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一人でずっと山にいる(服部文祥:登山家)#こころのディスタンス

できるだけ人と会ってはいけないという日々に、つらさを感じた人は多かったと思います。しかし、人と会わないことでかえって楽になったという話も、聞かないわけではありません。できるだけ一人、生身の人間の力で山を登り続けるサバイバル登山を続ける服部文祥先生に、人から離れ一人過ごすことへの思いを、お書きいただきました。

 昨年の夏、関東近郊の山の中の廃村に、古い家とかなり広い土地をただ同然で手に入れることができた。二間半×七間半の母屋はクギを一本も使わない日本古来の構造建築で、屋根は茅葺きである。廃屋同然だったその家に犬といっしょに入って、掃除して、修理して、畑仕事をするのが、現在、私が取り組んでいる主な活動であり、喜びだ。

 この春の大型連休も移動自粛ということで、登山をあきらめ、廃村の古民家に向かった。古民家に着いて雨戸を開けたら、沢から引いている水でカルピスを割って飲む。

 三方が山に囲まれ、渓沿いの道が屈曲して3キロ下のバス道路に繋がっている。半径3キロ以内に人はおらず、携帯電話の電波は届かない(そもそも私は携帯電話を所有していない)。耳に入ってくる音は、母屋の横50メートルに流れる渓流と鳥、風くらい。人工音はときどき遥か上空を飛んでいく飛行機だけ。

小蕗の家

 見渡す周辺には、至る所に雑草が茂っている。処理するにはヤギを飼うのがいいかもしれないと考える。乳が採れれば一挙両得だ。ただヤギやヒツジは単独で暮らすのを嫌うらしい。ヤギやヒツジだけでなく、多くの人にとっても、長時間まったく他者に会わない単独状態はストレスらしい。私は他人から離れ、古民家の縁側に一人(犬がいるが人間社会というシステムからは孤立状態にある)で座っているのが心地よい。

 若い頃は登山道のない山や冬山を単独で登っていたので「一人で怖くないですか?」と聞かれることが多かった。「単独行の怖さ」とはひとりぼっちの寂しさと、ケガをしたときに身動きとれなくなることへの警戒の二つだと思う。

 思い返せば小学校の高学年のときには、カブトやクワガタを求めて、独りで近所の雑木林を歩いていた。一人で森に入るようになったのは、いっしょに行く約束をしていた友だちが何らかの理由で来られなくなったのがきっかけだった。雑木林といっても小学校の敷地10個分くらいはあり、子どもには異界と言えた。怖かったが、樹液が出ている木に甲虫が群がっているのではと思うと、居ても立ってもいられず、一人でビクビクしながら森に入った。目的の虫が捕れたのかどうかは記憶にない。ただ、車道に出て来たときは、この世に戻ってきた安堵感と、もうすこし「あっち」に留まりたかったような名残惜しさを感じながら、自分が少し強くなったような満足感に包まれていた。

 以来、一人で森に入ることが多くなった。捕まえた甲虫がすべて自分のものになったし、他人に左右されず気が向いたときにすぐ行動できるのも性にあっていた。 

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(photo by KAMEDA MASATO)

    今、一人で山を旅するのも、気軽なうえに、なしえた体験がすべて自分のものという感覚が気持ちいいからである。

 ロープウエイで山頂まで行くことを「登山をした」と表現する人はあまりいない。車で林道を走るのも同じく登山とは言わない。自分の脚で一定時間登っときにはじめて登山になる。登山とは自分の力で登ることなのだ。

 私は登山に魅せられ、本気で取り組んできたので、登山とは何かもとことん考えてきた。ロープウエイや車のたとえを煮詰めていけば、登山とは交通機関の助力を借りずに、自分の力でおこなうものであるとわかる。100パーセントの登山がもしあるなら、それは100パーセント自力の登山なのだ。

