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文字の歴史から考える「視ながら触れて音読する」学習について(宮﨑言語療法室代表・言語聴覚士:宮﨑圭佑) リレー連載:子どものことばとコミュニケーションを支援する

昨年(2023年)9月から始まりました、言語聴覚士の先生方によるリレー連載「子どものことばとコミュニケーションを支援する」の第5回となります。今回は「視ながら触れて,音読する」触読学習プログラム「触るグリフ」の開発者で言語聴覚士の宮﨑圭佑先生に、触知覚を介した文字の学習法についてご紹介いただきます。

はじめに

はじめまして。私は言語聴覚士の宮﨑圭佑といいます。京都で読み書き障害を専門とした研究や教材開発をしたりしています。主に発達性読み書き障害(ディスレクシア)の方を対象としていますが、ディスレクシアだけではなく読み書きが苦手な人全てに幅広く関わらせていただいています。 

私の読み書き障害に対する学習法は少し特殊です。文字を特殊なカタチで高く立体化した触読版を利用して「視ながら触れて音読」する「触るグリフ」という教材を用いた学習プログラムを行っています。粘土や砂文字など触覚を使う文字学習は古くからありましたが、全盲ではない晴眼者に対して、触読版を利用する文字学習を始めたのは私が世界で初めてとなります(新しい学習法の特許として特許庁にも認められました)。

この記事では、様々な読み書きに対する支援法がある中で、どうして私が触読版に手で「触れる」という触知覚を介した学習法を中心に行っているのか、また「視る」「音読する」という多感覚と組み合わせる触覚刺激がなぜ重要なのかを解説していければと思います。「触るグリフ」という教材を開発するにあたり、私がボンヤリと思い描いていた文字の性質から考えた「設計思想」のようなものです。

最古の文字から分かること

まずは触読学習の説明の前に、文字の本質的な性質は何かを遡って考えたいと思います。こちらの絵は約5500年前に今のイラク周辺にあたるメソポタミアで発見された文字になります。

 この粘土板に描かれた動物のような傷絵は家畜を、窪みの部分は頭数を表していたようです。まるで土器の模様のようにも見えますが、そこには意味と規則があります。「文字」の始まりと言えるでしょう(この文字は、のちに「楔形(くさびがた)文字」という、紀元前のメソポタミア周辺で広く用いられた文字に発展します)。
 
このような原始的(Primitive)な文字は、人類精神の青写真の中で、どのようにして自然発生したのでしょうか。それは誰にも分かりませんが、ただ、このような始まりの文字から、文字の「分母たる性質」を知ることが出来ると思います。この性質を知ることが、読み書き支援の鍵となると私は考えています。文字は言葉である音声言語と違って、全てのヒトが持つ本能ではありません。人類史のある時点において、情報伝達と記録の道具として現れたのです。その発生過程には理由があるはずです
 
私たちはこの最古の文字を見て、自然と「意味」を推測することができます。日常の絵や具体物の数が見て取れるからです。文字は絵と地続きだったことが分かります。粘土を捏ねて、粘土が乾く前に、細い針のようなモノで絵を描き、棒で窪みをつけて、乾燥させて、具体のモノとしての文字版を造形していたことが分かります。
 
読む時はどうでしょうか。粘土板を手でつかみ、傷や窪みに指で触れながら(この文字は家畜の交換や管理に利用されていたようですから)確かめるように互いに声に出して読まれていたはずです。
 
造られた文字版を「視る」のに加えて「触れる」「声に出す」過程が存在したのでしょう。より能動的な手を使う行為やコミュニケーションを介して「文字を読む」のが始まったと想像します。

