見出し画像

コロナ騒ぎの中での親子関係(汐見稔幸:東京大学名誉教授/白梅学園大学名誉学長)#つながれない社会のなかでこころのつながりを

外出の自粛が推奨され、これだけ長く一緒に過ごしたことはないという日々を送られている親子がほとんどだと思います。
今までにない親子の関係と状況について、子育てと教育にいつもやさしく深いまなざしを注がれている汐見稔幸先生にお考えいただきました。

「人間」という言葉の意味

 人間という言葉は、中国語と日本語で語義(意味)がやや異なります。中国語では「ひとのあいだ」という文字通りの語義の言葉で、人と人の関係がつくり出すものすなわち世間とか社会というような語義(意味)になります。「人間万事塞翁が馬」の「人間(人閒)」は世間というような語義(意味)です。区別するため「じんかん」と読むこともありますね。

 それに対して日本語の人間は、「ヒト」という語義(意味)になります。本当は「人の間」ですから、世間というような語義(意味)の方が正しいのだと思います。しかし日本人はそれをヒトヒューマンの意味で使ってきたのです。どうしてでしょうか。

 正確な理由は分かりませんが、日本人は人と人の関係こそがその人を表す、あるいは人間にとって最も大事なのは他の人との関係のあり方だ、という想いを込めて、ヒトを人間といってきたのだと思います。

画像2

 人と人の関係こそがその人を表すというのは、人間は本質的に社会的存在であるということです。生まれ落ちて、そのあと人との関係を次第に発達させて社会的存在になっていく、ということではないのです。生まれた瞬間から社会的で、自立した人間ではないということです。一人の赤ん坊というのはいない、いるのは赤ん坊と母によるケアとの組み合わせだ、といったのは小児科医のウィニコットでしたが、西洋でも、精神分析の流れの中では人間の根源的社会性はテーマになってきました。

 では、生まれてしばらく後の親との関係、アタッチメント行為、友人関係等は、子どもの社会性の育ちにどう関係するのでしょうか。おそらく初期アタッチメントなどの根源的な社会性をコアとしながら、世間の種々の論理を取り入れて、さまざまな複雑な関係性を身につけていくのでしょう。

画像3

 ここでは、この根源的な社会性、例えばアタッチメント、基本的信頼感の獲得が首尾よく遂行されることが、その後の社会性の育ちに大きな影響を与えるということだけを確認しておきましょう。

 現代社会で、対人関係問題、人間関係問題が大きなテーマになっている(例えばいじめ、DV、ストーカー、引きこもり等はすべて対人関係の非社会的な現れ)のは、この根源的社会性の育ちの問題か、それともその後の社会性の育ちの問題か、ということは重要な理論的課題ですが、ここでは深入りしないで、後者の問題を取りあげましょう。

親の家庭時間が保障されてこなかった日本

 コロナ問題で、学校が休校になり、地域によっては不要不急の外出も禁欲してほしいという指示が出ている中で、親も子も狭い核家族で閉じこもることが多くなっています。私の子どもも私の孫である小さな子どもをつれて公園に行くとたくさんの子どもたちが来ていて、かえって心配だという保護者が多いといっています。だからといって外に出て、遊ぶところもない。家庭の中にいると、ケンカばかりするし、子どもにもストレスがたまってきて、精神的におおらかさがなくなっているのがよくわかる、と嘆いています。

画像4

 普段から家庭の中で子どもとの良好なコミュニケーションができていて、休校になったので、これまで子どもとやりたかったけどできなかったことがやっとできるようになったという保護者には、今回の事態はとくに問題であるわけではないでしょう。

 しかし、日本では、多くの家庭ではそんな関係ができていないでしょう。とくに父親は、普段から家に戻ってくる時間が世界水準から見るととても遅く、夜、家に戻ってから自分の子どもたちとさまざまなことをするなどできるわけがありません。

 私の息子の一人は最近まで家族でドイツに住んでいました。息子のところを訪ねたとき、孫たちがいっている保育所を見学させてもらいました。驚いたのは夕方4時頃になると、多くの父親が自分の子どもを迎えに来ることでした。かなりの割合で父親が迎えに来ていました。そしてもっと驚いたのがその保育所が夕方の4時半に鍵をかけて閉めてしまったことでした。つまり保育所は夕方4時半までしかやっていないのです。朝は8時にしか開かない、ということでしたので、開所時間は昼休みを入れて8時間半です。

画像5

 多くの家庭では夕方4時頃になると父も母も仕事から戻ってくるといいます。ヨーロッパは春から秋にかけて夜遅くまで明るいので、この時刻以降は、家庭に全員がそろって家庭文化を楽しむ時間になるのです。多くの家庭では、公園まで遊びに行ったり、サッカーを親子で楽しんだりしているといいます。サラリーマンの年間平均労働時間が1500時間をわっているのでこういうことができるのだと思いますが、日本はそういう面から言うと、、社会の根本インフラがまだ調っていないと嘆きに似た感情を感じます。

人間関係づくりには文化が媒介しなければならない

 ところで、子どもとの時間が多くなってきた現代、親はどう子どもに関わるべきか、ということですが、大事なのは、3歳以降の社会性や人間関係力は、それだけで独立して育つわけではないということです。

