コロナ状況下の大学生(教員も?)の不安(高石浩一:京都文教大学臨床心理学部教授)#不安との向き合い方
今回、小中高に比べ、大学はかなりリモート授業に成功したところが多いようです。しかし、かつてない形の大学生活に、大学生も大学の先生も不安やさまざまな思いを抱いて過ごしていることと思われます。今の大学の現状について、青年期の心理臨床がご専門の高石浩一先生にお書きいただきました。
0. コロナ状況下の教育
コロナウイルスの蔓延に伴って、教育機関の大混乱はまだまだ先が見えない状況である。地域との結びつきが強い小・中学校は8月頃から、児童生徒同士のソーシャル・ディスタンスの確保に苦慮しながらも対面による授業を再開しており、遅れて大学も、文部科学大臣が対面授業の再開を要請した秋以降、対面での授業を開始しているところが増えてきている。
1. 浮遊する大学生
そこで大学生である。学生相談のカウンセラーに聞くと、秋になって休退学を望む学生が非常に増えてきている、という。「今の授業形態では学生生活を十分体験できないので、今年は休学したい」、「自分を振り返って、もともと自分のやりたかったことをやってみようと思って、退学することにした」……筆者の周囲にも、こうした理由で休退学の面談を希望する新入生がぼちぼち現れてきている。半年間の完全非対面授業による疲れが出てきているのだろうと思う一方で、これはコロナ状況下でなければ、本来4月や5月にやってくる新入生たちが抱えていた悩みだ、という思いもある。しかしそうした新入生たちの訴えの背後にある思いを一歩踏み込んで聞いてみると、それはオンライン授業ではまともに出会えなかった、学内の同級生たちとの交友関係が作れていない、ということが大きな理由だったりする。
このあたりは文部科学大臣もよく把握していて、今年の10月16日の記者会見では、「入学したのに一度も大学に行けない、友人がいない。そのことによってこの際、休学や退学などを考えている学生さんたちもいる」と発言している。「決してオンラインが悪いということじゃありませんけれども、やっぱり対面で学ぶ必要性というのも、大学教育にはあるだろうと。友との語らいですとか教授との、言うならば、授業外での質問などですね、こういったことができるように、対面も上手にバランスよくやってハイブリッド型の授業をやってもらいたい」というのが上記の文科省の要請である。
2. 苦悩する大学教員
一方の大学教員は、学生のために最大限努力している。それはもう、涙ぐましいほどで、日々更新される教育用ポータルサイトの仕様を習得し、画面がシンプルであるがゆえにボタン操作に一定以上の慣れが必要なZoomやMeet、Webexといったオンライン学習用コミュニケーションツールの修得に躍らされる毎日である。オンデマンドからリアルタイム、さらには対面を織り交ぜたハイブリッド、ハイフレックス型の授業へと対応するための講習や研修は大盛況。そこでの工夫は、かつて行っていた対面授業をオンライン状況下でいかに効率よく行うか、むしろ従来の対面授業では果たせなかった双方向性などの諸要素を、オンラインの特性を生かしていかに効率的に授業に組み込むか、といったよりポジティブな方向への変化を促進している(ことになっている)。これは文科省がアメリカの大学教育をモデルに推進しようとしている双方向性の授業、アクティブラーニングや反転授業、オンライン授業の普及に大きな後押しとなっている。こうした改革によって、日本の大学は今まさに大変革を遂げて、すばらしい高等教育機関になろうとしている……はずである。
3. 問われる大学の「価値」
それでも学生たちは「授業料返還を求める運動」を起こしている。これは期待していた大学生活が送れていないからで、要するに日常的な学内での触れ合い、ディスカッション、クラブやサークル活動、何気ない会話、愛の語らい、共にいることで生み出される親和感や軋轢、そういった生身の人間関係すべてが、ソーシャル・ディスタンスの名のもとに十分に体験できないからであろう。さらには、人気YouTuberの完成度の高い配信動画の足元にも及ばない稚拙な授業動画への失望、そもそも大学というブランド価値への疑念がそれに輪をかけているようにも思う。『コロナ後の世界』(2020)を語る中でスコット・ギャロウェイは述べている。「アメリカでは学費が高くても、可能であれば子どもを大学に進学させるべきだと考えられてきました。