者支援や、性的マイノリティ支援、ハラスメント相談など、いくつかの例外的な領域を除いて、まだまだ不活発であるように見える。しかし欧米圏の動向は、日本国内のこうした状況とはかなり違っている。たとえばアメリカ・カウンセリング学会では、倫理綱領において、「カウンセラーはアドボカシー活動を行う」と明記するとともに、カウンセリング専門家のコア・バリューの1つとして社会正義(social justice)の促進を挙げている。学術文献データベース(Web of Science)で、「カウンセリング」と「アドボカシー」や「社会正義」の組み合わせで検索すると、ヒットする文献数はこの20年ほどの間に急増している(図1、図2)。こうした動きは、「アドボカシー・カウンセリング」(Kiselica & Robinson, 2001)や「社会正義カウンセリング」(Ratts, 2009)などと呼ばれる心理支援の潮流をもたらしている。心理学者や心理支援者の社会責任をテーマとする団体もいくつか活動している(たとえば、Psychologist for Social Responsibility; Psychotherapists and Counselors for Social Responsibility)。

図1.「カウンセリング」と「アドボカシー」をトピックに含む文献数の推移
図2.「カウンセリング」と「社会正義」をトピックに含む文献数の推移

面接室の外でクライエントのために行動することは、これまで、この専門領域において推奨されて来なかった。むしろ、守秘義務違反のおそれを高めるとか、クライエントの依存性を助長する危険性があるとかいう理由で、控えるべきだとさえされてきた。しかし、クライエントのプライバシーを守りながら、そしてクライエントの自律性を尊重し、高めさえしながら、クライエントの苦悩の背後にある環境の問題を認識し、その問題を是正するべく共に行動することは可能である。

クライエントの苦悩に深く共感すれば、その共感を面接室の中だけに留めておくことはできないだろう。もちろん、それを面接室の外に広げるに当たっては、さまざまな知恵と工夫が必要であり、クライエントの助けになるよう効果的にそれを行うのは簡単なことではない。けれども、だからと言って、それを最初からしないと決め込むことは、心理支援者の社会責任の放棄であろう。心理支援者は自らの社会責任を自覚し、無理なく自分にできるささやかなことから、取り組んでいこうではないか。

引用文献

  • 畑山要介(2012). ネオリベラルな主体の形成をめぐる問題構成の転換 現代社会学理論研究, 6, pp. 37-49.

  • Kiselica, M. S. & Robinson, M. (2001). Bringing advocacy counseling to life: The history, issues, and human dramas of social justice work in counseling. Journal of Counseling & Development. 79, 387-397.

  • 蔵岡智子・井出智博・草野智洋・森川友子・大賀一樹・上野永子・吉川麻衣子(2023).心理臨床領域における社会的公正とアドボカシーの視点:養成プログラムへの統合を見据えて 東海大学文理融合学部紀要, 第1号, pp.37-53.

  • Ratts, M. J. (2009). Social justice counseling: Toward the development of a fifth force among counseling paradigms. Journal of Humanistic Counseling, Education and Development, 48, 160-172.

  • 杉原保史(2021).倫理・社会正義・政治と臨床実践との統合 日本心理療法統合学会(監修) 杉原保史・福島哲夫(編)心理療法統合ハンドブック (pp.210-223) 誠信書房

  • Wachtel, P. L. (2014). Cyclical psychodynamics and the contextual self: The inner world, the intimate world, and the world of culture and society. Routledge. (ワクテル, P. L. 杉原保史(監訳)今井たよか・浅田裕子(訳)(2019).統合的心理療法と関係精神分析の接点:循環的心理力動論と文脈的自己 金剛出版)

  • 和田香織・杉原保史・井出智博・蔵岡智子(編著)(2024刊行予定). 心理支援における社会正義アプローチ入門(仮) 誠信書房

執筆者プロフィール

杉原保史(すぎはら・やすし)
プロフィール
 京都大学学生総合支援機構 学生相談部門長(教授)教育学博士
 公認心理師・臨床心理士
 日本心理療法統合学会 副理事長
 
経歴
1989年 京都大学大学院教育学研究科 博士後期課程 単位取得退学
その後、大谷大学 文学部 専任講師、京都大学 保健管理センター 講師等を経て、現職。

著書・論文
■主な著書
『心理療法統合ハンドブック』共編著 誠信書房 2021年
『SNSカウンセリング・トレーニングブック』共編著 誠信書房 2022年
『SNSカウンセリング・ハンドブック』共編著 誠信書房 2019年
『心理学的支援法』共編著 北大路書房 2019年
『プロカウンセラーの薬だけに頼らずうつを乗り越える方法』2019年 創元社
『プロカウンセラーの共感の技術』 創元社 2015年
『技芸(アート)としてのカウンセリング入門』 創元社 2012年

■主な訳書
『統合的心理療法と関係精神分析の接点』監訳 Paul L. Wachtel著(2014/2019)金剛出版
『ポール・ワクテルの心理療法講義』監訳 Paul L. Wachtel著(2011/2016)金剛出版
『心理療法家の言葉の技術』Paul L. Wachtel 著(2011/2014) 金剛出版
『心理療法の統合を求めて』Paul L. Wachtel 著(1997/2002) 金剛出版
『説得と治療』Julia Frank & Jerome Frank (1991/2007) 金剛出版

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