感情は宝物…抑えるものではない(小林正幸:東京学芸大学教授)#もやもやする気持ちへの処方箋
怒りをコントロールしようという考えに顕著ですが、自分の感情をうまくコントロールしましょうという考え方が、この頃よく見られるようになっています。感情をあらわにすることは議論の妨げになる、論理的な思考の邪魔になるなどいう主張がそこには見え隠れします。しかし、人は感情を抜きにして生きていけるものでしょうか。それをコントロールできることが、より賢い生き方なのでしょうか。教育臨床心理学がご専門の小林正幸先生にご考察いただきました。
こころの不調と感情のコントロール
こころの不調とは、「自分の思い通りに動けない」ことです。たとえば、「良い関係を作りたいと思う相手と仲たがいをしてしまう」とか、「何かをした方が良いと分かっていて、それができない」とかということです。思い通りに動けないとき、つまり、こころの不調は、不快な感情に圧倒されることなどで起きます。
このことで気になるのは、「怒りに任せてはいけない」とか、「不安に圧倒されないようにする」ことが言われることがあることです。そして、表面的な「感情のコントロール」が言われます。「不快な感情を抑えなさい」と。
しかし、不快な感情を抑えることで、こころの不調を避けられるのでしょうか?…それは、無理な話なのです。こころの不調は、不快な感情に原因があるのではないのです。不快な感情に圧倒されることそのものが、こころの不調なのです。
その瞬間の環境(周囲の人)との関係を悪化させないために、感情の爆発を数秒堪えることや、深呼吸などで不快な感情を身体面から緩める程度のことには役立つこともあります。でも、それは、不快な感情の急上昇を一時的に遅らせ、「環境との関係を悪化させない」だけなのです。不快な感情に圧倒される大元の課題の解決に向かいあっていないので、解決に至る道は遠いのです。
解決すべき大元の課題はどこにあるのでしょうか?
大元の課題は、不快な感情の背後にあるものが解決すべき課題だと認識できないところにあるのです。不快な感情を感じないようにブレーキをかけ、不快な感情を忌み嫌うのは、こころの不調を悪化させる要因だとすら言えます。たとえれば、痛み止めを打って患部を治療しないようなものです。
感情を宝物として進化させてきた人類
実は、人類は感情表現を豊かにし、感情を宝物にすることで進化を遂げてきました。とくに不快な感情は、宝物です。進化に逆らってはいけません。
約6000万年前のこと。 ヒトの祖先(原猿)が樹上生活を始めました。鼠に追い立てられたからだと言われています。原野では縄張りを作り、仲間を追い立てていました。しかし、樹上では飢餓で苦しみます。人類に繋がるサルは、仲間の苦境を表情から推し量るようになり、互いを助け合うようになります。
「共感」の能力は、樹上生活を開始して間もなくの原猿の時代から身に付け始めたと言われています。サル(真猿)となると、集団生活をする種が増えました。集団生活は個体間にストレスを発生させます。そのストレスを下げるには、仲間との親和行動を促進させなければなりません。そのために、表情が豊かになりました。その表情を動かすのが感情です。そのため、多様な感情と表情を獲得していきました。
脳の容量も増加し、他者の行動を観察することで、自身が同じ行動をしているように感じるミラーニューロンを獲得していきます。他の個体の心を読みとる認知システム(心の理論theory of mind)を進化させたのです。
1800万年前には、サルと類人類が進化の中で分岐しました。類人猿では、オラウータン以外は、集団生活を送るようになります。若い類人猿は、遊ぶようになり、「声を出して笑う(laugh)」ようになります。
感情が持っている意味―仲間に要求を伝えること
感情、とくに不快な感情は、仲間に自分の要求を伝えるために進化の中で分化してきました。言葉を持つ以前は、仲間にジェスチャーと表情と発声で、自分の要求を表現していました。「表情」を動かすものが「感情」です。感情を生み出すのが、仲間に向けての要求です。自分の思い(感情や考え)を伝えることが、コミュニケーションです。言語を操る前に働いていたのは、「感情」で、仲間に思いを伝える要求が最も強いのが不快な感情です。
不快感の持つそれぞれの要求の意味は、基本的には以下です。なお、恐怖や不安には「表情」はありません。
・不安・恐怖―生き抜かなければいけない。うまく生きたい。考えよ!
