見出し画像

多方向への肩入れ(駒澤大学心理学科教授:藤田博康) 連載:「多方向への肩入れ」の心理学〜家族の苦しみと回復 第3回

家族をはじめとする集団には、さまざまな立場の人がいます。力のある立場の人だけでなく、弱い立場にある人の声を公平に聞くためにはどうすればよいのでしょうか? 家族療法の考え方にヒントがあるかもしれません。10月から月1回、駒澤大学心理学科教授の藤田博康先生に「『多方向の肩入れ』の心理学~家族の苦しみと回復」と題して連載いただきます。

 本来、家族は私たちが幸せに生きていくためのシステムのはずなのに、その家族が、逆に私たちを苦しめ、不幸に追いやってしまう。ならば、それをどうしたら和らげ、家族の癒しの機能を回復させることができるのでしょうか。

多方向への肩入れ

 「見えざる忠誠心」にしても、「破壊的権威付与」にしても、もし、「対話」を通じてその「からくり」が明るみに出され、もし、それぞれが抱える「赤字」や「不公平」が家族で共有され、認め合い、分かち合うことができたなら、「赤字」のもつ破壊的な力が相当に弱められ、そればかりか、家族だからこそ、互いに相手を気遣ったり、思いやったり、許し合ったりできるようになるだろう、ナージはそう考えたのです。そのために、セラピストができる最大の支援が、「多方向への肩入れ」です。

 その際、まずは、なにより、家族メンバーの間の「公平さ」のバランスはいったいどうなのか、どのメンバーがどんな「赤字」を抱えているのかが明らかになることが大切です。

 そのためには、家族メンバーそれぞれの実情や想いが本人の口から語られることが不可欠です。そのためセラピストは各メンバーに対して順次、傾聴や共感的な応答を行い、その場で、つまり家族が居合わせている面前で、その人のありようや想いができるだけ語られるようなやり取りを心がけます。

 そんなセラピストの姿勢に助けられて、それぞれのメンバーの苦しみや痛み、悲しみや淋しさ、不安や気遣い、憤りや不満などの複雑な想いが表現されやすくなるでしょう。また、あるメンバーのあまり語りたがらない雰囲気の中からも、あるいは、苦しみや悲しみが、怒りや不満、当てこすりなどとして表現されたとしても、セラピストがそれらの奥底にある気持ちや想いを汲んで、共感的に応答できれば、それぞれの想いが分かち合われやすくなるでしょう。

 セラピストがそのように一人ひとりとの「対話」を繰り返すことによって、徐々に、その人が原家族や今の家族の中で、どんな「不公平」や「赤字」を抱えてきたのか、それをどのように受け止め、どのように頑張ったり、耐えたりして過ごしてきたのか、どのように「見えざる忠誠心」や「破壊的権利付与」となり、今度は周囲を苦しめるようになってしまったのか、などの実情が細やかに共有されることを目指します。

 こうしてセラピストは、その人の負った「赤字」が及ぼしてきた長い間の痛みや苦しみを真摯に受け止め、最大限に共感し、承認し、それに少しでも報いようとする、つまり、「肩入れ」するのです。

 人が「破壊的権利付与」を持つに至るには、子どもの頃、「苦しみ」「悲しみ」に耐えながら、親を気遣い、ケアしてきたという過程があります。もし、それが誰かに気づかれ、認められ、その貢献が報いられていれば、つまり、誰かが「肩入れ」してくれていれば、その人が「破壊的権利付与」を持ってしまうことなく、逆に人の痛みや苦しみを思いやり、助けてあげられる人になった可能性も高いはずです。

 だから、たとえ遅ればせながらでも、セラピストがそこに最大限の「肩入れ」をするのです。より多くの「赤字」を抱えている人には、その分、より多くの「肩入れ」がふさわしいでしょう。

 実のところ、家族それぞれが自分なりのやむにやまれぬ事情を抱えていることがほとんどです。ですから、セラピストがあるメンバーに共感し、肩入れするやり取りは、他のメンバーの不満や憤りや悲しみなどを引き起こすかもしれません。だからこそ、セラピストは、それぞれの立場や主張は異なるだろうことを前提としながらも、順次、全員にできる限り「公平」なバランスになるように、つまり、「多方向」に、一人ひとりのありようや語りそれぞれに丹念に共感し、肩入れしようとするのです。

