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自分の気持ちが分からないときに(龍谷大学教授:内田利広先生) #自己と他者 異なる価値観への想像力

「自分のことは自分がよく分かっている」などと、昔のドラマではよく聞いたように思います。しかし、実際は自分の気持ちは人の気持ちより分からないと感じることはないでしょうか。自分の気持ちが分からないときどうすればよいかを、豊かな臨床の研究と実践を重ねられている内田利広先生にお書きいただきました。

自分が一番よく分からない

 「自分のことは自分がよく分かっている」と言われますが、本当にそうでしょうか。実は自分の気持ちや行動は、自分が一番分かっていないということもあります。
 男の子がある女の子にいつもちょっかいを出し、からかっては意地悪をしている様子を見て、周りの子は、男の子がその女の子のことを好きなのはよく分かりますが、本人はその気持ちが分からないということがあります。実は、人の心は、他人のことはよく分かりますが、自分自身の気持ち(心)が一番よく分からないと言われます。
 気持ちというのは、多くはその人の表情や行動、しぐさに出ると言われます。したがって、他の人の表情やしぐさを見て、その人の気持ちが分かることがあります。しかし、自分の表情やしぐさを見ることはできませんので、つかみようがありません。

 そこで、自分で自分の気持ちを分かるには、自分で気持ちを確かめるしかありません。しかし「自分で自分の気持ちを確かめる」ためには、どのようにしたらいいのでしょうか。

 自分の気持ちを確かめるには、何か気持ちが動いたときに確かめるのがやりやすいと思います。ぼーっとテレビを見ているときやお風呂に入っているときに、自分の気持ちを分かろうとしても、あまり何も感じられないだろうと思います。
 何か、出来事が起こったり、刺激になるものを見たりしたときに、気持ちが少し動いて、その感覚を感じることができます。帰りの電車で、大声で怒鳴っている乗客を見て、何か胸のあたりがざわざわして落ち着かない。でもその気持ちは何なのか、よく分からない、ということもあるかと思います。このように自分の中で起こっている気持ちを分かるのは、そう簡単なことではありません。

自分の気持ちをつかむために

 ここでは、ユージン・ジェンドリンによって創始された「フォーカシング」の視点から考えてみたいと思います。
 上で紹介した電車の中で感じた「ざわざわする感じ」は、人の身体の中で体験される(感じられる)感覚であり、これは気持ちの素になるものと考えられます。フォーカシングでは、これは「フェルトセンス」(感じられた意味感覚)と言われるもので、人は誰しもが日常の中で感じているものです。しかし、日ごろの忙しさの中で、自分の身体の中で感じられているものに目を向けることは、ほとんどなくなっているのではないかと思われます。自分の気持ちをつかむには、まずこの身体で感じられる感覚に目を向けることから始まります。
 以前、テレビのドラマで「胸がぐるぐるする」(NHKの大河ドラマ)と言っていたことがありましたが、それがまさに気持ちの素になるもので、その感覚を見事に表現していました。
 見事に表現と言っても、「ぐるぐるしている」と言われても、何のことだか全く分かりませんね。それは当然なのです。この気持ちの素になる感覚は、まだ言葉になっておらず(前概念的と言います)、流動的であり、つかみ難いものなのです。
 そこで、まずはそのつかみ難い身体の感覚に注意を向けてみて(フォーカスする)、しばらくその感覚を確かめ、味わってみるのです。そうすると、自然と「あー、胸がぐるぐるして、【嬉しく】なってきた」と気づくことがあります。この【……】の中に入る言葉(感情)は、特に決まっているわけではないので、その時の感覚や状況によって変わってきます。「あー、胸がぐるぐるして【悲しく】なってきた」と表現されるかもしれませんし、「あー、胸がぐるぐるして【腹が立って】きた」と気づくかもしれません。そして、この【……】の中の気持ちが見つかると、その時はじめて自分は嬉しかったのだ、悲しかったのだと分かることになります。自分の気持ちが分かると、少しすっきりして落ち着くことになります。

対話の中で、気持ちを確かめる

 しかし、自分の感覚に注意を向けて、いくら味わってみても、「あー、胸がぐるぐるして、【……】?」となり、【……】の中に入る言葉(気持ち)が出てこないこともあります。自分の身体の感じに注意を向けることもあまりありませんし、そのつかみ難い気持ちの素になる感覚を味わうというのは、すぐにはできないかもしれません。そこで、大切なのは、誰かにその感覚を話して、聞いてもらうことです。人は自分の気持ちが一番分からないものですが、自分の気持ちは人と話をする中で、見えてくることがあります。しかもその時に大切なのは、自分の感覚に寄り添って話を聴いてくれる他者に出会うことです。