・悲しみ―誰か自分の苦境を分かって、辛さを和らげてほしい。
・寂しさー誰か自分と一緒の時間を分かち合ってほしい。
・怒り―変化への強い要求。「目の前の相手が変われ」「自分が変われ」「状況が変われ」
・嫌悪―それは、嫌だ。想像で嫌悪を感じると不安に変換する。
・恥―快・不快に関わらず、それにブレーキをかけると生じる。この感情にブレーキをさらにかけると、不安や恐怖に変換していく。
「言語」の獲得は、極めて最近のこと
言語の体系は、地球上ではヒトの言語以外には見つかっていません。現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)は、10万年から8万年ほど前に出現したと考えられています。ヒトが今の言語に繋がる体系を持つのは、5-4万年前とされます。長い進化の過程から言えば、ごく最近に「言語」を獲得したのです。
「言語」とは、「限られた要素の組み合わせで、無限の状況・意味を表現できる体系」だとされています。
チンパンジーとヒトとが分岐したのが、800万年前ー700万年前(最近の研究で、DNAの変異にかかる時間に基いた推定によるものです)とされます。約400万年前に二足歩行を獲得していたのが現在の通説です。「道具の使用」は二足歩行開始以降の300万年以上前の初期人類(アウストラロピテクス)と言います。このように見れば、ごくごく最近に「言語」を使い始めたことが実感されます。
人類の進化の歴史では、仲間と助け合うことを目指して6000万年。その後、5995万年経てからようやく「言語」を使い始めました。サルになって、仲間と助け合い始めてから、人類史上では1000分の1の時間しか経っていないのです。
こころの不調の回復に役立つ「感情のコントロール」とは
確認したいのは、次の事です。1000分の999の時間をかけて培ってきた宝物、すなわち「感情」を生かしているでしょうか?
不快な感情は、周囲に対して何かを強く欲求や要求を表現したがっていることを示します。恥の感情が示すように、それをごまかすことは、かえってこころの健康には悪影響を与えます。
巷間で言われる「感情のコントロール」は、感情に圧倒される前に、余裕を作り出す点で意義はあります。ただし、それは、不快感に圧倒されないようにする最初のステップに過ぎません。次のステップに進むためには、必要なことですが、そこから先の方が大切なのです。
とくに、不快感の持つ願い(欲求。要求)は強烈です。不快な感情を感じた時に、「自分は、何に対して何を願っているのだろう」と考えること、これが一番重要なステップになります。つまり、自分の感情や身体表現の背後にある社会的要求(願い)や意図を明確にするのです。
自分の欲求、要求、願いが定まらないうちに、不快な感情をどうにかしなければと走り出してしまうと事態の収拾はつかなくなります。問題の解決とは無関係な人、たまたま目の前にいる人にけんか腰になったり、テレビに向かって怒鳴ったり、逆に、不快な感情を感じないように、ゲームやお酒に耽溺したり、眠ってしまったり、ぼーっと空想したり、固まってしまったり、憂鬱に沈み込んだり、無気力になったり…などなど。
これに対して、不快な感情の背後に、自分が求めるものが意識されるなら、解決策を無数に考え出すことができます。
・心配や不安や恐れがあるときは、「うまくやりたい」「よりよく生きたい」との願いがあるはずです。どうなっていったら最高でしょうか?そこに半歩でも近づくには、どうすれば良いのかと考えを進めます。
・自信を失ったときや、憂鬱なときは、「『自分は自分でよい』と思えるようになりたい」との願いがあるはずです。「自分は自分でよいのだ」と思えたときのことを思い出し、それと似たことに勤しむと良いかも知れません。また、そのように思えていそうなモデルを探し、その人の真似をしてみるのも一つの方法です。
・怒りがあるときには、「相手や状況や自分が変わってほしい」のですから、「相手や状況や自分がどのようになったら、自分は満足するのか」と考えます。相手や状況や自分が、自分の望む方向に少しでも変化できるように、自分は何を手伝い、自分は何をしたら良いでしょうか?
・寂しさや悲しさがあるときは、誰かにその心情を伝えたがっています。自分を受けとめ、そのように感じて良いと言ってもらえる人を探し、自分の心情を伝えましょう。
このように、自分が求めることが分かれば、向かう方向が分かり先に進めます。自分ひとりで解決が難しければ、同士を募ることもできます。解決策を知っていそうな知恵のある人を探し、助けを求めてもよいでしょう。何を求めているのすら分からなければ、カウンセラーを探して相談するのも一つの方法です。
覚えておきましょう。不快な感情こそ、自分や相手や周囲を変化させ、自分が得たいものを直感的に発見するための優れたセンサーです。ご先祖さまからの特上の宝物です。感情を手掛かりに、自分が本当に得たいものが何であるのかを分かろうとするときに、自分の進むべき道が目の前に現れるのです。
こころの不調から回復し、こころを自由にする本物の「不快な感情のコントロール」とは、不快な感情という宝物の後ろに隠れる欲求、要求、願いを発掘することなのだと思います。
参考文献
*小林 正幸・宮前 義和(編)(2007).子どもの対人スキルサポートガイドー感情表現を豊かにするSST 金剛出版
*乾 敏郎(2018).感情とはそもそも何なのか―現代科学で読み解く感情のしくみと障害 ミネルヴァ書房
執筆者プロフィール
小林正幸(こばやし・まさゆき)
東京学芸大学教授。専門は教育臨床心理学。不登校、学校不適応、PTSD、ソーシャルスキルトレーニングを主とした研究と実践を行っている。
ブログ:https://bravekobaken.com/
▼ 著書