不安に耳を傾ける(国重浩一:日本臨床心理士、ニュージーランド・カウンセラー協会員、ナラティヴ実践協働研究センター)#不安との向き合い方
不安は大切なものでもある
私たちの住む社会文化の中において、不安を感じているということは、一般的にあまり良いことであるとはされません。健全な人はそのような不安を感じないものである、と考えてしまいます。興味深いことに、不安に思わせる材料があるにもかかわらず、不安を感じてもダメだということです。なぜならば、そのようなことを不安に感じるのがおかしい、自分で処理できないのがおかしいということになるからです。
未知のものや不確かなものに対して、何らかの不安を抱くということは、そのことに対して用心して向き合うことができるので、大切なことです。見知らぬものに対して、何も感じないほうがよっぽど危険です。たとえば、魚釣りにいって、魚が釣れてもどんな魚でも触っていいわけではありません。毒のある魚もあるのですから。また、勧誘の声に対して警戒感を抱くことも大切なことです。
不安がまったくないというのは、身体的痛みをまったく感じないのと同じぐらい、危ないことだと考えることができます。
不安にさせられる
私たちは、不安ということは、私たち個人が抱くものであると考えがちです。不安を抱くということが、本当に個人の問題なのだろうかということを疑ってみましょう。
社会においては、人を不安に感じさせることによって、目的を達成しようとする試みがあります。それは、人が不安になればなるほど、その目的にとってはよいのです。
たとえば、子どもの教育では、子どもの将来に対する不安をかき立てられるので、子どもを学習塾や習い事に行かせたくなります。報道においては、不安や驚きをかき立てるセンセーショナルなものほど、視聴率が上がります。私は心理カウンセラーですが、現代社会の人々の心は病んできているのでカウンセリングが必要だと吹聴すればするほど、客が増える可能性があります。
若い世代の人たちと話していて、インスタグラムのようなSNSによって、何が起きているのかを理解することがあります。それは、自分の顔立ち、体型、持ち物、そして人としての幸福度が不十分であることを絶えず伝えているということです。自分は十分な存在でないと常に言われ続けているのと同じことです。そのようなSNSに晒されること自体が、不安定な気持ちを作り出すのだと気づいている人たちもいます。ところが、それに気づいていても、SNS自体が通信手段になっていたり、話す話題を提供してくれたりしているので、離れるに離れられないのです。
SNSの投稿写真がどれほど加工されたものか知っていますか。今の技術では、人の顔や体型をどのようにでも作り上げることができるのです。SNSが作り出す人工の世界と比較して自分を判断しているということです。そして、そのようなSNSの存在に苦情を申し立てるのではなく、その非難の目が自分自身に向いてしまうのです。
このように見ていくと、私たちは、常に不安をかき立てられるような情報源に囲まれていることがわかります。そこで不安を感じるのは、当然の結果と言えるでしょう。
ところが、興味深いことに、私たちは、「自分がそのような要因によって不安にさせられている」とは思えません。「自分が不安を感じてしまっている」と思ってしまうのです。
どのような外因があったとしても、個人のなかで生じていることはすべて個人に責任があると見なしてしまう傾向は、現代社会の大きな特徴です。そんなことはありません。私たちは、さまざまなことから影響を受けているのです。そのことをしっかりと認めてほしいと思っています。
不安に耳を傾ける
不安というのは、実は、私たちにとって時に大切なことを伝えてくれることがあります。私たちが本当にいやだと思っていること、避けようと思っていることを、不安という形で伝えてくれるのです。
ところが、不安を持っていてはダメだという思いにとらわれると、不安が本当に伝えようとしてくれていることに耳をかせないときがあります。
「十分に落ち着いているときに、不安に耳を澄ませてみましょう」
「その不安は、あなたに何を大切にしてほしいと伝えているのでしょうか」
社会生活を営む必要があるので、不安が伝えることを何でもできるわけではありません。でも少なくとも、その不安が伝えるようとしていることをくみ取ることで、自分にとって大切にしなければならないことが見えてくることがあります。そして、一番肝心な要因に対処することで、生活が楽になったりするのです。
私はニュージーランドに住んでいます。これまで述べたことは、ニュージーランドでもみられます。新型コロナウイルス(Covid-19)によって、世界中の人々が不安に直面しています。自分が新型コロナウイルスに感染して命を落とすのではないかという不安だけではありません。自分が感染してしまうと、世間からどのように見られるのかという不安、そして、他人に感染させて、迷惑をかけてしまうのではないかという不安です。
また、新型コロナウイルスによって、大きな影響を被った職種もあるでしょう。その場合には、今後どのように生きていくのかの不安が当然のことながらあります。
ニュージーランドの政府は、感染拡大防止のためのロックダウンをする際に、情報をしっかりと公開し、生活に対する保証をしてくれました。また、正確な情報を伝えるとともに、どのように見通しを持ったらいいのかの指針を示してくれました。これによって、多くの人がただ単に不安をかき立てられたままの状態ではなくなったのです。
どの声に耳を傾けるのか
人間は基本的には不安を感じるようになっています。その不安をかき立てるようにして、私たちに何かを伝えようとする人々がいます。つまり、人に不安や恐怖を感じてもらったほうが、自分の言いたいことを聴いてもらえると思うのでしょう。ネットで読める記事では、タイトルからして、そのような傾向を読み取れるものもあります。私は、そのような言葉を注意深く査定したいと思っています。
不安はなくなるようなものではないので、私たちは、自分の内にある不安の変動を追うのではなく、どの声を聞き、どの声を聞かないかという選択に注意深くあるべきではないでしょうか。大切な声は、あまり主張してこないので、こちらから耳を傾ける必要がありそうです。 〔9月30日原稿受理〕
執筆者プロフィール
国重浩一(くにしげ・こういち)
東京都出身。ニュージーランド、ワイカト大学カウンセリング大学院修了。日本臨床心理士、ニュージーランド・カウンセリング協会員。ナラティヴ・セラピー関係の著作、翻訳、ワークショップを中心に活動している。
❦ 金子書房での著書