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心理職の積極的な倫理、みんなで取り組む倫理:保身的な倫理、個人に閉じた倫理を超えて(後編)(京都大学学生総合支援機構教授:杉原保史) #心理学と倫理

心理職にとっての倫理と聞いて真っ先にイメージされるのは、守秘義務の遵守、多重関係の禁止といった、「〇〇してはならない」という消極的倫理ではないでしょうか。その一方で、それだけでは問題を回避することができないケースが多々あります。そこで、消極的倫理にとどまらず、コミュニティ全体でよりよい実践を考える積極的倫理について杉原保史氏にご紹介いただきます(全2回)。後編となる今回は、積極的倫理の考え方を提示し、そのために必要な心理職のコミュニティづくりについて実践的に考えます。


2.みんなで取り組む予防的な倫理

(1)現在の倫理教育が抱えている3つの課題

 私は、職能団体において倫理問題に関わる中で、倫理問題は予防こそが重要だという思いを強くしてきました。倫理問題は、職能団体への訴えや民事訴訟などにまで発展すると、本当に大変で、当事者であるクライエントはもちろん、加害者とされた心理職にも、その職場や組織にも、大きな負担がかかります。重大な倫理違反が生じれば、心理職全体の社会的信用にもダメージが及びます。

 倫理違反がまったく無くなるといったことはありえないでしょうが、それでも可能な限り予防に力を尽くすべきです。現在の心理支援の状況を見ていると、私の目には、予防の意識が非常に乏しいように映ります。

 倫理違反の予防という観点から考えるとき、私は心理職の職業倫理についての従来の教育のあり方には、次の3つの点で課題があると感じています。

a)積極的な倫理の姿勢が育たない

 1つ目の課題は、従来の倫理教育は、保身的で防衛的な倫理、つまり消極的な倫理の姿勢を誘導しがちだという点にあります。

 従来の倫理教育では、倫理綱領に示されている規則を教え、これらの規則に違反すると、その心理職個人に法的責任が生じたり、資格が剥奪されたりするということを指摘して、不安を煽ることが多いように見受けられます。こうした倫理教育のあり方では、倫理規則に違反しないことが目標になってしまいます。逆に言うと、違反しなければいいという姿勢が育てられてしまいます。これが、倫理に関して防衛的で保身的な構えを誘導してしまうということであり、積極的な倫理の姿勢が育たないということです。積極的な倫理とは、倫理違反で「黒」と判定されなければいいという考え方を拒否し、常に倫理的に最高の理想を目指す倫理です。

b)進行中のプロセスにおける倫理的判断能力が育たない

 2つ目の課題は、従来の倫理教育では、進行中のプロセスにおける倫理的判断能力が育たないということです。

 従来の倫理教育は、すでに確定した臨床実践について、事後的にその倫理的な是非を問う議論がとても優位です。つまり、すでに終わった心理支援における心理職の行為を記述して、それが倫理的に良いか良くないかを検討し、結論を出して、それで終わりであることが多いのです。こうした議論も大事ではありますが、こうした議論からは、現在進行中の心理支援のプロセスで生じている小さな倫理的問題の兆候に気づいて取り組む姿勢が育ちません。

 実際の継続中の心理支援の場面では、心理職の特定の行為に倫理的に問題があると判断されたとしても、それで終わりにはなりません。むしろそこからどうクライエントと関っていくかを検討することこそが重要でしょう。その後の対応次第では、倫理的に問題ありと判断されたところから、関係が修復されていき、倫理問題の公の訴えへと発展せずに済むこともあり得ます。それどころか、そうした小さな倫理的な疑惑への積極的な取り組みが、逆に信頼感を高め、治療上のピンチをチャンスに変えることさえあり得るのです。

 多くの倫理問題は、一定の時間的な広がりを持っています。クライエントと性的な関係を持ってしまうというような重大な倫理違反の場合でも、決定的な出来事が起こる前に、危なっかしさを孕んだ前段階の時期があることが多いです。また、多くの場合、倫理的に疑惑のある出来事が生じたからと言って、直ちに援助関係が崩壊するわけではなく、少なくともしばらくの間は援助関係は持続しているものです。倫理問題の訴えがなされるところまで行きついたケースでは、倫理問題とされた最初の出来事での傷つきや混乱に加えて、その倫理問題について苦情を訴えた際の心理職や組織の対応において、さらに傷つきや混乱が生じていることが多いのです。

