自分で自分の気持ちを救う(藤田博康:駒澤大学心理学科教授)#もやもやする気持ちへの処方箋
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自分で自分の気持ちを救う(藤田博康:駒澤大学心理学科教授)#もやもやする気持ちへの処方箋

不安や悲しみなど、どうにもこころを塞いで、日々の行動を止めてしまうこともある思いに、自らできることは何でしょうか。どうしたらつらい気持ちにとらわれ過ぎずに生きていけるようになるでしょうか。臨床心理学がご専門の藤田博康先生にアドバイスをお書きいただきました。

 世の中には、そして私たちの周囲には、心が晴れない、あるいは心くじかれるような出来事が尽きません。学校や職場にはどうしても嫌な人、馬が合わない人がいたりしますし、ほとんどの人がやりたくない仕事や課題にも追われています。身近な家族との関係がとてもストレスだったり、さらには、過去の嫌な出来事、辛い体験に今でも苦しめられている人もいるでしょう。

 その意味で、私たちの日常は、不安や悲しみ、怖れ、怒りや憤り、劣等感や妬みなど、あまり歓迎したくない感情に彩られがちです。現代は、以前に比べてずっと豊かな時代になっているにもかかわらず、嫌な気持ちにさいなまれ、何事にも消極的になってしまい、うつうつとした日々を送っている人が増えています。モノ的な不自由が減っているからこそ、心の安心や安定へのニーズが高まり、逆に精神的負担やストレスへの抵抗感が高まっているのかもしれません。

 もっとも、それら嫌な気持ちが起こるのは、自分や自己イメージが脅かされそうな出来事や相手に対する警報であり、それに応じた対処行動を導こうという心の働きによるものです。私たちが馴染んできたしつけや教育も、ほかの誰かや理想とする自分と比べての減点方式で、その警笛を作動させて努力させようという仕組みが主流です。だから、多くの人がその警笛を真に受けて、自分を追い詰めてしまいます。その警笛の威力は、はるか昔、日常的に生命への危険が隣り合わせだったころ、私たちを身構えさせたものとほとんど同じです。

 その意味で、現代において、嫌な感情にさいなまれている人の多くは、非常ベルの感度がとても高く、それに脅かされてエネルギーを消耗してしまっている人たちと言えるかもしれません。とりわけ、自分の人生がままならないと感じている人ほど、さらに非常ベルの感度を上げて用心しようとするので、それに疲れ切ってしまい、逆に動けなくなってしまいます。

 でも、その悪影響をずいぶんと少なくすることは可能です。ただ、慣れ親しんだ否定的な感情とともに生きる日々にもそれなりの安住感がありますし、今の自分にダメ出しをして追い込むことで社会的に成功する場合もありますから、それを本気で変えようという気になりづらいという側面があるのです。でも、心配や不安、不満や憤り、脅かされ感や妬みとともに生きることは、たとえそれが社会的地位や名誉や経済的成功につながったとしても、あまり幸せとは言えない人生かもしれません。

藤田先生 挿入写真 落ち込み

 嫌な感情にさいなまれ続けることなく、日々、明るく、朗らかに、穏やかな日々を過ごしたいと思うのであれば、その道は誰にでも用意されています。「これからの人生、心穏やかに幸せに生きるんだ」と心に決めて、自分の中で嫌な感情が起こった際には、「明るく、朗らかに、穏やかに」なるための練習台とすればいいのです。筋トレや習い事と一緒で、自分にできる範囲でコツコツと練習すればするほどうまくできるようになります。

 ただ、これも筋トレや習い事と同様、ある程度の基礎体力と筋肉がつくまでは、自分の感情がいろいろ邪魔をしてきて、心をくじこうとしてきますので、そこが工夫のしどころです。その際の工夫や、そもそもの「朗らかに、穏やかに」トレーニングのやり方も人それぞれではありますが、役に立ちそうなものをいくつか紹介しておきましょう。

 まず、言葉、言霊の助けを借りることです。自己否定の感情や思いは隙あらば私たちの意欲をくじこうとするので、逆の自己肯定の言葉を繰り返し唱えます。私は朗らか、私は穏やか、私は素敵、私はこのままで大丈夫、私は安心、私は幸せ、私は楽しい、私はゆるされてます、など、なんでもかまいません。人と比較してしまいがちな人は「人は人、自分は自分」でもいいでしょう。ただし、それで感情や気分を良くすることを目的とせず、たとえ感情が着いて来なくともただ繰り返しておくのがコツです。

