ポップサイコロジーに心理学者ができること(九州大学准教授:山田祐樹)#その心理学ホント?
認知心理学者を自称している私ですが,大学には犯罪心理学者になりたくて入学しました。当時の私はプロファイラーになりたくて仕方がなかったのです。そう思うようになったのは,高校生の頃までに映画,ドラマ,小説,漫画などから多大な影響を受けていたからでしょう。私は昔からそういった作品をたくさん観たり,読んだりするのが好きでした。しかし心理学についての「ちゃんとした」学術書や論文に触れる機会は皆無だったので,私が心理学に対して持っていた印象や知識はおそろしく歪んでいました。また大学で開講されている具体的な授業科目について調べるという発想がなかったこともあり(これは単に私が怠慢だっただけかも),実際に入学してみるとプロファイリングが授業で全く扱われないどころか,それまで心理学だとは全然思っていなかった眼の構造や統計学などの授業が。ああ……あんなに受験勉強して人生を懸けて入学したのに……とまあ,こういう人けっこう多いんじゃないでしょうか。
今では私が高校生の頃とは違って情報収集が高速で容易にできるため,心理学の学術書や論文,それに大学のシラバスなんかにもすぐアクセスできます。学会や研究者がSNSや動画サイトでどんどん情報を発信していますし,まさにこのnoteみたいな場所で情報を提供したりもします。じゃあ今はもう,かつての私のような失敗は起きないのでしょうか?いや,今でも「こんなはずじゃなかった」は学生から頻繁に聞きます。これは一般社会,というより非心理学徒の抱いている心理学の印象や知識が依然として偏っていることにその一因があるように思います。
世間からの心理学のイメージについては楠見(2018)が参考になるデータを提示しています。例えば,人々の知りたい心理学的情報には職場や対人場面などでのうまい対処の仕方,あるいは他者の心の読み取り方や操作術といった実践的・実用的なものが多く,感覚・知覚や研究法・統計法については関心が薄いようです。実は数年前から心理学全般を取り扱うLINEのオープンチャットにこっそり参加しているのですが,そこで言及されるのは公認心理師・臨床心理士関連,生活上の悩み,そして一部の精神分析家の話題ばかりです。私が専門とする空間知覚の話が出たことは一度もありません。
どんな学問でも世俗的な部分が好まれることはあると思いますが,特に心理学の場合は誰でも「心」というものについて一家言を出せてしまうものですし,そこに科学的根拠が存在するとは限りません。というかほぼほぼ無いです。インターネットの発展により流通する情報の総量が爆発的に増えているので,世間でまことしやかに語られる「心理学的」なメソッド,テクニック,ライフハック,メンタリズム,出典不明の(少なくともプロに査読された文献ではない)知見などが激しい勢いで拡散していて,学会や研究者からの細々とした発信は埋もれてしまっています。たとえ心理学者が学問的に適切でない情報について訂正しようとしても全く追いつくことはありません。このような状態は「でたらめ非対称性原理」として知られています(Williamson, 2016)。
大衆的(ポップ)な心理学と学問的(アカデミック)な心理学との間にあるズレは随分前から知られていて,体系的に心理学を学んだ人々の間ではあるある話としてよく語られてきました。例えば佐藤他(1994)では,ある人物が大学入学前から卒業後までに体験する心理学へのイメージの変化をコミカルな例話として紹介しているので一読を勧めます。これは今から30年近く前の文章ですが,あまりにも今と変わらなすぎて最新論文かと一瞬錯覚してしまうほどです。
では,ポップな心理学とアカデミックな心理学はこれまでずっとズレっぱなしでスレ違い続けてきたのでしょうか?実はこのことについても佐藤他(1994)がとても詳細にまとめています。かなりかいつまむと,初期の心理学者たちはポップもアカデミックも両方取り上げてきたものの,戦後辺りからポップな心理学を扱わなくなり,今ではそれらに対して否定的な印象を持つまでに至っています。
近年ではマーケティングやビジネス場面で活用できる行動Tips集も心理学(いわゆる「行動心理学」)として紹介されており,話は少し複雑です。ここで少し解説していますが,少なくとも心理学者の間でコンセンサスの取れた行動心理学という学問分野はありません。にもかかわらず「心理学的には」という形で行動心理学用語は数多く流通しており,そうした用語に聞き覚えのない心理学者はただ困惑するばかりです。しかも,実在する用語名などが絶妙な具合で入っているため一概に否定することもできず,悩ましく感じています。
例えばシャルパンティエ効果という用語があります。これは心理学の実験演習なんかでよく扱われるおなじみの現象で,同じ重さの物体をつまんで持ち上げて比較するときに,見た目が小さい方が重く感じられるという錯覚です(Charpentier, 1891)。けっこう劇的に生じるので体験してみるとテンションが上がります。シャルパンティエ効果は知覚-運動系の仕組みを検討する上で重要な現象なのですが,最近ではマーケティング用語になっています。元の研究と全く異なる扱われ方でして,これはちょっと驚きました。
逆に,カラーバス効果という心理学者にはなじみのない言葉も心理学用語として紹介されています。「色を浴びる」という意味らしく,何でもいいんですが,例えば赤色のことを意識しておくと,普段の生活の中で勝手に赤いものが目に飛び込んでくるといったものです。心理学とは関係のないビジネス書の中で発想法の一つとして紹介されていたのですが(加藤, 2003),いつの間にか著者の思惑を離れて心理学用語としてなぜか定着してしまったようです。一方アカデミックな心理学の方でも実は,何かを探そうと構えていると色などの特徴が関連するものを見つけやすくなるという現象が知られており(随伴性注意捕捉),これはトップダウンの注意制御機構を検討する上で重要なものです(Folk, Remington, & Johnston, 1992)。これらは呼び名は違っても現象的には類似しています。カラーバス効果という名称こそ心理学では使われていないものの,その現象自体がでたらめだと言うことも難しいのです。
ここでやっとタイトルの話になりますが,じゃあ心理学者はどうすればよいのでしょうか?一つはやはり今まで通り訂正を続けていくことだろうと思います。でたらめ非対称性原理によって残念ながら有効性が低いとはいえ,それでも地道な活動の意義はあるでしょう。ポップな心理学をある種の誤情報だと捉えれば,従来の心理学的知見も応用できる可能性があります。既に出回っている誤情報に対してはデバンク(debunk)という様々な介入方法についての知見が集まりつつあります(田中他,2022)。YouTubeなどでの誤情報ブロックはその一つです。
あるいは,より重要だとされるのがプレバンク(prebunk)と呼ばれる事前の介入です。誤情報に触れる前に「こういうの気をつけないとなぁ」という構えを形成するための様々な方法がすでに試されています(田中他,2022)。このように心理学的知見を心理学のために使う方向性はもっと検討・推進されて良いと思います。
しかしポップな心理学はその全てが完全に誤情報とも言えません。先述のように,心理学のポップとアカデミックはひっついてるのか離れてるのかよく分からない様相を見せています。ただひたすらポップを訂正するというのも不毛ですし,そもそもアカデミック側が本当に「正しい」のかも微妙な部分があります(再現性問題や一般化可能性問題と関係しますが今回は完全カット)。個人的には,ポップな心理学は斬新な研究ネタをいくつも提供してくれているように感じます。なんとかそれらを学術の俎上に載せてさらに新しい心理学へと発展させるというような,融和的で建設的な取り組みができないものかと思っています。心理学者はポップを単に否定したいわけではありません。自分たちが普段研究しているものと「同じもの」を一般社会のみなさんと一緒に眺め,一緒にその話で盛り上がりたいだけなんです。