 もしかしたら、そんなセラピストと誰かのやりとりを目にした他のメンバーが、その人の抱えてきた「赤字」や「貢献」を実感して、それに今からでも報いようとするかもしれません。あるいは、相手の「破壊的権利付与」が分かれば、こちらを苦しめるような振る舞いの背後に、その人の長らく抱えてきた生きる苦しみが透けて見え、これまでの関係とは違った関係に開かれるかもしれません。

ある家族のケース

 ここで、セラピストの多方向への肩入れに近い関わりを通じて、家族の絆の回復につながったと思われる具体例を一つ紹介しようと思います。いくつかの事例のエッセンスを組み合わせたうえで、大きく改変した家族面接のケースです。

 春男くん(18)は、中2の頃から地元の暴走族に入り、暴行や傷害を何度も繰り返して、逮捕され関連施設にて一定期間、過ごしました。しかし、地元の暴走族や背後の暴力団との関係がこの先も続くことの懸念と、母親が春男くんを持て余す気持ちが強かったことから、関連機関のはからいによって、一連の事情を知る雇い主が経営する工場に住み込み就職しました。

 その際、家族関係の改善を目的にカウンセリングを受けることを要請され、お母さんから、家族カウンセリングの申し込みがありました。

 春男くんの家族は、お母さん、春男くんの3つ下の妹、そして、継父の4人でした。お母さんに、ご家族全員で来ていただけそうか尋ねたところ、継父は仕事で忙しく無理であること、妹も高校受験を控えているからと、春男くんとお母さんとの同席面接が始まりました。

 母も春男くんも、当初はそれほど面接には乗り気には見えませんでした。でも二人とも、それぞれの立場から、ぎくしゃくしている家族関係や親子関係をもっと良いものにできるならばそうしたいという気持ちがないわけではなさそうでした。

 二回の面接を経て共有された家族にまつわる事情は次のようでした。

 お母さんは、ひとり親家庭に育ち、経済的な事情や自分自身の母親(春男くんの祖母)との関係があまりよくなかったこともあり、高校中退後、水商売で働き、客として来ていた男性(春男くんの実父)と20歳で結婚しました。二人の間には春男くんと妹が生まれましたが、実父はことあるごとに暴力を振るい、母の顔や体には青あざが絶えず、ある夜、父母のいさかいの最中に、母を庇おうとした春男くんの頬に父の拳が当たり、顔面を骨折したこともありました。

 そんな家庭環境が背景にあり、春男くんは、小学校では情緒的に落ち着かない日も多く、周囲の子どもたちから避けられたり、嫌がられたり、ときにはいじめまがいの扱いを受けるようになりました。それでも、母親にはこれ以上、自分のことで負担をかけたくないと、ひとり耐え学校に通っていました。

 そんな中で、毎日のように学校帰りに立ち寄っていた、近くに独り住む母方祖母の古いアパートで、お菓子を食べながら、子ども番組を見るのが唯一の安らぎの時間でした。

 小学4年の頃、やっと実父母の離婚がかない、親子3人での暮らしが始まりました。母は昼はスーパーの店員、夜は水商売で働き、春男くんは「自分がしっかりして、お母さんと妹を守らないと」と家事を手伝い、幼い妹と二人で作り置きの夕食を食べ、二人でお風呂に入り、妹に添い寝する毎日でした。

 一方で、学年が上がるにつれ、学校でのいじめは収まるどころか、どんどん耐え難いものになっていきました。学校の先生は、春男くんのほうにも問題があると捉え、あまり積極的に関与はしてくれませんでした。小6のある晩、とうとういじめに耐えられなくなった春男くんは、夜中まで母の帰宅を待ち、「学校でいじめられて辛くてたまらない。学校休みたい。」と話したところ、少し酔っていた母からは、「男なんだから、強くならなきゃだめだ。そんなのに負けずに学校に行け。」と逆に怒られてしまいました。

 翌年、中学に上がった年に、母が再婚し、継父を加えた4人での生活が始まりました。母は、「私が再婚したことで経済的にも以前より落ち着き、私の心配をしなくてよくなったので、春男もずいぶん楽になったはず。」と言いますが、春男くんは、継父との生活に馴染めず、「気まずい感じで、家には居場所がない」と感じていました。

 そんな春男くんは、中2になって、たまたま近くの席になったある不良生徒と懇意になり、その子に追従する形で暴走族に入り、夜遊び、暴走、喧嘩、恐喝などを繰り返すようになりました。