しかしパンデミックで大学が閉鎖され、オンラインで講義を受けるようになると、この程度の教育に年間五万八千ドルを支払う価値はないと多くのアメリカ人が考えるようになったのです。」続けて、イェール大学のようなワールドクラスのブランド価値がある大学なら支払う意味があるが、二流以下の大学のブランドとZoomの講義に同じ金額を支払うのは意味がないので、五百校~一千校の大学は倒産する可能性がある、という不吉な予言もしている。我が国でも、同様のことが起こらないとは言えないのではないか。少なくとも、教員も学生も、大学に行く価値が本当にあるのかどうかを本気で再考する機会を、コロナが突きつけたとも言えよう。
4. 情報縁がもたらす夢と希望
もう一方で、コロナの空白の半年の間に、実は重要な人間関係がキャンパスの外で育まれていたことにも気がつかないといけないだろう。それはオンライン上の人間関係、つまりオンライン・ゲームやSNSを通じて育まれた人間関係である。地縁、血縁などに加えて「情報縁」が唱えられたのはインターネットが普及する前の1990年代前半であったが(川上ら;1993)、すでに2000年頃には、スクールカウンセラーとして中学に赴任していた筆者に、先生方は「最近、家出をした生徒たちの行き先を探すのが大変になった。ネットで知り合った人に会いに行く、と言って300kmも500㎞も離れた所に住む友人に平気で会いに行ってしまう」とよく愚痴っていたものだった。
今年の秋になって、休学したい、退学したいと訴える学生たち、家出をした学生たちの行き先は、そうした情報縁で結びついた友人たちのところである。そうして同じ趣味や嗜好を持つ彼ら彼女らと「シェアハウス」で暮らしたい、という。かつての青春ドラマに代わって若者たちを掻き立てるのは、人気YouTuberやブロガー、インスタグラマーといったインフルエンサーたちが配信する「盛れてる(魅力的に編集された)」彼ら彼女らの生活であり、バズる動画や自由でちょっと変わった(あるいは何の変哲もない)日常生活やゲーム実況などのコンテンツであり、ことさらに働かずともアフィリエートやステマ(ステルス・マーケティング)で生活費が稼げるという、新しいタイプの夢であり希望である。
5. コロナ状況下の過ごし方
大学に人間関係や価値を見出せず、そうした夢や希望を抱いて仮想空間に浮遊する大学生、それはそれでいい。本来日本の大学は、そうしたモラトリアムを支える機能を担っていたのだから、昨今の資格付与大学でオンデマンド授業を早送りして見て、感想をコピペして出席点を荒稼ぎするよりは、よっぽど実のある学生生活を送れるかもしれない。少なくとも自分の足で立とうとする志は立派である。
あまり深く考えず、とりあえず大学に来ることを選んだ学生たちも、コロナを理由に対面授業を忌避するばかりか、リアルタイムのオンライン授業も避けて、自分のペースで受講できるオンデマンド授業に殺到する傾向が、秋以降、明らかである。3、4回生になって、すでに大学に友人がいる学生たちは、大学に来るのは友達に会うためで、LINEで連絡を取り合って参加授業を決める。彼らはバイトで思うように稼げない生活面での困難さを訴えつつも、オンライン就活を含め、コロナ状況下の大学生活を彼ら彼女らなりに楽しんでもいるようだ。それもそれでいい。
要するにコロナ状況下の現在の学生たちは、いかなる選択をしようとも、ペコパの漫才のように「それはそれでいい」のである。先が見えない不安にのまれているのは、学生たちだけではなく、我々大人(教員)たちも同様である。そんな時代だから、正解は自分で見出せばいい。うまくいってもいかなくても、人生はそれなりに長い。いずれ帳尻はつくだろうし、つかなくても自分で選択したなら、自分の人生だったと後々言い張ることができよう。皮肉なことだがコロナのおかげで、高等教育やアカデミズムが本来学生たちに育むべき自主性やクリティカル・シンキングの種が、今ようやく撒かれつつあるように感じるのは筆者だけだろうか。
引用文献
川上善郎・川浦康至・池田謙一・古川良治,1993,『電子ネットワーキングの社会心理』誠信書房
ジャレド・ダイアモンド他,2020,『コロナ後の世界』文春新書
執筆者プロフィール
高石浩一(たかいし・こういち)
京都文教大学臨床心理学部教授。専門は臨床心理学。青年期の心理臨床を主として研究、実践を行っている。