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格闘技で心を開放する ―危険の効用―(大久保街亜:専修大学人間科学部教授)#もやもやする気持ちへの処方箋

格闘技は相手の体との強いぶつかり合い、自らの体への痛みなども伴うことが多々あります。
それでも、いつの時代も人の心をひきつけて止まない魅力を放っています。
一体、格闘技の何が私たちの心のもやもやを吹き飛ばしてくれるのでしょうか。
認知心理学がご専門で、格闘技にも精通されている大久保街亜先生にお書きいただきました。

 格闘技は戦いの技術です。他人を痛めつけたり、傷つけたり、場合によっては死に至らしめたりすることを元々の目的としています。柔道、空手など日本の武道にしても、レスリング、ボクシングなど欧州由来の格闘技にしても同様です。ただし、格闘技が元々の役割を担っていた時代と比べ、現在では戦いの技術を使う機会はほとんどありません。ピンカーが「暴力の人類史」(Pinker, 2011)で膨大なデータから示したように、現代は人類史上、最も安全で平和な時代です。なぜ格闘技という危険で野蛮な技術が、安全な現代でも残っているのでしょうか?

格闘技人口は増えている

 安全で平和な世の中にもかかわらず、格闘技人口は増えています。さまざまな調査会社は格闘技を成長産業として位置付けています(例、IBIS World)。格闘技は子供の習い事として人気がありますし、子供だけでなくさまざまな年齢の人が趣味として楽しんでいます。世界中にある格闘技ジムに行くと、どこでも平均年齢はおよそ30代です。50代、60代の人も珍しくありません。危険なスポーツの人気は格闘技にとどまりません。僅かなミスが死に直結するアドベンチャー・スポーツと呼ばれるスカイダイビング、フリークライミングなどを楽しむ人も増えてきました。かつて、格闘技やアドベンチャー・スポーツなどの危険なスポーツは若者がやるものだと考えられていました(例えば、Rossi & Cereatti, 1993)。危険を伴うリスクテイキング行動は若者で多く観察されます。危険なスポーツは分別のある大人のやることではないと考えられていたのです。

危険なスポーツの効用

 なぜ大人が危険なスポーツにハマるのでしょうか?格闘技を含む危険なスポーツには、心理的な効用があるのです。クローらは危険なスポーツが与える効果をレビューし、身体的にも精神的にも危険なスポーツにポジティブな効果があると結論づけました(Clough et al., 2016)。実際、命を賭すような危険なスポーツを経験すると、爆発的な開放感や喜びを感じたり、不安や恐怖が軽減したり、感情を上手く制御できるようになったりします。経験者は、それが人生の転機となったとしばしば口にします。例えば、「ボクシングをはじめてから毎日活き活きしています!」、「スカイダイビングで人生観が変わりました!」といった感じです。

大久保先生 スカイダイビング

格闘技で気持ちを開放する

 格闘技が与えてくれるポジティブな効果のひとつに圧倒的な開放感があります。これは格闘技観戦が人気なことからもわかります。観るだけでなく、自分でやっても開放感が得られます。まず、身体を動かすだけで気分が良くなり、開放感を感じます。その効果はおよそ半日経っても持続します(Sibold & Berg, 2011)。さらに、格闘技、特に実践形式の練習がある競技では、ルールの範囲内での戦いを経験できます。掴まれ、押され、競技によっては蹴られ殴られ、首を締められたり関節を捻られたりします。もちろんルールがあるので怪我をする前に止めるのですが、かなり非日常的な体験です。ある意味ストレスフルです。しかし、そのストレスフルな状況に対峙し克服することは、単なる運動を超えたポジティブな開放的を与えてくれます。

 スパーリングと呼ばれる実践形式の練習について、オーストラリアのジャーナリスト、エレーナ・ゴメスは以下のように書いています。彼女は、自ら認める文系のオタク、運動経験がほとんどないのに格闘技にハマってしまったそうです。

「スパーリングでは、すごく気分が盛り上がります。例えば、相手をマットに押さえつけ、全体重を使って動けなくします。そうすると相手から「イライラする」なんて言われることもあります。これは褒め言葉ですね。私が上手く攻撃しているので相手はイライラするわけです。こういった一連の攻防を経験すると、自尊心がとても高まります。女性でもこういうことができるのは、大きな喜びです(Gomez, 2020)。」

 エレーナ・ゴメスがスパーリングで喜びと開放感を強く感じているのが伝わってきます。危険に挑み、見事に克服する。ステレオタイプ的な女性像(例、おしとやか)からかけ離れていること、やるべきではないことをやる。これは象徴的な意味で、束縛からの開放なのかもしれません。同時に強烈な成功体験になるのでしょう。だからこそ開放感と強い喜びを感じると考えられます。

 男性にとっても、安全で平和な現代で体をぶつけ合い相手を制することなど滅多にありません。程度の差はあるかもしれませんが、同じように社会や常識から受ける束縛からの開放とそれに伴う喜びを格闘技によって感じることができるでしょう。

