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異文化・異感覚という視点 ~自閉スペクトラム症(ASD)の人と心のつながりを深めるために~(長崎大学生命医科学域教授 岩永竜一郎)#つながれない社会のなかでこころのつながりを

 対人関係に困難をもつことの多い自閉スペクトラム症(ASD)の人は、人とのつながりにも制約が生じやすくなります。ASDの人の特性を理解すれば、お互いにもっとつながりを深められると話すのは、発達障害のある人の身体感覚について研究されている長崎大学の岩永竜一郎先生です。そのカギは「異文化・異感覚」の視点にありました。

「心のつながり」に思うこと

 この特集テーマが「つながれない社会の中で、心のつながりを」であることをうかがったときに、コロナ感染症の影響で人同士の接触が減り、あらためて人と人のつながりを考え直すことの必要性を感じました。その中で、接触の機会があっても他の人との心のつながりに制約がある人のことを思いました。それは自閉スペクトラム症(ASD)の人です。
 ASDの人は対人関係やコミュニケーションが困難になりやすい特性があります。そのために、他の人たちとかかわりたいという気持ちがあってもうまくいかないことがあります。ASDの人と定型発達の人はどうしたら心のつながりをもつことができるのでしょうか。私は、異文化・異感覚の理解が必要だと考えています。 

自閉スペクトラム症の異文化

 ASDの人の対人関係に困難が生じる背景には様々な問題がありますが、そのひとつとして心の理論の障害があります。これは、人の気持ちや考えを推測することが困難であるという特性です。この障害のためにASDの人は様々な社会場面で混乱してしまいます。他の子どもが遊びの中でふざけてぶつかってきたときに、ASDの子は相手の子どもの気持ちを読み取れず、暴力を振るわれたと勘違いしてしまうことがあります。年齢が高くなっても、他の人の社会的行動の意味のわかりづらさにつながることもあります。

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 例えば、お世辞はASDの人にとってわかりにくいもののひとつです。定型発達者は知り合いがふるまった料理をおいしくないと思った場合でも「とてもおいしいです」と言うかもしれません。定型発達文化の中ではお世辞を言うことは普通のことととらえられます。定型発達の人は相手の人の気持ちを気遣ったり、相手の気分を良くしようとしたりして、お世辞を言うことが多いでしょう。そのときには、事実を述べることよりも相手の気持ちを良い状態にすることのほうが重要という価値観が影響するのではないでしょうか。これが定型発達文化だと思います。ところが、他の人の気持ちを読むことが苦手なASDの人には、お世辞のように事実ではないことを言うことの理由が理解できないことがあるのです。ASDの人にはお世辞は嘘、無駄話、言う必要がないもの、ととらえられることがあります。

 このように、ASDの人は定型発達の人とは異なる考え方があり、価値観も異なることが多いために、異文化をもっていると言われます。でも、定型発達の人は異国でない限り、自分たちの文化は普遍的なのものと思っていて、ASDの人には別の文化があるとは考えないでしょう。そのため、ASDの人が自身の文化の中では正しいと思われることを悪気なくやってしまったことを責めてしまうことがあるでしょう。
 例えば、ASDの人は相手が先生や上司や顧客であろうと相手の言動の不備や間違いを指摘してしまうこともあります。ASDの人が「先生は言い間違いが多いですね」「○○さん(上司)が言わなかったから悪いと思います」「(客に注文を)間違えないでください」などと言ってしまうことがあります。このような場合、言われた相手は憤慨するかもしれませんが、ASDの人はまったく悪気はありません。定型発達の人であれば、多少理不尽なことがあっても、相手が目上の場合や客である場合は、受け流すことが多いと思いますが、相手との関係がわかりづらく、相手に合わせるという文化がないASDの人は、相手に問題があることをストレートに表現してしまいます。このような文化の違いによって起こる不適応を定型発達の人は理解できず、非難してしまうことがあるかもしれません。
 一方で、ASDの人は、非難されても定型発達文化がわからないので、定型発達の人が言うことが納得できなかったり、混乱したりするでしょう。先ほどの例であれば、まずいものを「まずい」と言ったらなぜいけないのか、先生に「言い間違いが多い」と言うのはなぜいけないのかがわかりにくいからです。
 このように定型発達の人がASDの文化の存在を知らないことや、逆にASDの人が定型発達文化を理解できなかったり、その文化に適応することができなかったりすることで、両者の交流に齟齬が生じることがあると思います。

