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しんどくてもSOSを出せない子にスクールカウンセラーができること(大阪教育大学総合教育系教授:水野治久) #こころのSOS

困っているときに人に助けを求める難しさを説明する考え方として、「援助要請」という概念があります。学校でしんどくても声をあげられない子のSOSをどうやってキャッチしたらよいか、援助要請研究の第一人者である水野治久先生に、大学・中学校でカウンセラーをされていた当時の体験をもとに語っていただきました。

 筆者は「援助要請」、つまり助けを求める意識と行動について研究し、いくつか論文や書籍を発表しています。昨年まで、カウンセラーの仕事をしていました。いちおう大学の“センセイ”ですが、「カウンセラーの水野さん」という呼ばれ方のほうが実は気に入っています。援助要請を研究テーマにしているカウンセラーがどのように学校に入り、援助を展開してきたのか、本日はそれについてお話をしたいと思います。

ある若いカウンセラーの理想と現実

「行列ができる相談室」が夢でした!

 筆者の最初のカウンセラーの仕事は、私立大学の学生相談室でした。当時、筆者は事務系職員でありながら、急増する留学生の対応に追われていました。筆者自身が中学校時代に米国で過ごし、いろいろな意味での逆カルチャーショックを体験してきました。そんなこともあり、留学生支援を通じて、異文化間心理学に出会いました。それが心理学の領域に入ったきっかけです。学生相談室の事務の仕事を通して、留学生と関わる機会があり、留学生の生活にふれることができた。支援とは生活のケアとセットなのです。筆者がそのことに気づくのは、もっと後になってからでした。

 そんなとき、幸運なことに、国立大学の留学生担当教員としての職を得ました。そこで1年間、周囲の教員も巻き込んで、留学生の事務室の隣の部屋に詰めていました。留学生が事務手続きの合間に顔を出してくれました。そして2年目に、事務局の方が校舎の2階の部屋を確保してくれました。モップを借りて、掃除をして、ソファーを入れました。ようやく、カウンセラーの誕生です。嬉しかったです。これで、思いっきり留学生の支援の業務に邁進できると思いました。

残念ながら「相談室」に行列はできない…

 しかし、留学生相談室に、行列はできませんでした。

 留学生のニーズは、事務手続きの際に、「生活の問題」として語られました。背後に心理的な問題があることは明らかなのに、それは、レポートが出せないことであり、家賃が払えないことであり、ゼミの出席日数が足りないことであり、そして論文が書けないことなのです。それに対して、心理的な問題があることを主張するのは、心理学にかぶれた若き(当時は30代前半でした)実践家のおごり、おしつけではないかと感じました。

 「なぜ、ニーズのある留学生が相談しないのか」。この素朴な疑問は、help-seekingという用語で研究されていました。今では、被援助志向性援助要請援助希求、また、SOSの出し方ともいわれます。

スクールカウンセラーとして学校に入る

 残念ながら留学生の支援の仕事は長期間続けられる状況になく、筆者は大学教員の公募により、教員養成大学の心理学関係の科目を教える担当者として採用されました。新しい勤務地で仕事をするためには、現場を知ることが大事です。教員養成大学の現場、つまり学校現場との関わりです。迷わず、地元の教育委員会のスクールカウンセラーに応募し、大学に兼業届を出して、月3回ほど、公立中学校にスクールカウンセラーとして赴きました。

 やはり相談室に行列はできませんでした。考えてみたら当たり前です。友だちとの交流、授業、部活動に習いごとと、毎日忙しい中学生が相談室に来るでしょうか。よほどの魅力がないと来ないでしょう。

待っているのではなく、こちらから出向く

 そこで筆者が考えたのは、とにかく、生徒たちと接する時間を増やすことでした。後にそれは「接触仮説」といって、援助要請の理論であることがわかります。またそれは、コミュニティ心理学に基づく支援であることを知ります。

 現場に行くと、とにかく「実践あるのみ」と前のめりになり、スクールカウンセラーを知ってもらおうと、生徒たちと接触しました。掃除の時間に職員室に来た生徒と一緒に掃除をしました。当然、生徒は、「こんな人いた?」とか「この人誰?」というような表情をします。毎週掃除していると、生徒との関係性ができて話しをするようになりました。