ピアジェの発生認識論と読み書きの人類史

皆さんは、スイスの発達心理学者 ジャン・ピアジェという方をご存じでしょうか。ピアジェは20世紀を代表する発達心理学者でありパイオニアです。
 
ピアジェの発達心理学の思想的特徴として、個体(ヒト)の認知発達と、生物全体(群)の系統発生、そして人類の科学史を重ね合わせて考察したことがあげられます。彼は、人間の高次抽象的な思考も、幼少期の感覚運動的な働きかけと外界環境との相互作用的な均衡変化として発達展開することを、実証科学として確かめようとしました。これは高等哺乳類である私たち人間も、感覚刺激と触手的運動の相互作用からなる軟体動物から進化した発生史と重なります。そして、児童期以降の抽象から論理的思考への変化は、我々の社会が、アミニズム的な原始世界から前近代を経て、科学文明へと到達した史実とも重なります。
 
近年の研究では、ピアジェの児童発達に関する知見は個別の内容では、否定されている部分もありますが、このヒトの「個体・生物・史実」の重なり合いという彼の思想の本質は、より重要さを増していると私は考えます。複雑で豊かなヒトの発達が、一見すると無秩序でバラバラに見えても、共通する分母たる本質を持つのではないか、という大切な考え方を示してくれているからです。

文字の分母たる性質

20世紀を代表する非凡な西欧の巨人ジャン・ピアジェを真似して、21世紀を生きる凡庸な私(宮﨑)が、文字の分母たる性質を考えたいと思います。私は「手で触れて確かめる霊長類の本能」と「印の造形としての文字の始まり」という2つの観点が大切だと考えます。
 
まず、私たちヒトも霊長類の一種であることは言うまでもありません。チンパンジーなどの高等霊長類は、複雑な対称物を発見すると、視るだけではなく、手で触れて確かめることが知られています。中に食べられるシロアリが入った複雑な形状の木の塊などを、手で触れて探索的に確かめて、視るだけでは分からない性質を把握するのです。
 
近年の研究では、我々ヒトも、チンパンジーなどと同じように複雑なカタチの対称物と出会うと、視るのに合わせて触れて確かめる傾向があることが分かっています。
 
この「複雑な対象を、視るのに合わせて手で触れて確かめようとする」という高等霊長類に共通する性質は、文字を読む過程でも垣間見ることが出来ます。文字はとても複雑なカタチの視覚パターンです。ディスレクシアの児童の中には、読みにくい文字を指で押さえて把握しようとする子もいますし、同じく、最古の文字群も、粘土や石に彫られた部分を、手で触れて確かめながら読んでいたはずです。これらの行為には、手を利用する生物種としての共通性があると思います。
 
そして、最古の文字群を見ると分かりますが、具体物の「絵」として描かれたモノが、ピクトグラムのような印となり、より高い抽象性と規則性を持つ文字へと発展したことが分かります。具体物を描いた絵が、より記号的な印へと変化して、さらに抽象性の高まりと、洗練された規則性を取り込むことで、現在の文字に至ったのです。未就学児において、文字を覚え始める時期に並行して、道路などの標識に強い興味関心を示す子供が一定数存在します。これは偶然ではないのかもしれません。高度な記号としての文字も、現実生活の中で、見て触れられる具体物や具体現象のイメージを模した印から始まったのです。
 
この2つの性質、「手で触れて確かめる霊長類の本能」と「印の造形としての文字の始まり」は、造形立体化された文字に、実際に手で触れてみる大切さに繋がると考えています。

「視ながら触れて音読する」触るグリフ

冒頭で触るグリフは「視ながら、触れて、音読する」学習教材だと書きました。現段階で可能な原理的な説明としては、目で見た対象を、手で触れて確かめる「能動的触知覚(アクティブタッチ)」を利用することで、触覚刺激のフィードバックによる意識化により、文字のカタチ(字形)の記憶痕跡を高めるという仮説が考えられています。これは視覚図形を使った行動指標研究でも確かめられます。 

加えて近年のfMRIを用いた生理学研究では「目で見られる対象は、手で触れられる」という感覚モダリティとしての共通性から、脳の外側後頭複合体から紡錘状回、楔前部にかけて情報統合を担う神経基盤があることが分かってきています。視るのに合わせて、手で触れることで、視覚と触覚の認知的統合作用により、精緻かつ強固な文字のイメージを形成することができます。視覚と触覚は互いに補完増強し合う性質を持つのです。
 
