失語のある人の言葉を取り戻す支援(竹中啓介:我孫子市障害者福祉センター)#立ち直る力
失語とは
大脳には、言語中枢と呼ばれる言語の機能を司る場所がいくつかあります。これらの言語中枢が脳梗塞、脳出血、脳腫瘍、頭部外傷などによって損傷を受けると失語になります。失語になると、話し言葉が不自由になるのみならず、他人の話を聞いて理解することや、文字の読み書き、計算することなどが不自由になります。そのため、症状が重い場合は、自分の意思を他人に伝えられなかったり、周囲の話を理解できなくなったりします。失語の症状は、損傷された言語中枢の場所や範囲によって異なり、たどたどしく話すタイプや、流暢に話すが何を言っているか分からないタイプ、全く話せないタイプなど、さまざまです。また、右半身の麻痺を伴うこともあります。
失語のある人に対するコミュニケーション支援とは
従来、失語のある人に対するリハビリテーションは、失語のある人に言語訓練を行い、その症状を軽減することに重点が置かれてきました。しかし、失語は、訓練によって症状が軽くなる場合も多くありますが、その原因が脳の損傷にあるため、残念ながら完治することが大変難しい障害です。そこで、2001年以降、リハビリテーションの世界では、失語のある人の日常生活におけるコミュニケーションの問題に直接アプローチし、機能のみならず社会参加も促進することが推奨されるようになりました。これは、「失語があってもコミュニケーションを可能な状態にする」ことを意味します。以下では、失語のある人の言葉を取り戻すために、どのような方法があり、現在どのような取り組みが行われているかを解説します。
コミュニケーション障害とは
まずコミュニケーションとは何かを考えてみましょう。コミュニケーションとは、言葉、表情、動作などを用いて、互いの考えや気持ちなどを伝え合う行為です。言葉だけに焦点を当てるならば、話し手と聞き手が順番を交代しながら意味を伝え合う、いわば言葉のキャッチボールです。
さて、それでは、コミュニケーション障害とはなんでしょうか? コミュニケーションが話し手と聞き手との言葉のキャッチボールであるならば、失語のある人がコミュニケーションに失敗した場合、実は対話者側にも責任があるといえます。もし、対話者が、適切なコミュニケーション姿勢を持ち、失語のある人が確実に理解できるように話しかけ、失語のある人の伝えたい内容を確実に理解する会話能力を持っていれば、コミュニケーションは成立するからです。つまり、対話者のコミュニケーション姿勢と会話技術次第で、失語のある人のコミュニケーション障害は、重くなったり、軽くなったりするのです。
適切なコミュニケーションの姿勢
失語は言葉の障害であるため、失語のある人は、周囲の人から言葉を話せない「無力な人」と見做されてしまうことがあります。そのため、失語のある人は話し合いの場に出席できなかったり、意見を求められず蚊帳の外に置かれたりします。こども扱いされることも、しばしば問題になります。
しかしながら、失語のある人は中途障害です。発症するまでに経験した、さまざまな知識や経験を持っています。もちろん、人間観、人生観、宗教観、理念なども病前と全く変わりません。それらは失語という固い殻に覆われしまい、外に出すことが難しくなっているだけなのです。対話者には、そのような失語のある人の内部に隠されている「本当の能力」を認識することが求められます(Kagan, 1998)。その認識が本物であれば、対話者は失語のある人を尊重し、能力のある普通の大人として接することができるようになるはずです。
理解面を補う会話技術
失語のある人とのコミュニケーションにおいて、最も重要なことは対話者が話す内容を失語のある人に確実に理解してもらうことです。しかし、失語のある人にとって、対話者が普段話すような話し方は、とても早口で、長くて、複雑であるように感じてしまいます。また、普段何気なく使っている言葉の多くは、失語のある人にとっては難しい言葉に聞こえることがあります。
そこで、対話者には、次の2つの会話技術を使うことが求められます。すなわち、①自分の話し言葉を工夫する会話技術、②会話の要点を紙に書いて示す会話技術、です。
①自分の話し言葉を工夫する会話技術
失語のある人が苦手とする話し方とは逆の話し方をします。すなわち、早口ではなく、「ゆっくり話す」、長い文ではなく「短い文で話す」、複雑な文ではなく「簡潔に話す」、難しい言葉ではなく、「わかりやすい言葉で話す」、といった要領です。
「ゆっくり話す」とは、文節で一拍止めて話す方法です。文節とは言葉の最小単位のことですが、わかりやすく言えば、「~ね」が付くところです。例えば、「私(ね)、昨日(ね)、映画を(ね)、観たんです。」というように、(ね)が付くところで一拍止めます。この際、単語内のスピードは普段通りにすることが大切です。「わーたーしー」のように伸ばす話し方や、「わ・た・し」のように逐語的に区切る話し方は、かえってわかりにくくなるので注意しましょう。
また、「わかりやすい言葉で話す」とは、「ここに“署名”と“捺印”をお願いします」のような言葉ではなく、「ここに“お名前”を書いてください。そして,ここに“印鑑”を押してください」のようにわかりやすい言葉に言い換えることです。
②会話の要点を紙に書いて示す会話技術
話し言葉を工夫することは大切ですが、言葉は音波なのですぐに消えてしまいます。そこで、話の要点を紙に文字で書く、描画をする、数字を書く、というように情報を視覚的に提示すると失語のある人の理解力を補うことができます。文字を書く場合は、なるべく漢字で書く、文章で書かない、大きく書くなどに注意してください。
例えば、対話者が失語のある人と予定を決める話をしながら、次のような事柄を書いたとします。
いかがでしょうか? 対話者が、どのような内容を失語のある人に伝えたのか、その説明を聞いていない人でも、理解することができるとは思いませんか?
