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アラスカの無人島で過ごした四日間(著述家・編集者・写真家:山本高樹) #孤独の理解

孤独はつらいものだと考えてしまいがちですが、旅における孤独は、また別の意味合いを持つようです。世界各地を巡る日々を重ねてきた山本高樹先生にお書きいただきました。

 アラスカの自然や野生動物を生涯を通じて撮影し続けた写真家、星野道夫さんは、自身の著作『長い旅の途上』の中で、南東アラスカで森林局の山小屋に滞在する旅の方法を紹介している。

 南東アラスカには、入り組んだフィヨルド地形の海岸沿いに、世界最大規模の温帯雨林を擁するトンガス国立森林公園が連なっている。森林公園の中には、森林局が管理する百五十軒以上の無人の山小屋が点在していて、予約が空いていれば、それらは誰でも、一日数十ドルで借りることができる。ただ、ほとんどの山小屋は、道も通じていない深い森の奥や、湖や入江のほとり、無人島などにある。そこまで行き来するための小型船や水上飛行機は、自分で手配しなければならない。

 ある年の夏の終わり、僕は、星野さんが本で紹介していたその方法を、一人で実行に移すことにした。

 滞在先に選んだのは、シトカという街から十数キロ離れた沖合にある、クルーゾフ島。中央部にエッジカム山という火山がそびえている、かなり大きな島で、定住している人間はいない。島の東岸に、フレッズ・クリーク・キャビンという森林局の山小屋があるという。現地までの小型船の手配にかかる費用と、山小屋の周辺が歩き回って撮影をするのに適した地形かどうかを検討したところ、この島がよさそうだ、と思った。

 現地の旅行会社の助けを借りながら、僕は、四日間の山小屋の予約と、シトカからの往復の小型船をどうにか手配し、クルーゾフ島へと向かった。

 アラスカの無人島での滞在ということで、持っていく装備や食糧は、慎重に選んだ。氷点下の気温でも耐えられる暖かい寝袋とエアマットレス。防寒着とレインウェア、上陸の際などに履くラバーブーツ。お湯を沸かすためのガスストーブと大型のカートリッジ。フリーズドライのパスタとおこわ、味噌汁、インスタントラーメン。オイルサーディンの缶詰と、スモークサーモンの瓶詰。ハーシーズの板チョコ。ほうじ茶のティーバッグと、インスタントコーヒーの小瓶。

 四日分の食事の調理と飲用に必要な水も用意した。アラスカでは川の水をそのまま飲むと、ビーバー・フィーバーと呼ばれる細菌性のひどい下痢にかかる危険性がある。煮沸消毒に必要な手間と燃料を考えると、水を持ち込む方が確実だった。

 もう一つ、ベア・スプレーも忘れずに持っていくことにした。唐辛子の成分を噴霧できる缶スプレーで、クマに遭遇した時、一時的に威嚇するために使う。これだけは、使う機会がないままで滞在を終えるに越したことはなかった。

 フレッズ・クリーク・キャビンは、十メートル近い高さの木々が立ち並ぶ森を背後に、海に面する形で建っていた。三角屋根を戴いた、がっしりした造りの山小屋で、少し離れた場所にアウトハウスと呼ばれるトイレがある。内部には、木製の硬いベッドとテーブル。ほかには古い鉄製のストーブと、薪がほんの少し。

 小屋を出て、緩やかな斜面を数十メートル下れば、すぐに海岸に出る。彼方の対岸には雪を戴く山塊がそびえ、その麓に、うっすらとシトカの街が見える。ほんの時折、沖合を漁船が通り過ぎる。ある日の夕方には、シトカに寄港したらしい白く巨大なクルーズ船が、遠くに姿を現したこともあった。無人島に一人でいる僕にとって、それらはまるで、別世界の存在のように思えた。

 南東アラスカでは、雨がよく降る。朝から雨の日は、山小屋に引きこもり、服を着込んで寝袋にくるまって、雨粒が屋根を叩く音を聴きながら、ゆっくりと時間をかけて、本を読んだ。雨が止むとと少し暖かくなるので、山小屋のすぐ外にあるベンチに移り、打ち寄せる波の音を聴きながら、本の続きを読んだ。

 晴れた日は、カメラバッグを担いで、海岸沿いや島の中を歩き回った。山小屋の裏手から森を抜けてエッジカム山まで続く一本のトレイルがあったので、主にそれを利用して行き来しながら、写真を撮った。

 森に分け入ると、頭上を覆う木々の枝という枝には、日本で霧藻(きりも)、米国で「ウィッチズ・ヘア(魔女の髪)」と呼ばれる糸のような姿の地衣類が、みっしりと絡みついていた。森のあちこちに、寿命を終えて朽ち果てた木々が、骸のように横たわっている。それらの幹や折れた根株には、色も形も驚くほど多種多様な苔や植物が、密やかに芽吹いている。クルーゾフ島の森の中は、無数の命が絶えず流転していく気配に満ち満ちていた。