 春男くんが、そうやって何か事件を起こすたびに、母は警察やら、被害者への謝罪やらと、あちこちに呼び出され、尻ぬぐいをさせられました。

 春男くんは、高校も早々に中退してしまい、かといって仕事をするわけでもなく、とうとう暴走族仲間と深刻な傷害事件を起こし、逮捕されました。その後のいきさつは冒頭に書いた通りです。

家族の苦しみと回復

 さて、面接では、お母さんは、問題行動を再三、繰り返す春男くんを手に余してしまった様子で、「家や地元に戻れば、また、同じことが繰り返されるから、春男の立ち直りのためにも、このまま一人立ちしてもらいたい」と一貫して主張していました。その口調には、春男くんのことを思ってというよりも、継父や妹との現状の生活をなんとか維持したいといった雰囲気がありました。

 春男くんもそれを感じて、感情的、反抗的に母に難癖をつけるため、それに母が苛立ち、ますます両者の溝が深まってしまうというやり取りが目立ちました。

 私は、お母さんのこれまでの苦難に配慮しながらも、とりわけ大きな「赤字」を抱えてきた春男くんにできる限り「肩入れ」することを試みました。すると、春男くんは徐々に母への複雑な想いを語ってくれるようになりました。

「自分は本当は、とても寂しがり屋で、母さんに頼りたい気持ちも強い。
でも、母さんが自分を邪魔に感じてるんじゃないかって感じがする。

 そんな母さんにすごい腹も立つけど、今までとても辛い思いをしてきた母さんに、自分が悪いことをして余計迷惑をかけてしまっているので、我慢するしかないと自分に言い聞かせてる。

 でも、母さんが自分を見捨てたとしても、自分は母さんを捨てられない」

 春男くんの語りからは、お母さんへの想いが痛いほどよく伝わってきました。私は、その想いがなんとかお母さんに届くようにと、細やかにやり取りを続けましたが、お母さんは、「もう春男もいい加減、大人なんだから、人に迷惑をかけず生きていってほしい」と、逆に突き放すような態度でした。

 母自身もおそらく小さいころから綿々と続く「赤字」にずっと耐えて生きてきて、「破壊的権利付与」を身につけてしまったのでしょう。それが、春男くんの「赤字」に鈍感にさせ、苦しむわが子に寄り添うことを妨げてしまっているようでした。

 もし、そんな母の事情や想いが、少しでも語られ、誰かに聴き入れられ、肩入れされたならば、わが子に対する思いやりや慈しみを少しは回復できるのだろうか、そのためにはこれ以上、何ができるのだろうか。追い込まれつつあった私は、ある一つの賭けに出ました。母方祖母にこの面接に来てもらうことにしたのです。それは十分勝算があるかもわからない賭けでした。

 その祖母とのわだかまりから、その後、ほとんど交流らしい交流を避けてきた母は、私の提案にかなりの難色を示しました。その一方で、春男くんは「ばあちゃんに来てもらいたい、自分が頼めばきっと来てくれる」とかなり乗り気でした。

 はたして、春男くんの依頼で祖母が面接に来てくれ、母、春男くん、祖母、私の4人での合同面接となりました。

 当初、母は祖母とまったく目を合わせようとせず、祖母も口を開こうにも開けず、ひどく気まずい雰囲気でした。ただ、春男くんが気遣って、二人の間を取り持とうとしてくれたことに助けられ、少なくとも私は、じきに祖母とも母とも普通に話ができるようになりました。

 しかし、しばらくすると、いつものように春男くんと母がやり合う雰囲気になります。

 「母ちゃんは地元に帰るな、家に帰るなっていうけど、俺はもうまじめにやるっていってるだろ。そうやって俺を邪魔にしてるんじゃないか。」

 「そういうお前は今まで何してきたんだい。ずっと同じことの繰り返しじゃないか。また、地元に戻れば同じことになるんだよ。だから言ってんだろ。」

「ふざけんなよ、そういう話じゃねえだろ」などと、二人の語気が強まります。

 すると、その場に居合わせた祖母がやむにやまれず、「ばあちゃんのところに来ればいい。うちで暮らせばいいよ」と春男くんをかばうような発言をします。

 今度は、「何もわかってないくせに、今さらのこのこしゃしゃり出てきて勝手なことを言わないでほしい」と、母の怒りの矛先が祖母に向かいます。

 その勢いに気圧されて口をつぐんでしまう祖母を前にして、私は、「お母さんとおばあちゃんとの間には、これまでの事情がいろいろあるのかなと思いつつ、でも、きっとおばあちゃんは、春男くんやお母さんのお力になってくださるかなと思って、今日はわざわざおいでいただきました。私はとても助かります。ありがとうございます」と伝えました。