 できるかぎり「他人の力」を排し、純粋に自分の力だけで山に登る方法はないかと考え、一つの方法にたどり着いた。たった一人で、できるだけ装備を持たず、できるだけ食料を現地調達し、できるだけ登山道や山小屋を使わず、万が一のときの救助も当てにしていないサバイバル登山である。

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(photo by KAMEDA MASATO)

 救助をあてにしないことを徹底するために、自分がどこに行くのか、誰にも言わなかったこともある。妻は、私がどこにいるのか長期間わからないような状態に対して、不満を抱き、文句を言った。

  「でも、たとえ連絡がとれたとしてそれで何になるんだろう?」と私は言った。
  「もし子どもが車に轢かれたりしたらどうするのよ」と妻。
  「たしかに家族に事故があったのに、山を登り続けているのは間抜けだけど、連絡が取れたらところで、ケガが治ったり、死んだ人が生き返ったりはしない」
  「あなたが遭難したときに助けにいくことができるかもしれない」
  「通信機器を持っていたり、登山計画を提出したという安心感からくる気のゆるみが事故を誘発することだってある」

 単なるへ理屈だったが、ともかく、できるだけ他力を排除して、登山を実践してみたかった。

 最初は大変なこともあったが、徐々に、他人の手助けなしでおこなう登山こそ、真の登山だと感じるようになっていった。公共施設、救助などをあてにしない自立した(孤立した)時間を過ごすことを清々しく感じるようになった。自分で捉えた生き物を自分で殺して食べるのも「これこそいただきますだ」と実感できた。

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(photo by KAMEDA MASATO)

 足をくじいただけで死ぬかも、というささやかな緊張感と、それ故の自分の命は自分で維持管理する誇り――すくなくとも今この瞬間、自分の命は自分のものだという自尊心――に淡く包まれている感じだ。

 サバイバル登山を繰り返すことで、いつしか、社会システムの外のいるときのほうがくつろげるようになった。廃村での生活もこの延長にある。水、燃料は完全自給している。ちょっとした電気はソーラーを使う。排便は一ヶ所に溜めない。生活排水は斜面に吸収させるが、そもそも汚水を出さない。公共の下水施設がない地域の個人宅は、浄化槽の設置が法律で義務づけられているが、便所の場所を決めず、下水を流さなければ必要ない(はずだ)。 

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(photo by KAMEDA MASATO)

 便利を求めると国や自治体が顔を出し、公共料金を払えと言ってくる。排便するのにちょっと山に行く手間を惜しまなければ、国や自治体やそれらに類する東京電力などが管理運営するものには頼らずに暮らすことができる。公共といえるものは、3キロ下のバス停くらいで、救急車を呼ぶ手段もないので、木に登って枝を落としたり、回転系の電動工具(ソーラー)を使うときは、ミスしたら死ぬぞ、と自分に言ってからはじめている。

 人に頼るのが嫌、というよりは、自分でやっているほうが面白いし気持ちがいい。ほんの100年ほど前までは、物理的な距離を無にするような通信機器などなくて、連絡が取れないのが当たり前だった。なのにいつしか、携帯電話でみんなと繋がっていなくてはならなくなった。

 私も仲間と協力して山に登ることもある。仲間と競い合う楽しさだって知っている。ただ、力を合わせて何かを成し遂げようすとする時は、お互いがよりかかることなく、自分の脚でちゃんと立った上で力を合わせることが重要だ、と私は思う。

 万が一のときは助けるので管理もさせてもらいます、というなら、私は助けはいらない。野たれ死にでかまわないから、それまでは自由に自力で生きていきたい。

執筆者プロフィール

服部顔

服部文祥(はっとり・ぶんしょう)
登山家、作家、山岳雑誌『岳人』編集者。大学時代から本格的な登山を開始。その後、できるだけ装備を持たず、食料は現地調達していくサバイバル登山を始める。著書として、『サバイバル登山家』『ツンドラ・サバイバル』(みすず書房)、『獲物山1・2』(笠倉出版社)、小説『息子と狩猟に』(新潮社)など多数。