 森を抜けると、広大な湿地が広がっていた。彼方には、斜めに断ち落としたような火口を戴くエッジカム山が見える。湿地のぬかるみは深く、トレイルに敷かれている細い木の板をうっかり踏み外すと、ラバーブーツを履いていても歩くのは難しい。火山活動の影響か、灌木や草の植生は、まだ若々しい。恐竜が生きていた時代を連想させる、荒涼とした原初の風景。雲の切れ間から幾筋もの光の束があふれ、湿地帯や彼方の海面を、まだらに照らし出していた。

 フレッズ・クリーク・キャビンのすぐ北には、フレッズ・クリークという名の細い川が海へと流れ出る河口があった。河口の左右に立つ木々の梢には、ほとんどいつも、ハクトウワシが留まっていた。彼らは門番のようにいかめしい顔つきであたりを睥睨しながら、時折、パッと羽ばたいて海辺に舞い降りると、海面近くを泳いでいた魚を器用につかみ上げていた。

 川の近くには、ハクトウワシのほか、五、六頭のシカの群れや、夕刻になると、数頭のクマも現れた。クマたちが姿を見せると、僕は用心深く後ずさりしながら、山小屋の中に入るようにしていた。

 ある時、好奇心旺盛な二頭の若いクマが、山小屋のすぐ近くまでやってきた。彼らは小屋の軒先でじゃれあい、周囲をぐるぐる回った後、入口のドアノブをがちゃがちゃといじった。ドアのガラス越しに外を見ると、彼らと目が合った。二頭のクマは、代わる代わる、僕の顔を覗き込むようにしてから、フン、と鼻を鳴らして身を翻し、悠々と歩き去っていった。

 クルーゾフ島で過ごした四日間、僕は、孤独だったのだろうか。

 孤独という言葉には、とらえどころのないところがあって、その意味の解釈や受け止め方は、人によってもさまざまだと思う。人間の感情の表れの一つという単純な図式で軽く扱うことも、逆に必要以上に重く深刻に扱うことも、個人的にはどこかそぐわない気がする。

 あの四日間、クルーゾフ島にいた人間は、僕だけだった。逆に言えば、クルーゾフ島にいなかったのは、僕以外の人間だけだった。

 クマ。シカ。ハクトウワシ。海鳥たち。アシカ。ラッコ。魚たち。森の木々。枝に絡む霧藻。倒木を覆う苔……。

 あの島にいた生き物たちの中で、僕は間違いなく、一番ひよわな存在だった。山小屋がなければ、雨風をしのぐことも、クマから身を守ることもできない。仮に銃を持っていたとしても、弾を撃ち尽くせば、それで終わり。食糧と水と燃料が尽きれば、野垂れ死んでしまう。文字通り、森の苔にすら及ばない存在だった。

 僕はほんのいっとき、あの島の生き物たちに見逃してもらって、「居させてもらった」だけだったのだと思う。

 自分の弱さを認め、受け入れてしまうと、なぜだか、すっかり気が楽になった。クマも、ハクトウワシも、木々も、苔も、そして自分自身も、それぞれが等しく存在する命の一つでしかない。無数の命がひっそりと息づくあの島で、目には見えない関係性のようなものを感じながら、僕は、不思議なほど満ち足りた、穏やかな気持ちでいた。それは、今までに経験したことのない感覚だった。できることなら、ずっとここで、この感覚に身を浸していたい、と願っている自分がいた。

 ドイツ語に、「Waldeinsamkeit(ヴァルトアインザームカイト)」という言葉があるという。「Wald(森)」と「Einsamkeit(孤独)」という言葉を合わせた「森の中で一人で過ごしている時の感覚」というニュアンスの、他の言語に翻訳しようのない言葉なのだそうだ。僕がクルーゾフ島で過ごした四日間で感じていたのは、この「Waldeinsamkeit」に近い感覚なのかもしれない。

 地球上では、人間も、どんな生き物も、ほかの生き物たちとの関係性の中で、その命を保っている。宇宙船から命綱なしで宇宙空間に放り出されでもしないかぎり、そのつながりのすべてを断ち切ることはできない。時には本当にささやかな、でもけっして途切れることのないその関係性を、僕は忘れずにいたいと思う。

 四日後の朝、迎えに来てくれた小型船に乗って、僕はクルーゾフ島を離れた。

 シトカに戻る途中、僕たちの船は、十数頭のクジラの群れに遭遇した。海は凪いでいたが、エンジンを切った船の周囲を取り巻くように泳ぐ彼らの起こす波で、甲板は上下に大きく揺れた。クジラたちは思い思いに、しゅっと潮を吹き上げて空気を吸い込んでは、尾びれを高々と振り上げ、とぷん、と海中深くへ潜っていった。

 それは、アラスカの生きとし生けるものたちの、祝祭のようだった。

執筆者

山本高樹(やまもと・たかき)
著述家・編集者・写真家。2007年から約1年半の間、インド北部の山岳地帯、ラダックとザンスカールに長期滞在して取材を敢行。以来、この地域での取材をライフワークとしながら、世界各地を取材で飛び回る日々を送っている。主な著書に『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]』(雷鳥社)『ラダック ザンスカール スピティ 北インドのリトル・チベット[増補改訂版]』(地球の歩き方)『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』(産業編集センター)など。『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』(雷鳥社)で第6回「斎藤茂太賞」を受賞。

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