 こうしたことを考えると、倫理問題が生じそうな危険を感じた時点、倫理的に疑惑のある出来事が生じた時点、最初の苦情を聞いた時点など、いろいろなタイミングで良質の倫理判断をすることが非常に重要であるということが理解されるでしょう。その際の倫理判断は、単に問題があるかないかというような審判的なものではなく、そこからどう対処していくべきかについての判断も含むものです。

c)心理職コミュニティで予防する姿勢が育たない

 3つ目の課題は、従来の倫理教育では、倫理問題の焦点が個人のみに置かれていて、心理職コミュニティ全体で予防する姿勢が育たないということです。

 従来の倫理教育は、倫理違反を犯す個人の責任を第三者的な視点から問う議論に終始しがちであるように見えます。こうした議論では、倫理問題はあくまで心理職個人の問題としてのみ捉えられています。現代の個人主義的な社会においては、最終的には確かにその通りなのかもしれません。しかし、そのような捉え方においては、倫理問題は、当事者である心理職を取り巻く周囲の心理職のあり方によって、成り行きが大きく左右される問題であるということが見過ごされています。

 そしてまた従来の倫理教育では、倫理判断は、実践の現場からは遠く離れた会議室で、その案件には利害関係のない権威者が客観的に評価を下すものというイメージが優位です。そうなると、周囲の身近な心理職には関わりのないものとして捉えられてしまいます。

 しかし、倫理問題が発生している現場には、たいていの場合、多くの関係者がいます。倫理問題の当事者である心理職には同業者の知り合いがいて、専門職コミュニティがあります。クライエントが心理職の言動に傷ついた、裏切られたと感じ、疑問を感じながらもセッションに通い続け、その思いを抱えながら担当心理職とやり取りを重ねる中でますます不信感を抱くようになっていき、いよいよ決裂して実際に訴えを起こす、そのプロセスの早い段階で、その心理職が誰かに相談できるかどうか、あるいは周囲の心理職が何か具合の悪いことが起きていると気づいて相談に乗れるかどうかが、その後の成り行きを大きく左右します。

 周囲の心理職が、そうした問題を、当事者である心理職個人の問題とのみ見なして、見て見ぬふりをしたり、厄介ごとに巻き込まれたくないと思って関わりを避けたりするようであれば、問題はエスカレートの一途を辿るかもしれません。最終的には、そのようにして生じた倫理違反の公的な責任は担当の心理職一人が負うことになるでしょう。しかし潜在的には、その心理職の周囲の心理職たちにも責任の一端があるとは言えないでしょうか。

 倫理違反を予防する上で、身近な心理職コミュニティの倫理に対する感性や関わりの姿勢は、通常、想定されている以上に、非常に重要なものだと思います。

 以上、心理職における従来の倫理教育のあり方が、倫理問題の予防においていかに不十分であるかを、3つのポイントにまとめて論じてきました。これらの課題に対して、どのように対応していったらいいでしょうか? 次にそのことを考えていきましょう。

(2)積極的な倫理の考え方の推進

 心理支援において求められる倫理的能力は、倫理規則を覚えていて、守ればいいというようなものではありません。心理支援における倫理的能力とは、倫理原則や倫理規則、関連する法令、倫理学の基礎知識、様々な倫理問題についてなされてきた議論、心理支援に関する知識、支援施設や支援対象者についての知識などに基づき、倫理的になすべきことを分析し、決定し、評価する体系的なプロセスを推進できる能力のことです。

 このように定義される倫理的能力を育てるには、どのような教育が必要でしょうか? 少なくとも、倫理規則を教えて、それを破ったら罰が与えられるぞと脅すような教育では、こうした倫理的能力が育たないことは明らかです。

 心理支援における倫理は、単に規則違反をしないことを超えて、クライエントとその権利を最大限に守り、最高の理想を目指すものであるべきです。職能団体が定めている倫理綱領に書かれている規則も、専門家が取るべき行動の最低限の倫理的基準(倫理の床;ethical floor)を記述したものです。決してこれを守っていればOKだよという基準ではありません。心理職には、これらの基準を単にクリアして満足するのではなく、倫理的な理想(倫理の天井;ethical ceiling)を追求することが求められているのです。

 こうしたことを踏まえ、保身的で防衛的な倫理の考え方との対比において、最高の理想を目指す倫理の考え方を、特に積極的倫理(positive ethics)と呼ぶことがあります(Knapp et al., 2017)。こうした倫理は、専門職としての誇りによって支えられており、ワーク・エンゲージメントを高めるものでもあります。