 人間関係というのは、何かを一緒にするという行為の中で、その行為と平行して、あるいはその行為の深さや意味に応じて育っていくものです。関係の形成には、関係している者同士のもくろみや見つもり、企み等が媒介することが必要です。一言で言うと文化が媒介しなくては社会関係や社会性は生まれないということです。

 昔の人間関係は、まず親や地域の大人との関係、それと子ども同士の集団の関係の中で育っていきました。地域には職人さんやお寺のお坊さん、あるいは子どもがあこがれる青年等がいて、その人たちの生きざまに接して子どもは育ちました。職人さんの仕事を見て、職人にあこがれるということも大きな意味では人間関係づくりでした。親との関係もまず親の仕事を手伝うという関係の中で築きました。仕事に含まれる文化を担うこと、その知識やスキルを身につけることで、そのための関係的行為の中で、結果として一定の人間関係が育ったのです。

画像8

 子どもにはまた子どもの社会集団というものがありました。子どもたちは子どもたちだけで毎日群れて遊びました。異年齢の集団です。そこでガキ大将的な子どもが集団をリードして、遊びを工夫し、現代のように遊び場などがない中で、日々工夫して遊びを編み出していきました。その中で、年上に従うこと、あこがれること、世話をすること等の人間関係力をいつしかみな身につけました。

 とくに、親しい者とちょっとした悪さをすることが大事でした。してはいけないといわれていることをいっしょにやることで、竹馬の友とも言える、一生続く関係を子どもの頃に築くのです。『トム・ソーヤの冒険』などの子どもの文学作品の多くは、そのちょっとした悪さの体験を共有することの人間形成上の大切さを描いたものです。

家族で協同する体験を家庭で増やす

 話を戻しますが、コロナ騒ぎでお父さんも家にいることが増えました。巷では、そのことによって家庭内の暴力DVが増えているといわれています。ヨーロッパなどでもそうだといいます。

 その背景には、日頃家事や育児にいそしんでいない父親が、急にそうした役割を期待されて戸惑うことに、妻や子どもが逆にイライラして父親を批判することがあるのかもしれません。それに対する逆ギレがDVになっているのでは、ということです。

 私は、それよりも、父親がコロナで自宅待機になり給与がなくなったり、仕事の将来が不安になったりして、それまで溜めていた不安が一挙に噴出しているという現状があるのではないかと思っています。そのことをフランクに語り励まし合う関係がない。家族にもない。それなのに、その追い詰められた気持ちを分からない妻や子どもが建前論をいうことに怒りを覚え、暴力になっているのではないかと思うのです。

画像6

 こうした非日常的な場面は危機なのですが、危機の局面は希望にも転化する時期だと押さえることが大事ではないでしょうか。

 まず、働いて今給与をもらっている人は、私自身も含めて、ひょっとしたらその仕事がなくなるかもしれない!という気持ちを持っているべきだと思っています。その上で、自分の人生の看板を掛け替えなければならないかな、と考えていくのです。人生うまくいかなくなったときに、過去にしがみつくのではなく、新しい未来を考えるわけです。たとえスタート地点がうんと下がったとしても、そこから前を向く。例えば自分の子どもが不登校になってどうしても学校に行かないということになれば、その地点で家族の看板をかけ替えて、学校に行かないで大きくなる道を探し、応援するように切り替える。これと同じです。その時点で、家族の暗さが減じます。

 つまり、この機会に自分の人生を振り返ることをしてみようということです。今までにしがみつくだけでなく、生活の仕方を考え直すということです。コロナは、場合によっては学校に行かなくてもネット学習だって十分できるということを示しましたし、会社に毎日行かなくても必要な仕事は可能だということを示しています。だとすると、今後は家でできることは家でやろうという文化に変えることが十分に可能になります。

画像7

 その上で、子どもや妻、夫との人間関係を築いていくために、家庭内で協同する仕事を見つけ増やしていくことが大事です。先にいいましたが、人間関係は協同する文化が媒介して育っていきます。今家庭にそれがなくなってきているので、家庭内での人間関係づくりが難しくなっているのです。

 例えば料理をみんなでつくってみる、父親も子どももこの機会に料理を覚える、いっしょにテレビでドラマを見て後で感想を言い合う、見たかったけれど見られなかった映画をビデオでいっしょに見る、家のレイアウトをいっしょに変えてみる、朝いっしょに散歩に行く、いっしょに筋トレをする……すべていっしょということが大事なのです。あるいは子どもの将来の希望をじっくり聞いてやるなども。そこでのスタンスの工夫が、家族内の人間関係づくりに貢献していくと思います。

(執筆者プロフィール)

汐見稔幸、写真(2011)

汐見稔幸(しおみ・としゆき)
東京大学名誉教授、白梅学園大学名誉学長。専門は教育学、教育人間学、保育学、育児学。21世紀型の教育・保育を構想中。『10の姿で保育の質を高める本』(共著・風鳴社)『子どもの自尊感と家族—親と子どものゆっくりライフ』(金子書房)など多数の著書を持つ。