 次に、そのこととも関係しますが、嫌な感情が起こったとき、それをすぐに消そうとか、変えようとかしないことです。必要があって起こってくる自分の感情ですから、それを抹殺しようとするのは良いことではありません。その代わり、自分の苦しみや悲しみや怒りを、遠くから見てあげている自分を意識することです。自分を俯瞰する自分を持つことは、自分を癒す力になります。どんな感情も雨や風や桜の花と同じで、永続することはありません。その開花と移ろいを見てあげながらも、それにとらわれず、自分のやりたいこと、やるべきことをやる。つまり、自分が大切にする価値に生きるのです。

 それから、未来の自分を助けてあげている意識を持ちましょう。誰もが落ち込み、悲観的になったり、許せなくなったりして当然かもしれない状況にある今の自分が、にもかかわらず、暗くならずに、朗らかに、穏やかに今を過ごす、その時間を少しでも増やす。そのことによって、未来の自分を助けてあげている、未来の自分が幸せに生きることを助けてあげていると想うのです。過去にしても現在にしても、何か良くない出来事の結果、今の苦しみを被ってしまっていると常識的に考えていると、自分はついていない、不幸せ、生きていてもあまりいいことがないと、心くじけてしまいがちです。実際、今の心が苦しみでいっぱいだと、未来の自分もその習慣を引き継いでしまう可能性が残念ながら高いのです。それを変えられるのは自分だけです。起こっている出来事が変わることや、嫌な相手が変わることには、実はあまり関係がありません。だから、因果関係を逆に考えるのです。今、少しでも朗らかに、穏やかに、楽しく過ごすことで、未来の自分が癒されるのです。

 だから、「嫌なことの中で、『どれだけ朗らかに、穏やかに、楽しめるか』ゲーム」を自分で企画して、自分で参加して、そのために何か役立つアイテムを工夫して開発したり、小さな勝利ポイントを貯めていきましょう。当然、ゲームですからいろいろな邪魔や、ときにはなかなかの強敵も出現してきます。でも、そんな障害がなく、簡単にクリアできるものだったら、ゲームはまったくつまらないものになってしまうでしょう。

藤田先生 挿入写真 白いバラ

 こうして毎日ゲームに参加していると、嫌なことが起きたときには「幸せポイント」稼ぎのチャンスであり、たとえ嫌な相手が出現しても、熟達者になるための引き立て役とさえ思えるようになります。さらに、敵を攻略するためによく観察していると、相手も不幸せな習慣の中に生きていることが見えてきて、現実生活では大目に見てあげたり、許してあげたりできるようになる可能性も高まったりします。こうなると、何があっても怖れることのない「ゲームの達人」、いや「幸せの達人」です。

 そうは言っても、そんなことは大変でとてもできない、と思った人がいるかもしれません。でもこのほうが、今の苦しみや無力感や怒りや妬みに生きるよりも、エネルギーが無駄に浪費されず、かえって楽なのです。今までのような苦しみや辛さに耐えるのではなくて、少しでも明るく楽しく過ごそうとした者勝ちのゲームですから。

 そして、今までは嫌なこと、苦しいこと、世の中の不条理ばかりが多く映っていた視界に、ありがたいもの、美しいものが実はたくさんあることに気づくようになります。そもそも私たちは、嫌なことや辛いこと以上に多くのありがたいものや美しいものに囲まれているのです。

 こうして私たちは新たな次元、新たな世界に開かれ、今まで不安や怖れに費やしていた多くのエネルギーが、自分のため、人のために生かされるようになります。そしてゲームの終わりには、「この世に生まれてきてよかった、ありがとう」と思いながら、穏やかに人生をまっとうできるのではないかと思います。

「『朗らかに、穏やかに、楽しめるか』ゲーム」の達人を目指すひとりとして
藤田博康

執筆者プロフィール

藤田博康(ふじた・ひろやす)
駒澤大学心理学科教授 専門は臨床心理学、カウンセリング心理学
著書に「幸せに生きるためのカウンセリングの知恵 ~親子の苦しみ、家族の癒し」など

著書


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