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発達障害のある子とそのご家族へ、そして先の見えない日々に思うこと (田中 康雄 精神科医/こころとそだちのクリニック むすびめ 院長)

 新型コロナウイルスは、ボクたちの生活にさまざまな影響を与えています。普段からボクたちは、さまざまな状況のなか、その都度さまざまな影響を受けながら、生活しています。そのなかでボク自身変わっていくところ、変わらないところを持って、日々生活を送っています。
 今回、金子書房から、特集「つながれない社会のなかで、こころのつながりを」への寄稿を求められました。ただ、正直、ボク自身、日々の生活に右往左往しており、どうにも落ち着いて書けるような心境ではありません。そのあたり、ご容赦ください。

クリニックの様子

 新型コロナウイルスによって、正直、ここまで日常が脅かされるとは思ってはいませんでした。ボクがクリニックを営んでいる北海道は、全国のなかでも早めに自粛宣言がなされ、第一波をしのぐことが出来ました。しかし、現時点(この原稿は2020年5月5日に書いています)では、全国に先駆けて第二波に飲み込まれているという状況にあります。

 最前線で命がけで奮闘している医療者の方には本当に頭が下がります。労いと感謝の言葉しか、見つかりません。ボクは、私的な外出は出来るだけ控え、小さなクリニックのなかで、受診に来られる方々に出来るだけ安心した日常を提供しようと思っています。

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 ボクの出来ることは、クリニック内で、換気に気をつけ、毎日マスクを着用し、手洗いなどを徹底することです。適宜、診察室のテーブルや椅子、ドアノブなども消毒しています。どこまで注意喚起したほうがよいのか、その塩梅に戸惑いながら、この連休中、受付カウンターにビニールシールドを、診察室にはアクリル板での飛沫防止のシールドを、お手製で作りました。

 出来ることを、出来るだけやっていきたいと思います。

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新型コロナウィルス下における「発達障害」傾向のある子と家族の様子

 今回の新型コロナウイルスが、家族に与えた大きな影響は、新型コロナウイルスという存在への脅威や不安以外では、園や学校が休みとなり、デイサービスも閉鎖あるいは限定した使い方となり、結果、家で家族が一緒に過ごすようになったことでしょう。これが、普段の生活となったのです。

 「発達障害」の傾向がある人のなかには、①不確実な事柄に、強い不安を抱いてしまうかたと、②じっと同じことを繰り返すことに飽きやすくて、常に新鮮な刺激が欲しいかたがいます。
 新型コロナウイルスは、これまでの予定を破壊し、先の見通しもまったく持てない事態を作りました。当然、そこに大きな戸惑いが生じます。

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 子どもは戸惑うと、身近で一番の護り人に、イライラや、怒り、不安、哀しみ、オロオロ感などといった自分の感情を、まるで「八つ当たり的」にぶつけます。護り人の多くは親、特に母親でしょうか。感情をぶつけられるのが、たまに/時々なら、我慢も出来ますが、今回は、毎日繰り返され、そして終わりが見えません。
 新型コロナウイルスにより生じた先の見えない日々を、自分流に、どんどんとアレンジしていく子どももいます。これも、たまに/時々であれば、家族も耐えられますが、あまりにもユニークで無制限になってしまうと、親、特に日々一緒に生活する可能性が高い母親は、当然行動を制止しようとします。それがいかに、感情的ないさかいを招き、しかし常に徒労に終わるかも、充分熟知しているのですが、制止しないではいられません。

クリニックで気づくこと

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 ボクのクリニックは、来られる方の 70%以上が「発達障害」の傾向のある方です。生活になにかしらの困難を抱えている子ども、あるいはその傾向と関わる家族が抱える困り観や辛さに対して、どうすればよいか、現状で出来る工夫を一緒に考えることを、ボクは仕事の中心に置いています。

 新型コロナウイルスにより生じた先の見えない日々を送るなか、そこに生じる終わりなき戸惑いや疲労感に対して、ボクはただただ労うことしかできません。ボクもまったく先が見えないのです。だからボクも正直オロオロして不安でいっぱいです。

 でも、ボクは、来られる方々のちょっとした変化に出会い、時にほっとしたり、うれしくなったりもします(もっとも、相談ですから、いつもああでもない、こうでもないと頭と心を悩まし続けてはいますが)。

 例えば、罪悪感を持って登校しぶりしていた子どもたちのなかで、明らかに安堵して、明るい表情をみせてくれる子どもたちは少なくありません。学校側からの「来ないでください」という要請により、行くべき所に行きたくないという後ろめたさから解放され、とても生き生きした表情を見せてくれます。だれに気遣うこともなく、堂々と休んでいる、という表情を見せてくれます。しかも、その安堵のなか、さすがに休み疲れて「退屈だ、学校に行きたい」と、ここ数年口にしたことのない発言をした子どもとも時々出会います。ボクが「残念だね、そうはいっても行けないものね」と言うとにっこりするので、なんとしても行きたいというわけではないのだなと思ったりしますが。