 そして、祖母が語り始めます。

 「この子(母)が、『いまさらのこのこしゃしゃり出てきて』と言うのはもっともなこと。私がこの子をここまで追い込んでしまった。

 この子と二人暮らしだったとき、貧しくてなんとか生活していくことだけで精いっぱいだった。私もいろいろ追い詰められていて、この子がいろいろ困っていても、ろくに話も聞いてあげられなかった。妻子持ちの男性の経済力を当てにして、思春期のこの子を家に残して、何日も家に帰らなかったこともあった。

 そうこうしているうちに、この子が家を出ていってしまった。そうして自分も独りになってみて、娘はどんなに淋しかったことだろうかと、すごく悔やんだ。

 でも、時すでに遅しで、娘と話す機会が失われてしまっていた。それに、いくら謝ったところで、私がやってしまったことは取り返せないし、娘を幸せにしてあげることもできない。

 今さら言われてもこの子は困るだろうけど、ほんとうにすまなかったと思ってる」と、最後は涙声になりながら語りました。

 ふと気づくと、気丈な面持ちを崩そうとしない母の目から一滴の涙がこぼれ落ちました。それからしばらくの間、誰も何も言葉を発することのない時間が静かに流れました。

すると、春男くんが、

「俺は小さいときから、母ちゃんの言葉になんかとてもできない辛い姿を見てきて、あげく俺まで非行ですごい迷惑をかけちゃって、、、、。

 俺はもう、これ以上、絶対に母ちゃんに迷惑かけない、母ちゃんにとにかく幸せになってもらいたいって思ってんだ。」と口を開きます。

 私は、「うん、春男くんが、お母さんに幸せになってほしいって思ってること、小さいころからずっとそう思って頑張ってきたこと、とっても良くわかるし、とっても良く伝わってくる。

 そして、なんだかお母さんに頼りたい、お母さんに助けてほしいって思うときも、あったりするってことも、、、」

 春男くんは、「俺は本当に母ちゃんには幸せになってもらいたいって、そう思ってんだけど、、、、なんか俺ばっかり、、っていう、、、、」と、鼻をすすりあげます。

 そのときすかさず母が、「母さんが一番大事なのはお前のことに決まってる。もう何度も今の家を出て、お前と二人でどっか遠いところで暮らそうかと思った。でも、妹のことも、お金や生活のこともあるし、どうしていいかわかんないじゃないか。」と強い口調で語ります。

 しばらくの沈黙を経て私は、「春男くんのことをいつも心配してきて、何とかしてあげたいというお気持ちと、でも、今の生活をなんとか維持していかなければ暮らしてもいけない、という板挟みのようなお母さんの想いが、なんだかとてもよく伝わってきました。」と言葉を添えました。

 母は、「今の夫と一緒になって、経済的にはなんとか落ち着きました。でも、夫のことなんかより、この子の方がずっと大事に決まってます。でも、この子はそれで、もし私が夫と別れたりすると、自分のせいでそうさせてしまったのではと、逆に自分を責めてしてしまう子なんです。私もそれが痛いくらいにわかってるから、、、。」と語ります。

 それを聞いた春男くんは、「母さんは、絶対、父さんと幸せにならなきゃだめだ」

私「そう言ってあげられちゃうのが、あなたなんだよね」

祖母「この子は、本当に優しい子なんです。本当に、、、(涙)」

母「(こみ上げる気持ちを抑えきれず、涙)」
 とのやり取りが続きました。

 こんな家族のやり取りを前に、下手な解説は不要でしょうが、祖母が母への想いを語ってくれたことによって、母の破壊的権利付与が和らぎ、これまでもきっと母のどこかに確かにあったはずの、わが子に対する思いやりや慈しみが前面に出てきたのでしょう。そして、いったんその流れができてからは、母、春男くん、祖母それぞれの気遣いや思いやりが、それぞれの個性で自発的に語られています。セラピストの多方向への肩入れに近い関わりが、関係の回復に少しは役立ったかもしれません。

【著者プロフィール】

藤田博康(ふじた・ひろやす)
駒澤大学心理学科教授 専門は臨床心理学、カウンセリング心理学
著書に『幸せに生きるためのカウンセリングの知恵~親子の苦しみ、家族の癒し』など

【関連note】

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!