 倫理的な理想を追求するというのは、言い換えれば、倫理的に「グレー」と見なされるような事態についても見過ごさずに、積極的に取り組むことを意味します。つまり、明確な倫理違反とまでは言えないようなクライエントの微妙な傷つきのサインを敏感に感じ取り、早めのタイミングで自分から取り上げて、治療的に扱うのです。これは、倫理違反を予防する取り組みであると同時に、臨床的な効果を高める取り組みでもあると言えるでしょう。

 このように、積極的な倫理では、倫理的観点に導かれた実践上の取り組みが、いかに心理支援の効果に寄与するかについて理解を深めることが重視されます。倫理的な能力と心理臨床の専門的な能力は、決して互いに独立した別々のものではなく、実践においては織り合わされて効果的な1つのプロセスを作り出すものなのです。

 また、積極的倫理では、ただ守るべき規則として倫理綱領を知るだけでなく、その背後にあるスピリットや哲学を理解することが重視されます。倫理学を専門的に学ぶ必要はありませんが、偉大な哲学者たちが倫理についてどのような議論をしてきたのかの片鱗だけでも知っておくことは、倫理がいかに単純にはいかないものであるかを理解するのに役立つでしょう。

(3)倫理に関わる疑問を相談できるコミュニティづくり

 従来の倫理教育では、倫理問題は心理職「個人」の問題として論じられています。しかし予防的な観点からすると、心理職「個人」の問題という観点だけでは不十分です。倫理的に問題がある実践になりつつある時に、その心理職を一人ぼっちにせず、相談できるコミュニティがあれば、そしてそこで適切な方向に軌道修正できれば、倫理違反が問われる事態を未然に防ぐことが可能になります。そうしたコミュニティを形成する努力を、心理職のコミュニティ全体の責任と見なし、取り組んでいくことが必要です。

 倫理問題に直面している心理職が相談しやすい、支援的なコミュニティを作っていくためには、コミュニティの心理職が、倫理問題を自分ごととして捉えている必要があります。そのためには、心理職コミュニティに以下の2つの認識が浸透していることが重要だと私は考えています。

 1つ目は「誰もが1つ間違えば倫理違反を問われる立場になりうる」という認識です。心理職が、「倫理違反を犯すのは、無能で良識のない心理職だけであって、有能で熱心な心理職は倫理違反を犯すことはない」といった認識を持っていると、倫理問題は他人事になってしまうでしょう。また、倫理問題に悩む心理職に対して、支援的な姿勢にもなりにくいでしょう。

 「倫理違反を犯すのは、無能で良識のない心理職だけであって、有能で熱心な心理職は倫理違反を犯すことはない」という認識は、端的に言って間違いです。もちろん、無能で良識のない心理職が引き起こす倫理違反もあるでしょう。しかし、倫理違反はそういう心理職だけが引き起こす問題ではありません。有能な心理職であればこそ、クライエントからの激しい感情に晒されたり、クライエントに対する激しい感情を喚起されたりするような状況にまでセラピーを展開させることができるのです。熱心な支援者であるほど、クライエントとの関係に強くコミットするので、そこで激しい感情に巻き込まれる危険性が高くなります。表面的な関わりしかできない心理職や、ただ無難に仕事をすることにしか興味のない心理職は、そもそも倫理問題の危険地帯にまで足を踏み入れることさえないでしょう。

 2つ目は「倫理違反は、専門家の役割の背後にある人間的な弱さの現れである」という認識です。クライエントを助けるためには、専門家は強く、健康で、正しいのが基本の姿だという意見もあります。確かにそうかもしれません。心理職は、専門的な知識や技術を学び、それらで武装して支援に臨みます。けれども、専門家といえども人間であり、弱さを抱えています。専門的な知識や技術の鎧の下には、弱さを抱えた一人の人間がいるのです。心理支援の途上で、倫理問題に発展しかねない、迷いや揺らぎに陥ることなど決してないと断言できるほど強い人はいません。心理職は、自らの人間的な弱さを否認するべきではありません。倫理違反をどこか他人事とみなしている心理職は、自らの弱さを否認していると私は思います。