 次の作戦は、学校のお手伝いです。特別支援の教室や保健室をまわって先生方のお手伝いをしました。生徒がいたら、状況が許せば生徒と関わります。特に新学期の保健室はとても大忙しです。そこで筆者は積極的に保健室で仕事の手伝いをしました。そうすると、「先生、しんどい」といって生徒が入ってきます。そこで、生徒の状況を観察しながら、話をしていきます。

 また部活動を見学したりもしていました。何度か、メンタルトレーニングということで、運動部の生徒たちに関わったこともあります。

昼休みに生徒が相談室に来る

 気がつくと、昼休みに生徒が来るようになりました。生徒は、様々な話をしてくれます。嬉しい反面、違和感がありました。相談室を開放した場合に来談してくれるのは、どちからというと「助けを求める力」のある生徒でした。聞いてみると、先生や友だちに多くを相談しています。筆者は「相手はスクールカウンセラーでなくてもよいのでは」と思いました。

 スクールカウンセラーにとっての真のお客さんは誰でしょうか。一人で悩んでいる、SOSを出したくても出せない、別の方法でSOSを出している子どもではないでしょうか。筆者は「SCだより」を出すことにしました。毎回、心理学から学ぶコツのようなことを書きました。それを読んだ保護者からの相談が増えました。これも筆者の経験ですが、一人の保護者の支援をするとまた別の保護者から相談ができます。口コミです。やはり、保護者にとってもカウンセリングに来ることはハードルが高いことがわかりました。

生徒や保護者は何を期待して相談室に来るのか

 今、このnoteは、大阪府内のカフェで書いています。筆者は、適度に落ち着けるスペース、美味しいコーヒーを求めて、カフェに行きます。では、生徒や保護者はカウンセラーに何を期待して相談室に来るのでしょうか。

「話なんか聞いてもらいたくない」

 とある先生が悩んでいる生徒に、「○○さん、そんなにしんどいなら、カウンセラーの先生に話を聞いてもらいなさい」と言ったことがあります。その生徒は、「話なんか聞いてもらいたくない。ただ、しんどい」と吐き捨てるように言いました。

 そうなんです。その生徒のニーズは、話を聞いてもらうことよりも、問題を整理して、具体的に問題が解決することにあるのです。ですからこのケースの場合は、その生徒の「しんどいこと」をアセスメントして、教師と協働して、問題を解決する。問題が生活のことや学業のことであれば、福祉や行政と積極的につながる支援がポイントなのです。つまり、カウセリングの利用者が援助要請した領域で支援を提供する。次回の来談の保証がないカウセリングは、こうしたことが重要になると思うのです。

 筆者が19年間、学校で行ってきた支援は、一言でいうと、利用者が求めている支援を提供することです。勉強や進路の相談にも積極的にのりました。背後に本当の課題があると感じても、それが緊急ではない場合は、本人がSOSを出している領域での支援を優先しました。

 生徒や児童の悩みの多くは勉強と関連があります。学習心理学の理論をわかりやすく教えたり、勉強の方法を一緒に考えることは、カウンセリングが提供できるサービスのひとつです。

 中学校では、教師の理解が得られたら、受験を控えた3年生の教室に行き、受験ストレスへの対処や動機づけ理論について説明しました。そして、勉強に飽きたら何をするかを話し合ってもらい、対処行動を考えたりしました。認知行動的なアプローチを「SCだより」に書いて、それを帰りの会で説明したりもしていました。

 つまり、カウセリングとは「おみやげ」を渡すことなのです。援助要請したことによる利益を意識させることです。

 今は、大学の仕事に専念するためにカウセリングの仕事を離れています。早く現場に戻りたい気持ちを抑えきれないので、学生の実習指導で学校現場に行くと、管理職に頼んで校内を歩いて、子どもの支援について現場の先生から教えてもらっています。

◆執筆者プロフィール

水野治久(みずのはるひさ) 
大阪教育大学 総合教育系 教授。博士(心理学)。公認心理師、学校心理士SV、臨床心理士。
一般社団法人 大阪公認心理師会会長、および日本学校心理学会、日本コミュニティ心理学会などの理事を務める。
援助要請、学校心理学に関する著書が多数。

◆主な著書

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