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子どもの頃の評価に囚われているあなたへ —あなたは自分のことが好きですかー(東京成徳大学教授:田村節子) #心機一転こころの整理

子どもの頃、体育の成績が悪かったので、大人になって十分スポーツを楽しんでいても「私は運動が苦手なんだ」などと、思い込んでいる人はいないでしょうか。学生時代の評価を自分の人生全般の評価のように思い続けている人は多くいるように思われます。その影響から抜け出すには、どのようなことができるでしょうか。田村節子先生にお書きいただきました。

あなたは自分のことが好きですか

「あなたは自分のことが好きですか?」

「あなたは自分に自信がありますか?」

「あなたは人からの評価を気にしないですか?」

 これらのいずれかにバッテンがついたあなたは、子どもの頃から他人の評価を引きずっていないでしょうか。

 ここでは、「過去の評価」に焦点をあててお話をしたいと思います。

 新しい年度を迎えるにあたりちょっとふりかえることで、自分らしくいられる一助になれたらとても嬉しく思います。

人はなぜ「過去の評価」を引きずるのでしょうか

 自分の評価が落ちたと実感するのは,多くが失敗した時です。
 
 多くの人は失敗するとその失敗を引きずります。

「引きずる」のイメージは,地に落ちた自分のプライドをずるずるといつまでも引きずって歩いている感じです。

失敗したという「思い」は思いのほか「重い」のです。

 重いのだから、手を放せばいいのに,人はなかなかその手を放すことができません。ずるずるといつまでも引きずり、しかも引きずった跡がくっきりと心に刻まれていきます。

 みなさんは、子どもの頃に重要な他者(親、先生、友達等)の前で、失敗してしまい自分に大きなバッテンをつけてしまったという経験はないでしょうか。たとえば、授業中の発表で言い間違えてみんなの前で笑われたり、テストの点数がばれて「お前、これしか取れないの?」と馬鹿にされたり……。まわりから見たらたいしたことがなくても、当の本人にとってはまわりからの評価が悪くなったと思い込み、とても大きな失敗として心に刻まれます。

 心理学では、評価懸念という言葉があります。評価懸念とは、ひとことで言えば他者からの否定的評価を心配することです。だれでも少しは気になるものですが、失敗したりすると過剰に他人からの評価を気にしてしまい、自分らしさがどんどん無くなっていってしまいます。すると生きづらくなってしまいますし、自分はこれでいいんだと思えなくなってしまいます。

 では、子どもは何歳くらいから他人の評価を意識するのでしょうか。

「9歳の壁」という言葉があります。子どもは、9~10歳頃いわゆる小学校3年生から4年生頃になると、自分を少し客観的に見ることができるようになります。これをメタ認知と言います。すると、その頃から子どもは、友達に対して劣等感や嫉妬したりする気持ちが芽生えてきます。加えて、小学校の中学年から高学年になると、学校の勉強も抽象的になり難しくなる時期であるため、学習にもつまずきやすくなります。勉強ができない自分をより強く意識してしまい学習面でも劣等感が芽生えがちです。

 思春期に入り中学生になると、いわゆる「自分」というものが少しずつできてきます。「自分」のできばえの総点検の時期でもあるため、「人からどう見られているか」に過度に敏感になりがちです。容姿や身体の発達具合なども含めて、友達と比べて一喜一憂します。

 やっかいなことに、他人の失敗を取り上げて噂を広げたり、評価をおとしめたりするような行為を行う人も出てきます。そのような他人を引きずり下ろす快感をシャーデンフロイデと言います。評価をおとしめられた人は、失敗したことで落ち込んでいるところを、さらに追い詰められて心理的に奈落の底に突き落とされているよう体験をすることになります。そして、ますます他人の目が怖くなっていきます。

私の中学時代の失敗

 私は人前で話すことが苦手です。「えー?授業とか講演とかするのに?」と驚かれます。話すことが苦手になったのには失敗体験がありました。

 中学時代にまで遡ります。全校生徒が1,000人くらいの地方の比較的大きな中学校でした。私は生徒会役員に推薦されて立候補しました。1年が過ぎ全校生徒の前で1年間の活動報告をした時にそれが起きました。質疑応答でひとりの生徒が手を挙げて「3番目の公約はどうなりましたか?」と質問したのです。その公約は私自身も気になっていたのですが、先生から「○○の理由があるからやらなくていいよ」といわれて実行していなかったことだったのです。『先生が「やらなくていい」と言った』とも言えず、なんとか上手な言い方はないかと必死に考えても答えは出ずに黙りこんでしまいました。すると足下から血が沸騰して頭までフツフツと上がってくるような感覚があり、私は身体が熱くなり耳まで真っ赤になってしまいました。後にも先にもこのような感覚はこの時だけでした。私が黙り込んでいるので、体育館の中がざわざわしてくるのが聞こえました。すると他の生徒会役員のひとりが私の方を見て「今すぐの回答は難しそうなので、後でなんらかの方法でみなさんにお伝えするというのでいかがでしょうか」と助け船を出してくれました。私も「すぐに答えられずに申し訳ありません。きちんと調べてからお伝えします。」と答え、会場から承認の拍手があって一件落着となりました。全校生徒にも、先生にも申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました。私はプライドが傷つき、失敗を引きずっていきました。友達は今までと同じように接してくれたのが幸いでしたが、人前で話すことに苦手意識をもった大人になっていきました。