 倫理問題の予防のためには、心理職コミュニティ全体において、倫理的な危機にあるかもしれない心理職を孤立させない意識を高めていくことが大事です。互いに声を掛け合い、温かいサポートを提供するコミュニティが必要なのです。倫理的な問題に直面している心理職は、それだけで失敗感を抱いたり、恥を感じたりして、周囲に相談しづらくなってしまいがちです。そのことは、重大な倫理問題を生み出していく、間接的で背景的な原因となり得ます。周囲のサポートがあれば、一人一人の人間的な弱さをみんなでカバーできる可能性が高まります。

 当然のことですが、ここで述べたことは、心理職コミュニティは、仲間の倫理違反の行為に対してもっと甘く許容的になるべきだということを意味するものでは決してありません。

(4)同僚からの倫理に関わる相談に対応するスキルを高める:倫理ピアサポート

 心理職コミュニティに相談しやすい雰囲気があったとしても、実際に相談してみたら何も役に立つことがなく、ただ恥ずかしい思いをしただけだったというのでは、意味がありません。相談を受ける側に、適切な対応のスキルを開発することが必要です。

 医療の領域では、倫理問題について相談したり、話し合ったりする場が様々に設けられています。倫理コンサルテーションや倫理カンファレンスがそうです。これらについて解説した書籍もたくさん見られます(たとえば笠岡, 2017)。心理支援の領域では、倫理コンサルテーションや倫理カンファレンスは、あまり実践されていないようです。これらを解説した書籍も見かけません。心理支援の領域においても、これらがもっと普及していいと思います。

 ここではもっと身近に、同僚から倫理問題の相談を受けた場合の心理職の対応について考えてみましょう。私はこうした相談を「倫理ピアサポート」と名づけています。

a)倫理ピアサポートを始める前に

 役割上の指導関係や、組織制度上の上下関係を背景としない、こうした同僚間のカジュアルな相談は、有効な心理支援をしばしば目に見えない形で支えています。そのことが明確に注目されて論じられることは少ないですが、実は非常に重要なものです。よく心理職の間で「一人職場はしんどい」と言われますが、それはこうした同僚間の何気ないちょっとしたサポートの重要性を示しています。臨床的な問題についてもそうですが、倫理的な問題についてはなおさらそうです。

 倫理ピアサポートについて述べる前に、まず、こうしたピアサポートによる相談そのものの倫理面について、注意喚起しておきます。こうした場面でも、クライエントの個人情報の扱いには注意が必要です。そこで共有される情報の範囲や、情報の詳しさの程度などの適切性については、その倫理ピアサポートが行われる場面設定によっても、職場の規則やクライエントへの事前の説明と同意の内容によっても違ってきますので、同僚に相談をしようとする人は、これらを踏まえて事前にしっかり考えてください。

b)倫理ピアサポートのコンセプト

 さて、倫理ピアサポートとは何をするものでしょうか?

 倫理ピアサポートは、ただ倫理問題に困っている心理職の話を聞いて、あなたはこうすべきだと「倫理的正解」を告げるものではありません。裁きを与えたり、批判したりするのでもありません。担当の心理職に代わって対応についての結論を出すものでもありません。

 サポートする心理職は、傍観者や評論家や裁判官のようにならず、同じ心理職の仲間として倫理的な問題の相談を受けるのです。同僚が直面している倫理問題の解決にコミットし、担当の心理職と一緒に、前向きに、未来志向で対応を考えます。ただ普遍的な正解を求めるような考え方に終始せず、目の前の心理職の個人的な気持ちや迷いに共感的に耳を傾けます。相手のクライエントの個性や感受性や背景事情などを考慮します。サポーティブな関係の中で情報を引き出し、考えられる対応についてアイデアを出していき、1つずつ吟味します。

 寛容な心で共感的に話を聞いていくことが基本ですが、通常のカウンセリングとは異なり、倫理的観点からダメなものはダメだと毅然とした態度で意見を述べることも必要です。さらには、全体を通して、上から目線にならず、謙虚な姿勢を保つことも大切です。

 難しい倫理問題への対応を迫られている心理職は、困惑、無力感、無能感、挫折感、失敗感、そして罪悪感や恥を強く感じていることが多いです。傷つきやすく、ナーバスになっていることが多いです。こうした感情に繊細な感受性を差し向けながら、なお専門家としてのその心理職のリソースを引き出し、支え、増幅していくのです。

 倫理問題に直面している心理職が希望を見出し、専門家としての自信と誇りをもって、事態に対処する方向性を見出せるように支援することが目標です。

c)倫理ピアサポートで重要となる観点

 こうした話し合いにおいて、重要となる観点を掲げておきます(表1)。この表は、決して網羅的なものでも、完成されたものでもないということに注意しておいてください。その上で、参考にしていただければ幸いです。