 しかし、いずれにしても、家族は疲弊し続けています。あまりにも先が見えないことで苦笑まじりのことが少なくありません。そんななかでも、子どもと向き合い続け、こんな面があった、こんな楽しみかたができた、お手伝いをしてくれたと、余裕が出たのか、さすがに日々の変わりなさに辟易したのか、共同生活者の子どもの意外な一面に、ちょっとだけ明るい表情をされる家族もいます。

 子育てを一手に引き受けていたお母さんが、テレワークでずっと家にいるお父さんと、子育てや家事を分担することで、これまでと異なる関係性が作られたと思われた場合もありました。もっとも、子ども以上に「手がかかる」という言葉を聞くことも少なくありませんが。

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おわりにかえて~期待する社会の変化~

 一緒に苦境の生活をしているためか、ボクが愚痴をこぼすせいか、どうも診察室では日常の話が増えてきているように思います。
 その一方で、ボクのクリニックの日常は、常に不安との闘いでもあります。そこにある日々の不安というかボクの恐れは、スタッフを常に危機に直面させてしまっていること、もしボクが感染者になった場合、患者さんやスタッフにうつしてしまうのではないか、いうものです。同時に、医療機関なのに、防ぐことが出来なかったということでの世間一般への申し訳なさでもあります。つまり新型コロナウイルスは、ボクに内在する傲慢と偏見、そして差別意識や不信をあぶり出しているともいえます。それでもクリニックは閉めずに、出来るだけの日常を、クリニックの中に作ろうとしています。

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 ボクが抱えている、新型コロナウイルスから生じる、申し訳なさ、自己責任といった課題に関して、チョハン・ジニさんは以下のように述べていました。

感染よりも怖いのは周囲の非難である…(略)…(この感染症の)苦痛は細胞にのみ存在するのではなく、社会的関係に存在する…(略)…わたしたちの目的はウイルスとの戦争自体ではなく、わたしたちの日常を危険から守ることだ。…(略)…わたしたちに必要なのは病んだことを申し訳ないと言わない世の中だ

(チョハン・ジニ著/影本 剛訳:なぜ病んだ人たちが謝らないといけないの,現代思想5,感染/パンディミックp.231-234, 2020. より)

 ボクはこの言葉に納得し、安堵しました。

コピーCanva - Cat Near Wall

今回、金子書房さんは「つながれない社会のなかで、こころのつながりを」という文言を特集のテーマにしました。これは、「今の社会は、うまくつながりあえていない」ということを前提にしているように思います。

 確かに今の社会は「病んだことを申し訳ない」と謝罪させます。そこにある誰かを責める思いが、なかなか昇華されません。同時に、いつか自分が責められる立場に変わる可能性にも、言いようのない不安を抱えています。窮するとボクたちは、自己欺瞞のなか隠蔽してしまうようになるかもしれません。社会のなかでつながりあえていないというのは、互いに赦しあい、支えあっている、という感覚がないことを意味しているのではないでしょうか。

 この原稿を書く直前、NHKの番組でヘブライ大学教授・歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリさんの話を聴きました。ハラリさんは、新型コロナウイルスと向き合うための方策について、次のように述べていました。

「大学や医療関係者など、信頼に足る科学的組織から出された指針を忠実に守り、不確かな情報に惑わされないことです
「コロナウイルスに対する人間の最大の強みは、ウイルスと違い協力できることです。ですから、パンデミックへの現実的な対抗策は隔絶ではなく、協力と情報共有です

(NHK ETV特集「緊急対談パンデミックが変える世界〜ユヴァル・ノア・ハラリとの60分〜」より)

 ハラリさんはまた、ボクたち一人ひとりに出来ることは、「毎日少しでも自分の心をいたわること」「連帯や、民主的で責任ある態度、科学を信じること」だとも語りました。

 精神科医療は、そしてボクが行ってきた発達障害臨床は、まさに連携のために理解しあうことでした。今、出来ることを皆で一緒に考え続けていくことでした。時に、ふとした出来事が、それまでの辛さをほんの少し薄めることも経験できました。それでも生きるということは、やはり苦しい面があるため、ボクたちには、信頼に足る仲間が必要でした。

 世界中に蔓延している新型コロナウイルスは、僕たち人類が、今一度本当の意味でつながりあえるために登場し、この一見つながれない(とみえる)社会のなかで、真に「つながりあう」ことの大切さを気づかせようとしている、そこに必要なことは「信頼」なのではないか、と、勝手にボクは思うことで、自分の不安を軽減しようと思います。

 皆様の心と生活の安定を祈り続けます。

(著者プロフィール)

田中 康雄(たなか やすお)医療法人社団 倭会 こころとそだちのクリニック むすびめ院長。北海道大学名誉教授。精神科医、臨床心理士。専門は児童精神医学。発達障害臨床の第一人者であり、患者の「生きる強さ」を支え、家族や関係者との「生活」に向き合う診療により、多くの支持を得ている。

(おすすめ著書)


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