その他、話しながら意図的に身振りを伴わせる、カレンダーや地図などを示すなどの方法も有効です。このように対応することにより、失語がたとえ重度であっても理解力を補うことは可能なのです。
表出面を補う会話技術
失語が重度である場合、失語のある人が有意味な言葉を発することは非常に難しくなります。しかし、多くの場合、対話者の質問に対して頷いたり、首を振ったりすることや、何かを指さしたりすることは出来ます。失語のある人とのコミュニケーションでは、この力を利用し、「はい−いいえ」で答えられるように質問する「Yes-No質問」や、選択肢を紙に書いて指差しを求める「選択質問」を用います。このような質問方法であれば、失語のある人は自分の力で応答することができます。
また、聞き方には2つの方略があります。すなわち、語の階層を利用して質問する方法と、単語の特徴を多角的に質問し得られた応答内容から失語のある人の言いたいことを類推するといった方法です。たとえば、失語のある人の言いたいことが全くわからない場合、「生き物ですか?」、「食べ物ですか?」のようなもっとも上位となる概念から質問していきます。もし「生き物」と応答を得られれば、その下位の概念である「動物、植物」のような語彙を紙に書いて指差しを求め、さらに絞っていきます。そして、おおよそのカテゴリーが特定できたら、次に多角的な質問を行い、得られた応答から失語のある人が言いたいことを類推します。たとえば、「人間」であることがわかった場合、次に国籍、性別、年齢、生死、職業、容姿などの特徴を多角的に質問し、得られた応答内容の中から失語のある人の言いたいことを対話者が類推するのです。
話の内容を確認する会話技術
失語のある人との会話では、聞き誤ったり、思い違いをしたりすることがあるため、途中で話が食い違う可能性があります。そのため、話の要所要所で話の内容を確認することが、とても大切になります。確認する会話技術は、音声・文字・数字・描画・身振りなどを用いて話の内容を確認する、あるいは話を要約して確認する、などの方法があります。たとえば、来週月曜、午前10時、駅の北口の改札で待ち合わせをする場合、日時と曜日、簡単な路線図、駅の改札の描画を紙に書いて示し、ゆっくり説明して理解できているかを確認します。
新しい福祉制度:失語症者向け意思疎通支援者派遣事業
いわゆる障害者総合支援法によるサービスの体系は、自立支援給付と地域生活支援事業から構成されています。この地域生活支援事業には、「専門性の高い意思疎通支援を行う者の養成事業」という事業があります。2018年4月より、この事業の中に、「失語症者向け意思疎通支援者」を養成することが新たに規定されました。養成研修は、市民を対象に上述したコミュニケーション姿勢や会話技術などを身につけていただくことを目的としています。これに伴い、厚生労働省は、養成研修の指導者を養成するための研修会を開催しています。そして、東京都をはじめ、いくつかの自治体は、いち早く失語のある人向けの意思疎通支援者の養成を開始しました。この施策は、必須事業であるため今後全国の自治体的が取り組むことになると思います。
まとめ
以上のように、対話者の適切なコミュニケーション姿勢や会話技術によって、失語のある人は言葉を取り戻すことが可能になります。取り戻すのは、言葉だけではありません。他人と繋がる安心感、話を共有できる喜び、お互いの笑顔、どれもかけがえのないものばかりです。今後、多くの方々に失語のある人向けの意思疎通支援者の研修を受講していただき、一人でも多くの失語のある人を救っていただくことを願ってやみません。