(5)終わりに

 前半の冒頭で、心理支援にとって、倫理は第一の基礎となるものだと述べました。心理支援にとって、倫理はとても大事なものですし、有用なものです。その一方で、倫理だけが単独で重要なわけでもありません。そのことをお伝えして終わることにします。

 すでに完全に終わった事例について、そこに倫理的な問題が認められるかどうかだけを検討するのであれば、そこで必要なのは純粋な倫理的思考かもしれません。しかし、心理支援の実践から倫理問題だけを切り出して考察するのは、かなり不自然で強引なことです。倫理と臨床的専門性とは不可分に織り合わされているからです。まして、倫理問題の予防を考える際には、倫理的な思考とともに、幅広い知恵を動員する必要があります。

 倫理問題に発展しかねない小さな不信の兆しが、倫理的な検討による是正的な介入がなされないうちに、有効な臨床的プロセスが展開する中でいつの間にか霧散していることがあります。大きな組織の他部署との間での情報共有に際して守秘義務違反の疑念がある場合に、所属組織の組織改変や規程の変更などにより、もはや倫理問題として成立しなくなってしまうということもあります。スクールカウンセリングで、クライエントが心配な状況にあり、しかし心理職がそのことをクライエントの家族に伝えると守秘義務違反になることが懸念される状況で、すでに同じ情報を担任教師が独自に把握していることが分かった場合、担任教師から家族に伝えてもらうことで倫理問題のリスクが下げられることもあります。

 倫理問題は、それだけが単独で固定されて真空中に存在しているわけではありません。面接室内外の様々な要因と複雑に絡まり合い、ダイナミックに相互作用しながら、心理支援のプロセスの一側面として存在しているのです。

 大事なのは、クライエントの傷つきを最小限に抑え、倫理問題がエスカレートするのを防ぎ、安全を確保して、クライエントが心理支援からできるだけ多くを得られるようにすることです。そのために何ができるかを考えます。担当者一人では難しければ、周囲の心理職も一緒になって考えます。その際には、もちろん倫理的な思考が必要なのですが、様々な面から柔軟に創造的に考えることが重要です。同僚の心理職の小さな倫理問題を見つけて、組織に働きかけて即座に強力に介入し、きっちり筋を通して倫理問題を「解決」したが、その「解決」によって支援関係は崩壊し、クライエントは深く傷ついたというのであれば、意味がありません。これは、言ってみれば、倫理問題への取り組み方の倫理として考えるべきことなのかもしれません。とにかく心理支援における倫理は複雑で、単純な直線的思考だけで押し通せるようなものではないということです。

引用文献

  • 箕岡真子(2017)臨床倫理入門 へるす出版

  • Knapp,S.J., VandeCreek L. D., & Fingerhut R. (2017). Practical Ethics for Psychologists: A Positive Approach. 3rd Edition. APA.

執筆者プロフィール

杉原保史(すぎはら・やすし)
プロフィール
 京都大学学生総合支援機構 学生相談部門長(教授)教育学博士
 公認心理師・臨床心理士
 日本心理療法統合学会 副理事長
 
経歴
1989年 京都大学大学院教育学研究科 博士後期課程 単位取得退学
その後、大谷大学 文学部 専任講師、京都大学 保健管理センター 講師等を経て、現職。

著書・論文
■主な著書
『心理療法統合ハンドブック』共編著 誠信書房 2021年
『SNSカウンセリング・トレーニングブック』共編著 誠信書房 2022年
『SNSカウンセリング・ハンドブック』共編著 誠信書房 2019年
『心理学的支援法』共編著 北大路書房 2019年
『プロカウンセラーの薬だけに頼らずうつを乗り越える方法』2019年 創元社
『プロカウンセラーの共感の技術』 創元社 2015年
『技芸(アート)としてのカウンセリング入門』 創元社 2012年

■主な訳書
『統合的心理療法と関係精神分析の接点』監訳 Paul L. Wachtel著(2014/2019)金剛出版
『ポール・ワクテルの心理療法講義』監訳 Paul L. Wachtel著(2011/2016)金剛出版
『心理療法家の言葉の技術』Paul L. Wachtel 著(2011/2014) 金剛出版
『心理療法の統合を求めて』Paul L. Wachtel 著(1997/2002) 金剛出版
『説得と治療』Julia Frank & Jerome Frank (1991/2007) 金剛出版