格闘技はネガティブな感情を弱める

 開放感と喜びの裏返しでもあるのですが、格闘技によって怒り、不安、恐怖などのネガティブな感情が弱まり、気分が穏やかになることも示されています。スグデンは自分自身が格闘技の道場に4年間通い、フィールド・ワークを行いました。そして、自分で体験するだけでなく、多くのインタビューを行い、格闘技によって身体が鍛えられることに加え、テクニックを学び、仲間と触れ合うなかで精神的にも成長するプロセスを描き出しました。インタビューを受けたブラジリアン柔術の紫帯であるニックの言葉は、格闘技が気分を穏やかにするプロセスをよく表しています(ブラジリアン柔術は柔道を起源とする寝技が主体の格闘技です)。

「道場には戦いを習いに来てる。荒っぽいことをしに来てるんだ。でも、結果としてなんというか心が穏やかになるのに気づく… すごくヘンな感じだよ!(ニック、柔術紫帯、Sugden, 2021)」

 インタビューだけでなく、実証的な研究からも格闘技によってネガティブな感情を伴う深刻な精神症状が軽減されることが示されています。PTSDとは、凄惨なストレス(戦争、犯罪被害、虐待、交通事故、自然災害など)で心にダメージが与えられた結果、心身に支障をきたし、日常生活にも影響を及ぼすストレス障害です。ウィリングたちは、PTSDの症状がある退役軍人にブラジリアン柔術を体験してもらいました(Willing et al., 2019)。参加者のPTSDの状態をPCL-5という質問紙で測定したところ平均で50点近くでした。PCL-5は0–80点の間でPTSDを評価し、30点以上を取るとPTSD の兆候があると判断されます。平均50点は深刻で治療が必要な状態です。ところが、練習をはじめて2.5ヶ月でPTSDの症状は劇的に改善し、およそ20点、つまり、健康と言って良い状態になったのです。このような格闘技が持つ治療効果や気分を改善する効果はたくさんの研究から示されており、研究結果を統合して評価するメタ分析でも支持されました(Vertonghen & Theeboom, 2010)。
 格闘技を経験すると粗暴になるという報告も確かにあります(例、Endresen & Olweus, 2005)。しかし、条件を統制すると、抑うつや不安や、そして攻撃性を減らすことが示されており、全体としてはポジティブな効果があることが示されています。

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心は危険で野蛮な世界に最適化されている

 私たちは歴史上、最も安全な時代を生きています。こんな安全な時代だからこそ、逆説的に、危険が必要なのかもしれません。進化心理学では、私たちの心が、ホモ・サピエンスが誕生したおよそ20万年前の世界を生き抜くためにデザインされたと考えます。20万年前の危険で野蛮な世界に心は最適化しているというわけです。この考えに基づき進化心理学者たちは、スポーツが戦いや狩りの能力を誇示するための、また、それらに適した人物を見分けるためのものだと考えました(例えば、Lombardo, 2012)。格闘技はその典型です。格闘技に挑戦し、危険に打ち勝つことは、私たちの心に進化の過程で刻まれた何かを動かすのでしょう。だからこそ、格闘技のような危険なスポーツに興奮し、それを行うことで開放され大きな喜びを感じ、結果として健康になるのかもしれません。

引用文献
・Gomez, E. (2020). Brazilian jiu-jitsu: A soul-destroying, ego-clipping sport that's sunk deep into my veins. The Guardian International. [January 22, 2020].
https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2020/jan/22/brazilian-jiu-jitsu-a-soul-destroying-ego-clipping-sport-thats-sunk-deep-into-my-veins
・Endresen, I. M., & Olweus, D. (2005). Participation in power sports and antisocial involvement in preadolescent and adolescent boys. Journal of child Psychology and Psychiatry, 46(5), 468–478.
・Lombardo, M. P. (2012). On the evolution of sport. Evolutionary Psychology, 10(1), 147470491201000101.
・Pinker, S. (2011). The better angels of our nature: The decline of violence in history and its causes. Penguin UK. 幾島幸子・塩原通緒訳(2015)暴力の人類史.青土社
・Rossi B, & Cereatti, L. (1993). The sensation seeking in mountain athletes as assessed by Zuckerman’s sensation seeking scale. International Journal of Sport Psychology, 24, 417–431.
・Sibold, J. S., & Berg, K. M. (2010). Mood enhancement persists for up to 12 hours following aerobic exercise: A pilot study. Perceptual and Motor Skills, 111(2), 333-342.
・Sugden, J. T. (2021). Jiu-jitsu and society: Male mental health on the mats. Sociology of Sport Journal, 1(aop), 1-13.
・Vertonghen, J., & Theeboom, M. (2010). The social-psychological outcomes of martial arts practice among youth: A review. Journal of Sports Science & Medicine, 9(4), 528–537.
・Willing, A. E., Girling, S. A., Deichert, R., Wood-Deichert, R., Gonzalez, J., Hernandez, D., ... & Kip, K. E. (2019). Brazilian jiu jitsu training for US service members and veterans with symptoms of PTSD. Military Medicine, 184(11-12), e626-e631.

執筆者プロフィール

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大久保街亜(おおくぼ・まちあ)
専修大学人間科学部教授。認知心理学を専門とし、顔の魅力、信頼されるための動作、映画での座席行動など日常の行動や認識を研究。著書に「認知心理学:知のアーキテクチャを探る(新版)」、「伝えるための心理統計:効果量・信頼区間・検定力」がある。格闘技にも精通し、ブラジリアン柔術、総合格闘技の大会で優勝、入賞を果たす。格闘技と心理学の関連についてnoteを毎週更新中。 https://note.com/matiasauquebaux/

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