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 ASDの人の文化は異文化ですが、それが間違っているわけではありません。嘘をつかずに事実を言うこと、相手が偉い人であろうと平等にかかわること、社会的評価は気にせずに正しいことをやろうとすること、周囲にまどわされず自分の正義を貫くこと、などはASD文化でよく見られるものです。
 ASD文化では、周りに迎合して悪を見逃すこと、相手に気に入られようと心にもない嘘をつくこと、自分の利益のために相手をだますこと、忖度することなどは良いこととされないでしょう。ASD文化を知れば知るほど、その文化はより純粋なものに思え、定型発達文化は打算的で欺瞞に満ちているものであると感じてしまいます。ASDの人と定型発達の人が深い心のつながりを持つためには、お互いがお互いの文化を理解し合い、尊重することが必要です。これは、TEACCHを体系化した、かのエリック・ショプラー先生が強調していたことです。

自閉スペクトラム症の異感覚

 私は、ASDの人と定型発達の人が、お互いに安心して安全を感じながら交流するためには、ASDの特性のひとつである異感覚を理解することも必要であると思っています。異感覚とは、既存の用語ではありませんが、ASDの人に多く見られる感覚過敏や感覚刺激への低反応などが定型発達の人の感覚と違うことから、このように表現してみました。
 異感覚はASDの人の多くに認められます。ただし、この異感覚も定型発達の人にはわかりづらいので、理解されないことによる問題が起こっています。例えば、聴覚過敏がある子どもが運動会のピストルの音が耐えられないのでピストルをやめてもらうよう学校に頼んだのに応じてもらえなかったり、非常ベルが耐えられないのに避難訓練に参加させられたりすることがあります。定型発達の人であればなんともない感覚刺激が、本当に耐えられないものになっていることがあります。それが、定型発達の人には想像できないことが多いのです。

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 感覚過敏があるASDの人は体質の違いがあると考えるべきです。かかわる人がASDの人に感覚過敏があることがわからないと、不用意に触ったり、大声で話しかけたりするなど、ASDの人に不快な思いをさせてしまうことになるかもしれません。ここでも自分と相手との違いを想像することが求められるでしょう。定型発達の人が感覚の違いがある人のことを理解し、そのつらさを想像できれば、異感覚の人を苦しめることは少なくなるでしょう。

 異感覚は、ASDの人の異文化を作り出す背景になっていることもあるかもしれません。聴覚過敏がある人が騒音や大きな声が耐えられず、うるさい場所や人を避けてしまうことがあります。触覚過敏があるために、他の人と接触することを避けたり、遠ざかったりすることもあります。このような感覚過敏に伴う回避行動は、対人交流に良くない影響を与えるだけでなく、周囲からの誤解を生むことにもつながるでしょう。
 例えば、女性の声に過敏反応を起こすASD児は、女性の先生に嫌悪反応を示すことがあります。赤ちゃんの泣き声が苦手なASD児は赤ちゃんを見ると近づこうとしないことがあります。このようなときに周囲の人はASDの人が女性の先生や赤ちゃんを嫌がっているととらえ、それが社会性の問題から起こっていると解釈してしまうかもしれません。定型発達の人は感覚過敏のあるASDの人の事情はわかりにくいでしょう。

 感覚刺激に対する反応が弱い人も対人交流において誤解を受けやすいでしょう。ASDの人の中には、他の人に話しかけられても反応が弱い人がいます。その場合、コミュニケーションに影響が出ることになるでしょう。話しかけても反応が弱いと周りの人は、コミュニケーションができない人と誤解するかもしれません。仮にASDの人がコミュニケーションをしたいという意思を持っていても、周囲にはそれがわかりにくくなります。これもASDの人の文化が理解できていない状態と言えるでしょう。

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 以上のように、ASDの人の感覚の問題、すなわち異感覚を周囲の人が理解できなかったり誤解があったりすると、お互いの交流がうまくいかなくなったり、心のつながりが構築できなかったりすることになるのではないでしょうか。

異文化・異感覚を理解してつながる

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 ASDの人とかかわるときには、異文化の理解、異感覚の理解が必要になります。定型発達の文化、感じ方でASDのとらえ方を推測するのではなく、ASDの人の視点に立って異なる文化、異なる感じ方を想像してみることが必要でしょう。そうすることで、ASDの人の行動をもっとポジティブにとらえることができるようになり、定型発達の人とASDの人が心のつながりを深めることができると思います。
 転じて、すべての人同士のつながりを考えるときにも異文化・異感覚を理解し、尊重しあうことは大切と言えるのではないでしょうか。お互いの文化、感じ方をお互いが想像し、理解しあうことで、人と人との心のつながりができていくことと思います。今は大変な時期ですが、この機会にいろいろな人の異文化・異感覚をもっと深く理解してみるのはどうでしょうか。

(著者プロフィール)

岩永 竜一郎(いわなが りょういちろう)
長崎大学生命医科学域教授。長崎大学子どもの心の医療・教育センター副センター長。医学博士。認定作業療法士、感覚統合認定講師、特別支援教育士スーパーバイザー、自閉症スペクトラム支援士エキスパート。

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