見出し画像

「早く忘れた方が自分のためだよ」?(早稲田大学文学学術院准教授:森山至貴) #心機一転こころの整理

つらい経験を打ち明けた際にかけられる「早く忘れた方が自分のためだよ」という言葉。この言葉の背後にはどのような動機があり、相手にどのような影響をもたらすのでしょうか。そしてそれらをふまえると、そもそも「こころの整理」とはどのような営みだと考えられるでしょうか。クィア・スタディーズがご専門の森山至貴先生にご執筆いただきました。

記憶と感情を堰き止めさせる言葉

とんでもなく恥ずかしい失敗をしてしまったとか、信じられないほどひどい仕打ちを受けたとか、そういう経験がふとした瞬間に思い出され、苦しく感じることがありますよね。自分一人でその気持ちに対処することが難しいと感じた時、私たちは友人や家族などにこう語りかけます。「私に起こったことを聞いてほしい」。ようやく私たちは過去の出来事や今の自分の気持ちについて話すでしょう。そしてその言葉の流れは、聞き手のこんな言葉によってしばしば堰き止められるのです。

「早く忘れた方が自分のためだよ」

「んなことたぁ分かってるんだよ!」と怒りたくもなるこの種の言葉の問題について、このコラムでは少し丁寧に考えてみます。最終的にはこの特集のタイトルでもある「こころの整理」が何を指しているのかについて、私なりの見解をお伝えすることもできるはずです。

忘れようと思っても忘れられないんです

たしかに、手元にずっと持っているよりは手放してしまったほうがよい記憶も感情もあるでしょう。時間を巻き戻して過去の失敗を取り消すことはできないのだから、もう忘れてしまうべきだ、とアドバイスしてあげたい気持ちはわからなくありません。

しかし、「忘れたほうがよい」と考えれば忘れることができるなら苦労はありません。この特集に寄せられた他の方々のコラムにもあるように、忘れようと思っても忘れられないから記憶や感情は厄介なのです。そして、そんなことは聞き手の側だって分かっているはずです。

だから、誠実な聞き手なら「忘れられるといいんだけど、難しいよね…」という煮え切らない言葉を返すしかないはずです。そして、そういった「解決策になっていない応答」でとくに問題はないのです。捨てるに捨てられない記憶や感情を差し出されたら、一時的にでもそれをいっしょに持ってあげることは、相手への助けになっているからです。

にもかかわらず「早く忘れたほうが自分のため」という無理な「解決策」を提示するとしたら、むしろそれは聞き手の側の事情によるもの、と考えるべきではないでしょうか。つまり、「解決策を提示するからあなたが自分で解決しろ」と暗に言うことで、聞き手自身がこの件を自分から切り離して忘れてしまいたいだけなのではないか、と。

本当に忘れてしまってよいのですか?

「早く忘れた方が自分のためだよ」というアドバイスの問題はもうひとつあります。つまり、なんでもかんでも、本当に忘れてしまってよいのでしょうか? 誰かの理不尽なふるまいによって傷ついた場合、それを忘れることで私の傷は「癒えた」のかもしれませんが、その誰かが理不尽なふるまいをしなくなったわけではありません。辛いけれど覚えていることで、いずれその理不尽を諌めたり改めさせたりするチャンスが巡ってきたときに正しく振る舞えるかもしれない。それは私たちにとって希望です。だから、忘れた方が楽になるけれども、忘れてはいけないこともあるのではないでしょうか。

この場合にも「早く忘れた方が自分のため」というアドバイスは間違っていることになります。受け流すと長期的には「自分のため」にならなくなってしまう理不尽を見逃すことを勧めてしまっている可能性があるからです。また、理不尽を忘れようとする努力は、私たちが持っている「正しくありたい」という願望に対する裏切りにもなりうるので、このアドバイスはかえって相手を自己嫌悪におちいらせてしまう可能性もあります。ここでも、煮え切らない「ひどい目に遭ったね…思い出すと辛いよね…」が、相手の気持ちを受け止め、その先をともに考えるための誠実な一歩目と言えるのではないでしょうか。

「こころの整理」って結局、何?

さて、「早く忘れた方が自分のためだよ」というアドバイスは、忘れようとしても忘れられなかったり、辛いけれど忘れてはいけなかったりするような経験や感情を無視し、相手の困りごとから遠ざかったりその将来的な解決を阻んだりするから問題である、とここまで述べてきました。ここから、「こころの整理」に関する知見を引き出してみることができるかもしれません。

つまりこういうことです。私たちは「こころの整理」を、「断捨離」のようなものとしてのみイメージしてはいないでしょうか。たしかに整理したい記憶や感情は「ときめく」ようなものではないので捨てたくもなるのですが、残念ながら捨てようと思って捨てられるものでもなく、捨てた方がよいともかぎらないのです。

だから、私たちは「こころの整理」を、文字どおり「整理」として考え直すべきなのではないでしょうか。あとで取り出しにくいところにしまい込まず、捨てやすいところに置いておいて、チャンスがあれば処分してしまう。捨てるに捨てられないなら、生活の邪魔になる場所には置かないようにする。ときどき取り出して他人に持ってもらい、錆びたり腐ったりして対処できない状態になってしまっていないか確認してもらう。

服やアクセサリー、家具やバイクのようには捨てられないのが「こころ」だからこそ、「断捨離」だけでない「整理」の仕方を、試行錯誤しながら探るしかないのだ、と私には思えます。それこそが、「早く忘れた方が自分のためだよ」という乱暴な「解決策」の対極にある、地味だけれど地道な「こころの整理」のあり方なのではないでしょうか。

執筆者プロフィール

森山至貴(もりやま・のりたか)
1982 年神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程単位取得満期退学。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻助教、早稲田大学文学学術院専任講師を経て、同准教授。専門は、社会学、クィア・スタディーズ。著書に『「ゲイコミュニティ」の社会学』(勁草書房)、『LGBT を読みとく―クィア・スタディーズ入門』(ちくま新書)、『10 代から知っておきたい あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』『10 代から知っておきたい 女性を閉じこめる「ずるい言葉」』(いずれもWAVE出版)。

著書

10代から知っておきたい あなたを閉じこめる「ずるい言葉」

10 代から知っておきたい 女性を閉じこめる「ずるい言葉」


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!