「音読する」の部分では、読むのに合わせて触れることで、字形の触覚刺激が文字⇔音間の連合記憶形成を促すのではないかと考えています。また、漢字の成り立ちを部分パーツごとに言語化して覚える聴覚口唱法とも相性が良く、手で書いて覚えられない児童も、唱えながら漢字の部分パーツに触れて学ぶことも出来ます。「聴覚性言語記憶」「能動的触知覚」「意味記憶」など、様々な経路から記憶の多重符号化が期待できます。これから学術的に効果検証していくべき部分だと考えています。
 
このような、小難しく書いた触るグリフの原理的な説明は、全てメソポタミアで発見された「最古の文字」の性質へ繋がるような気がしてなりません。この最古の文字版には、文字を持たなかった我々「ヒト」の脳から、文字が立ち上がった「初期状態」が内包されています。見て触れる能動的な作業、さらに言語コミュニケーションが組み合わさる中で、イメージを外部化する「文字」が立ち上がったと想像します。
 
触るグリフによる能動的触知覚を利用した多感覚学習も、この作用にいきつくと思います。個人事の原因は万華鏡模様のように異なれど、文字の読み書きが苦手ということは、読み書きに関係する認知過程に、何らかのボトルネックがあることを示しています。「視ながら、手で触れて、音読する」多感覚学習は、従来の「読む」「書く」だけの方法に比べて、触知覚を中継とした多感覚の迂回路を「総和」的に組み合わせられる補完作用があると考えられます。もちろん、全ての児童に対してではありません、中には合わない子もいると思います。私が言いたいことは、苦手とする認知的ボトルネックをカバーできる可能性が高められるということです。

触るグリフの現状

現在、触るグリフを利用した学習の効果研究を、国際教養大学と島根県立大学と連携して行っています。触るグリフの効果に関しては、多くのご家庭や学校からも上がっていますし、私自身の臨床を通しても感じられます。今後は、単なる体感を超えて、行動指標レベルから脳機能レベルでの研究を通して、国内外の医療や教育現場の選択枝となる指導法として学術的根拠を打ち立てていければと考えています。読み書きが原因の学業不振から、不登校になる児童は多いです。文字の分母に紐づく学習が、読み書きで悩む多くの児童の役に立てれば嬉しい限りです。

【参考文献】

Roberta L. Klatzky, Susan J. Lederman, and Dana E. Matula.Haptic Exploration in the Presence of Vision.(1993).Journal of Experimental Psychology: Human Perception and Performance Vol. 19, No. 4, 726-743
ピアジェJ【著】/中垣 啓【訳】 ピアジェに学ぶ認知発達の科学.北大路書房
Thomas W James. (2002) Haptic study of three-dimensional objects activates extrastriate visualareas. Article in Neuropsychologia 40(10), 1706-1714.
西野由利恵、安藤広志.(2008) 3 次元形状に基づく 物体認知の脳機能メカニズム.心理学評論 51(2), 92 Japanese Journal of Cognitive Neuroscience 330-346
宮﨑 圭佑, 山田 純栄, 川﨑 聡大(2023) 視覚と触覚を用いた多感覚学習によるRey-Osterrieth複雑図形検査の視覚性記憶促進作用について認知神経科学 Vol. 24 No. 3・4

プロフィール

宮﨑圭佑(みやざき・けいすけ)
株式会社 宮﨑言語療法室 代表。言語聴覚士。医療機関でディスレクシア(発達性読み書き障害)の臨床に従事しながら、大学院での触覚記憶実験の成果を活かして、世界で初めて晴眼者の読み書き困難児童に対する触読学習法「触るグリフ」を開発する。現在、京都で読み書き児童を中心とした言語療法室と教材販売を営んでいる。


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