 例えば、「胸がぐるぐるする」と感じたときに、そのことを誰かに伝えてみるのです。伝えられた相手もよく分からないので、<胸がぐるぐるする?>と問いかけてくれるかもしれません。そうすると、そのぐるぐるする感覚に意識が向き、もう少しこの感覚をうまく説明し、伝えようとするので、自然とその気持ちのもとになる感覚に注意が向くことになり、それを言葉にしようとします。そして、「ぐるぐるする……?」、「これは何なのか、イライラしているのか、いや違うな、なんか弾むような、うれしい感じがするな」と少しずつその感覚に近づき、言葉(感情)を見つけることができるようになるのです。このように、自分の気持ちは、誰かとの対話を通して、分かってくるところがあります。

 初めに挙げた、電車の中での「ざわざわして落ち着かない」感覚も、自分でもよく分からない気持ちであり、どう表現していいか分からないところがあります。そこで、家に帰り、家族の人に話して聞いてもらいます。電車での詳しい状況を家族に話し、何かざわざわした感覚があると伝えます。すると家族から、なんでその人は怒鳴っていたのか問われ、その乗客は、隣の客のちょっとした動作に腹を立て、隣の客を一方的に怒鳴りつけていたということを話します。その話をしている際に、次第にそのざわざわした感覚は、隣の客の様子や表情に対して感じられるものであることが分かり、可哀そうになり切ない気持ちになったと語ります。そして、そのざわざわした感覚は、「切ない気持ち」だったのだと気づくのです。これは、一人ではなかなかつかめない自分の気持ちであり、そこに誰かが寄り添い、一緒にその感覚を味わい、確かめてくれることで初めて言葉(気持ち)として明らかになるのです。

自分の気持ちの素になる漠然とした感覚

 「自分の気持ちが分からない」というのは、多くの人が感じるところではないでしょうか。そして、それは人が忙しく毎日を過ごす中で、自分の気持ちの素になる微かな感覚(フェルトセンス)を感じることなく生きるようになった結果だとも考えられます。最近のマインドフルネスへの注目に見られるように、人間は本来の自分の中で起こっている体験、感覚に素直に目を向けてみる時期に来ているのかもしれません。自分の気持ちを分かるために、せわしない日常の中でも、少し時間を取って、今の自分の身体の感覚に少し目を向けて、今はどんな気持ちなのかな、と優しく問いかけてみるのはいかがでしょうか。

 そして、自分の気持ちを分かるのに大事なのは、その微かな感覚、言葉になる前の体験を誰かと共有し、話を聴いてくれる相手が必要であるということです。つまり、人は自分だけでは、自分の気持ちを分かるのは難しく、他者と出会うことで、自分の気持ちも分かるようになるのです。そのような他者との出会いを是非たくさん持っていただければと思います。

 そういえば、最近始まった朝ドラ(NHK)も「ちむどんどん」というタイトルです。このちむどんどんも、気持ちを表す言葉のようですが、その使い方はさまざまであり、まだはっきりしない「胸がワクワクする」という感覚のようです。このように、最近は気持ちの素になる感覚が、少し注目されているようであり、その感覚を大切にしようという意識の高まりではないかとうれしく思っています。そして、このまだ言葉にならない、気持ちの素になる感覚に敏感なのは、子どもたちであり、子どもたちはこのような表現を使うのですが、大人たちは、今子どもたちのこのような気持ち(感覚)がつかめなくなっているのではないでしょうか。
 今、改めて気持ちの素になっている感覚に目を向けて、一緒に対話する中で、その気持ちを確かめてみてはいかがでしょうか。

参考文献

内田利広(著)『フォーカシング指向心理療法-カウンセリングの場におけるフェルトセンスの活用-』内田利広著 創元社 2022年

日本フォーカシング協会:https://focusing.jp/

執筆者

内田利広(うちだ・としひろ)
龍谷大学教授、京都教育大学名誉教授。博士(心理学)。臨床心理士。公認心理師。専門は教育臨床心理学。スクールカウンセラーの活動や親子関係、児童思春期の子どもの心の問題を中心に研究と実践を行っている。所属学会は日本人間性心理学会、日本心理臨床学会、日本家族心理学会、日本フォーカシング協会など。

著書は『スクールカウンセラーの第一歩』、『期待とあきらめの心理』、『フォーカシング指向心理療法の基礎』(いずれも創元社)、『母と娘の心理臨床』、『はじめて学ぶ生徒指導・教育相談(共編著)』(いずれも金子書房)など。

著書