払拭された苦手意識

 成人になったある朝、車のラジオからしわがれた年配の女性の声が聞こえてきました。私はその声に釘付けになりました。それまでの流ちょうなアナウンサーの声とは対照的に、その声の主は低い控え目な声でつっかえつっかえ話していたからです。「語り部」の方でした。

 私はその話に聞き入りました。要約すると「広島にいて原爆を経験した。その悲惨さを後世に知ってもらうために語り部になった。素人だったから最初は緊張してうまくいかず、会場で顔を上げて話すこともできず、言葉が出なくなったり、どもったり、沈黙が長く続いたり……、講演を辞めようとなんど思ったかしれない。でも悲惨さをひとりでも多くの人に知ってもらいたいという一心でなんとか続けてきた。」ここまで一気に話すと大きく息を吸い、間を置いて声の主は言葉を続けました。

 そうやって毎日努力をし講演内容も覚え、緊張もせずすらすらと淀みなく言えるようになったある日、会場の雰囲気が最初の頃と違っていることに気づいたそうです。「みなさん、真剣に聞いてはいらっしゃるのですが、なぜか心を打たなくなった」と言うのです。

「その時に気づきました!」と、しわがれた声の主が大きな声で言いました。

「上手に話すことではなく、下手でもいいから一生懸命伝えようとする気持ちが相手に通ずるんだということに……」と。

 それを聞いて私は心が軽くなりました。「つっかえてもいいんだ。伝えたい思いを私は私らしく話せばいいんだ。」それから私は「人前で話す」ことにあまり緊張しなくなりました。

 人からの評価よりも、いかに自分が自分らしく伝えるかに関心が移ったからです。

手放そう!子どもの頃の評価への囚われ

 新しい年度を迎えるにあたり、子どもの頃からの評価をそろそろ手放しませんか?自分のことを認めてあげませんか。

 心理学的に自分のことを認めてあげるコツがあります。ここでは、4つご紹介いたします。

①   話す……一番心がすっきりするのは、信頼できる人に評価に囚われている気もちを「話す」ことです。「話す」は「放す」に通ずると言います。話すことで過去の評価を手放すことができます。

②リフレーミング……文字通り、考え方の枠をひっくりかえすことです。私が上手に話そうとしていたのを下手でもいいと思い直して、気もちが楽になったのもこの手法に入ります。「真逆に考えてみる術」とでもいいましょうか。

③未来時間イメージ……何年か先に「こうなっている」とイメージすることです。「なりたい」ではなく「なっている(ゴール)」ところを視覚的にリアルにイメージすることがコツです。不思議なものでそのようにイメージするだけで、そのゴールに向かって1秒先の行動が変わっていきます。これは表彰台に立っている自分をイメージして試合を行うなど、スポーツでもよく応用されています。

④マイナス言葉をプラス言葉で置き換える……マイナスに考えがちのことをプラスに考えることです。たとえば、「臆病である」をプラスに言い換えれば「慎重である」とも言えます。何か行動を起こす際に臆病になる時には,「安心して行動できるように慎重に準備しなさい」というサインを,自分の内面から発する能力があるとも言えます。そう考えると「臆病」ということもよい素質と考えられます。すべてのマイナスに思えることは、プラスに言い換えられますから、クイズのように楽しく考えてみるといいと思います。

 これらのことは子育てにも応用可能です。①では、お子さんが話し役で親は聞き役。コツは子どもが話し終えるまで、ただただ耳を傾けることです。気もちをわかってもらえたと子どもが実感すると、評価への囚われを捨てて、また自分らしく行動することができるようになります。そして、お子さんのマイナス面が気になったときは、是非、②~④を活用してみてください。

おわりに

 みなさま、新年度を迎えるにあたり、少しリフレッシュしていただけましたでしょうか。

 子どもの頃の評価や失敗は気になるものですが、もう私達はおとなです。あの頃の小さな子どもではありません。考え方ひとつで、とても楽に過ごすことができます。せっかくすごい確率でこの世に生まれてきたのですから、自分のいいところもちょっと気になっているところも含めて大いに人生を楽しみたいものですね。

【著者プロフィール】

田村節子(たむら・せつこ)
東京成徳大学教授。博士(心理学)。公認心理師、臨床心理士,学校心理士スーパーヴァイザー等。専門は学校心理学。保護者をパートナーとするチーム援助を主とした研究と実践を行っている。著書に『保護者をパートナーとする援助チームの質的分析』(風閒書房)『養護教諭のコミュニケーション』(共著、少年写真新聞社)『石隈・田村式援助シートによるチーム援助入門―学校心理学・実践編―』『石隈・田村式援助シートによる実践チーム援助―特別支援編―』『石隈・田村式援助シートによる子ども参加型チーム援助―インフォームドコンセントを超えて―』(共著、図書文化社)『こどもに「クソババァ」と言われたら―思春期の子育て羅針盤―』『家族ってビミョ~―思春期の子育て羅針盤2―』(共著、教育出版)『親と子が幸せになる「XとYの法則」』(ほんの森出版(現在はKindle版のみ))など多数。

著書